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家庭料理しか作れないと追放された宮廷料理人ですが、 一汁三菜で辺境を建て直したら、 王都より豊かな領地になっていました  作者: 花結 紬


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第21話 料理人は、畑を一色にしない

徴税が三十日延期されてから、三日が過ぎた。


 ルーデンの広場には、夜明け前から人が集まっていた。


 男たちの手には斧と鋤。女たちは布袋いっぱいの赤い実の種を抱え、子どもたちまで小さな木桶を持っている。


「森を切り開こう!」


 鉱山で働くバルドが、斧を高く掲げた。


「赤い実を千本植えるんだ。一本銀貨七十枚なら、来年には税なんて怖くない!」


「千本じゃ足りないよ。麦畑も果樹園にしよう!」


「南の放牧地も使えるぞ!」


 威勢のよい声が飛び交う。


 ほんの数日前まで、明日の食事すら心配していた人々だ。


 今は自分たちの土地に価値があると知り、未来を語っている。


 その変化は、リディアにも嬉しかった。


 けれど。


「待ってください」


 リディアの声に、広場が静まった。


 斧を肩に担いだバルドが、不思議そうに振り返る。


「どうしたんだ、先生。善は急げっていうだろ?」


「森を切り開いて、どこへ植えるつもりですか?」


「まずは北の麦畑だな。痩せた土地で、どうせ大した麦も採れない」


「豆畑も半分くらいなら潰せるよ」


「家畜の餌場だって広すぎる」


 皆の口から、次々に候補が挙がる。


 リディアは地面へしゃがみ、小枝で大きな円を描いた。


「これが、今のルーデン領です」


 円の中へ、いくつか小さな区画を作る。


「ここが麦畑。こちらが豆畑。根菜を育てる畑に、家畜の放牧地。そして、赤い実の森」


 今度は、すべての区画を一本の斜線で塗り潰した。


「この土地を全部、赤い実の木に変えたとします」


「そうすれば大儲けだ」


 バルドの言葉に、何人もの村人が頷く。


「では、実がなるまでの間、何を食べますか?」


 誰も答えなかった。


「苗木が育つまで、少なくとも数年はかかります。その間も麦は必要です。豆も、根菜も、家畜の餌も必要になります」


「でも、実がなれば買えるだろ?」


「どこからですか?」


 リディアが問い返すと、バルドは口を閉じた。


「街から買うにも、運ぶための道と馬車が必要です。それに、赤い実が毎年同じ値段で売れるとは限りません」


 レオンが広場の端で腕を組み、静かに頷いた。


「先生の言うとおりです」


 村人たちの視線が集まる。


「珍しいからこそ、今は高く評価されている。市場へ大量に出回れば、値段は下がります」


「でも王都じゃ、奪い合いになってるんだろ?」


「今は、です」


 レオンは言葉を区切った。


「商人が昨日まで銀貨七十枚を出した商品を、明日も同じ値段で買う保証はありません。流行が終われば、銀貨七枚になることもある」


「十分の一……」


 誰かが呟く。


「もっと下がることもあります」


 先ほどまで未来の財産に見えていた種を、村人たちは不安そうに見下ろした。


 ノアがリディアの袖を引く。


「じゃあ、植えないの?」


「植えるよ」


「え?」


 リディアは地面の図に、新しい小さな区画を加えた。


「ただし、全部は変えない」


 麦畑。


 豆畑。


 根菜畑。


 放牧地。


 そして果樹園。


「食べるための畑と、売るための畑を分けます。どれか一つが駄目になっても、ほかで暮らしを支えられるように」


 セドリックが図を覗き込む。


「一つの作物に頼らないということか」


「はい。食卓と同じです」


 リディアは頷いた。


「肉だけを食べていては、身体は持ちません。麦だけでも、野菜だけでも同じです」


 小枝の先で、それぞれの畑を順に指す。


「畑も一汁三菜にするんです」


 一瞬の沈黙の後、ノアが吹き出した。


「畑にもご飯があるの?」


「麦が主食。豆や根菜がおかず。果実は――」


「甘いもの!」


「そうね」


 子どもたちの笑い声が広がる。


 張り詰めていた大人たちの表情も、少しずつ緩んでいった。


 しかし、バルドはまだ納得していないようだった。


「考え方は分かった。だが、三十日後に必要なのは銀貨だ。何年も待ってはいられない」


「もちろんです」


 リディアは立ち上がった。


「だから、木を育てるだけでは足りません」


「ほかに何をする?」


「今あるものを、売れる形に変えます」


 村人たちの顔を見渡す。


「実だけを売れば、一度収穫して終わりです。でも、苗を育てる人、加工する人、瓶を作る人、運ぶ人がいれば――仕事が残ります」


「仕事……」


「ルーデンが作るべきなのは、一つの商品ではありません」


 赤い実の種を掌へ載せる。


「この種から始まる、暮らしです」


     ◇


 午前中、リディアたちは赤い実が残っていた森へ向かった。


 目的は、果樹園に適した場所を選ぶこと。


 ノアは地面へ目印の杭を打ち、バルドたちは樹木の間隔を測っていく。


「先生、こっちは日当たりがいいよ!」


「水はけも悪くなさそうね。でも、木を切りすぎないで。強い風を防いでくれるから」


「この木は邪魔じゃないのか?」


「鳥が休める木は残してください。虫を食べてもらえるかもしれません」


 リディア自身は農業の専門家ではない。


 宮廷厨房で扱ってきた食材と、生産者から聞いた話。それに台所帳の記録を組み合わせ、一つずつ確かめているだけだ。


 分からないことは、村人に聞く。


「春、一番最初に雪が解けるのはどこですか?」


「東の斜面だな」


「夏でも水が残る場所は?」


「森の奥に小さな沢がある」


「では、その間を見てみましょう」


 答えを押しつけるのではなく、皆の知識を一枚の献立へ組み立てていく。


 それが、今のリディアにできることだった。


 やがて一行は、森の奥にある開けた場所へたどり着いた。


 赤い実の木が、ほかの場所より規則正しく並んでいる。


 一本、また一本。


 木と木の間隔が、ほとんど同じだった。


「ここ……変ですね」


 リディアは足を止めた。


 セドリックが周囲を見回す。


「何がだ?」


「自然に生えたにしては、並び方が整いすぎています」


 レオンも一本の木へ近づいた。


 幹の根元を覆う苔を、手袋で丁寧に払う。


 そこには、刃物で切ったような古い傷跡が残っていた。


「接ぎ木の痕です」


「つぎき?」


 ノアが首を傾げる。


「違う木の枝をつないで、良い実がなる木を増やす方法です」


 レオンの声から、いつもの余裕が消えていた。


「これは野生の森ではありません」


 リディアは辺りを見渡した。


 朽ちた柵。


 苔に埋もれた石畳。


 土の中に半分沈んだ木桶。


 長い間、森に呑み込まれて見えなくなっていただけだ。


「昔の果樹園……」


 セドリックの声が震える。


「俺は知らない。こんな場所があったなんて」


 リディアは台所帳を取り出した。


 果実酢がこぼれた跡のある頁。


 その余白に、薄く残った線がある。


 染みだと思っていた。


 けれど、森の配置と照らし合わせると、線は道の形に見えた。


「これは献立ではなかったのね」


 頁を横向きにする。


「地図です」


 ノアが顔を近づける。


「じゃあ、先代様はここを知ってたの?」


「知っていたどころか――」


 リディアは木々を見上げた。


「この果樹園を作ったのかもしれない」


 風が吹き抜け、枝葉がざわめいた。


 木々の間から差し込む光が、地面の一点を照らす。


 そこには、大きな切り株があった。


 ほかの木とは明らかに違う。


 人の背丈ほどもある太い幹が、根元から斧で断ち切られている。


 切り株の中央には、何かを刻んだ跡が残っていた。


 リディアが苔を払う。


 現れたのは、二つの名前だった。


エレノア・ルーデン

エドガー・ヴァイス


「母上と……」


 セドリックの顔から血の気が引く。


「ルーデンを見捨てた料理人」


 レオンが低い声で続けた。


 リディアは刻まれた名前を見つめた。


 先代領主夫人。


 台所帳。


 果樹園。


 エドガー。


 十年前、失われた徴税延期の記録。


 それらは、偶然同じ場所に存在しているのではない。


 すべて、一本の線でつながっている。


「この森は、自然に廃れたんじゃない」


 リディアの言葉に、全員が振り返った。


 切り株の周囲には、同じ高さで伐られた古い幹がいくつも並んでいる。


 病気でも、嵐でもない。


 誰かが意図的に果樹園を壊したのだ。


「十年前、誰かがルーデンの産業を消そうとした」


 その時、森の奥で枝の折れる音がした。


 バルドが斧を構える。


「誰だ!」


 返事はない。


 代わりに、木々の間を黒い外套が横切った。


「待て!」


 セドリックが追いかける。


 しかし、黒い影は森の奥へ消えていった。


 地面に残されていたのは、一枚の新しい羊皮紙。


 リディアが拾い上げる。


 そこには、王都の文字で短く記されていた。


果樹園の再建を中止せよ。

さもなくば、次に失うのは木では済まない。


 警告文の下には、王宮厨房で何度も目にした印章が押されていた。


 宮廷料理長ガストンの紋章だった。

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