42.エピローグ
横島樹が勝利を収めた翌週、彼の取り巻きは一つの話題で持ちきりだった。
「ね、ねぇ……嘘だよね? いっくんと付き合ってるなんて……」
「流石に冗談でしょ……ねぇ御厨さん?」
絶望に染まった虚な目をしているのは、九重綾香と吉崎千翼だ。
二人は登校して早々に、御厨美桜から「大事な話」と称してカップル成立を聞かされることになった。
「それが……本当なんです。私も未だに夢心地というか、釣り合わないと思う毎日で、樹さんの自慢の彼女になれるよう頑張ろうと思い——」
「樹さんとか呼んでるし……」
「えっ……私の脚が好きだったんじゃ……」
ぽっと頬を染めながら惚気る美桜に対して、他二人のテンションは地面どころか地中に埋まりそうな勢い。
「でも、私も樹さんを独占したいとは思いますけど、他の恋人ができることを受け入れていますよ?」
「あっっったり前でしょ! 次はアタシがいっくんの彼女になるんだから!」
「わ、私の、脚……」
「微力ながら、私もお二方にお力添えできればと思っています」
「お嬢の助けなんかもらわなくても自分の力でなんとかするし……って言いたいところだけど、二人目の彼女の座に登るなら、プライドは捨てるべきかな」
「好きだったんじゃ……」
「二人目ですか? 二人目の彼女なら、もういますよ」
「「………………えっ?」」
顔を見合わせる綾香と千翼。
だって、他に誰が彼女になるというのか。
樹とマトモに仲を深められているのは自分たちぐらいだという自負はあるし、それは真実でもある。
「も、もしかしてチッヒが……?」
「私なわけないじゃん」
「じゃ、じゃあ誰なの?」
そう、樹の二人目の彼女は知る由もない人物だった。
綾香や千翼は、樹が月ノ原ミラと関わる場面を見ていないし、美桜ですら、水族館での助けを持ちかけられなければ知らなかった。
一体、誰が樹と付き合うという羨まし過ぎる関係性を射止めたのか?
「樹さんの二人目の彼女は——」
その答えを言う前に、教室の扉が開いた。
入ってきたのは——樹とミラだった。
「……ごめんなさい。お手伝いするとは言いましたが……今日は私が勝たせてもらいますね?」
愛しの彼氏を視界に入れた美桜は、口を開けたまま気絶している二人に告げ、身を翻した。
・
「——それで、母も納得してくれた。してくれたどころか、横島くんに感謝していたわ。母も本音を言えば、あの人のことが嫌いだったみたい」
今まで、自分の家族のことを誰かに話したことなんてなかった。
そもそも関係性が深い他人がいなかったし、話しても無駄なことでもあったから。
でも、今の私には横島くんがいる。
私を山下から救い出してくれただけでなく、愛してくれる人。
彼が隣にいるだけで、私の人生は急激に色づいていく。
「ぜんぶ無事に終わって良かったよ。これで、僕たちは大手を振って恋人同士だって言えるね?」
「も、もうっ……教室に入ったら、あんまり話しかけないでね?」
横島くんの隣にいるのが私だということを誰かに見られるのが恥ずかしくなって、思ってもないことを言ってしまう。
本当はずっと一緒にいたいのに、まだ素直になれない。彼は優しく微笑んでくれた。
教室に着くと、私は自分の席へ座る。
横島くんも同じようにしていたが、机の上にカバンを置くと、何故か気絶している九重さんと吉崎さんを不思議そうに見ながら、控えめにこちらへ来てくれた。
「ごめんね、一つだけ聞きたいことがあって」
「…………なに?」
違う。こんな冷たい態度を取りたいんじゃない。
だけど、クラスメイトの視線を感じると、彼に見せたい自分が出せない。
「今日の放課後って空いてるかな? また一緒に本屋に行こうよ。欲しい新刊があって」
「…………」
行きたい。絶対に行きたい。
横島くんと話したくて、この前買った本は日曜日に読み切った。
その時の感想だって言えてない。
言うんだ。言わなくちゃ。行きたいって言わなくちゃ。
「………………い、行き——」
「——おはようございます、樹さんっ!」
・
今朝——というのは月曜日の朝ということだ。
今朝起きた時から、俺はすでに達しかけていた。
この日を迎えるために俺は夢の世界を生きていた。
それくらいの一大イベントが今日、これから起こる。
「………………い、行き——」
「——おはようございます、樹さんっ!」
月ノ原との会話に割り込んできたのは、俺の切り札こと美桜だ。
彼女の顔色は極めて良く、桜色のオーラを放っている。
対して月ノ原は、おそらく「行きたい」と言おうと決心したところだったが、それを邪魔されてご立腹だ。目線が鋭い。
「おはよう美桜。あの二人はどうしたの?」
「あぁ、それでしたら……少々傷が大きすぎるというか、突然の情報量を処理しきれていないというか……」
なるほどな。美桜は二人に付き合ったことを告げたか。
いや、なんなら月ノ原とのことも察しているのだろう。戦いを挑みにきたのだ。ありがたい。
「そうなんだね。後々、僕からも説明しておくよ」
「嬉しいですっ!」
ふと視線を感じると、月ノ原が俺を見ている。
彼女の気持ち的には——横島くんと御厨さんはなんの話をしているんだろう——といったところだ。
「——あぁ、僕と月ノ原さんが付き合う前に、美桜と付き合うことになったんだよ」
「………………え?」
安心しろ。情報共有はしっかり行うタイプだ。
「そうなんです! 月ノ原さん……これからはミラさんとお呼びしても良いでしょうか? 同じ彼女同士、仲良くしてくださいね!」
「ど、どう…………して……?」
彼女の目からハイライトが消える。
そして、少し経ってから瞳孔が開く。
推理したのだ——横島くんは私を助けるために、御厨さんと付き合うことにしたのかもしれない、と。
荒唐無稽な論ではあったが、それは当たっている。
月ノ原の心中では今、自分の他にも女がいたという怒りや、そうまでして助けてくれたんだという畏敬の念、さらには美桜に負けたくないという独占欲、最初の彼女になれなかった敗北感や嫉妬心までがせめぎ合っていることだろう。
(あぁ……最高だ)
なんて可愛らしいんだろう。
これまで俺を歯牙にもかけなかった女が、今は俺のことしか考えられていない。
俺は、これからもよろしく頼むという意を込めて——月ノ原の心をポキっと折ることにした。
「美桜、僕に何か用事があったの?」
「あ、そうでした! 今日の放課後なんですけど、二人でお出かけしませんか?」
「うーん……」
チラリと月ノ原の顔を見て、悲しそうな表情を作る。
「だったら——本屋さんに行きたいかな。欲しい新刊があるんだ」
「まぁっ! 樹さんは本も読まれるんですね! ぜひ行きましょう、私が好きなだけ買ってあげますからねっ!」
「はは、気持ちは嬉しいけど申し訳ないよ。……ちょっと喉が乾いたな。自販機に行ってくるね」
「私もお供します。横島くんが襲われた時に守れるように」
「……あんまり期待しないでおくね」
美桜が腕を絡めてくる。
「あっ……」
目の前で恋人同士のイチャイチャを見せつけられて、流石の月ノ原も黙っていられなくなったのだろう。
立ち上がる姿勢に入るも、もう遅い。全てが遅れている。
「それじゃあ月ノ原さん……またね?」
最初に出会った時から仲良くしていれば、最初の彼女は、いま腕を組んでいるのは自分だったかもしれない。
素直に「行きたい」と言えていれば、美桜の入り込む隙はなかったはずだ。
ほとんど不可能な事柄や、もう過ぎてしまった過去まで全て自分の責任に思えてくるのだろう。
月ノ原の目尻には涙がたまり、華奢な身体はプルプルと震えている。
それでも泣くまいとジッと堪えて俺を見つめる彼女に、俺はかつてないほどの快感を得た。
これだ、これだよ、俺がここで成し遂げたかったのは。
「あぁ…………最高だ」
「樹さん、いいことでもあったんですか?」
「そりゃあもう、とびっきりのいいことがね」
隣で微笑む美桜も、俺の本性には気付いていない。
徹頭徹尾、俺はやり切ったのだ。
(……今回はここまでにするか)
ゲームで言えば最初のボス、小説で言えば第一巻が終わる頃合いだ。
月ノ原は激おこだろうし、今回の冒険はここまでにして、次回は「月ノ原が怒っていない」前提で再スタートしてもいい。
「ごめん美桜、ちょっと止まっていいかな」
彼女に了承を得て、俺は足を止める。
「体調が悪いんですか?」
「いや、そうじゃないよ。一回帰還しようと思ってね」
「…………帰還、ですか?」
分かるはずもないだろう。
俺はこの世界の神なのだ。神であるが故に、好きなように世界を作り、好きなように中断できる。
明晰夢の抜け方はこうだ。
まず、目を閉じる。
次に、空へと浮かび上がらせるような感覚で、少しずつ意識を薄くしていく。
すると、俺の本体が俺を離れ……。
離れて……………………離……………………………………。
………………………………………………あれ?
一章終了です!
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