16.アタシはこの世の全てがあると思ってる
同学年の優しい男子と腕を組むという偉業。漫画を現実が超えたのだ。
たとえるなら、棋士が全てのタイトルを独占するような、日本人スポーツ選手が世界一を獲得するようなレベルである。
腕を組んだようやく、切り離されていた思考が綾香の元へ帰還する。
事実を理解した脳が身体をじわりと汗ばませ、BPMが劇的に上昇。
(や、ヤバい……アタシの心臓の音、絶対聞こえてるよね!?)
自分からアプローチを仕掛けておいて緊張しているなんてダサい。
綾香は必死に自らを鎮めようとしていたが――樹はそれどころではなかった。時は少しばかり遡る。
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「いっくんごめん、待ったよね」
綾香の声が聞こえ、樹はそちらへ顔を向ける。
タイトなサイズ感の黒のオフショルダートップスにデニムのスキニーパンツ、赤いバッグを持っている。
トップスからは滑らかなデコルテが、引き締まった脚は微塵の露出もないというのに目が離せない。
視界に飛び込んできたのは煌めきだった。
彼女をなんと表現するのが正解なのか、樹には分からなかった。
小悪魔なんていうありふれた言葉じゃ足りない。
なんなら、少し恐怖すら覚えていた。
現実世界の自分であれば確実に関わることのない人種、その中でもぶっち切りのトップが隣にいて、見るからに気合を入れている。
「ううん、今来たところだよ」
そう返すのが精一杯だ。
腕を組んで焦りが増した綾香とは対照的に、腕を組まれた樹は冷静だった。
あり得ないことすぎて、逆に落ち着いていた。
歩き出した二人は、会話もできずにスクランブル交差点の信号待ちをしていた。
自分たちより前の人々は日常を流していたが、隣や後方の人間はその限りではない。
だとしても、二人に知る由はなかった。
「い、いっくんは今日行きたいところとか、ある?」
スクランブル交差点でカメラを回す外国人を避け、渡り切った頃に綾香が聞いた。
まだ店を楽しむほど世界に飽きていない樹だったが、デートに「どこでもいい」は禁句。何かしら言わなければ。
「えーっと……そういえばノートが足りないんだった。用意してた分の他に、自習用も欲しくて」
「男子なのに勉強するの!? 男子って勉強しなくても赤点とかないし、どんな大学にも入れるんだよ?」
「叔母さんから聞いたから、その辺りは知ってる。でも、分からないより分かる方が楽しいでしょ?」
「……天使すぎる」
「え? なんて言ったの?」
聞き取れなかった樹を誤魔化して、綾香は話を戻す。
「だったらラフトが良いかなって! 知ってる? 文房具もあるしコスメもあるし、なんでも揃ってるよ」
「行ってみたい! すごいところだね、ラフト」
「アタシはこの世の全てがあると思ってる。まじでヤバいから」
樹としては、ラフト自体は前世で行ったことがあるが、かなり前になる。
あの時はペンか何かを買ってすぐに帰った覚えがあるし、実質初見のようなもの。
センター街のガチャガチャショップを横目に二人は曲がり、ほぼ突き当たりにラフトは店を構えていた。
正面から見える入り口は二つあり、一つは数段の階段を登るもので、もう一つはその三倍くらいの階段を降りるもの。
「ノートは地下の方かな。ほら、気をつけてね」
綾香は組んでいた腕を外し、自分の手のひらに樹の掌を乗せた。
中世ヨーロッパが舞台の映画で同じような描写があったが、この世界ではいつから男が少ない設定なのだろう。疑問が樹の脳裏を過ぎる。
「ありがとう」
「お礼なんかいいって。女が男をリードするのは当たり前だし、いっくんはアタシの特別なんだから」
店内には、文房具やノート、レターセットなど様々な商品が所狭しと並べられていた。
「ボールペンだけでもあんなに……あっちの人だかりはなにかな」
「あれはシールだね。シールを集めて交換するのが流行ってるの」
「へぇ! コレクションするの好きだし、面白そう。僕が買ったら皆んな交換してくれるかな?」
「それは……してくれるけど、あんまりオススメはしないかな……」
奪い合いという言葉で済めばマシだが、おそらく戦争が起きる。
天が割れ、地が裂け、海は干上がるだろう。
綾香の口ぶりから樹もそれを読み取り、買うのはやめておいた。
「と、とりあえずノートを選ぶよ。持ってるやつと同じのにしたいから、時間はかからないと思う」
そう言って樹は何度か視線を彷徨わせていたが、やがて平積みにされていたノートを数冊手に取った。綾香の眉が上がる。
「いっくんが使ってるの、それなんだ。あ、アタシもちょうどノート切れたんだった! 使い心地ってどう、かな?」
「書きやすいよ。横に別のスペースがあって、補足しやすいし」
「ならアタシもそれにする! ついでだしいっくんの分も買ってあげる!」
「え、えぇ? それは悪いから――」
「気にしないでっ! これもほら、千里の道も一歩からってやつでしょ!」
それは意味が違うのでは、と樹が首を捻っている間に綾香はノートをひったくり、会計に走っていく。
レジには五人ほどの店員がいたが、レジ待ちは四列も折り返している。
綾香は最初こそこちらへ振り返っていたが、やがて列が進み肉壁に阻まれてしまった。
「一人になっちゃったな……」
立ち止まっているのも人の邪魔になりそうだ。
樹はふと、先ほどのシールエリアを見てみることにした。
それは少し奥まったところに配置されており、道でもあった。明らかに通行の邪魔である。
シールを狙う人々は、目の前に吊り下げられている商品に夢中で、さらに貴重な存在を認識できない。
樹の身長は低いわけではなかったが、最前線でウロチョロするちびっ子、それを盾に順番という概念を無視しようとする親、ヒールで人の足を踏むことを許容する会社員、自由時間の優先順位を間違えた大学生などの前には無力。
(すごい人気だ……ホログラフィック加工でもされてるのか?)
どうにか一目見ようと飛び跳ねてみるが意味はなく、そうこうしているうちに九重が戻ってきてしまう気がする。
今回は縁がなかったか。名残惜しそうな顔をしながら樹が立ち去ろうとした、その時。
何者かが樹の腕を掴み、優しく引いた。
「あ、九重さん。ごめん、やっぱり気になって――」
言葉を止めた。立っていたのは九重ではなかったからだ。
悪意はないです、とても
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