41.氷解
「————横島樹くん、お願いします。私と付き合ってください」
その言葉は瞬く間に俺の身体に入り込んだ。
酸素として、血液として、思考として、事実として。
全てが身体中を駆け巡り、言いようもない快感をもたらす。
精の放出こそしていなかったが、俺は、間違いなく絶頂していた。
そして、絶頂に身を震わせながら、精一杯の笑顔を作って応える。
「よろこんで。これからよろしく、ミラ」
陥落だ。月ノ原ミラという要塞は、ついに俺の前に膝を折った。
告白? これを服従と言わずになんと言う。
彼女の心は今、俺の手のひらの中にあるのだ。
「な…………なっ………………」
山下は無意識に身体を痙攣させるだけで、現実を理解しようとする機能が欠落しかけている。
当然だ。今まで自分がしてきた恋愛は児戯にも劣るものだと、目の前で、完膚なきまでに理解させられてしまったのだから。
しかし、ここで一つ、俺には誤算があった。
「お前は……お前だけは…………許さない!」
怒りが突き抜けたのか、自分という意識を保つために本能が動かしたのか、山下は狂ったように叫びながら右腕を振り上げた。
このまま俺か、あるいは月ノ原を傷つけるつもりだろう。
「——ミラ!」
俺は状況の理解に間に合っていない彼女を抱きしめるように守る。
「クソクソクソッ! 死ねぇぇぇぇえぇぇぇええぇ!」
山下が迫ってくる。
「よ、横島くん……っ!」
月ノ原が強く抱きついてくる。
まったく……本当に誤算だ。
山下が逆上してくるのは計算のうちだったが、これがあったか。
計画に支障はないとはいえ、しまらなくなりそうな気もした。
そう、俺は見てしまったのだ。
山下が右腕を振り上げた時——俺の視界の端で、イルカが大きく飛び上がったのを。
イルカが水面に大きな波を立てる。
その波は水槽の中だけでなく、俺たちの方へと向かってくる。
「お前だけはぁぁあぁあ——ぶふぉっ!?」
大量の水が山下の全身を打ち付け、月ノ原を庇った俺の背中をビショビショにする。
風邪をひいたらどうするんだ、まぁいいか。
少しだけ間抜けだが、チャンスではある。
またもやフリーズした山下は無視して、俺は月ノ原から離れ、両肩に手を置く。
「月ノ原さん、大丈夫?」
「わ、私は大丈夫だけど……横島くんは濡れちゃってるじゃない。ま、待ってて、今タオルを——」
「そんなのはどうでもいいよ。僕はミラが無事なら、それで」
月ノ原は目を見開く。
そして、そのまま————俺にキスをした。
鼻先が触れ合い、互いの呼吸が一つになる。
「…………好きよ、横島くん」
恋に染まった目で、月ノ原は言った。言ったのだが——
「そ、そうだ! 僕はなんてバカなことを!」
大きくため息を吐く。
ちゃんとオチが付いたところだったのに、まだいたのか。
「最初からママに頼めば良かったんだ! お、お前たち覚悟しろよ!? もうミラも容赦しないからな!」
言いたいことは分かる。議員とやらの力を使って俺や月ノ原の良くない噂を流すとか、人生を潰してやろうと思っているのだ。
俺に関して言えば、こいつや母親に何をされようと、スペックの違いという名の創造主特典で跳ね返すことができる。
それどころか、山下の人生を潰すことも容易だ。
だが、月ノ原に限っては安全ともいえない。
他の女性や制度的な嫌がらせを受けるかもしれないのだから。
「これでお前ら終わったな! お前らみたいなクソビッチにカス男は、せいぜい僕の靴でも——」
「————誰がカス男、なんですか?」
だから、月ノ原まで守れる武器を用意させてもらった。
彼女は声の主を探す。
「……御厨、さん……?」
御厨美桜。輝かしい俺の彼女である。
彼女は両腕を組み、山下を見下ろしていた。
「だ、誰だよ、お前は……邪魔するなら、お前だって——」
「御厨という名前に、心当たりはありませんか?」
笑顔の圧が強い。
そして、名乗りを聞いて山下の顔面から血の気が引いていく。
「あぁ、良かったです。あなたのような無礼な方でも、理解していただいて」
「……嘘だろ? ほ、本当はただのクラスメイトとか、そんなんだろ? なぁ……」
「問答はしません。私が本物かどうかなど、樹さんだけが知っていれば良いのですから」
美桜はピシャリと言ってのけると、両手を二回叩く。
すると、どこからともなく見覚えのある黒服が数人現れ、山下を取り押さえた。
「それに答えの方は——すぐにでも理解できますから。では樹さん、月ノ原さん、ごきげんよう」
呆然とする山下と、それを取り押さえる黒服。
美桜は、その後をゆっくりと追っていった。
「…………終わったの?」
月ノ原は、いまだに目の前で起こったことが信じられないという顔をしている。元許嫁の人生が秒で終わったわけだしな。
「実は、僕が助けてもらえないか御厨さんに掛け合ってみたんだ。勝手なことをして申し訳と思ってるけど、これしか手はないと思って」」
「そう……だったのね。あとで彼女にもお礼を言わないと」
俺が御厨と付き合ったのは、ここまで見越してのことだ。
切り札を手に入れるのに早すぎる事はない。
「あと、もう一つ聞かなきゃいけないことがあるんだけど。私の告白の答えは……どうなのかしら」
捨てられた子犬のような目で俺を見つめる彼女に、俺ができることは一つだけ。その腰を優しく引き寄せ——。
あと2〜3話で完結です!
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