第25話 帰還
マエストロが基地に戻ったのは、二週間後のことだった。下手にすぐ戻ると後をつけられる危険があったためである。幸い、廃墟は潜伏するには格好の土地だった。戦闘糧食として用意した完全栄養食は、ドルチェの料理と比べてはならないほど不味いが、仕方がない。これが一人だけなら寂しさと心細さでどうにかなってしまいそうだが、四人いればこそこそとした生活も楽しくやれるものだ。
一応、廃墟では代わる代わる見張りを設け、ほかのメンバーが騒ぐのは最も目立たない部屋ということにした。結局、粘り強く二週間続けたが敵はおろか小型のイントレアすらも見ることはなかった。皆の体調も回復し、出発した時と同じようなコンディションで4人は基地へと帰還した。
「ふい~……!ただいま、ただいまっと~!」
帰るなりリビングのソファーにごろんと転がるコルトをフィーネが咎めた。
「汚くなるでしょ。先にお風呂入ってからにしなさい」
「フィーネってたまにお母さんみたいなこと言うよね」
「え……?どういうこと、それ」
困惑するフィーネを他所に、ドルチェとカノンがさっさと片付けを始める。ひょっとしたらもう誰も戻れないとまで考えた基地に全員で帰還することができたのはなかなかに感慨深いものだ。
「疲れがどっと出てきたような気がするよ~」
少しだけものを片付けた後、ドルチェがそう呟いてソファーに突っ伏している。彼女のこのような姿をみることはかなり少ないだろう。それくらいの安堵感を面々が襲った。本来なら依頼をこなしたあとは酒を空けることになるのが常なのだが、今回に限ってはそもそも依頼をクリアしたと言っていいのか分からない。そもそもカノンに依頼を持ちかけたオオガミ自身がマエストロ襲撃の黒幕という話があるほどなのだ。
「じゃ~お風呂入っちゃうわよ~」
そう言いながらコルトが早くも上着を脱ぎ捨てている。早く出るから次入りたい人は準備してていいかも~、と言いながら彼女は洗面台の方向に去っていった。
その日の夜、カノンは布団に入ってから、コルトとドルチェ、そしてフィーネのことを考えた。視界の隅に、規則正しい寝息を立てているフィーネは、ついこの間まで殺し合いをしていたとは思えない、純粋な少女の見た目をしている。コルトが言っていたことは、カノンもどこかで考えていたことだ。私たちは仕事をするために平気で人を殺す。襲われたことによる防衛だけではなく、依頼の内容によっては能動的に人を殺すことすらもある。それは私たちにとっては仕事内容に過ぎない、関係のないことだ。私たちが今日を楽しく生き延びるために、マエストロはマエストロの敵を殺める。
しかしそれは、自分にそう言い聞かせていただけではないだろうか。この歯車がずれ、生態系の頂点から人類が叩き落されたおかしな世界では、殺し殺されは当たり前だとずっと考えていた。でもドルチェには、殺しを味わせたくないと考えていた。そしてできれば、手を汚すのは自分自身だけが良いとも考えていた。
オオガミにマエストロの殺害が命じられたという話の裏を取る作業が、その翌日から始まった。しばらくの間のんびりとした雰囲気を醸し出していた秘密基地がバタバタと動き出す。
裏を取るという作業は地道なものである。特に今回は相手がオオガミだ。付近のエステート束ねる役割をしている彼の情報網を侮ることはできない。それを軽視しないということは、外部に協力者を作って調査をすることができないことを意味している。結局、尾行や潜入といった調査で動くのはマエストロ自身ということになってしまう。数週間の間、マエストロはオオガミの調査に注力した。人間一人を、それも過去の行動の証拠を押さえることを目的とした調査は容易ではない。マエストロのメンバーが誇るヴァリアントとしての能力は、どれも戦闘に特化したものばかりである。一部のヴァリアントは相手の精神に干渉して喋りたくないことを喋らせたり、発言の嘘か真かを見分けることができたりする者がいるとのことである。メンバーに一人いれば大分楽になるかもしれない。
潜入は気配を消すヴァリアントでもある、ドルチェが役に立つ。能力だけではなく、普段からスナイパーとして隠密行動を心がけている彼女が適任だ。カノンやコルトのように、自らの存在を誇示するような戦い方とは正反対に位置する。
「じ、じゃあ、行ってくるね!」
緊張気味に出かけ行く彼女の姿を見て不安にならない者はいない。しかし、彼女は新人の頃からずっとこうで、そして仕事も完了させているので最近はメンバーもまるで心配しなかった。
しかし普段は秘密基地で家事を担当しているドルチェが出ずっぱりになってしまうと、必然的に残りの人間が家事を行わなければならなくなってしまう。料理などはフィーネやカノンが空いている際に作ることができるが、それでもドルチェの作るそれには至らない。しまいには食卓に完全栄養食の粉末と、それを溶かしこむためのオレンジジュースが並ぶようになる。そうなると面々がそこそこのストレスを抱えるものだ。
「ねえ~、美味しい物食べたいよ~」
最初に根を上げるのは決まってカノンである。
「仕方ないでしょ。今ドルチェしか調査できないんだから」
フィーネがたしなめた。ドルチェはこうなると、しばしば泊まり込みで調査をするから秘密基地を開けることになる。そうなるとコルトは彼女を助けるための装備品の製作やメンテナンスに精を出すし、カノンやフィーネも出かけてドルチェの安全を確保するための活動に勤しむことになる。すると必然的に家事を担う人間がいなくなってしまう。その行きつけが完全栄養食というわけだ。プラスチックの容器から直接食べることもできるが、さすがにということで皿の上に並べてみている。しかし、いくら豪華な皿の上に並べてみても粉は粉だ。オレンジジュースの橙色も、横に白い粉が置かれてしまうと味気ないものになってしまう。
「いただきま~す」
といういつもの号令も元気がないものになる。マエストロが忙しくなるとどうしても、このようなことが発生してしまう。
「これが終わったら絶対肉食べる~……」
粉末を目の前にしてコルトが愚痴を漏らす。こういうことを言うと肉を想像させてしまうため、言わない方が良いのである。
「コルト思い出すじゃない!なんでそれを今言ったの~」
カノンが机に顔を突っ伏して大げさに顔をバタバタと動かしている。机の上で手をばたつかせたた
め、粉末に風が当たって舞い上がる。この小麦粉が、今日の主食だ。
「カノン、散らかるから……!?」
フィーネが窘めかけたが、直後、苦しそうにむせはじめた。飛び散った粉末を吸い込んでしまったのである。
「あ!ごめんフィーネ!」
慌ててカノンが謝る。例え食事を制限されてもエンターテインメントを欠かすことはないマエストロたちだが、いくら騒いでも食べ物ばかりは出てこない。




