追及。其の二
(黒瀬美羽視点)
私は校舎の長い廊下を、零の後ろについてゆっくり歩いていた。少し前まで彼は新聞部の部室にいて、今度は私と千花、林さんに、教室へ集まるよう言った。私たちは管理棟を出るところで、大きな窓から差し込む暖かな陽射しが、床に細長い光の帯を作っていた。
少し前を歩く零の背中は、思っていたよりも広く、それなのにどこか手の届かないもののように見えた。まさか、いつかこんなふうに、何百万人もの人から憧れられている相手の後ろを、普通に学校の廊下で歩く日が来るなんて。ほんの少し前まで、彼は画面の中にいる人だった。ネットやライブ、ニュースの中で語られるアイドル。それが今では、何でもないことのように、私の数歩先を歩いている。
いや、変なことを考えていたわけじゃないからね!
それでも、いろいろな問題の原因になってしまったあのカラオケの夜から、私と零の距離は少しだけ縮まったような気がしていた。本当に一瞬だけ浮かぶ、ほとんど重さもないような考え。それなのに、そう思った途端、心臓が少しだけ速くなる。
でも、よく考えてみると……私は零のことを、一人の男の子として見ているのかな?
私は無意識のうちに、零の背中をじっと見つめていた。そしてよりによって、ちょうどその瞬間、彼がこちらを振り返った。
「あっ……」
驚きと恥ずかしさで身体がびくっと跳ね、顔が一瞬でものすごく、ものすごーく熱くなった。
なんで!? どうして今なの!? よりによって、どうして今振り返るの!? 恥ずかしすぎるぅぅぅ!
「……み、美羽?」
「えっ? な、何?」
零の声で、ようやく現実に引き戻された。私は何度か瞬きをしてから、彼がもう教室の扉の前で立ち止まっていることに気づいた。
「着きましたよ、と言ったんですが」
「あっ……う、うん……」
私たちの間に、気まずい沈黙が流れた。余計なことばかり考えていたせいで、いつの間に教室まで戻ってきたのかさえ気づかなかった。零に促されて中へ入ると、千花と林さんはすでに私たちを待っていた。千花がすぐに手を振ってきたので、私はついさっきまで頭の中を埋め尽くしていた考えを慌てて追い払い、彼女のもとへ向かった。
私たちは零の机を囲むように席へ着いた。零はしばらく鞄の中を探した後、A4用紙を三枚取り出し、ペンと一緒に机の上へ置いて、私たちのほうへ差し出した。その姿はひどく落ち着いていて、これから学校中を巻き込んだ騒動について話すというより、普通の授業で使うプリントを配っているように見えた。
「必要な準備は済ませました。これから、皆さんにしてもらいたいことを説明します」
私と千花、林さんは顔を見合わせ、ほとんど同時に頷いた。
「ありがとうございます」
零はわずかに微笑んだ。
「まず最初に、自分の名前で生徒会へ申立書を提出してください」
私はこういう法律じみた手続きには弱かったので、いまいち……というより、何を言われているのかまったく理解できなかった。「申立書」や「苦情」、「自分の名前で」といった言葉は、私たちが学校内の問題ではなく、怖い顔をした大人たちがスーツ姿で集まるような事件に、突然巻き込まれてしまったかのように聞こえた。隣に座っている千花を見ると、彼女も何一つ理解していないことがすぐに分かった。
私たちは同じように困惑した目で零を見つめた。彼はすぐに状況を察したらしく、優しく微笑んだ。
「簡単に言えば、皆さんは同級生と不適切な関係にあるかのように書かれ、名誉を傷つけられたんです。もちろん、そんな事実はありません。なら、苦情を申し立てるのは当然だと思いませんか?」
「えっと……それは、そうだけど……」
私は自信なく答えた。
「でも、何を書けばいいのか分からないよ。零が書いてくれたものを、私たちがそのまま書き写すんじゃ駄目?」
俺の言葉に、零は黙って首を横に振った。
「俺が代わりに書けば、それは皆さんの意思ではなく、俺の主張になってしまいます。以前にも言いましたが、ここで一つ大事なことを理解してください。この状況の被害者は、俺だけではありません。皆さんも商品として利用されたんです」
「商品!?」
千花が反発するように声を上げた。
何と言うか、零は必ずしも言葉選びが上手いわけではなかった。もちろん、私たちを傷つけるつもりがないことは分かっている。それでも、女の子を「商品」と呼ぶのは、さすがに言い方がきつい。その言葉を聞いただけで、私たちが人間ではなく、誰かが好き勝手に扱える物にされたような嫌な感覚が湧いてきた。
「言い方が悪かったなら、すみません」
私たちの反応に気づき、零はすぐに言葉を和らげた。
「ですが、他にどう表現すればいいのでしょう。あの記事は、そもそも皆さんについて書かれたものではありません。俺についての記事です。その中で皆さんは、都合よく利用され、役目を終えたら捨てられる道具として扱われた。そう考えれば、“商品”という言葉は不快ではあっても、起きたことをかなり正確に表していると思いませんか?」
「……」
私たちは、何も言い返せなかった。零が改めて言葉にしたことで、私はこれまでずっと考えないようにしていたことを、ようやく少しずつ理解し始めた。それまで頭にあったのは、私のせいで彼のアイドルとしての評判が傷ついた、ということだけだった。カラオケに誘ったのは私で、私が誘ったからこそ、零はあの嫌な記事の中心に立たされてしまった。だから、一番悪いのは私なのだと思っていた。その考えはあまりにも重く、時々、耐えられないほど胸を苦しくさせた。
でも、よく考えれば……私だって何も悪いことはしていない。
「私、別に誰にでも簡単についていくような女じゃないのに……」
林さんが小さな声で呟いた。
私も、まったく同じことを考えていた。私たちはただ楽しんでいただけだ。歌って、笑って、お菓子を食べて、普通の放課後を楽しんでいただけ。それなのに、どうしてまるでカラオケではなく、怪しい溜まり場か何かに集まっていたような書かれ方をされなければならないのだろう。
「私たちって、普通に遊ぶことも許されないの?」
私は腹立たしさを隠せずに言った。
「それにさ」
千花が腕を組みながら会話へ入ってきた。
「どうせ記事にするなら、私が一番上手く歌って、百点近く取ったことも書いてくれてよくない?」
「……」
私たちは全員、黙り込んだ。
そして――
「ぷっ……あははははっ!」
私は堪えきれずに笑い出した。あまりにも場違いで、あまりにも馬鹿馬鹿しい一言だったせいで、ついさっきまで重たい雲のように私たちの上へ垂れ込めていた空気が、一瞬で崩れ去ってしまった。林さんも口元を手で隠しながら笑いを堪えていたけれど、千花だけは、どうして私たちが笑っているのか本気で分かっていないようだった。
「千花、それはさすがに書かないほうがいいと思いますよ……」
零が困ったように笑った。
「でも、本当のことでしょ!」
「はいはい……」
そのやり取りのおかげで、教室の空気は少しだけ軽くなったように感じられた。緊張が完全になくなったわけではない。それでも、さっきまでのように息苦しいほど私たちを押さえつけてはいなかった。少し笑い、頭を冷やし、いつもの調子をいくらか取り戻してから、私たちはようやく落ち着いて申立書へ向き合った。
「伊弉波くんの言う通りだと思う」
林さんが、目の前の白紙を見つめながら口を開いた。
「私たちは、ただの家具みたいに利用された。だったら、私たちにも謝罪を求める権利があるよね」
零の顔に笑みが浮かんだ。けれど、それはいつもの笑い方とは少し違っていた。普段の軽さも、人と話す時によく見せる、どこか距離を置いた丁寧さもない。
「今、皆さん自身の言葉でそう言いましたね。なら、これはもう俺だけの問題ではなく、俺たち全員の問題です」
私たちは再び黙り込んだ。零の声は落ち着いていたのに、なぜかその言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しざわついた。たぶん、気づいてしまったからだ。零はただ私たちを助けているだけではない。私たちを一歩ずつ必要な答えへ導き、自分たちの口で、彼が必要としていた言葉を言わせていた。
私はしばらく零を見つめた後、思い切って沈黙を破った。
「零……私たちを助けてるの? それとも、利用してるの?」
「どうでしょうね」
「ちょっと! そこは嘘でも助けてるって言ってよ!」
私は思わず声を上げた。
けれど、零は私の抗議など少しも気にしていないように、軽く笑った。
「俺は新聞部ではありませんから」
「……」
「はぁ……」
私は完全に諦め、ため息をついた。
「分かった。それで、何を書けばいいの?」
それから零は、申立書に何を書くべきなのかを説明してくれた。私たち以外に誰がカラオケへ来ていたのか。なぜそこへ行ったのか。そして、問題の写真が撮られた時、実際には何が起きていたのか。さらに彼は、「記事のどの表現に不快感を覚えましたか」や「自分に対して使ってほしくない表現はどれですか」といった、具体的な質問もあらかじめ用意していた。
最初は、自分には絶対に無理だと思った。何もかもが堅苦しく、深刻すぎて、普通の学校生活とはまるで別世界の話に聞こえたからだ。けれど、零は私たちを急かさず、分からない部分があれば落ち着いて説明してくれた。時々、考えをどう表現すれば伝わりやすいか助言してくれたものの、私たちの代わりに文章を書くことは一度もなかった。そのおかげで、申立書は少しずつ、誰かから借りた言葉の寄せ集めではなく、私たち自身が本当に伝えたい内容になっていった。
すべてを書き終えた頃には、用紙はほとんど本物の正式書類のように見えていた。足りないものがあるとすれば、印鑑と、大人が書きそうな仰々しい署名くらいだろう。
作業を終えた私たちは、書類を零へ渡した。彼はそれらを丁寧にファイルへ収め、鞄の中へしまいながら話を続けた。
「近いうちに、この件について生徒会の審議が開かれます。すべて上手くいけば、減点された分は戻され、正式な謝罪も行われるはずです」
「そっか……じゃあ、私たちもそこに出ないといけないの?」
「はい。皆さんも、同じ被害を受けた当事者ですから」
「分かった……」
私は、まだ落ち着いた様子で鞄の中を整理している零を見つめた。なぜか今の彼は、普段よりもずっと満足しているように感じられた。いつものように表情は穏やかで、ほとんど何も読み取れない。それが逆に不思議だった。嬉しそうに見えるわけでも、勝ち誇っているわけでも、本気で笑っているわけでもない。それなのに、すべてが彼の思い描いた通りに進んでいるような気配だけが、妙にはっきりと伝わってきた。
「ねえ。今の零、なんか悪役みたい」
私の言葉を聞いても、零は少しも気にした様子を見せなかった。それどころか、すぐに落ち着いた声で言い返してくる。
「俺はただ、良識あるクラスメイトとして行動しているだけですよ」
「それが一番怖いんだけど~」
私たちは、また全員で笑った。さっきほど大きな笑い声ではなかったけれど、残っていた緊張を完全に吹き飛ばすには十分だった。その後、私たちは別れの挨拶を交わした。零は再び生徒会へ向かい、私たちは一緒に帰ることになった。
今日、私は零について、また一つ新しいことを知った。
零は、時々ものすごく怖い。
それでもやっぱり、優しい人なのだ。




