25.煽り屋イツキ
「ん? どうしたのミラ、後ろになんかいる?」
許嫁の様子がおかしいことに気付いた山下がこちらに顔を向け、俺と目が合う。
最初は「この女がどうかしたのか」とでも言いたげだった男は、やがて俺が同性だと知って、ぽかりと口を開けたまま固まった。
「君……お、お前は一体、僕に何の用かな!? まじまじと人のことを見つめるなんて失礼だぞ!」
男としてのプライドなのか、無理やり口を開いた山下の第一声がそれだった。
いきなり人のことを「お前」呼ばわりか。
失礼だが、同時にこれは幸運でもある。
この男には、俺を超えることは到底できそうにない。
「初めまして。なにか勘違いされてるんじゃないですか? 俺が見ているのはあなたではなく、後ろにいる月ノ原さんです。彼女は僕と、こちらにいる御厨さんと同じクラスなんですよ」
何のことはない。冷静に会話するだけで勝てる相手だ。
「き、気になったのが僕じゃないからって、お前に見られて不快なのは変わらないだろ! 謝れ! 僕に謝れ!」
「そうですか、申し訳ないです」
受け流しながら雑な謝罪をすると、山下の顔には明確な怒りが浮かんだ。
しかし、相手のターンになる前にこちらから仕掛ける。
「ですが、不快なのはあなたではなく俺や、周りの人たちです。あなたの声は醜い上に大きくて、せっかくの食事が不味くなってしまいます」
「うるさいうるさいッ! 僕は男だぞ!? 男の僕は何をしても許されるんだよ!」
地団駄を踏む山下を見て、月ノ原は俯いた。
「確かに、その場にいる男があなた一人であれば、その理論は通るかもしれません。男性は貴重ですからね」
「そうだ! だからお前も僕の言うことを——」
「俺も男ですよ?」
男は声を詰まらせる。
「だ、だから何だっていうんだよ! 僕のママは議員だぞ! お前より僕の方が偉いんだ!」
「偉いのはあなたの母親であって、あなたではないですよ。ならこうしましょう。あなたの母親は有権者の投票で議員に選ばれましたよね? それくらいは分かりますか?」
「舐めるなよ! それくらい僕にだって分かる!」
「俺はあなたをうるさく感じて、すぐにでも出て行ってほしいですが、あなたは自分を神だと思っている」
「そうだ! 僕が一番偉い! ここで何をしようと僕の勝手だろう!」
「だから投票で決めるんです。このレストランにいる人々も有権者、彼女たちに選んでもらいましょう」
「ッ……! そんなの決めたって意味ないだろ!」
それはそうだ。有権者だから何だという話ではある。
しかし、この男は俺の提案を断ることができない。なぜなら——
「あれ、もしかして怖いんですか? こんなに偉そうにしておいて、自分より年下の男に負けるところを許嫁に見られたくないと? なるほど、それなら納得できます。これ以上、彼女の気持ちを手放したく——」
「——やるよ! やればいいんだろ!」
くだらないプライドがあるからだ。
情けない。仮に俺が彼の立場なら全力で逃げる。
「同意をいただけたということで——みなさん、巻き込んでしまって申し訳ありません」
他の客に呼びかける。
彼女らは、自分が面倒なイベントに参加させられることになったと理解しているのにも関わらず、嫌な顔をするどころか、俺を見て目をハートにしていた。
「突然ですが、今から手を挙げてください。こちらの男性——山下さんを不快に感じたかどうか。要はここから出て行ってほしいかです」
負けるはずがないが、万が一ということもある。不安を潰しておくか。
「先ほど彼は、母親が議員だと言いました。しかし安心してください。たとえ彼が何をしようと、俺は必ず、手を挙げてくれたあなたたちを守ります」
わざとらしくウインクしてみせると、彼女たちはもう俺から目を離すことができなくなっていた。
「ということで始めましょう。まずは……彼がうるさくなかったという人」
もちろん、誰も手を挙げない。
「お、お前たち聞いてるのか!? 僕は何もしてなかっただろ!?」
身じろぎの音ひとつ聞こえない。
「誰もいませんね。じゃあ次に……彼に出て行ってほしいと思った人」
おずおず、という表現は使えない。
月ノ原を除く全員が素早く挙手した。唯一彼女だけは、どちらにも反応していない。
「じゃあ、そういうことで。出て行ってください」
きっと、俺がいなければ山下は王になっていただろう。
誰も彼を咎めることはできなかった。
ただ、俺という圧倒的な強者と居合わせたことが運の尽き。
「……お前、覚えてろよ。僕にこんな恥をかかせて、絶対に後悔させてやるからな」
「最後に一つ聞かせてもらいたいんですが……」
返事もしない。
「あなたは俺の何を見て勝てると思ったんですか? 学がないと分からないかもしれませんが、この世で一番強くて分かりやすい力は容姿です」
そこまで言って、つい笑いが漏れてしまう。
「顔の脂を抑えることもせず、だらしない身体に丈の合わない服を着て、どこで勝てると思ったんですか?」
この世界で初めて、対面した人間が負の感情で顔を赤くしたのを見た気がする。
山下は言葉にならない怒りに支配されたように、荒々しい足取りでレストランを出て行く。
そして、彼の許嫁である月ノ原。
彼女はすくっと立ち上がると、俺の目を見て——
「…………最低」
二日連続の「最低」を俺にプレゼントし、山下の後を追って行った。
「ふぅ。疲れちゃったな」
これまでずっと沈黙を保っていた御厨の方へ身体を向けると、周囲から拍手が湧き起こる。
それには——みっともない所を見せてしまったのに——御厨も加わっており、瞳には尊敬の色が浮かんでいた。
「ごめんね。御厨さんは僕を巻き込まないように黙っててくれたんでしょ? それなのに、こんな大ごとにしちゃって」
彼女はずっと、俺が山下に目をつけられないように口をつぐんでいたのだ。
俺を見た目通りの、か弱い男子だと思って。
「そんな、余計なお世話でしたよね。ただ、貴方を守らなきゃって、そう思ったんです」
「知ってるよ」
テーブルの上で行き場をなくしていた彼女の手を優しく包み込む。
「御厨さんは本当に優しいよね。こんなに想ってもらえて、僕は幸せ者だよ」
その言葉に御厨はカアッと赤面する。
赤面しつつ、こう言った。
「あと……すっごく頼もしかったです。その、一人称が“俺”になっていて、ときめいてしまいました……」
「あっ……」
好戦的になると隠している本性が出てしまうようだ。
今後は注意しようと思うと同時に、御厨の蕩けた顔を見ると、武器としても使えそうな気になってしまう。
ようやく月ノ原と関わり始めるぜ!
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