36.一人目の彼女
「来てくれてありがとう。御厨さん」
俺がそう言うと、御厨は丁寧な笑みを返す。
「横島くん、一体どうされたんですか? 他の方に言えないような事が……もしかして、誰かに嫌なことを——」
「違うよ、そういうのじゃないんだ」
彼女はほっと胸を撫で下ろし、こちらへ近づいて来る。
「では……どんな理由で?」
「大層な理由じゃないよ。ただ、御厨さんと話したかったんだ」
まぁ、と彼女は頬を染めている。
自分の恋だというのに、その反応は娘の恋バナに色めく母親のようだ。
いまだに実感が薄いのだろう。
「たくさんお話ししましょう! 横島くんにそんなふうに思ってもらえるなんて……!」
「大袈裟だよ。この前のデートでは、結局あんまり話せなかったしね。もっと深く御厨さんを知りたい」
椅子を引き、御厨に座るよう促す。
俺は、彼女が選んだ隣の椅子に腰を下ろした。
「何でも聞いてくださいね。座右の銘でも貯金額でも、横島くんの頼みなら何でも教えますから!」
貯金額は大いに気になるが、社会人の部分の俺が死にそうだからやめておく。
「それじゃあ……好きな異性のタイプは?」
「タイプ……ですか?」
御厨は、思いもよらぬ難問にぶち当たったと首を捻る。
「ううん……タイプとは好みのことですよね。まさか、実際に横島くんのような男性と接する機会があると思いませんでしたから……」
「そんなにリアルじゃなくても良いよ。たとえば漫画……はあんまり読まないかな? 映画とか、漠然とした想像でも」
「そうですね……」
そこからしばらくの思考時間の後、御厨は言った。
「私の知らない世界を教えてくれる方がいいかもしれないです。他の子なら知っているのに、私だけ知らないことが多かったりするので……」
「なるほどね。どちらかと言えば、僕みたいな庶民がいいってことだ」
「そんなそんな、横島くんでしたら庶民でも何でも……って何を言ってるんでしょう私は!」
いちど月ノ原から目を逸らすと、やはり面白いくらい上手く行ってしまう。
御厨は大企業のお嬢様だというのに、自分から顔を赤くして弱点を曝け出している。
「よ、横島くんの好みの女性も聞いて良いでしょうか? あ、もちろん嫌でしたら言わなくていいのですが……」
いくら俗世離れしていても、質問を返すことくらいはできるか。
彼女の視線は単純な疑問に満ちていたが、その中に微かな期待が含まれているのを見逃さない。
「僕は、僕のことをしっかり見てくれる子がいいかな」
「しっかり……ですか?」
「うん、御厨さんみたいに」
御厨はぱっと、飛び退くような勢いで目を開く。
「私みたいにですか!? そ、そんなそんな、私が横島くんの事を考えるのは当然というか、もはや義務というか……」
早口で照れ隠しをしている様子を見て、時期の到来を感じる。
もうそろそろ勝負を決めてもいい。
「へぇ、義務なんだ。御厨さんは僕と話すのに義務感があるって事だよね?」
彼女の顔色がさっと引いていく。
「ち、違うんです! 今のは言葉のあやというか……」
「傷ついたなぁ、僕は御厨さんと話すのが毎日の楽しみなのに」
「もちろん横島くんと話すのは楽しいです! それは私も同じ気持ちです! あなたのことを考えてると胸が苦しくなる時もありますし、こんな気持ちは初め——」
「ねぇ御厨さん、僕と付き合わない?」
「………………え?」
強引に言葉をねじ込むと、御厨の顔から色が消えた。
完全なる無だ。喜びも悲しみも怒りも何も感じない。
「付き合う、というのは……どこに……ですか?」
声色もまた無だった。理解の範疇を超えているのだ。
付き合うという意味は、自分の思っているものなのか?
仮にそうだとして自分が選ばれたのは現実か?
他の付き合うなら……どこかに着いて行くとか、そういうものか?
勘違いだったら恥ずかしいという思いもあるのだろう、彼女は俺の次の言葉を待っている。多分、今この世界で誰よりも。
「場所じゃなくて、恋人になってほしい」
「恋人というのは……恋人という意味の恋人です、よね?」
「よく分からないけど、特別な人になってほしいってことだね」
そこまで聞いて、御厨の身体はガチガチに固まる。
彼女を石像だと勘違いしないのは、その顔だけでなく耳や腕まで真っ赤に染まっているからだ。
「………………」
「………………」
実に五分は経過しただろう。
それだけの時間を経て、ようやく彼女は人間としての動作を取り戻し、こちらにずいと詰めてきた。
「そ、それはつまり私と横島くんが特別な関係になるということですね病める時も健やかなる時も愛を誓うということですね!?」
「まだそこまでは言ってないけどね」
それでは恋人を通り越して結婚である。
「では横島くんの他のパートナーの方と同じように扱っていただけるということですよね!?」
「あぁうん、そういうことだよ。もし御厨さんが受け入れてくれるなら、僕にとって初めての彼女ってことになるけど」
「は、初めて……私が横島くんの、初めて……?」
「嫌だった?」
「嫌なわけがありま——きゃあっ!?」
俺の言葉に前のめりになった御厨は、勢い余って俺ごと椅子から転げ落ちる。
幸いにも俺が下敷きになったことで彼女にダメージはない。
「も、申し訳ありません! お怪我はありませんか!? ど、どどどどうしましょう……今すぐお医者さんを呼ばなくては……」
「大丈夫だよ、頭を打ったりしてないから」
本当かと何度も聞いてくるのを制止する。
「それより、そろそろ降りてもらえると嬉しいな」
彼女は俺の下半身に体重をかけている形だが、仄かに足の感触があって反応してしまいそうだ。
九重とも吉崎とも違う、細いがむっちりとした質感。
上質な餌だけを食べて育った牛の肉のようだ。
「——ッ! ご、ごめんなさい!」
すぐさま立ち上がったかと思ったら、俺の横にしゃがみ込む御厨。
その姿勢だと下着が見えそうで意識を持っていかれてしまう。
「それで……告白の返事はもらえそうかな? あんまり長く待つのは、緊張で辛いかも」
緊張など微塵もしていないが、時間がないのは確かだ。
御厨は自ら胸に手を当てる。
「そう、ですよね……横島くんは素敵な方ですし、迷っている間にどんどんパートナーを作ってしまって、私なんて相手にしてもらえなくなるかもしれませんし……」
俺のことを獣だと思っているのか、そうツッコミかけたが、よく考えたら一夫多妻の世界ではあるし、俺は獣だった。
脚を狙う獣だ……なんか嫌だな。
まぁ、御厨は俺と付き合うことを迷っているわけではない。
自分が釣り合うのか不安になっているのだ。
それは、今までの彼女の謙虚さを見ていれば分かる。
どのように払拭してやるのかも——と、その時。突如として教室の扉が開かれる。
「————ッッ?!」
俺は御厨の口元に手を当てて、覆い被さるようにして寝かせる。
誰かの足音は教室の入り口に留まったままで、ややあってから「話し声が聞こえたんだけどなー」という声と共に遠ざかっていった。
「……ふぅ。ごめんね、いきなり。大丈夫だった?」
「は、はひ……」
俺の下にいる御厨から、お嬢様の顔が完全に消えていた。
本能だ。本能が彼女の清楚の仮面の下から滲み出ている。
ここで決めるしかない。俺は御厨と肌が触れるくらいに顔を近付け、耳元で囁く。
「僕は御厨さんに、初めての彼女になってほしいんだ……答えはどう?」
「ふ、不束者、ですが……よろしく、お願いします……」
俺の作り出した世界だ。先ほどの闖入者も含めて思うがままではあるが、とにかく。俺は記念すべき一人目の彼女をゲットしたのだった。
おめでとう横島くん!
おめでとうという方、シバくぞという方、ぜひ評価ポイントで教えてください。
御厨を選んだ理由は次回、明らかになるかもしれません。




