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第一日目。其の三



当然ながら、誰かと一緒に帰ったり登校したりするつもりはなかった。

こっそり写真なんて撮られたらたまったものじゃないし。

それに俺はバイク通学だ。人を乗せて走るわけにもいかない。


俺は軽く会釈して、礼の気持ちを示した。

彼女はまぶしい笑顔で応えてくる。


教室を出ようとしたそのとき、後ろから声がかかった。


「伊弉波くん、ちょっと職員室に来てくれるか」


新堂先生だった。


「はい、先生♪」


むしろ都合がいい。

みんなが帰るまで、ゆっくり時間を潰せる。


俺は先生の後についていった。

フードもマスクも、もうつけていない。


当然、他クラスの生徒たちから視線は集まる。

だが先生が隣にいるせいか、誰も近づいてはこなかった。


職員室に入ると、数人の教師がいて、机や棚、冷蔵庫にソファまで置かれている。


ちらりと視線を向けられはしたが、誰も何も言わない。

大人でさえ、有名人が校内にいるという事実には少し緊張するらしい。


「座りなさい。お茶は飲むか?」


「いただきます。できれば砂糖なしで♪」


「わかった」


俺はソファに腰を下ろし、静かに待った。


やがて先生は向かいに座り、ティーバッグ入りのカップを二つ置く。

その頃には、他の教師たちはすでにいなくなっていた。授業に戻ったり、部活の指導に行ったりしたのだろう。


結果として、ここには俺たち二人だけが残った。


「どうだ、初日の学校は」


「少し騒がしいですけど、全体的には悪くないですね♪」


「その作り笑い、もうやめて普通に話せ。校長室での態度を見たあとだと、どうにも違和感がある」


「……わかりました」


俺は笑みを消し、いつもの無表情に戻す。


言われてみれば、入学前のあのときは、少しやりすぎたかもしれない。


校則や制限、アイドルとしての安全対策について話すために呼び出されたのだが、

レコーディングの最中に無理やり連れてこられて、正直機嫌が悪かった。


そのせいで、校長室では一度も笑わず、

あろうことか校長の椅子に座って、あの人たちを来客用の席に座らせてしまった。


あのときの戸惑った顔は、今でも覚えている。


……もう少し控えめにするべきだったかもしれないな。


「まあいい、その話は置いておこう。

 問題ないと言っていたが……階段からクラスメイトが落ちた件、あれは少し妙だと思わないか?」


「偶然ってこともありますよ」


「そうだな。ただ、どうしてよりによって、お前を一番嫌っていたやつが落ちたんだろうな?」


「驚くほどの偶然ですよね♪」


「はあ……」


先生は深くため息をついた。


「もう無垢なふりはやめろ。あいつの鼻をやったのはお前だろう。

 お前が先に行った屋上に、連中が荒っぽい様子で向かっていくのを見ている」


「……」


「そのあと、鼻血を出したあいつを担いで降りてきた。

 しかもあいつら、嘘が下手でな。少し問い詰めたらすぐに白状したよ。脅そうとしたら、逆に膝を顔面に入れられたってな」


「それで、俺に説教ですか?」


「したいところだが、骨は折れていない。それに学校としても、お前に関することは秘密にする方針だ。

 だからこれはただの確認だ」


「なるほど。反省を期待しているなら、あまり期待しない方がいいですよ」


「そうか……自分が正しかったと思っているわけだな」


先生はソファの背にもたれた。


俺も同じように足を組む。


「正しいとは思っていません。

 でも、ああいう連中が他人にちょっかいを出し続けるなら、問題になるのは俺だけじゃない」


「つまり正義の味方気取りか?」


新堂先生は皮肉っぽく笑った。


俺も軽く笑う。


「いえ、まさか。

 こう見えても自分のことはちゃんとわかっていますから。何者で、何者じゃないのか」


「どうだかな」


「……?」


「いや、なんでもない。とにかく、同じことは繰り返してほしくない。お前はもっと穏やかなタイプだと思っていた」


校長室でのあれを見ておいて、それを言うのか。

この学校が変なのか、それとも俺の運が悪いだけか。


「できるだけ目立たないようにはしていますよ。

 ただ、今回の件は先生たちにも責任があります」


「ほう? どんな責任だ」


「教師は校内での生徒の行動を管理する義務があります。

 問題があれば、再発しないよう対処すべきです」


「仮にそうだとして」


「今日の件は、感情的になった三人を止められなかった結果です。

 彼らが絡んでこなければ、何も起きなかった」


「だが、お前も無関係ではないだろう。襲われたわけでもない」


「罰を受けるつもりはあります。ですが、そのあとでお願いします」


しばらく無言のまま、視線をぶつけ合う。


自分が完全に正しいとは思っていない。

それでも、同じ状況になれば同じことをする。


中途半端に流すより、一度きっちり線を引いた方がいい。

でないと、何度も同じことが繰り返される。


好きで通うわけじゃないが、ここであと二年は過ごすことになる。

なら、最初に芽を摘んでおいた方がいい。


「……わかった。今日はもういい、行っていいぞ。

 ただし、次はないと思ってくれ」


「ありがとうございます」


俺はお茶を飲み干し、軽く頭を下げて部屋を出た。


すると職員室の別の扉の近くに、生徒会長の姿があった。

壁にもたれて立っている。


俺は彼女に目を向け、笑う。


「ちゃんと聞こえてましたか、先輩♪」


わざと少し芝居がかった口調で言う。


だが返事はなかった。

彼女はぼんやりとした視線で、ただこちらを見ているだけだった。


俺は背を向け、そのまま出口へ向かう。


一階の廊下でロッカーを開け、スニーカーとバイク用のヘルメットを取り出す。

ここはロッカーが広めで、ヘルメットも問題なく収まっていた。


履き替えて外へ出ると、自分のバイクの周りに男子の集団ができていた。

目を輝かせながら、車種について熱心に話している。


ヘルメットを手にした俺に気づくと、少し道を空けたが、興味は隠せない様子だ。

今度はバイクだけでなく、俺自身も観察対象になっている。


その中の一人が、勇気を出して声をかけてきた。


「伊弉波くん、だよな?」


「そうだよ♪」


まだ緊張しているのが見て取れる。


アイドルが同じ学校にいるって事実、まだ慣れてないのか。

一日あれば少しは落ち着くと思ったんだけどな。


「俺のこと、覚えてない?」


「ん?」


予想外の質問だった。


この学校で、しかもまともに通っていなかった俺が、誰かを覚えているはずがあるのか?


「ごめん、覚えてないな♪ 会ったことあった?」


「俺、榊優斗」


「正直、ピンと来ない♪」


「そ、そうか……」


彼は少し言い淀む。


「中学、同じクラスだったんだ。お前が来なくなる前まで」


なるほど、覚えていないわけだ。


あの頃はデビュー前で、レッスンや準備に追われていた。

記憶のほとんどがそっちに割かれている。


最初の一年はまだ通っていたが、その後はほとんど顔を出さなかった。


今になって思い出せという方が無理だ。


「そうか。じゃあ、また同じ学校でよろしくな♪」


「お、おう! よろしくお願いします!」


彼は深く頭を下げた。


「こちらこそ」


俺も軽く会釈する。


「じゃあ、先に行くよ。学校でまたな♪」


「うん、気をつけて」


友達らしき連中も一緒に頭を下げ、見送ってくれた。


俺はヘルメットをかぶり、エンジンをかける。


そのまま、ゆっくりと走り出した。


およそ十五分ほどで、俺は家に着いた。


ガレージの前にバイクを停め、ヘルメットを玄関に置くと、さっと部屋着に着替えてリビングのソファに倒れ込む。


リビングはかなり広い。

床は黒い大理石と高級木材で仕上げられていて、さらにキッチンと一体になっているおかげで、開放感がある。


スマホを手に取り、少し身を起こしてLINEを開いた。


未読のチャットがいくつか溜まっている。

メンバーのグループ、マネージャーとの個別チャット、それから今日追加されたクラスと学校のグループ。


……学校全体のグループって、何のためにあるんだ?


まあいい、とりあえず置いておこう。


まずはメンバーのチャットを開く。


そこでは、高校入学を祝うメッセージと応援の言葉が並んでいた。


[伊弉波]:ありがとう。今回も頑張るよ。


一通り礼を言い、健康管理についての説教をいつも通り軽く受け流してから、チャットを閉じる。


次に、西園寺さんとのトークを開いた。


[西園寺]:初日はどうだった?


[伊弉波]:とにかく騒がしかったです。


[西園寺]:退屈じゃないならいいわ。


[伊弉波]:その心配はいりません。一秒も暇を感じませんでした。


[西園寺]:クラスメイトを殴った件も、その「退屈しない理由」に入るのかしら?


[西園寺]:あなたが理由もなく手を出すタイプじゃないのはわかってる。でも、加減は必要よ?


[伊弉波]:ただの不運な事故ですよ。


[西園寺]:……あなたがアイドルだってこと、忘れないで。しかもトップクラスの。

     一つ一つの行動が全部反応を呼ぶ。評判なんて、一瞬で——


[伊弉波]:大丈夫です。誰よりも理解しています。


[西園寺]:……そう願ってるわ。


[西園寺]:とにかく説教はここまで。学校側は今回の件を隠すし、あの三人も監視対象になる。

     でも、あなたももう少し慎重に行動して。


[伊弉波]:了解です。ご迷惑をおかけしました。


ひと通りの注意を受けてやり取りを終え、次はクラスのグループを開いた。


――カオスだった。


会話が飛び交っているが、中心にある話題は当然、俺。


すでに十回以上メンションされているが、今までは無視していた。

ただ、開いてしまった以上、何かしら返さないわけにもいかない。


[伊弉波]:何かあった?


送った瞬間、スタンプとメッセージの嵐が押し寄せた。


「……多すぎだろ。何をそんなに求めてるんだよ」


最初に落ち着いた返事をくれたのは、ピンクのクマのアイコンの女子だった。


[黒瀬]:ごめんなさい、伊弉波さん。みんなあなたが来たことで興奮しちゃって、抑えきれなかったみたいです。

    カラオケで歓迎会をしようって話になってて〜


[黒瀬]:私はやめた方がいいって言ったんですけど、誰も聞かなくて〜


正直、それはかなりまずい提案だ。

誰かに見られたり撮られたりしたら、面倒なことになる。


[伊弉波]:それって、転校生には毎回やるの?♪


[黒瀬]:実は転校生自体が初めてなんです。でも元々、新学期のお祝いでクラス全員でカラオケに行く予定でした〜


[伊弉波]:なるほど。時間があれば参加するよ♪


その瞬間、チャットは歓喜のメッセージで爆発した。


俺はその隙に、静かにグループを抜ける。


まだ呼びかけは続いていたが、そこは無視。


今日はまだやることがある。

宿題に、軽いトレーニング、それから……曲の歌詞を少し書くかもしれない。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


勉強は問題なくこなせた。


理系に特化した、いわゆる進学校ではあるが、課題自体はそれほど難しくない。

大半はすでに家庭教師に教わっていた内容だった。


そのあと一時間ほどトレーニングをして、夕食の準備に取りかかる。


……とはいっても、栄養食のパックを取り出し、チューブを開けて飲むだけだ。


それに加えて、トーストと簡単なグリーンサラダ、そしてお茶。


一応、アイドルだからな。体調管理は徹底しないといけない。


食事を終えると、さっと片付けて、ノートパソコンを膝に乗せてリビングに戻る。


メンバーから送られてきたデモ音源をいくつか流しながら、歌詞のアイデアを探す。

音響設備がいいおかげで、音はクリアで奥行きもある。完全に没入できる。


そんな時間をしばらく過ごしていると、スマホが鳴った。


すぐにデータを保存し、音楽を止める。


画面に表示された名前を確認すると、迷わず通話ボタンを押して耳に当てた。


「もしもし、レイか?」


「うん、おじいちゃん。元気?」


「ほっほ、心配してくれるとは嬉しいな。元気だよ。体も問題ない。そっちはどうだ?学校は」


俺はドアを開け、上着を羽織って裏庭のプールの方へ出る。


夜はまだ少し肌寒いが、短時間なら問題ない。


「順調だよ。授業も簡単だったし、勉強で困ることはなさそう」


「それは良かった。クラスメイトとはどうだ?もう仲良くなれたか?」


「まあ……面白い人たちには会ったよ」


「ははは、それはいい。学校ってのはな、勉強だけじゃなくて、どう過ごすかも大事だ」


「そうだね」


「なあ……お前が頑張ってるのは、ちゃんとわかってる。

 毎月お金も送ってくれて、本当にありがたい。でもな——」


「……」


「自分のことも大事にしなさい。お前は、俺たちにとって一番大切な存在なんだ」


「……ありがとう。でも、今さら普通の高校生っていうのも、遅くない?」


「気持ちはわかる。だがな、お前は親のせいで、あまりにも早く大人になりすぎた。……今でもあいつらのことは情けなく思ってる」


「気にしないで」


「とにかくだ。今しかないこの時間を、ちゃんと生きてほしい。

 カラオケに行って、友達と遊んで……恋人でも作ってみろ」


「待って。それは話が違う」


「ははは、まだ子どもだな。でも本気だぞ。今回は、誰かのためじゃなく、自分のために生きてみろ」


「……わかった」


「それでいい」


そのあとも他愛のない話を少し続ける。


祖父は相変わらず元気で、よく笑い、よく冗談を言う。

気づけば、俺も自然と笑っていた。


「さて、そろそろ寝る時間だろ?」


「うん、たぶん」


「じゃあ、おやすみ。明日も頑張れ」


「おやすみ」


通話を切り、遠くを見つめる。


……カラオケ、か。


夜空には星が散りばめられていた。


ひんやりとした風が頬を撫で、首元を抜けて髪を揺らす。


近くの木々がかすかにざわめき、その影がプールサイドのタイルにゆらゆらと揺れていた。


遠くには高層ビルの明かりが見えるが、それも少しずつ消えていく。


家々の灯りが闇に溶け、時折、車のヘッドライトが夜を切り裂く。


街はゆっくりと眠りについていく。


そして俺は——

この広すぎる家に一人、明かりを消し、大きなベッドに身を沈めた。


おやすみ。


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