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プロローグ



「Nec tecum possum vivere, nec sine te」

ラテン語で言えば、「君と一緒でも生きられないし、君なしでも生きられない」という意味だ。


ずいぶんと大げさで、それでいてどこかロマンチックな言葉だ。

こういう台詞は、悲劇的な運命を背負った登場人物が出てくる漫画や小説によく使われている。


文字通りに受け取るなら、それは大切な人に対する痛々しいほどの執着や、心が空っぽになるような感覚、そして――愛を表している。


だが、俺は思う。

この言葉は、自分自身にも当てはまるのではないか、と。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


2025年10月。東京コロシアム。


ステージ上方に設置された三つの巨大スクリーンにカウントダウンが映し出されると、満員の観客席は歓声に包まれた。誰に言われるでもなく、観客たちは自然と声を揃え、カウントを口にする。


「3!」


「2!」


「1!」


カウントがゼロに達した瞬間、会場に音楽が流れ出した。

静けさと躍動が同時に息づくその旋律は、わずか数音で観客の心を震わせる。


ほんの一瞬前までペンライトを手に席に座っていたファンたちは、一斉に立ち上がり、熱狂的にそれを振り回しながら、推しの名前を叫び始めた。


数秒後、音楽がふっと途切れる。

完全な暗闇の中、五本のスポットライトがステージへと降り注いだ。


それぞれの光の中心には、一人ずつ人影が立っている。


逆光のせいで、はっきりと見えるのは輪郭だけ。顔までは判別できない。

それでも、熱狂的なファンたちにとってはそれで十分だった。


再び、会場に歓声と叫びが波のように広がる。


音楽が再開する。先ほどの旋律を引き継ぎながらも、今度はより厚みを増し、新たな楽器が重なっていく。

調性は徐々に高まり、頂点へと達した瞬間――再び、静寂が訪れた。


ステージを映していたカメラが、中央のシルエットへとゆっくりとズームしていく。


不思議なことに、このときばかりは観客も騒がなかった。

すべてが、次の瞬間を待ち構えている。


やがて、その人物はゆっくりと右手を顔へと上げる。

動きが止まった、その刹那――スポットライトの色が切り替わった。


次の瞬間、彼の顔が明らかになる。


白に近いほどに脱色された髪。

神話めいた輝きを宿す鮮やかな青い瞳。

左目の下にある小さなほくろ。


端正な顔立ちの少年は、カメラ――そして会場全体に向けて、まばゆい笑みを浮かべた。


その一瞬で、誰もが息を呑む。


「You got me!」


手にしたマイク越しに、彼はそう告げた。


直後、音楽が爆発する。

ステージは火花を散らすパイロ演出と、眩い光のショーに包まれた。


それを合図にしたかのように、観客もまた爆発する。

抑えきれなかった感情が、歓声となって会場を揺らした。


そして――


ついにステージに、その全貌を現す。


ECLIPSE。


紛れもなく、この時代で最も名を知られたアイドルグループ。


その中心に――その心臓部に立つのは、


イザナミ・レイ。


天才。

美貌の持ち主。

“国民的ボイス”。


そして、「アイドルの中のアイドル」と呼ばれる存在。


彼なくして、このグループは存在しなかったかもしれない。


――これは、彼らのワールドツアー最後の公演の始まりだった。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


ライブ終了後


イザナミ・レイ


バックステージに入ってもなお、アンコールを求めるファンたちの歓声が耳に残っていた。

あまりの熱気に、さすがに少し頭が痛くなってくる。


とはいえ、冷静に考えれば、すでにアンコールはやった。

しかも、昔のアルバムから三曲も追加で披露したばかりだ。


「今日はいつもより元気じゃないか?」


そう声をかけてきたのは、同じグループのメンバーであり、いわばリーダー的存在でもある――長谷川匠。


俺たちの中で最年長ということもあって、その立場にいるのは自然な流れだったし、性格的にも向いている。


「今年最後のライブだからじゃないですか」


「はは、たしかにそれはありそうだな」


俺たちは事務所とマネージャーを交えて話し合い、年内は大きな活動を控えることにしていた。

一年間のツアーを終えたあと、しっかり休むためだ。


それに、この最後の公演は、グループにとっての“本拠地”とも言える場所で行われている。

そういう意味でも、特別な意味を持っていた。


結局のところ、人はそういう細かい部分に価値を見出すものだ。


――もっとも、俺自身はあまり気にしていないが。


「で、休みの間はどうするんだ?」


相変わらず柔らかい笑みを浮かべたまま、長谷川さんが尋ねてくる。


その間にも、スタッフが俺たちのイヤモニやマイク、ケーブル類を手際よく外していく。


「さあ……多分、レッスンですかね。あと、曲もいくつか作ると思います」


「出たな、働き者のレイ。相変わらずじっとしてられないんだな」


「まあ、そんな感じです」


「でもさ、ちょっと心配になるよ。休むのも仕事のうちだからな」


「……そうですね」


正直に言えば、その手の言葉はもう何度も聞かされてきた。

今さら深く受け止める気にもなれない。


別に、自分が特別な働き者だとは思っていない。

ただ、本当にやることがないだけだ。


時間が空けば、意識していなくても、自然と考えてしまう。

何かを練習した方がいいんじゃないか、とか。

どこかをもっと磨けるんじゃないか、とか。


いつからこんな思考になったのか、自分でも覚えていない。


そんな話をしているうちに、準備はすべて終わり、俺たちは一度解散となった。


このあとは私服に着替えて、今年最後のファンミーティングに向かう予定だ。

いつも通り、ファンと写真を撮ったり、ポスターにサインを書いたりすることになる。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


着替えを終えると、軽く髪を整えた。

メイクさんも手早く化粧を直してくれて、それが終わると俺は楽屋を出る。


他のメンバーたちと合流し、マネージャーと警備に囲まれながら、あらかじめ用意された会場へと向かった。


ファンミーティングはスタジアムの広いロビーで行われていた。

入場できるのはVIPチケットを持つ者だけ。とはいえ、メイン会場ほどではないにしても、それなりの人数が集まっている。


だから――


俺たちが再び姿を現した瞬間、空間はまた歓声と熱狂に満たされた。

その音の奔流が、ただでさえ鈍く痛む頭にさらに追い打ちをかける。


……チッ。やっぱり薬、飲んでおくべきだったか。


そんなことを思いながらも、俺は何事もなかったかのように、いつもの“完璧なアイドル”の仮面を被る。

軽く手を振るだけで、会場からは新たな歓声が湧き上がった。


席に着くと、マネージャーがファンミーティングの開始を告げる。

ファンたちはすぐに、それぞれの推しのもとへと列を作っていった。


五つの列。


だが――案の定、俺の列が一番長い。


アイドルとして、こういう光景にはとっくに慣れている。

それでも、胸の奥にわずかな圧迫感が生まれるのを止められない。


それに――他のメンバーに対して、少しだけ気まずさもある。

彼らの列は、少なくとも半分くらいの長さしかないのだから。


列にちらりと視線を向けた瞬間、わずかに眉が動いた気がした。

もっとも、表情は崩していないが。


「こ、こんにちは……! お会いできて、本当に嬉しいです……!」


最初に並んでいた少女が、ぎこちなく頭を下げる。


「こんにちは♪ 来てくれてありがとう」


いつも通り、柔らかく、どこか弾むような声で応じる。


視線を合わせなくても分かる。

彼女の頬が赤く染まったことくらいは。


こういう反応をする人間には、もう慣れている。


「どうだった? 今日のライブ♪」


「は、はい! 本当に最高でした、イザナミさん!」


「そうなんだ。楽しんでもらえてよかった。これからも、君にとっていい思い出になるようなステージを届けられるように頑張るよ♪」


「うっ……」


恥ずかしさに耐えきれない、といった様子で、彼女は小さく身を縮めた。


だが――


そういう反応こそが、アイドルとしての自分に向けられた好意の証だ。


こういうタイプの相手には、距離を引いてはいけない。

相手の戸惑いなど気にしていないかのように、自然に接し続けること。

それが、受け入れているというサインになる。


「サ、サイン……お願いします! アルバムとポスターに……!」


ようやく勇気を振り絞ったのか、彼女はそう言った。


俺は、ごく自然に――温かい笑みを浮かべる。


「もちろん♪」


――こうして、ファンミーティングが始まった。


どうやら、長くなりそうだ。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


永遠のような時間だった。


少なくとも、俺にはそう感じられた。


他のメンバーの列はすでにほとんど捌けており、残っていても多くて五人程度。

それに対して、俺の前にはまだ長い列が続いていた。


とはいえ、それは別に不思議なことではない。


“アイドルの中のアイドル”、国民的ボイス――そんな肩書きを背負っているのだから。


もし今の思考を誰かに聞かれたら、調子に乗っていると思われるかもしれない。

だが実際のところ、俺はかなり自己評価が低い方だ。


あの手の派手な呼び名は、ただの事実に過ぎない。


数多いるアイドルの中で、“マイクを持つに値する存在”と本当に言えるのは、俺だけだ。


普通のアイドルにとっては、それは夢であり、最高の名誉だろう。


――だが俺にとっては、ただ疲れるだけのものだった。


絶え間ないインタビュー。バラエティ番組の出演依頼。撮影。大手ブランドのアンバサダーとしての仕事。


終わる気配のないこのファンミーティングさえも、すでに限界に近い。


ライブ、レコーディング、振り付け、リハーサル……アイドルグループとしての“普通”の仕事は言うまでもない。


それでも、自分はもう慣れていると思っていた。


――だが今日は、妙に頭痛がひどい。


最初は、ツアー終盤特有の疲労だと思っていた。

しかし――


ここまで酷い感覚は、今まで一度も覚えがない。


「ありがとうございます!次のライブも楽しみにしています♪」


「はい!絶対行きます、イザナミさん!」


次のファンが、満面の笑みで頭を下げる。


俺は内心の疲労を隠しながら、いつも通り“完璧な笑顔”を浮かべ続けていた。


それが仕事だからだ。


だが――その時だった。


次に並んでいた少女が目の前に来た瞬間、視界がふいに揺れた。


世界が、傾く。


もう一度。


さらにもう一度。


まるで足元のすべてが崩れ落ちたかのように、平衡感覚が失われていく。

意識を保とうとするが、うまくいかない。


――ドン。


頭の奥で、鈍い衝撃が弾けた。

まるでハンマーで殴られたかのような痛み。


次の瞬間、視界が黒に塗りつぶされる。


状況を理解する前に、体が前へと崩れ落ちた。

テーブルへと、そのまま。


「イザナミさんっ!」


「レイ!!」


最後に聞こえたのは、ファン、マネージャー、メンバーたちの叫び声。


そして――


意識はそこで途切れた。


✧ ₊ ✦ ₊ ✧


目を開けると、白い天井が広がっていた。


何が起きたのか思い出すまでに、数秒かかった。


ああ、そうだ。

俺はファンミーティングの最中に倒れたんだった。


その記憶だけで、頭の奥に鈍い痛みが蘇る。


はぁ……。

これでまた、報道は一騒ぎだろうな。


重く息を吐きながら、これから起こる面倒ごとを考える。

だがまずは、自分がどこにいるのかを把握する必要があった。


体をわずかに起こすと、左腕に違和感があった。


視線を向けると、すぐに理由が分かる。

点滴のチューブが静かに腕へと繋がっていた。


つまり――説明するまでもない。


俺は病院にいる。


そこまで深刻だったのか?

倒れて、そのまま入院させられるほどに。


いや、考えれば不思議ではない。

リハーサル中に倒れたならまだしも、ファンの目の前だ。


もし病院に運ばれていなければ、今ごろ会社は“ファンを軽視している”と叩かれていただろう。


それに、この病室自体が普通ではない。


テレビ、デスク、ノートPC……生活に困らない設備が一通り揃っている。

明らかにVIP用の個室だった。


思考を整理していると、ドアが静かに開いた。


入ってきたのは医者と――


西園寺さん。

グループのマネージャーであり、特に俺にとっては頭痛の種でもある人物だ。


いつも通り、完璧に整った姿。

眼鏡、きっちりしたスーツ、後ろでまとめられた黒髪のポニーテール。


「イザナミくん、体調はどうだい?」


白髪の医者がそう尋ねる。


「……問題ないと思います」


「結構長く眠っていたからね。こちらも少し心配していたよ」


「どれくらい寝ていたんですか?」


「二日だ」


冷たく、事務的な声が横から飛んできた。


西園寺さんだった。


――


……は?


今、なんて言った?


「すみません、西園寺さん……二日、と聞こえたんですが」


「その通りよ。二日」


「……」


終わったな。


真っ先に頭に浮かんだのは、自分の体調でも病状でもない。


“後処理”だった。


アイドルとして、SNSやインスタでファンに謝罪するのは当然の義務だ。


だが二日。


四十八時間。


それ以上かもしれない。


それはもはや、単なる欠席では済まされない時間だった。


――下手をすれば、“裏切り”とすら受け取られかねない。


もちろん、俺のファンの中には心の底から心配してくれる者も多い。だが同時に、俺の立場を崩すきっかけを今か今かと待っている連中も少なくなかった。


「……できるだけ早くファンに謝らないと。スマホはどこだ?」


俺は急いで視線を走らせ、自分の荷物を探そうとした。だがその動きはすぐにマネージャーの声で止められる。


「落ち着いて、レイくん。会社で全部対応したわ」


「どうやって対応したんですか? レーベルのサイトに定型の謝罪文を載せただけですか?」


「いいえ。あなたのSNSで、説明と謝罪を代わりに投稿したの」


「サイオンジさん……感謝はしています……」


いや、まったく感謝なんてしていない。


ああいう、綺麗に整えられた管理された投稿が嫌いだった。どれも同じテンプレートだ。


「……ですが、それなら、俺自身がやった方がよかったのでは?」


「……」


「イザナミくん」


医者が優しく俺の肩に手を置いた。


「今は落ち着きなさい。今考えるべきはそれじゃなくて、自分の体だ。気づいていないかもしれないが、一度鏡を見た方がいい」


そう言って鏡をこちらに向けた。


そこに映っていたのは、確かに俺に似ているが、まるで干からびたような男だった。


青白い肌。

目の下の濃いクマ。

乾いた唇。


「こんな状態でファンの前に出れば、さらに事態は悪化する。そうだろう?」


俺は何も答えなかった。


もちろん、メイクで隠すことはできる。だが今すぐそれができるとは思えない。


そして、白い文字を黒背景に並べただけの文章は、結局会社の謝罪文と大差ない。


俺は小さく息を吐き、諦めて再びベッドに体を預けた。


「それでいい」

医者は軽く微笑みながら言った。


「さて、本題だ。脱水症状、それから強い負荷による疲労。ほぼ慢性的な状態だな。目の下のクマも、以前からだろう?」


「……知りません」


少し子供じみた声で返してしまう。


「ふふ、まあいい。とにかく、これ以上の無理は禁止だ。続ければもっと悪化する」


眼鏡を直しながら、淡々と続ける。


「ここで一週間ほど経過観察をして、その後は自宅療養だ」


「グループは?」


「全員同意している。メンバーも、社長もだ」

サイオンジさんが横から言った。


「あなたは休養扱い。年末の授賞式には出るけど、パフォーマンスはなしよ」


つまり、その分の時間は急遽調整されることになる。


「それと、レイくん……」


サイオンジさんが意味ありげに医者へ目配せした。医者は何も言わずに部屋を出る。


ドアが閉まり、病室は一気に静かになる。

点滴の音だけがやけに耳についた。


「“休み”って言ったのは、年末までの話じゃないわ」


「……どういう意味ですか」


その時点で、嫌な予感はしていた。


「四月から高校に通ってもらう。そして卒業までは、アイドル活動にはあまり参加しないことになるわ」


その言葉は、まるで雷のように落ちてきた。


何も感じる前に、背筋に冷たいものが走るのが分かった。


「冗談じゃないですよね、西園寺さん」


しかし彼女の表情は、相変わらず冷たく落ち着いたままだった。

小さく息を吐くと、彼女は近づいてきて、ベッドの横に腰を下ろし、俺の頭に手を置いた。


「レイ。あなたは16歳よ。少しは普通の подросткとして生きるべきだわ。学校に通って、試験を受けて、部活に入る……そういう時間は一度きりなの」


その温かい言葉とは裏腹に、俺の中には苛立ちだけが湧き上がっていた。


「ふざけてるんですか?」


俺は彼女の手を勢いよく振り払う。

「世界的アイドルにしたのはそっちですよね? それで今さら普通の高校生活をしろって言うんですか? 俺が学校の門をくぐった瞬間に記憶喪失にでもなって、周りも全部忘れて、普通に生きられるとでも思ってるんですか?」


会社には感謝している。本当に感謝している。

目標も、意味も、金も、名声も、いわゆる成功と呼ばれるものはすべて与えられた。

それは確かに価値のあるものだった。


だが、それでも――


この後に普通の学生に戻れというのは、あまりにも現実離れしている。


世の中にいる、どこか甘い夢を見るだけの馬鹿にしか信じられないだろう。

いわゆる「青春のバラ色の時間」など。


俺は黙ってマネージャー――そして後見人でもある彼女の目を見ていた。

長い時間を共に過ごしてきたせいで、言葉がなくても通じることがある。

彼女の表情は冷静だったが、その奥には疲れと、どこか母親のようなものが見えた。


「言いたいことは分かるわ」

彼女はようやく口を開いた。

「でも、これはあなたのためにもなるの。アイドルとしてもね」


「……?」


「普通に学校に通うアイドルという肩書きは、むしろプラスになるわ。韓国でもデビュー後も学校や大学に通うアイドルは珍しくない」


彼女は少し肩の力を抜き、落ち着いた声で続けた。


「むしろ例外はあなたの方よ。グループの他のメンバーはまだ学生でしょう?」


確かにそうだ。

ハセガワさんは今年卒業したが、それ以外はまだ学校に通っている。

俺だけが完全に切り離されていた。


「人気の関係で普通の学校には通わせなかったけど、今なら意味がある。高校を卒業するまで休養しながら過ごせるし、視野も広がる。それに――評価も上がるわ」


「……」


「今でも十分すぎるくらいだけどね。むしろ“可愛い学生アイドル”のイメージを追加できるわ。別に成績優秀である必要もないし、多少の融通も効く」


まったく。


国家レベルのアイドル事務所が後ろにいると、「融通」という言葉すら現実味を帯びる。

もっとも、俺の“国民的存在”という立場もある以上、学校側が拒否できるとも思えなかった。


それでも――条件が緩いなら、最悪ではないかもしれない。


「それで、どうする?」


「……俺に選択肢なんてありますか? どうせ行かせるんでしょう」


「ええ、その通りよ」


彼女は再び俺の頭に手を置き、今度は軽く撫でた。

わずかに微笑む。


「考えすぎないことね。あなたは優秀よ。だからこれも問題なくこなせる。誰よりも空気を作るのが上手いんだから」


「……はいはい」


「じゃあ決まりね。四月から高校二年生として通学してもらうわ。それまでは休養して」


「分かりました」


「それじゃ、またね」


こういう人だ。

容赦なく現実を突きつけたかと思えば、最後には頭を撫でて満足そうに去っていく。

ある意味、最も厄介なタイプだ。


彼氏でなくて本当によかった。


ドアが閉まり、病室に再び静寂が戻る。

俺はゆっくりと枕に体を沈め、天井を見上げた。白い。白すぎる。

病室の光が目に刺さるようで、片手でそれを覆う。


「高校か……」


思考はまだ散らばったままだ。

苛立ちは消えない。


だが――


俺はアイドルだ。


絶対的なアイドル。


ステージの光の下に立つべき唯一の存在だ。


だから当然、この二年間も乗り切れる。多少面倒でも。


そう思っていたはずなのに。


ふと、別の感情がよぎる。


瞬きを一つ。


そして、わずかに眉をひそめた。


「……まさか、俺は……楽しみにしてるのか?」


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