表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/19

第一日目。其の一


2026年4月。東京。


いわゆる俺の通う学校は、渋谷から車で二十分ほどの場所にあった。家からなら、さらに近い。歩いても二十五分ほどで着く距離だ。


だが、あまり歩くのは好きじゃない。だから、より楽な方法を選んだ。普通の学生なら、まずあり得ない選択だろうが。


クローゼットを開け、制服を取り出す。

意外にも見た目は悪くなかった。グレーのストライプのズボンに、胸元にエンブレムの付いた白いブレザー。シャツにタートルネック、そしてネクタイ。

もっとひどいものを想像していたが、長く眺める気にはならなかった。


俺の立場もあって、多少の着崩しは許可されている。遠慮なくそれを使う。


タートルネック、シャツ、ネクタイはクローゼットに戻す。

代わりに黒のパーカーと白いTシャツ。派手な色や奇抜なプリントでなければ、問題にはならない。


着替え終え、鏡を見る。


別に珍しい格好ではない。こういう“学生風”のスタイルは、これまでにも何度も使ってきた。MVやステージ、ライブでも。


だが――今回は違う。


「……やっぱり、これはもう“演出”じゃないな」


一瞬だけ視線を止め、小さく笑う。


「……現実か」


二階から降りながら、プロテインバーとジャムトースト、そして好きなキャンディをいくつか手に取る。朝はあまり食欲がない。


家の中はいつも通り静かだった。三階建てのモダンな住宅。黒と白を基調にした外装に、大きなガラス窓。裏庭には整えられたプールもある。

豪邸というほどではないが、一般家庭からすれば十分に非現実的だ。防犯カメラやセキュリティも完備されている。


玄関で一度鏡を見る。革靴の代わりに白いスニーカーを選んだ。そっちの方が楽だし、見た目もいい。


軽くメイクを整え、髪を手で流す。左耳のピアスが一瞬光ったが、外すつもりはない。


一つだけ、少し気になることがあった。

袖の隙間から見える指先に目をやる。


「……まあ、どうにかなるか」


ヤクザじゃあるまいし。ただのスタイルの一部だ。


ドアが静かにロックされる音を背に、ガレージへ向かう。中にはバイクと高級車が置いてある。車はまだ運転できないが、バイクなら問題ない。排気量の制限さえ守ればいい。


少なくともバスやタクシーよりはマシだ。


ヘルメットをかぶり、エンジンをかける。リモコンでゲートを開くと、バイクが低く唸った。


スタンドを上げ、前へと進む。


外では桜が咲いていた。


花びらがゆっくりと舞い、枝から離れては、アスファルトや通行人の肩、車の上に静かに落ちていく。


春の風が頬をかすめ、かすかな甘い香りを運ぶ。

太陽の光が建物のガラスに反射し、通りを柔らかく照らしていた。


俺はハンドルを少し強く握る。


こうして、俺の高校初日が始まる。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


「さっき入口にあったバイク見たか? カワサキだよな?」


「見た見た。しかも新品っぽかったな……あんなの乗ってるやつ、普通じゃないだろ」


男子たちが窓際で話しながら、時折外を覗いていた。春の光が教室に差し込み、窓の向こうでは桜の花びらがゆっくりと舞っている。


「またそんな話してるの?」


軽く笑いながら近づいてきたのは、黒瀬美羽。クラスでは密かに“太陽”と呼ばれている存在だ。


ブリーチされた髪が光を受けて柔らかく輝き、毛先の淡いピーチピンクが腰のあたりまで伸びている。春の景色に溶け込むような、明るくて温かい雰囲気を持っていた。


自然と目を引く存在だった。


そして、一度見たら忘れにくいタイプでもある。


男子の多くが一度は告白を考え、そして全員が断られている。


「く、黒瀬さん……」


男子たちは露骨に動揺した。


「でもさ、気にならない? あのバイクの持ち主」

隣に来た友人が笑いながら言う。


美羽は一瞬だけ考え、窓の外を見る。


「別に……」

少し間を置いて答える。

「それより、なんでここにいるのかの方が気になるかな」


軽く笑ってウインクする。


男子たちは一瞬言葉を失った。


「ほら、そろそろ席つかないと先生に怒られるよ〜」


「お、おう……」


ちょうどその時、教師が教室に入ってきた。四十歳前後で、少し無精ひげがあり、長い茶髪を後ろで束ねている。


「はい、静かに」

手を叩いて注目を集める。

「新堂直人だ。今年は君たちの担任を務める」


教室に軽い拍手が起こる。


ほとんどの生徒はすでに顔見知りだが、それでも新年度特有の空気があった。

新しい配置や、偶然の再会、小さな期待。


誰かと同じクラスになれた者。

新しい友人関係を作れた者。

まだきっかけを待っている者。


「さて、大事な話がある。今年はこのクラスに転校生が来る」


教室がざわついた。


「もしかして海外帰りとか?」

男子の一人が小声で言う。

「ここで運命の出会いして――」


「漫画じゃないんだから」


女子たちも盛り上がる。


「クール系イケメンとかじゃない?」

「最初は冷たいけど、だんだん優しくなるタイプ」


「美羽はどう思う?」


「さあね〜」


彼女は頬杖をつきながら答え、再び窓の外を見る。


桜の花びらがゆっくりと落ちていく。


なぜか、この日が少し特別になる気がした。


「それじゃあ、入ってくれ」


教室が静まる。


ドアが静かに開いた。


廊下の光とともに、一人の男子が姿を見せる。


ゆっくりと中へ入り、視線など気にする様子もなく歩く。


教師の横に立ち、クラスの方へ向き直る。


その瞬間、空気が止まった。


誰かが息を呑み、誰かが姿勢を正し、誰かはただ見つめることしかできない。


窓からの光が彼の髪に落ちる。


舞い散る桜の中で、その姿はどこか現実離れして見えた。


「イザナミ・レイです。16歳です。よろしくお願いします♪」


軽く頭を下げる。


そして顔を上げ、微笑む。


一瞬の静寂。


「え……?」


次の瞬間――


教室は一気にざわめきに包まれた。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


イザナミ・レイ


予想通りだった。

挨拶を終えた瞬間、教室は文字通り爆発した。女子たちの視線が一斉に集まる。大きく見開かれた目、きらめき、驚きと純粋な興奮が入り混じった表情。


もっとも、それだけじゃない。


そのざわめきの中で、別のものも感じ取った。男子たちから向けられる、重くて刺すような視線。


まあ、無理もない。

一年間ずっと想い続けてきた相手がいるとして――そこに、その子にとっての“理想”が現れたらどう思う?


面白いはずがない。


騒ぎが少し落ち着いたところで――教師と、何人かの落ち着いた生徒の助けもあって――担任が口を開いた。


「もう知っている者も多いと思うが、イザナミくんはアイドルだ。気持ちは分かるが、節度を持って行動するように」


視線がゆっくりと教室をなぞる。

不思議なことに、それだけでざわめきは収まり、視線が下がっていった。


「授業中はもちろん、休み時間や校外でも同じだ。クラスメイトとして、余計な問題を起こさないように」


――さて、ここは俺の出番だ。


多少は作っていると思われるだろう。気に入らない連中はさらに顔をしかめるかもしれない。

だが、こういう場面では多数派に乗るのが一番だ。


一歩前に出る。


「大丈夫ですよ、先生。いいクラスみたいですし、問題は起きないと思います。それに、俺もみんなと仲良くなりたいですし♪」


「きゃあ〜!」


あちこちから声が上がる。

誰かが堪えきれず、小さく声を漏らした。


「チッ……」


そして、予想通りの反応も。


担任は一瞬だけ俺を見た。何かを測るような目だった。

だが俺は、何事もないかのように穏やかな笑みを保ち続ける。


「……まあ、いいだろう」

それ以上は触れず、話を切り上げた。

「席は窓際の一番後ろだ」


本気か。


内心で小さく笑う。


まるでアニメだな。あとは前の席にうるさいやつでもいれば完璧だ。


軽く一礼し、席へ向かう。


窓からの光が机に落ち、外では桜の花びらがゆっくりと舞っている。

春の空気が、教室のざわめきと混ざり合って流れ込んでくるようだった。


席に着いても、視線は消えない。むしろ増えた気さえする。


……いつまで続くんだ?

今週いっぱいか。それとも、俺が甘いだけか。


背もたれに体を預け、窓の外へ視線を向ける。


ホームルームが始まった。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


ホームルームが終わり、最初の授業が始まると同時に、レイの席にはクラスメイトが一斉に集まってきた。


当然だろう。

これまでネットやテレビでしか見たことのない存在が、目の前にいるのだから。


質問攻めになるのも無理はない。

中にはスマホを取り出して撮ろうとする者もいたが、それについてはすでに担任から釘が刺されていた。


「写真撮影や無断投稿は禁止だ。プライバシーの侵害にあたる。後で面倒なことになりたくなければな」


やや強い言い方だったが、それくらいでなければ情報の拡散は止められない。


この事実が外に知れたらどうなるか――想像するまでもない。


レイは今後、警備付きで登校する羽目になるだろう。

それは本人としても望んでいないはずだ。


それでも彼は、変わらぬ笑みで質問に応じていた。誰一人不快にさせないように。


「チッ……これじゃ俺たち、もう女と付き合うチャンスねぇじゃん……」


教室の隅から、苛立った声が聞こえる。


「みんなあいつに夢中だろ」


当然、それを見過ごす者はいなかった。


「失礼でしょ!」

「イザナミさんに向かって何その言い方!」

「謝ってよ!」


女子たちが一斉に反応する。

中には、それに乗じて女子にアピールしようとする男子もいた。


だが当の本人たちは気にしていない様子で、なおもレイに鋭い視線を向け続けていた。


それでも――


レイ自身はまったく気にしていなかった。

いつも通りの笑みを崩さず、周囲の雑音を意に介さない。


こうして、午前の時間は過ぎていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ