32.男の人と一緒にいて、初めて
三階で降りた俺たちを迎えてくれたのは、平積みにされた本たちだった。
一作が百冊近く並べられるなんて、相当に人気のある作品なのだろう。
「これは……あぁ、最近流行っているらしいわね」
「タイトルは聞いたことがあるけど、どんな話なの?」
「私たちの反対よ。もし、この世界に男の方が多かったらっていう前提で書かれた作品らしいの」
「なるほど……面白そうだね」
そう言って俺は本を手に取り、ペラペラと捲ってみる。
これは……月ノ原の言い方では男が九割の作品のように思えるが、実際には現実世界に極めて近い、男が少し多いくらいの比率だ。
その世界ではどのような恋愛が行われているか、社会制度はどうなっているのか、どんな歴史を辿るのか、迫力のある筆力で書かれている。
もともと男性に対する解像度が高くなりにくい世界だということもあって、現実とはかけ離れている部分も少なくはなかったが、読み物としてはかなり面白そうだ。それこそ、理想を見ているようで。
「これ、後で買おうかな」
「気に入ったのね。確かアニメ化されるみたいだし、興味深いわ」
本の話になれば月ノ原の態度は軟化する。
「……あなたって、同性の友達はいるの?」
何を思ったのか彼女が聞いてきた。
「いないよ。自分以外の同性に会ったのは、山下さんが初めてかな」
「……ふうん。大変でしょうね、本能的に分かり合える人がいないのは」
彼女の言葉は寂しげだった。
「でも、初めてがアレだったら、友達がほしいとは思えないかもしれないわね」
「否定はできないかな。少ないのが男の方だとしても、どっちが偉いとかはないと思うから」
「珍しい人ね」
ふっ、と頬を緩ませて、彼女は奥へと歩いて行った。
今度はレジと対面するように新刊が並べられていて、その奥にレーベルごとに小説が収められている。
「さて、どこから見ようかしら。あなたのオススメはSFかしら?」
「そうだね。SFといったらやっぱりオソヤマ文庫かな」
本棚の側面に貼り付けられている案内に従い、目当ての棚を見つけることができた。月ノ原は俺の後ろから、ゆっくりとついてくる。
「僕が好きなのはこの作家」
「『ヒューマノイド』の人よね。確か、映画されている作品も多かったはず」
俺は頷く。現実世界での作者は男性だったが、こちらはでは女性になっている。
だが、作品の内容まではあまり変わっておらず、せいぜい男が出てきにくいくらいだ。
「もちろん『ヒューマノイド』は入りとして強いんだけど、僕的には『低い家の女』とか『木星の耳』も名作だと思うね。あと、実は短編が抜群に面白い作家なんだ。長編だと遊ぶっていうか、一気に作風が変わったりすることもあるから。特に、この人の神学感が深く表れてる——って、ごめん!」
思わず語りすぎてしまった、というミスを装って謝ってみると、月ノ原は小さく笑った。
「ふふっ、謝ることないわよ。あなたが本当に本が好きなことが伝わってきたから」
「そ、そう? なら良かったけど」
「もっと聞かせてちょうだい。あなたの好きな作品のこと」
計画通り。もはや言うまでもないことだが、先ほどのミスはわざとだ。
彼女の心を溶かすのに必要なのは、押して押して押しまくることではない。
心にある孤独感を薄めてやること。
そうして心を溶かしながら、初めて猛烈なアプローチが意味を成す。
俺は彼女の言う通り、一作一作熱心に解説をしていく。
最終的に、彼女は『木星の耳』を買うことに決め、手に取った。
「次は月ノ原さんのオススメが知りたいな」
「私のは……」
俺と同じように、月ノ原は本棚横の案内を確認して本棚の間を移動する。
そして、彼女が立ち止まった古潮文庫の本の中から一冊を取り出した。
「これかしら」
「『太陽と十フラン』……お洒落なタイトルだね」
古潮文庫は日本国内のみならず、海外作品もあわせて名作を出版している。
つまり、この作品は世界的な知名度を持っているわけだ。
「簡単にあらすじを説明すると、主人公は小説家で、ある画家の作品を書こうと密着取材をするの。その画家は人間的にはだらしない人なんだけど、描く絵には魅力があるし、自然と人に好かれていくのよ」
「取材し甲斐がありそうだね」
「そうね。ただ、画家はずっと孤独を抱えていたの。自分にしか見えない世界を、誰にも理解されずにね。そして、彼は最後に——って、ここからはネタバレ過ぎるわね」
「危ないところだった。これも買おうと思ってたから」
そう言って本を取ると、月ノ原は目を丸くした。
「…………買うの?」
「そりゃあ買うよ。せっかく月ノ原さんが熱弁してくれたから。作品としても惹かれたしね」
俺に勝るとも劣らない語りをしてくれたんだ。
彼女を落とすという目標を差し引いても買う価値はある。
「そ、そう……良かったわ……」
もちろん、彼女の好感度を上げる狙いもあった。
彼女が女だからとか、相手が数少ない男だからとかじゃない。
単に、自分が好きなものに興味を持ってくれる相手は大切だからだ。
それからも、俺たちは好きな作品について長々と語っていた。
気付けば本屋に来てから二時間が経過していて、このままでは一日が終わってしまうと、俺たちは慌てて戦利品を得るためにレジに並ぶ。
「まさか、あなたがここまで話せる人だとはね」
上機嫌で月ノ原が言った。
「僕もビックリだよ。月ノ原さんは怖い人かと思うこともあったから、趣味が合って嬉しい。綺麗な人でもあるけど、人として魅力的だよね」
小声で伝えると、彼女は自分の髪を指でくるくると巻きだす。
「その……私、あなたに強く当たっていたわよね。ごめんなさい……今さら虫がいいと分かっているけど、許してほしいの」
「月ノ原さんが謝ることなんてないよ。最初から分かり合える人なんて稀だと思う」
「……ありがとう」
お礼を言いたいのはこちらの方だ。
ツンツンした月ノ原がいたからこそ、俺は今回の明晰夢に味わい深い目標を立てることができたのだから。
そして、目標が達せられるのも時間の問題だ。
俺たちの距離が着実に縮まっていることは、彼女が俺に向ける目を見ればわかる。
買い物を終えた俺たちは、東京駅のホームに向かった。
お互いに使う路線が違うため、先に月ノ原の電車を待つことにした。あと五分もしないうちに俺たちは別れてしまう。その前にやることがある。
「あのさ」
そう始まると、彼女の肩がほんの少しだけ震える。
俺の言葉を予想していたのか、それとも待っていたのか。
「今日、僕はすごく楽しかった。月ノ原さんはどうだった?」
ホームの反対側に電車が到着し、人が降りてくる。
彼女はしばらくの間、黙り込んでいた。
俺と視線を合わせないように人の波をやり過ごした後、震えた声で言う。
「…………楽しかった。男の人と一緒にいて、初めて」
わずかに色付いた肌を見ながら追い打ちをかける。
「次は月ノ原さんの私服が見たいな」
「し、私服って……そんないいものじゃ、ないわよ」
これはいける。押しの強さを発揮する時だ。
「僕にとっては良いものなんだよ。だからさ、今週末にまたデートしよう」
「今週末……別に良いけど……」
「けど、なに?」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「なんでもないわ。……変な人だと思って」
その時、ちょうど待っていた電車が流れてきた。
ドアが開き、彼女ドア横のスペースに背中を預ける。
「じゃあ、また明日。学校でね」
「……うん、また明日」
俺が手を振ると、月ノ原は控えめに振り返してくれた。そして——
「————横島くん」
俺たちの間には確かな隔たりが生まれ、彼女の姿はすぐに見えなくなった。
これってよぉ、もしかして純愛じゃねぇか!?
ということで、今作も佳境に入りました。
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




