第20話 食卓は、領地を救う
徴税期限の日。
朝焼けは美しかった。
それがかえって残酷だった。
今日が終われば、この穏やかな村は変わってしまう。
家畜も、畑も、鍋も。
王国に差し押さえられる。
そう思いながら、リディアは共同厨房の火を起こしていた。
「先生。」
ノアが静かに近付いてくる。
「今日は何を作るの?」
リディアは鍋に水を張りながら答えた。
「いつも通り。」
「え?」
「最後の日だからこそ、いつも通り。」
ノアは少しだけ笑った。
「うん。」
やがて広場に、村人たちが集まり始める。
誰もが不安そうだった。
それでも鍋を囲む。
もう、誰も押し合わない。
もう、誰も奪い合わない。
自然と子どもから並び、老人が席へ着き、鉱山で働く男たちは最後尾へ並ぶ。
たった数日。
それだけで、食卓は変わっていた。
馬の蹄の音が響く。
オスカーだった。
兵士を従え、広場へ入ってくる。
昨日までと同じ表情。
昨日までと同じ歩幅。
そして、同じ書類。
「期限です。」
セドリックが前へ出る。
「承知している。」
オスカーは帳簿を開いた。
「納税額。」
「銀貨八百三十七枚。」
「支払いは。」
沈黙。
村中が息を止める。
「……できません。」
セドリックが静かに頭を下げた。
「そうですか。」
オスカーは兵士へ視線を送る。
「差し押さえを――」
「待ってください。」
リディアが一歩前へ出る。
オスカーは無表情のまま彼女を見る。
「税金は払えません。」
「ならば。」
「ですが。」
リディアは果実酢の瓶を机へ置いた。
「価値なら払えます。」
オスカーの眉が、ほんのわずかに動く。
「意味が分かりません。」
「これを見てください。」
隣にいたレオンが一歩前へ出た。
革鞄から、一枚の羊皮紙を取り出す。
「王都商会の仮査定書です。」
オスカーは受け取る。
読み始める。
数秒後。
初めて、その表情が崩れた。
「……銀貨七十。」
もう一度読む。
「一本、銀貨七十枚?」
「ええ。」
レオンは落ち着いて答える。
「正式な契約ではありません。」
「ですが。」
「王都市場における推定価値です。」
オスカーは黙る。
兵士たちも顔を見合わせる。
「王国法では。」
レオンが続ける。
「差し押さえる資産は、市場価値で評価されます。」
オスカーは目を細めた。
「つまり。」
「この果実。」
レオンは森を指差す。
「ただの野生植物ではありません。」
「王国資産です。」
広場が静まり返る。
リディアはレオンを見る。
レオンは小さく頷いた。
昨日の夜、二人で考えた作戦だった。
オスカーは深く息を吐く。
そして帳簿を閉じた。
「……評価をやり直します。」
村人たちがざわめく。
オスカーは続けた。
「王国法第十二条。」
「資産評価が大きく変動した場合、徴税は再査定を行う。」
リディアは思わず息を呑む。
あった。
本当に。
法律が味方してくれた。
「徴税は。」
オスカーが静かに告げる。
「三十日延期。」
その瞬間。
広場にいた全員の時間が止まった。
「……え?」
ノアが声を漏らす。
マルタがその場へ座り込む。
鉱山の男は、何が起きたのか理解できず立ち尽くしていた。
「三十日。」
オスカーは繰り返す。
「その間に正式な市場価値を調査する。」
兵士たちも命令を受け、差し押さえの準備を止める。
誰も歓声を上げられなかった。
本当に助かったのか。
まだ信じられなかった。
やがて。
最初に泣いたのはマルタだった。
「……守れた。」
その一言をきっかけに、村中から嗚咽が漏れ始める。
ノアはリディアへ飛び付き、鉱山の男は黙って頭を下げた。
セドリックは何も言わない。
ただ、リディアへ深く一礼した。
「ありがとう。」
領主としてではない。
一人のルーデンの人間として。
その日の夕暮れ。
共同厨房には、いつもの湯気が立ち上っていた。
今日は特別な料理ではない。
麦飯。
豆の汁物。
漬物。
それでも、誰もが笑っていた。
「先生!」
ノアが木椀を掲げる。
「今日は何の日?」
リディアは少し考え、笑う。
「今日?」
鍋を見つめる。
「新しいルーデンが始まる日かな。」
その頃――王都。
暖炉の前で報告書を読んでいた男が、ゆっくりと立ち上がった。
「……延期?」
燃えかけた蝋燭の火が揺れる。
「ルーデンが?」
男は静かに笑った。
その笑みには、焦りが滲んでいた。
「面白い。」
机の引き出しを開け、一枚の古びた書類を取り出す。
そこに記されていたのは、一人の料理人の名前。
リディア・フェルン
その下には、赤い印でこう書かれていた。
『追放済』
男はその紙を暖炉へ投げ込もうとして――手を止めた。
「……いや。」
低く呟く。
「予定が変わった。」
窓の外、王都の夜景を見つめながら、静かに命じる。
「リディア・フェルンを、生きたまま連れて来い。」
炎はまだ、その書類を燃やしてはいなかった。




