23.この世に存在しているらしい食べ物
エレベーターが昇っていくと同時に耳が詰まり、あくびをした頃に目的階へと到着した。
扉が開くと、先ほどまでの下品さとは無縁の、絢爛と言う言葉がぴったりの空間が広がっている。
「御厨様、横島様。お待ちしておりました」
どんな立場かも推測できないスタッフを先頭に席に案内されるが、俺が存在していいと思えない場違い感と、現世では味わえない体験への好奇心、まるでコンビニでの買い物のような足取りの御厨に、情報処理が追いつかない。
スタッフに席を引かれ、腰を下ろして初めて、俺たちに用意された場が窓際にあると理解した。
おそらく、レストランの中でもトップクラスに価値がある席だろう。
高層ビルから眺める夜景。赤や緑、黄、白色の灯りは人間たちが懸命に暮らしている輝きであり、俺は確実に灯り側の人間だが、今ばかりは別世界のように思えた。
「横島くんは——」
続けて何かを言おうとした御厨だったが、俺たちを取り巻くざわめきに口を閉じ、代わりに苦笑した。
「普段からこういうわけではないんですよ? ただ、いわゆる……上流階級の方々でも男性と同じ空間にいられる機会は少ないんです。相手が貴方のような方なら尚更ですね」
俺は頷こうとしてやめる。
それに、先ほど俺は「ざわめき」と表現したが、彼らの様子は地上の人たちよりも更に丁寧で、俺が視線を向けると照れることもなく柔和な笑みを浮かべてくれた。
御厨は謙虚だから自分を上流階級の枠組みに入れないよう言葉を選んでいたが、俺からすると、このフロアにいる自分以外の人間は全て、一挙手一投足が紛れもなく完成されている。
「さて、もう良いでしょう」
物珍しさより体面が優先されるのを確認して、御厨は会話に戻る。
「横島くんは苦手な食べ物はありますか? 友人との食事であれば事前に情報を手に入れるのですが……その、男性のプライベートを探るのは善意であっても避けるべきかと思い、結局どうして良いか分からず……」
モジモジと両の指をくっ付けている御厨は清楚という言葉を体現していたが、言っていることは割と物騒だ。
とはいえ、彼女が言っている通り100%の善意なんだろう。
「幸運なことに、僕は嫌いな食べ物はないよ。庶民だからね」
「あらあら、横島くんったらユーモアまであるんですねっ」
無邪気に笑う御厨。
……今のどこにユーモアを感じる要素があったんだ?
ああそうか、俺は望んで庶民的な生活を送っていたが、一般的な男は大抵の贅沢はできるんだった。
「横島くんが盛り上げてくださっている間に、準備ができたようですね」
彼女の言う通り、ぬるっと最初の料理が運ばれてくる。
目の前によく分からん緑色の……これはメロンか。
メロンが置かれ、御厨家の黒服よりもラフにスーツを着こなしたウェイターが説明してくれた。
してくれたものの、俺に理解できたのはこれがコース料理の初っ端だということくらいだった。
「Metubeという動画投稿サービスで男性とのデートマナーが学べると聞いたもので、視聴してみたんです。初めはリーズナブルな値段帯のものからという説明があったのですが……いかがですか? もしお口に合わなければいつでも言ってくださいね」
いかがですかと聞かれても、現世の俺は人の金でコース料理なんて食ったことないぞ。なんでも美味いしな。
「み、御厨さんと食べられるなら何でも美味しいよ」
雑に媚びておくと、彼女は満更でもなさそうに顔を俯けた。
……っていうか、いつの間にか彼女側のナプキンが無くなっているぞ。
これはどうするんだったか。ヤマカンで膝にでも置いておくか。
(そろそろ食べてみるか……)
今日は朝から水分以外摂っていないし、流石にそろそろ空腹で死にそうだ。
俺は目の前に置かれているメロン……この世に存在しているらしいが口にする機会のない食べ物ナンバーワンである——生ハムメロンをじっと観察する。
観察しても情報は「おつまみにするには豪勢な量の生ハム」と「甘くないわけがない皮の上で切られたメロン」ぐらい。
よく見ると、ところどころに赤くて小さい玉が散りばめられている。なんだこれ。
しかし……いくら庶民だからといって、一から十まで聞くのもどうだろう。時には堂々と知ったかぶるのも悪くないものだ。
ということで、俺はフォークで高級食材たちを突き刺して、一思いに口の中へと運ぶ。
(これは……中々イケるな)
生ハムもメロンも単体で美味いのだから、一緒に食べたところで当然のように美味い。
庶民としての意見を言えば、同時に食べるよりも別々に食べるほうが満足はできる。
だが、生ハムのしょっぱさをメロンの甘さが包み込み、ときおり弾ける赤い玉——胡椒の実が細やかな刺激を加える。口内で作品が成立していた。
「すごく美味しい」
「ふふっ、そう言っていただけて安心しました」
母親にも似た微笑を浮かべる御厨だったが、俺は彼女に若干の違和感を覚えた。
楽しい食事の場なのに、どこか無理をしているような。
「……違ってたら悪いんだけど、御厨さんの口には合わない? なんだかぎこちない気がして」
「あぁ、そういうわけではないんです。その……男性と二人きりで食事をするのは初めてで、緊張で味が分からなくて……」
ぱたぱたと手で顔に風を送りながら御厨は言った。
こちらに気を遣わせないように動揺を隠す慎ましさ、聞かれれば答える素直さ。可愛いじゃないか。
「じゃあ、今日の目標は緊張しなくなることだね」
「……い、いきなりハードルが高すぎませんか?」
「そんなことないよ。もちろん時間の積み重ねも大事だと思うけど、一ヶ月後に打ち解けるより今打ち解ける方が思い出も多くなるでしょ?」
「ものすごい説得力です……!」
ラブコメ漫画の主人公のセリフを真似してみたら意外と上手くいった。
これまでも同じような手段を使ってきたが、そろそろ手札も切れてきた頃だ。
最近はあんまり漫画も読めてないからなぁ。
ひとまず月ノ原を落としたら一度起きて、仕事帰りに本屋に行こう。
「はぁ、こんなに素晴らしい殿方が隣の席だなんて、私は前世で徳を積んだのでしょうか……」
俺に言ったというよりは独り言の部類だったが、バリバリ聞こえている。
御厨たち夢世界の人間の感覚では、男が全てのヒエラルキーの最上位にいるのだろう。
だが、御厨の前世での頑張りは認めるところではあるが、俺からすれば男の隣の席よりもお嬢様という地位の方が圧倒的に羨ましい。
(まぁ、勝ち組なのは他の人たちも同じか)
バレないように周囲に目を向けてみると、さまざまな「勝ち組」を確認できる。
たとえば、高笑いが似合いそうなマダムたちの集まりだ。どっかこ社長でもやっているのか、ビジネス会話が聞こえてくる。
他にも、ショートパンツというドレスコード無視の子供——といっても俺と同い年ぐらいだが——を二人連れた女性もいる。
女子の仕草から母親ではないと推測でき、ショーパンという服装と合わせて考えると、もしやスポーツ選手とコーチなのかもしれない。
こんな歳から高いディナーに連れてきてもらっているのだ。かなり将来を期待されている選手なのだろう。
本心を言えば俺もお近付きになりたい。スポーツ選手は身体が違うらしいからな。
それはさておき、他にはどんな人がいるのか探ろうとしていると……周囲が不自然に騒ぎ始めた。
決してあからさまなものではなかったが、身に覚えがある。
これは——男が来た時の反応だ。
一作書いてみようかという設定が思いついても書く暇がありません。石油王の方に養っていただきたいです。
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