29.軍師の策・体調不良の章
「すみません、先生」
翌日の授業中。
俺が手を挙げると、クラス中の視線が集まってくる。
「よ、横島くん、どうしました?」
世界史の教師は、鬼教官に呼び止められた軍人のように身体を強張らせた。
「あの、少し体調が悪くなってしまって、保健室に行きたいんですけど……」
そう伝えると、さらに大きな緊張が返ってくる。
しかし、今度は教師のみでなく教室中に伝播している。
「横島くん大丈夫!?」
「私が保健室まで連れていくよ!」
「保健室で二人きり、何も起きないはずもなく……」
「先生がいるっしょ」
毎回おっさんのような奴が紛れ込んでいるのは無視して、彼女たちは自分が保健室に連れていくと、統率の取れた挙手をした。
この積極性が少しでもあったなら、授業をする甲斐もあるだろうに。
「ええと、どうしましょう……」
彼女は顔を右往左往させている。
誰か一人を選ぶのが最適解だが、教師である自分が行けば授業が止まってしまうし、他の生徒を行かせるのは危険かもしれない。
だが、教師と違って俺は微塵も焦ってはいなかった。
実際には体調も悪くないのだが、とにかく。
これは作戦の一つなのだ。
人生とは、最悪の事態の連続だ。
経験があるだろう。授業で当てられたくない時、分からない問題の時ほど指名されるとか。
あれにはどんな理由があるのだろうか。
当てられないよう下を向いている姿がわざとらしく映るのか、身体から青く濁ったオーラを発しているのか、神の悪戯なのか。
一つかもしれないし、三つ全てが関係しているのかもしれない。
残念ながら、俺にそれを証明する術はないが、人生が最悪の連続だという証明ならばできる。
俺を保健室に連れていくことができる人物など、現状では一人しかいないのだ。
教師は生徒たちを一通り見回した後、口を開く。
「それじゃあ——月ノ原さん、横島くんを保健室まで連れていってもらっていいですか?」
「………………はい」
しぶしぶ、という感じで月ノ原は席を立ち、俺と共に教室を出る。
「こんにちは、月ノ原さん。元気?」
「……こんにちは。元気じゃないわよ。どうして私が……」
よし、挨拶を返してくれるようになった。
昨日の下校が効いているようだ。
そして、月ノ原は自分が選ばれた理由を理解していないが、考えれば至極単純である。
——他のどの女子に頼んでも危険に見えたからだ。
学校に一人しかいない男子を、外面だけは良い俺にもしもの事があれば困る。
であれば、俺に変な気を起こさなさそうな生徒、つまり興味がなさそうな生徒を選ぶのが最適解。
クラスメイトたちが肘を真っ直ぐに伸ばす中、月ノ原だけは直角に曲げていた。
我関せずモードで虚無を眺めていた。選ばれないわけがないのだ。
というわけで、歩きながらのトークタイムを始める。
「昨日はそのまま帰ったの?」
「えぇ、少し買い物をして、すぐに帰ったわよ」
まだ返答までは若干の間があるが、会話自体は問題ない。
「買い物かぁ、いいなぁ。何買ったの?」
「……服よ。気になっていたものが再入荷したって見たから」
「そうなんだ! 月ノ原さんってどんな私服なんだろう。気になるな」
「そう簡単に見せないわよ」
瞳には薄く警戒心が宿っているが、今はこれでいい。
それよりも重要なのは、彼女の放課後がある程度自由だという事だ。
「お預けかぁ。いきなり休日のデートは早かったよね」
「そう…………ね」
肯定すれば、放課後のデートは認めていることになる。
途中で気が付いた様子の月ノ原だが、今さら否定することもできない。
たとえ罠に嵌められた形であっても、認めたという事実が後々まで尾を引くことになる。
「僕も昨日は、スマホを見つけてすぐに帰ったよ。本の話をしたから新しい小説が読みたくなって、ネットで探してたんだけど……あんまりピンとくるのがなくって」
「どんなジャンルなものを探していたの?」
やはり本の話は食いついてくるな。
「今回はホラーを読もうと思って」
「当たり外れが激しいのよね、ホラー系は」
「そうなんだよね。今はモキュメンタリーが読みたくて」
「私も好きよ。良いわよね、ああいうの」
残念だが、夢の世界ではモキュメンタリーホラーの開拓は進んでいない。
「でも、あれって雰囲気が大事じゃない? 通販の書影じゃ分かりにくいっていうか、やっぱり実際に本屋さんに行って、手に取って吟味したいっていうか……」
「なるほどね」
同意してくれる月ノ原。
俺はにこやかな笑みを絶やさず、彼女の横顔をじっと見つめる。
やがて、それに気付いた彼女は、こちらを見ずに言った。
「…………もしかして、私のこと、誘ってる?」
「うん、もちろん」
良かった。伝わらないのではないかと思いかけてきたところだ。
月ノ原は口を結んだまま考え込んでいたが——
「今日は……放課後は、空いているけど……」
これが先ほどの「肯定」の効果である。
「決まりだね」
そう言うと、彼女はぷいと顔を逸らした。
「言っておくけど、待ち合わせは校外にしてよね。他の子に見られたらなんて言われるか分からないし」
「もちろん。許嫁もいるわけだし」
月ノ原に睨まれるが気にしない。
そして、俺たちは保健室の目の前にたどり着く。
「送ってくれてありがとう。僕は一人で大丈夫だから、月ノ原さんは授業に戻って」
「あなたに言われなくてもそうするわよ」
ツンとした態度を崩さぬまま背を向ける月ノ原。しかし——
「……本当に大丈夫なの」
聞こえるか聞こえないかの声量。
「心配してくれてありがとう。本当に平気だよ」
「…………そう」
彼女はこちらへ振り返ることはなく、そのまま教室へ戻っていった。
この作戦も成功だな。
連絡先もなく、教室で話す事ができない月ノ原に対し、強制的に二人の空間を作り出すことによってデートの約束を取り付けた。
我ながら美しい手際だ。
だが、この成果は山下の手柄とも言える。
彼が日頃から、彼女に対して最悪の対応をしているからこそ、俺という理解者の価値が高まるのだ。
(ま、考えるのはこのくらいにして……)
せっかくサボれる機会を手に入れたのだ。
束の間の休息を味わうとともに、久しぶりのお愉しみタイムといこう。
保健室の先生なんて可愛いに決まっている。
「失礼します」
扉を叩き、保健室に入る。
すると、そこにいたのは——
「はぁ〜い、いらっしゃい〜」
お姉さんだ。爆裂なスタイルと全てを包み込んでくれそうな柔らかな声を両立させた、母性の塊がそこにいた。
久しぶりに樹くんの強いところが見たいよなぁ!?
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