10.ヤバい薬を放出する男
前に歌っていた女子からマイクを手渡された九重は、小指から順にソレを握り、親指で撫でるようにスイッチを入れる。
「ここで一発、いっくんにアピールしないとね。アタシが顔とスタイルと性格と愛嬌だけじゃないってところ!」
全部持ってるじゃねぇか、というツッコミは吉崎が代わりにしてくれた。
イントロが流れ出す。てっきりギャル御用達歌手の曲をチョイスするのかと思ったが、部屋を震わせたのは粒のような電子音。
どこかで聞いたことのあるシティポップ的な曲だった。
夜という波を乗りこなすようなシックな歌声。
雑談する時は「元気な声」という印象しかなかったが、ひとたび真剣なフィルターがかかると、途端に「クールな声」に様変わりしている。
音程の精度は安定し、感情を入れすぎず平坦すぎずなパフォーマンスは、プロのそれと言われても信じてしまいそうな程だ。
アピールに含むだけのことはある。
「――ふぅ、いっくん、どうだった?」
「本当に良かった。ずっと聴いていたいぐらいだったよ」
「ん、んんぅ? ……そこまで褒められると思ってなかったから、ちょっとこっち見ないでほしいかも……っ」
顔を背け、さらに腕でガードする九重。
やはりギャルは相手からのアプローチに弱い。
Sが打たれ弱いのと同じ理論である。
「でも、意外だった。九重さんはもっと恋愛ソングとかを歌うのかと思ってたから」
「それはまだなの!」
ようやくこちらへ顔を戻した九重だったが、その頬は未だに赤みを帯びている。
「そ、その……嫌じゃなかったら、ね? いつか一緒に、二人でカラオケに来た時に歌いたいなって、思って……」
「おお……」
これを狙ってやっていないのだとしたら、彼女は今すぐ外交関係の仕事にでも就くといい。
あまりに健気で、心に秘めている俺のオッサンが口から漏れてしまった。
俺は咳払いして誤魔化し、「その時を楽しみにしてる」と言いながらも、攻略順の変更を余儀なくされてしまいそうだ。
「さ、次はお待ちかねの横島くんの番だよ!」
女子の一人が――九重が持っていたものではなく自分の――マイクを差し出してくる。
「横島くん大丈夫? 気分じゃなかったら歌わなくていいからね?」
「っていうか女子臭くない? 扉開けて換気……は危ないよね。どうしよう……」
「いやいや、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
男の汗臭いは分かるが、女子臭いとはなんなんだろう。
彼女たちから体臭と呼べるものは感じず、普段から桃だけしか食っていないのかと錯覚するような甘い匂いを控えめに纏っているだけ。
これ以上は俺の人間性まで疑われることになりそうだから抑えておくが、あくまで事実として。JKからはいい匂いがする。
興奮にアルコール成分が含まれている世界でない限り、俺の気分は最高だ。
心中での謎の誰かに向けた言い訳をし終わった頃、俺が入れた曲のイントロが流れ出す。
「だ、男子の生歌が聞けるなんて……!」
「これって録音したら犯罪かな? え、懲役どのくらい? 十年ぐらいなら喜んだ受け入れるんだけど」
「全員で年数分割とかできないかな……」
新時代の詐欺師みたいな思考のやつがいるが、盛り上がりは最高潮だ。
このまま振り切らせてもらおう。
俺は腹から息を吸い、デカい箱で歌う人気ボーカリストを憑依させた――。
・
歌い終え、周囲の様子を確認すると、目に飛び込んできたのは無数の「川」の字だった。
「……ひゅ……は…………」
虚な目で声も出せない彼女たちは心配だが、恍惚とした笑みを浮かべているからセーフだろう。
夢の中の俺からはヤバい薬でも放出されているのかと思うくらい絶大な威力。
「ど、どう、だった……?」
俺の両隣――吉崎と九重は少しばかり男への耐性を得たのだろう。
ぴくぴくと痙攣していたものの、意識は保っている。
「や、やっぱり一緒にカラオケ行くの、もう少し、後がいいかも……」
「その……前に、私は歌える状況じゃないし、後のみんなも気絶してるし、ヤバすぎ……」
吉崎の言う通り、彼女は立つこともままならなさそうだし、他の女子に至っては意識を取り戻す必要がある。
仕方なく、俺は二人に許可を取って部屋を出て、御厨たちがいる隣室の扉を叩いたのだった。
こういう作風なのね、と段々分かってきたことだと思います。
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