第21話 満身創痍の行軍
男の亡骸は少し外れた草むらの中に捨て置いた。アイリスもエステートもいないこの平野部で死体を隠す必要などはほとんどない。どうせ数日もしたらイントレアが綺麗に骨も残さず食べてくれるからだ。
普段は厄介者でしかないイントレアも、こういうときには役に立つ。外に出たまま行方不明になった人間のほとんどが、様々な経緯あれ最終的にはイントレアの腹の中に納まっているのではないかと考えられている。貴重なタンパク原を手に入れるのに彼らも必死なのだろう。
「まさかオオガミとはね。驚いた」
カノンがそう話すのも無理はない。何せ今回の依頼をした張本人なのである。
これまでも何度か罠の依頼を受けてしまうことはあったが、そういった罠は大体初めてマエストロに依頼をする人間だった。オオガミはこれまで何回もマエストロに依頼をしてきた得意先である。勝手知る相手だからこそ、油断というものが依頼を受けたカノンにはあったのかもしれない。
「もっと前に気づけたのかもしれないね。ごめんね。こんなことになっちゃって」
「ううん。仕方ないよ。気にしないで、カノンちゃん」
ドルチェが慰める。笑みを浮かべつつも多少落ち込んだ様子を見せるカノンは珍しい。
「あの男の口からでまかせだったっていうのは考えられないの?」
フィーネが聞いた。
「それはないかな。オオガミの名前はエステートでは有名だけどアイリスにまでは伝わっていないよ。せいぜいちょっと名のある村の長程度なんだから、あの男が知ってるはずがない。だからあれは本当のことかな」
なるほど、とフィーネはうなずいた。オオガミという人名そのものをあの男は本来知るはずないのである。
「とりあえず、帰らないとね。山は……あっちのほうか」
コルトが口を出す。地図も何もない平原での移動は、山の形を把握してその方向に行くことが重要となる。カノンたちの秘密基地がある山地には特徴的な山体をした山がたくさんあったからちょうどいいのだ。それは平野に出ても変わらない。山地に戻るには、山を探ればよい。あとは大まかな方角がわかっていさえすれば戻ることができる。
「とりあえず出発しようか。ここをねぐらにするのはなんかいやだし。日没まではまだもう少し時間があるからさ。」
カノンの言葉に皆が従った。もとより全員そのつもりなのだ。そのまま数時間、ひたすらに歩いた。メンバーの全員がヴァリアントとしての身体能力を有しているとはいえ、さすがに限界が近かった。
ところが、歩き出してしばらくするとカノンの足取りが鈍くなった。カプセルを使って傷口を修復したことの副作用だろう。カノンは有事に備え、先頭に立って進む。その次は前衛のフィーネが務めるのだが、フィーネの歩く足がこつんとカノンの足にぶつかった。
「あ、ごめん、カノン」
「大丈夫」
その際は何でもないことだと思っていたのだが、だんだんフィーネはカノンの足が重くなっていることに気が付いた。
「……?」
気になったフィーネがカノンの顔色を窺うと、青い顔をしたまま歩いているではないか。
「カノン、大丈夫?無理してるでしょ。少し休もうよ」
しかし、カノンは断る。
「ううん。今休むと追手が来るかもしれないから。情報を聞き出すのに時間使っちゃったし、急がないとね」
理にかなっているから、フィーネも言い返せない。銃弾を受けたうえにカプセルを使っているから、身体に相当の負担がかかっているのだろう。加えて今日はイントレアと人間の両方を相手に戦っていたのである。
「……。」
フィーネの背後にいたコルトとドルチェも、心配そうに見つめるがカノンには何も言わない。周囲には廃墟が連ねているばかりだが、どれも崩れていたり骨組みだけになっていたりすする。
「さ、行こう。もうすぐ進めばいいところがあるかもしれない」
そうは言ったものの、どこになにか当てがあるかと言われればなく、良さげな建物を見つけることができればそこに入ってしまおうという調子だった。
そんな中、孤立している廃墟があったのは幸運だった。マエストロが見つけた廃墟は小山の頂上に立っていて、周囲と比べればイントレアの襲撃を多少は避けることができる。こういう建物はエステートの居住区からもアイリスの居住区からも離れたこの場所では貴重品だから、野営の拠点となる。まあ対立した勢力がぶつかったりすると大変なことになるが、それでもこの建物を破壊しようとするものはいない。
カノンたちは人影がないことを確認したのち、廃墟の中に駆け込んだ。
廃墟は4階建て程度の形をしており、なんとか数日間住むにはちょうど良くなっていた。
「みてみて!電気が通ってるよ!」
電気をつけてみて喜んだのはドルチェだ。屋上に太陽光発電のシステムが備わっているらしい。
「ひとまず、ここで今日は夜を明かそう。ここなら追ってこないし……電気はつけたいけど流石に難しいかなぁ……。まあ夜風を避ける場所があるだけありがたいね」
カノンがそう言った。廃墟だらけとはいえ、電気をつけてしまえばさすがに居場所が知れてしまう。人が住んでいない場所の夜はあまりにも暗い。それゆえ、灯りは離れた場所ではとても目立つ。とくにこのような小高い場所ではなおさらだ。
「じゃあ今日はもう身体を休めよう。見張りは他の人がやるから」
流れるようにそう言ったカノンを残りの3人で必死に止めて、コルトに見張りの役目を引き継ぐ。全員、疲れている。カノンが見張りをやると言い出したのも、おそらく物事を考える余裕がなくなって、機械的に自分の義務を果たそうとしたからにすぎない。
「え……?でもコルト、大丈夫?」
「大丈夫だから!今回の戦闘で一番消耗したのはアンタなんだよ?そりゃ傷はもう治ってるけどさ……。瞳のリング、もう見てられなくって」
カノンの紅いリングがぼんやりと光り続けているのは、イントキシンの影響を受けている証拠だ。
「あんたたちだって似たようなものだけど……」
そうカノンが言おうとするが、なかなか力が出ない。今のカノンは、先ほどコルトが話した言葉がものすごく大きな音として聞こえたはずだ。ヴァリアントはイントキシンを糧に、自分の感覚を鋭敏化させる。本人の意志とは関係なく、強制的にだ。戦闘を行う際には便利なそれも、今のような状態では逆に負荷になる。数十メートルも離れた場所の木々が風でこすれる音や、廃墟の中を零れ落ちる水滴の音なんかが耳の中に入ってくる。本当は静かに過ごしたいが、そんなことを望んでも意味がないことは知っていた。
それに、ものすごく疲れる。多様な特殊能力も、そのエネルギー供給源はイントキシンが原因となる。イントキシンによるヴァリアントの身体活性化は、使用者の任意によるものではなく作用として強制的に行われるのだ。力の近いすぎで早世したヴァリアントたちの話は枚挙に暇がない。
「わかった。ありがと。じゃあ私は今日は休むね」
コルトの射るような視線に耐えられなかったのか、カノンは素直に従うことにした。顔がやつれていても無理矢理作る笑顔がとても痛々しく見えた。そしてカノンは少し小さく見える背中を見せながら奥の部屋へと消えた。




