70.鬼畜の男(if)
「あの——また、キスしてほしいんだけど」
そう言ってから、九重は「自分がとんでもないことを言ってしまった」という顔をした。
自分の思考を意図せず口から出してしまった……というよりは、性的な欲求に負けたのだ。
彼女との進展は、ここ一ヶ月無いに等しいのだから。
俺の歓迎会でカラオケに行き、その時にキスをしたくらいだし、悶々とした日々を送っているのだ。
その気持ちをずっと持ち続けていたが、ついに抑えきれなくなって言ってしまった。
だが……彼女の言葉に頷くわけにはいかない。
限界を超えるまで九重を追い詰めて、彼女の心を折った後に可愛がるのだから。
「前はフリーだったからキスもできたけど、今の僕にはもう彼女がいるから。ごめんね」
「……っ。そう、だよね……」
俯き歯を食いしばる姿を見て、心の陰茎が反応しそうになる。
素晴らしい。光属性のギャルが曇る姿なんて、いくらでも見ていたい。
なんなら、もう少し意地悪してやろうという悪魔まで顔を出す始末。
「もしかして……九重さんって僕の身体が目当てだったの?」
「えっ!? そんなワケないじゃん! アタシはいっくんだから好きなの! たとえ他の男の人がいても、こんなに惹かれないよ!?」
俺に詰め寄って必死に弁解する九重。
もちろん彼女の心は理解しているが、その反応を見るたびに、さらに遊びたくなってしまう。
「……それならいいんだけど、なんだか悲しいな」
「…………えっ?」
「僕の勝手な印象だけど、九重さんだけは、僕と一緒の時間を心から楽しんでくれてる気がしてたんだ」
「そ、そうだよ……? アタシはいっくんとの時間が一番——」
「でも、さっきの一言で分からなくなっちゃったな。九重さんも結局、他の子と同じで僕っていう個人を見てるわけじゃないのかなって……」
全て嘘っぱちだ。主張に論理性もクソもない、試験で提出したら零点確実の回答ではあるが、女子相手には力を発揮する手でもある。
基本的に女性は話を聞かない。
論理が破綻していようとなんだろうと、自分が感じことが全てなのだ。
相手の説明の方が正しかろうと、理解できようと、納得はしない。
なぜなら、自分の感情が全てであって、コントロールすることが不可能だから。
だからこそ「女性的」な詰め方をすることで、内容がボロボロでもダメージを与えることができる。
「え……? そ、そんな、うそ、嘘だよいっくん……」
というわけで、九重のハートには無数の穴が空いている。
段々と瞳から光が失われていき、目の端に涙が溜まり始めていた。
「悪いんだけど、今日はこのまま解散してもいいかな?」
「ま、待ってよいっくん! アタシに嫌なところがあるなら直すから! 今すぐ直すから!」
俺を逃さないように手を掴む九重。
その手にはかなりの力が込められていたが、おそらく自覚のないものだ。
「直すとかじゃないんだよね。ただ今は一人になりたい。ごめんね」
「い、いっくんが謝ることじゃない……ないからさ……」
俺を止めようとする力がなくなっていく。
これ以上は無駄だと、自分でも理解しているのだろう。
やがて、俺は彼女の手を振り払うと、振り返ることなく歩き出す。
横浜まで歩くルートはやめて、汽車道を通って桜木町駅に向かい、電車で帰ることにした。
歩きながら耳を澄ませると、背後で誰かが泣いている声が聞こえる。
泣き声というほどの大きさではなく、必死に堪えようとしているけれど、それでも漏れてしまうという風のもの。
最後まで俺に気を遣っているのか。
その献身さには心打たれるものがあり、少しだけ胸が痛む。
だが、これもまた、俺たちの幸せな未来には必要なことなのだ。
順風満帆なだけの人生はつまらない。
適度な刺激があるからこそ、恋は愛に変わる前に燃え上がる。
そんなことを考えながら歩いていると——背後から勢いよく走ってくる音が聞こえてくる。
これが施策です。
入れられないなら、無理やり入れてしまえば良いのだ。




