第18話 値段がないなら、価値を作ればいい
徴税期限まで、あと一日。
夜明け前の厨房には、火のはぜる音だけが響いていた。
リディアは眠れなかった。
果実酢の小瓶を前に、腕を組んでいる。
銀貨八百三十七枚。
頭の中で何度計算しても、数字は変わらない。
「一本銀貨五十枚……」
仮に十六本売れれば届く。
だが、今ある瓶は一本だけ。
しかも商会の審査は十日後。
時間が足りない。
「先生。」
後ろからノアの声がした。
眠そうな顔で目をこすりながら、それでも心配そうに覗き込んでいる。
「また寝てないの?」
「少し考え事をね。」
「考えても、お金は増えないよ?」
その一言に、リディアは思わず笑った。
「そうね。」
「でも。」
小瓶を見つめる。
「価値は増やせる。」
朝になると、レオンも厨房へ姿を見せた。
「まだ帰らないんですか?」
リディアが尋ねると、レオンは肩をすくめた。
「気になりまして。」
「何がです?」
「あなたなら、ここからどうするのか。」
試すような目だった。
料理人ではない。
商人の目だ。
リディアは棚から一本の古びた瓶を取り出した。
「レオンさん。」
「はい。」
「王都で、この瓶はいくらですか?」
「……空き瓶ですか?」
「ええ。」
「銅貨一枚でしょう。」
「では。」
果実酢を注ぐ。
布で丁寧に磨く。
蝋で封をする。
麻紐を巻く。
最後に、小さな紙を結んだ。
『ルーデンの森 初摘み』
レオンは目を丸くする。
「これは……。」
「いくらですか?」
レオンは瓶を持ち上げた。
光に透かす。
しばらく考え込んでから答える。
「銀貨七十枚。」
ノアが飛び跳ねる。
「増えた!」
「どうして!」
レオンは笑う。
「人は。」
瓶を眺めながら言う。
「商品を買うのではありません。」
「物語を買うんです。」
リディアは静かに頷いた。
宮廷でもそうだった。
同じ葡萄酒でも、
「王家御用達」
の一言で値段が跳ね上がる。
味だけではない。
背景。
希少性。
そこに価値が宿る。
「じゃあ……」
ノアが目を輝かせる。
「いっぱい名前付けよう!」
その瞬間。
リディアは固まった。
「……名前。」
レオンが笑みを深める。
「気付きましたか。」
「ブランドです。」
ブランド。
聞き慣れた言葉ではない。
けれど意味は分かった。
商品ではなく。
ルーデンそのものを売る。
その発想は、リディアにはなかった。
「先生。」
レオンが真顔になる。
「あなたが売るべきものは果実酢ではありません。」
「……。」
「ルーデンです。」
その言葉が胸に落ちる。
果実酢はきっかけ。
本当に価値があるのは、
この土地。
この森。
この食卓。
この人たち。
その時だった。
ノアが厨房へ飛び込んできた。
「先生!」
「大変!」
「どうしたの?」
「果実が!」
息を切らしながら叫ぶ。
「森の果実が全部なくなってる!」
一瞬、誰も動かなかった。
「……全部?」
「うん!」
「昨日まであったのに!」
リディアとセドリックは顔を見合わせる。
レオンも笑顔を消した。
「誰かが。」
静かに呟く。
「価値に気付いた。」
三人は森へ駆け出した。
枝には一粒も残っていない。
踏み荒らされた地面。
新しい馬車の轍。
そして、折れた枝に引っかかった、一枚の布切れ。
深い紺色。
金糸で刺繍された紋章。
レオンが拾い上げた瞬間、顔色が変わった。
「……これは。」
「知っているんですか?」
リディアが尋ねる。
レオンはゆっくり頷いた。
「王都商会ではありません。」
「もっと厄介です。」
「誰なんです?」
レオンは布を強く握りしめる。
苦々しく口を開いた。
「王室専属商会。」
その名を聞いたセドリックの表情が凍る。
「まさか……。」
レオンは静かに言った。
「この話。」
「もう王都に漏れています。」
森を吹き抜ける風が、誰もいなくなった赤い枝を揺らした。
税の期限まで、あと一日。
頼みの綱だった"宝"は、
何者かによって、先に奪われていた。




