88.有象無象
東京の夜景が地平線まで広がっている。
地上から見上げていた街とは、まるで別の場所だ。
高層ビルでさえ眼下に収まり、その隙間を埋め尽くすように白や橙の明かりが続いている。
「初めて来たけど、すごく綺麗だね」
「せやねぇ。京都とは大違いやわ……」
「京都は街そのものが美しいもんね」
どちらかと言えば、東京は雑多なのだ。
しかし、夜になると無駄なところは削ぎ落とされ、美しさの点と点が繋がり線になる。
大きな道路には車のライトが途切れることなく流れ、遠くまで伸びた光の筋が街の輪郭を浮かび上がらせていた。
窓際まで近づいて下を覗けば、建物はさらに小さくなる。
住宅も駅も商業施設も、一つ一つを見分けるのが難しいほどの高さだ。
それでも街の明かりが途切れることはなく、むしろ遠くを見るほど数を増して、夜空との境目が分からなくなる。
「……遠くから見れば、ウチらはみんな同じなんかな。女も男もなくて、一番も二番もなくて、みんな同じなんかなぁ?」
俺は横目で凪を見る。
彼女の瞳に映る夜景は少しだけ揺れていた。
もはや、彼女から戦う気は失せているように見える。
少なくとも今日、俺で遊んでやろうという気は。
俺たちは手も繋いでいないし、めり込むくらいに身体を寄せ合っているわけでもない。
純粋に二人の人間として夜景を見ていた。
「凪ちゃんはどう思う? どっちがいいと思う?」
「ウチは……全部無くなればええとも思うし、一人だけ輝きたいとも思う」
「欲張りさんだね」
そう言うと、彼女は弱々しく頷いた。
彼女の言うことにも一理あった。
展望デッキに上がってきてからというもの、俺を男だと認識している人は誰もいない。
俺は——生物としては——東京の夜景よりも価値のある存在だと言うのに、全員が人工の灯りに目を奪われている。
手の届く距離にある興奮や嫉妬に気付かず、遠くの幻想を追いかけている。
それは愚かであるし、滑稽であるし、美しかった。
凪の内側では、常人とは違う苦しみが渦巻いている。
人を小馬鹿にしたような態度からは読み取れない苦しみが。
彼女は俺にシンパシーを感じているのだ。
しかし、理解者を理解者と素直に認められず、自らを縛る鎖に首を絞められて、俺から遠ざかろうとさえしている。
であれば、俺に出来ることは一つしかない。
「……ねぇ、凪ちゃん」
「なんですか?」
「僕、凪ちゃんが好きなんだ。付き合ってほしい」
夜景から目を離さず、何でもないふうに俺は言った。
「ええよ」
夜景から目を離さず、心を動かさずに凪は言った。
二人とも酷く冷たい声だっただろう。
恋や愛からは一番遠い声だったはずだ。
だが、俺が言うべきは愛の告白であり、彼女が言うべきは承諾だっだ。
どれだけ心が乗っていなかったとしても言わなければならなかった。
これが思い描いている筋書きなのだ。
時間が経って、俺たちは示し合わせたように目を合わせた。
「ウチも、ずっと樹先輩のこと好きやったんよ」
「知ってるよ。だって僕たち、似てるでしょ?」
「気付いとったんや」
どちらからともなく笑い合う。
俺たちの会話は上辺だけだった。
心など通い合っていない。
ただ、お互いにお互いを籠絡するために話を合わせているだけ。
俺は理解していたし、きっと凪もそうだ。
……いや、凪は分かっているのだろうか。
もしかすると、俺が心から彼女を愛していると、すでに手に落ちたと考えている可能性もある。考えたいと思っている可能性もある。
どちらだとしても、俺たちを待ち受ける運命は目の前まで来ている。
俺が勝つのか、凪が勝つのか。
それが分かるのはすぐだ。
限りなく神に近い存在だとしても、俺は神ではない。
予想通りに物事が進まず、凪の一手によって全てが崩壊するかもしれない。
最後に立っていられるのはどちらなのか。決着は近い。
次回、凪の目的が明かされます…!
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




