あの子の汗を絶対に舐め回す
「さて……そろそろ行くかな」
玄関には教科書の類が入った鞄。その先には革靴。
俺はもう一度だけ制服を着こなせているかチェックすると、履き慣れていない革靴の硬さを感じながら鞄に手を伸ばす。
「行ってきます」
もちろん誰の言葉も返ってこないし、普段は挨拶なんてしない。
しかし、今日は俺の高校生活初日だ。
最高の学生生活を送るための喝を入れるように、無意識のうちに「行ってきます」が飛び出てきた。
想像よりもはるかに軽く感じるドアノブ。
俺は新たな世界への扉を開けた。
・
「え、ええと……今日はこれから、転入生の紹介をしたいと、思い、ます……」
扉を一枚隔てた先。
教室の中で担任教師――宮木先生が言葉を詰まらせている。
どうして彼女がこんなにも動揺しているのか、その理由は簡単に理解できる。
俺が転入した四条学園には、男子生徒が在籍していない。
というより基本的に男は家という安全な環境で、要は箱入り息子として成長する。
襲われる可能性のある外の世界になど出ない。
その点、俺は伯母さんから多くの武道を学んでいる。
仮に女性に襲われたとしても瞬く間に返り討ち。ボッコボコにすることができるのだ。
「その、みなさん驚かないでほしいん、です、けど……転入生というのは……」
「先生どうかしたの?」
「もしかして体調が悪いんですか? 保健室に行ったほうがいいですよ!」
「宮ちゃん緊張しすぎぃ〜!」
校長先生の話レベルで会話が進まないものだから生徒……これから同じクラスの仲間兼獲物になる女子達から心配されている。
活発そうな声からお淑やかな声、明らかなギャルまで属性はさまざまなようだったが、思考が抜けているのはギャルだった。
「そんな緊張するって、もしかして転入生が男子だったりして〜!」
本人は茶化しているつもりなのだろう。
大前提として男子が入学する確率など宝くじで億が当たるくらい現実味のないものだし、二年生から転入というのも不自然だ。
俺は家庭の事情……ではなく幼い頃から理子さん以外のあらゆる女性を遠ざける事で、来たるJKの生足を心から堪能するため。
異性を感じられるのは伯母さんかテレビくらいのものだった。
そして攻略対象に後輩を含めたいという気持ちから、十七歳になるまで血の滲むような我慢をしてきたのだ。
俺はイレギュラー中のイレギュラー。
素晴らしい変態が彗星の如く入学を決めた事で、教師陣は大混乱した事だろう。
その混乱は、ギャルの言葉に対する宮木先生の無言という形で生徒達にも伝わることとなった。
「……う、嘘……でしょ……?」
「実は男の人は絶滅してて、遺された精子も僅かってMetubeで言ってたよ!?」
「それはバリバリ陰謀論っしょ」
「あらあらみなさん、そんなに慌てることありませんわよ。男性も私たちと同じ人間。普通に接すれば……接すれば…………マジで男子が編入するんですのッ!?」
水面に落とされていく小石は徐々に大きくなり、やがて雨の日の海くらい荒れていた。
「み、みなさん落ち着いてくださいっ! 先生もまだ信じられていないんです!」
宮木先生が必死に落ち着かせようとするも、興奮は止むことを知らない。
こんなん生徒紹介するってレベルじゃねぇぞ。
「どうする!? 私、朝練のせいで絶対汗臭い!」
「終わったね。男子は汗の匂いとか一番嫌いなんだから」
「も、ももももし私たちが転入生君に嫌われちゃったりしたら、もう学校に来てくれなくなったりしたら……」
「間違いなくぶち殺されるわね。一年も三年も、上下左右から拳が飛んでくる」
どうやら俺は舐められているようだ。
夢の世界ということもあり、この世界の女性の容姿レベルは非常に高い。
あえて理由を付けるとするなら、美人やスタイルが良くないと数少ない男の種をもらえないとか、そんなところだろう。
安心してくれ。美少女の汗の匂いは香水だ。ハイブランドの香水だ。
むしろ君が泣いて逃げ出し、男子に対して恐怖心を感じるまで堪能してやりたい。
気持ちの悪い自己対話はやめよう。
そろそろ騒ぎが大きくなりすぎて他のクラスにも迷惑をかけてしまいそうだし、自らが持つ力で先生を助けてあげることにする。
「あ、あの〜……もう入っていいですか?」
戸惑っているふうを装って声を出すと、ピタリと教室内の声が止まる。
気持ちがいい。モーセが海を割った時もこんな気持ちだっただろう。知らんけど。
ポイントは、ここから姿を見せるまでに時間をかけないことだ。
主導権を再び室内に戻すことで「今の、本当に男の子の声じゃん……」と騒めきを取り戻すことになる。
そして、動物が火を恐れるように、本能はこの流れを予想している。
俺はそれを裏切り、初登場イベントの威力を最大限に活かす。
扉を横に開くと、グラデーションのように視界の奥行きが広がる。
最初に目に入ったのが宮木先生だ。
状況が飲み込めておらず、栗色でクリクリの髪が行き場を失っているように感じられる。
続いて教室の窓。雲ひとつない最高な日だぜ。
視線を左に動かすと、この場所から唯一見える生徒の姿。
高い位置で留められ、背中まで伸びている黒髪ポニーテール。
気の強そうな目元、余計な肉のついていないシュッとした輪郭、文句なしの美少女である。
何より目を引くのは小麦色の脚だ。
上半身の細さと比較すると太く見えるが、これは怠惰からくるものではない。
激しいトレーニングによって鍛えられた脚なのだ。
外側に走る一本の線があまりに健康的で目を奪われてしまう。
彼女は俺を見て放心状態に陥っているが、その手は無意識に自らのシャツに伸び、パタパタとあおぐようにしている。
おそらく、彼女こそが汗の匂いを気にしていた朝練女子。
あの子の汗を絶対に舐め回す。
固く決意しつつ、俺は一歩、教室へ足を踏み入れた。
歩く魚作品の主人公史上、一番の変態かもしれない
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