第26話 潜入
こうして行われたマエストロの(精神的)犠牲の上に成立しているドルチェの偵察は、順調に進んでいた。エステートはそもそも、住むところが少ない。辺りを束ねる存在であるオオガミであっても、住む場所は限られているだろうということである。普段オオガミが執務を行っている建物はカノンから教えてもらった。オオガミの身体的特徴も教えてもらっているため、あとは見つけて尾行を試みるのみである。
「えっと、あそこの建物であってるみたいだね……」
場所が分かればあとは早い。ドルチェの遠視能力で、あちらから見つからない場所に陣を構えてオオガミが出てくるのをゆっくり待てば良いだけである。集中しなければならないのが少し骨が折れるところだが、こうした忍耐を必要とする仕事にドルチェは慣れていた。前線でドカドカ派手にものを壊すカノンとフィーネ、メカニック担当として素早い対応を常に求められるコルトと違って、ドルチェはじっと待つことが多い。ほかの三人が動くことで戦闘をしているのに対して、ドルチェは待つことで戦闘をしている。
―人は見かけに寄らない。
という言葉があるが、まさにこのことだろう。
「お弁当も持ってきた。非常食もあるし、身体をきれいにするためのタオルも持ってきた!」
オオガミの拠点から数百メートル離れた、どうにか入り口が確認できるかどうかという場所をドルチェは選び、荷物の確認を始めた。小柄な少女が一か所を見つめているその姿は、子供が隠れ鬼で遊んでいるように見えなくもない。しかし次に取り出したのはそんなイメージを覆すようなものである。
「いざという時のピストル……これも大丈夫だね!コルトちゃんが整備してくれたやつ、上手く使えるといいけど……」
万が一のときのためにと、カノンがドルチェに持たせたピストルである。カノンやフィーネと比べて、ドルチェは近距離での実戦経験が圧倒的に少ない。それが今回隠密行動を取る際、メンバーからドルチェから心配されたものだ。
(いざとなったら気にせず撃っちゃっていいから!)
オオガミがマエストロ殺害の命令を出したかどうかの確証が得られない以上、その状態で殺してしまうことは可能な限り避けるべきだ。しかしカノンはドルチェの安全が一番だと、このピストルを渡してくれた。
「さて、始めようかな!」
心の中で元気に気合を入れて、ドルチェは腹ばいになって目標を見つめる。視界の先には建物があるばかりだ。時折エステートが出たり入ったりしているが、目的はそれではない。対象はいつ出てくるか分からないのである。
オオガミと思われる人物が建物から出てきたのは、ドルチェが監視を初めてから7時間が経過したころだった。
「やった!みつけた!」
とうに日が暮れているころである。オオガミは周囲から慕われている人物である。そのため、話しかけられることが多い。
ドルチェが最初に行ったことは、オオガミの尾行とねぐらの把握である。といっても、こちらはすぐに済んだ。オオガミは全く無警戒で家に真っ直ぐ帰っていった。その間街の住人に「オオガミさ~ん」などと話しかけられたりしている。村の長といった風貌は、とてもマエストロに対して殺害命令を出したような人物だとは思えない。
(やさしそうな人だな……)
とドルチェは考えた。
しかし、疑いは調べてみなければ分からない。オオガミの質素な家を見つけてしばらくその監視を続け、明日の朝までオオガミが仕事場に戻らないであろうことを確認したのち、ドルチェは踵を返してオオガミの仕事場に戻った。
「えっと、四方を確認して、と……。」
いきなり入るのではなく、仕事場をぐるっと回って不審な箇所がないかどうかを確認する。普通の者であれば最高でも数十メートル先を回るのだが、ドルチェの場合は目が良いので200メートルになる。半径200メートルを回らないといけないのだから大変な作業だ。それでもドルチェは足取り軽くこなしていく。
「うん……大丈夫そうだね。中には誰もいないみたい」
この仕事がカノンだったら、今頃音を上げて基地に戻って酒を煽っているころだろう。周囲の安全を確保したドルチェが、ようやく建物に入ろうとしていく。監視カメラやセンサーに注意しながら進んでいく。
(……!)
玄関付近でドルチェの動きが止まった。ドルチェが今いる少し先の壁に、体温を感知するセンサーが備え付けられている。おそらく防犯用だろう。あれを踏んでしまえば家でくつろいでいるオオガミに緊急の通達が入る仕組みになっているに違いない。センサーは地面から天井まで均等な感覚で配置されており、避けて通ることは難しそうである。
(これくらいなら、なんとかなりそうだな)
しかし、ドルチェはあまり慌てたそぶりを見せなかった。
生命活動を意図的に減退させるというヴァリアントとしての彼女の能力は、オオガミの拠点付近に置かれているかもしれない生命活動を探知するセンサーをかいくぐることができる。そしてある程度人間にも気づかれにくくなる。
(よいしょっ、っと……)
ドルチェの眼が黄色に輝く。しかし、それも周囲に溶け込んでいて確認できなくなった。瞳孔が開き、彼女から生気がなくなる。
人は隠れていても呼吸による動きや筋肉の収縮や弛緩による微妙な動きをごまかすことはできず、それ故見つかってしまうことが多い。しかし、彼女はそれすらも制御することができるようになる。視力を持たず、表面の感覚器官で世界を把握しているイントレアはもちろん、人間に対してもこれは一定の効果を発揮する。




