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カラオケ。其の三

視界の端で、黒瀬と何人かの女子がこっそり目元を拭っているのが見えた。


どうやら、感情の乗った歌声は、彼女たちが思っていた以上に心へ響いたらしい。


曲が終わると、モニターに点数が表示された――九十五点。


採点システムが主に見ているのは、音程とリズムの正確さだ。つまり、歌に込められた感情までは正確に測れない。それでも、技術的な面だけで見ても、ほとんど完璧に近い結果だった。


クラスメイトたちは、すぐに拍手を始めた。


「千花ちゃん、すごかった!」


「やばい! もう一曲歌って!」


黒瀬は花房のもとへ駆け寄ると、溢れる感情を隠すこともなく、今にも抱きつきそうな勢いで彼女に詰め寄った。


「千花ちゃん、最高! 私、今の歌で普通に泣いちゃったんだけど!」


「えへへ、もっと褒めていいよ!」


花房は明らかに満足していた。しかも、それを隠そうともしていない。胸を張り、まるで自分の勝利を誇示するような態度を取っていた。


「すごいね、イザナミさん。あなたのアドバイスで、ここまで変わるなんて思わなかった」


黒瀬と花房の反対側に座っていた女子が、そう俺に声をかけてきた。


「いえ、大したことはしていませんよ♪」


とはいえ、本当に俺の助言がどこまで影響したのかを断言するのは早計だ。花房が助言なしで歌った場合のデータがない。今あるのは最終結果だけで、比較対象がなければ、俺の影響がどれほど大きかったのかを正確に判断することはできない。


「ううん、本当に助かったよ、イザナミさん」花房が口を挟んだ。「私、普段はそんなに歌上手くないんだけど、今はなんか、別人になったみたいだった!」


もし彼女が謙遜しているわけではなく、普段の実力が本当に平均以下なのだとしたら、助言が決定的な役割を果たした可能性はある。そうなれば、これ以上否定し続ける意味もない。時には、素直に褒め言葉を受け取ったほうが、相手を満足させられることもある。


「お役に立てたなら何よりです」


「じゃあ、次は私にもアドバイスして!」黒瀬が勢いよく俺に詰め寄ってきた。「この曲を歌いたいんだけど、どうすればいいかな?」


彼女が選んだのは、俺の所属事務所にいる人気女性アイドルグループの曲だった。


同じ事務所にいるグループ同士は、多かれ少なかれ互いのリハーサルを見る機会がある。そのため、この曲については俺もかなりよく知っていた。加えて、そのグループ自体もうちのグループと近い関係にある。


……花凛は元気にしているだろうか。


一瞬だけ思考が逸れたが、すぐに意識を目の前へ戻す。


「この曲なら、まず意識するべきなのは……」


そんなふうにして、俺たちのカラオケ会は続いていった。


女子たちにとって、俺はいつの間にか簡易的なボーカル講師のような存在になっていた。彼女たちはそれぞれ一度は、歌い方について俺に助言を求めてきた。もっとも、黒瀬は遠慮というものをあまり知らないらしく、五曲分も相談してきた。花房も負けてはいない。彼女も追加で三回ほどアドバイスを求めてきた。


終盤になると、男子たちまで歌について質問してくるようになった。どうやら、女子の前で少しでも格好をつけたいらしい。


ただ、彼らの選曲は少し独特だった。


本気で女子にいいところを見せたいのなら、なぜ幼児向けアニメの曲を選ぶのだろうか。


もしかすると、俺が知らないだけで、そういうものを好む人もいるのかもしれない。そう思って女子たちのほうを見ると、彼女たちは気まずそうな笑みを浮かべながら、弱々しく拍手を送っていた。


ただ、黒瀬と花房だけは遠慮なく笑っていた。どうやら、今の流れを完全にネタとして受け止めているらしい。


やはり、選曲は失敗だったようだ。


そんな時間が終わり近くまで続いた頃、黒瀬がようやく手を上げた。


「じゃあ、私が最後に一曲歌って、それで解散にしよっか。もう結構遅いし!」


「いいね、美羽ちゃん! アンコール!」


確かに、時間はかなり遅くなっていた。俺自身は一人暮らしなので特に問題はないが、他の生徒たちはそうもいかないだろう。普通の高校生にとって、あまり遅く帰ることは、それだけで説明を求められる理由になる。


「というわけで、イザナミさん。最後にもう一回だけ教えて!」


「ちょっと、イザナミさんを使い倒しすぎでしょ!」花房が抗議する。


彼女がそれを言うのは、なかなか面白かった。自分の言葉を借りるなら、花房も俺を十分すぎるほど使い倒していたはずだ。とはいえ、そのやり取りを見ているのは少し楽しかった。


「知らなーい」黒瀬は頬を膨らませる。「イザナミさんは私のチートコードだもん!~」


彼女は俺のすぐ隣へ座り直した。


かなり近い。


彼女の胸が俺の腕に触れ、ふわりとしたシャンプーの匂いがすぐ鼻先まで届いた。黒瀬の様子を見る限り、彼女自身はまったく気にしていないらしい。むしろ俺の腕を抱え込み、さらに身を寄せてくる。まるで、それがごく自然な行動であるかのように。


俺のほうも、そこまで気にはならなかった。


正確には、評判という観点から見れば気にするべきなのだろう。だが、この部屋にいるのはクラスメイトだけであり、空気もすでに形式的な距離を越えている。ここで急に身体を離そうとすれば、そのほうが余計な疑問を生む可能性が高い。


俺は彼女の選んだ曲を確認するため、少し身を屈めた。


だが、そこで小さな問題が起きた。


彼女の髪が画面を隠していた。


……仕方ない。


「すみません」


俺は慎重に彼女の髪を指で避け、そのまま首の後ろへ流した。ようやく画面が見える。


黒瀬の反応を見る限り、それを不自然な行為とは受け取らなかったようだ。少なくとも、俺を失礼な人間だとは思っていない。そこは、こちらとしても避けたいところだった。


ただ、一瞬だけ、彼女の耳の先がわずかに赤くなったように見えた。


もしかすると、ただ光の当たり方がそう見えただけかもしれない。


曲を確認すると、俺はすぐにどう歌えばいいかを説明し始めた。だがその瞬間、視界の端で、廊下の隅に短い光が走るのが見えた。


俺は素早くそちらへ視線を向ける。


半透明の扉の向こうで、誰かの影が一瞬だけ揺れ、すぐに視界から消えた。


「……イザナミさん?」


黒瀬の声が、俺の意識を現実へ引き戻した。


「ああ、はい。それで、三番の終わりでは……」


俺は何も見ていなかったかのように、説明を続けた。


もし偶然なら、反応する意味はない。もし本当に誰かが俺たちを撮ったのだとしても、それに気づいたと示すほうが愚かだ。そういう場合は、相手に自分の行動が気づかれていないと思わせておくほうがいい。


相談を終えると、俺は身体を離した。


黒瀬は立ち上がると、なぜか俺と目を合わせないまま、早足で部屋の中央へ向かった。数秒後、彼女は曲を再生する。


「イザナミさんって、意外と罪作りだよね」


花房が口元を手で隠しながら、笑みを浮かべてそう言った。


「いえ、そんなことはありませんよ」


俺も笑って返した。


だが、黒瀬が赤くなった顔で俺の視線を避けているのを見る限り、彼女がまったく気にしていなかったわけではないのだろう。


まあ、自業自得だ。


返される覚悟がないなら、あそこまで無防備に振る舞うべきではない。


次からは、少しは慎重になるだろう。


とはいえ、あの光のことが頭から離れたわけではなかった。


俺の予想通り、高森先輩が求めていた“状況”は、誰も想像していなかったほど早く現れたらしい。もしあれが本当に写真を撮る行為だったのなら、その目的は分かりやすい。見せ方次第で、俺の評判か、黒瀬のクラス内での立場に傷をつけられる材料を作ること。


あるいは、その両方か。


俺は胸の内で小さく笑った。少しだけ、興味が湧いてくるのを感じる。


黒瀬が歌い終えると、彼女は来てくれたクラスメイト全員に礼を言った。その後、俺たちは会計を頼み、俺はこの状況を利用するつもりで、代金を自分が払うと申し出た。


「だめだよ、イザナミさん!」


黒瀬がすぐに反対した。


「みんなで遊んで楽しんだんだから、私たちにも払わせて」


クラスメイトたちの顔を見れば、彼らも同じ意見だということは簡単に分かった。


まあ、俺にとってそこまでこだわることでもない。


俺は引き下がり、会計は割り勘になった。料理や飲み物については、それぞれが自分の注文分を支払う形だ。


店員に礼を言って、俺たちは外へ出た。短い別れの挨拶を交わした後、クラスメイトたちは一人、また一人とそれぞれの方向へ帰っていった。


カラオケ店の前に残ったのは、ヘルメットを片手に持ち、マスクをつけた俺と、一緒に帰るつもりらしい黒瀬と花房だけだった。


「すみません。お二人を送ることができなくて」


俺は謝意を示すように、軽く頭を下げた。


「い、いや! そんなの全然いいよ!」


黒瀬が慌てたように両手を振る。


「バイクがあるんだし、私たちを送るのが大変なのは分かってるから」


「うん、大丈夫大丈夫。気にしないで!」


花房もそれに続いて言った。


二人は、俺が気にしないよう一緒になって説得してくる。


本当に心配していたわけではない。もちろん、多少申し訳なさはあったが、二人の言う通り、バイクでは誰かを送るのに向いていない。


だが、その瞬間、別の考えが浮かんだ。


「カラオケ代を払わせてもらえなかったので、せめてタクシーくらい呼ばせてください」


二人は顔を見合わせると、ほとんど同時に断り始めた。


「私たちにお金使わなくていいよ!」


「そうそう。自分たちで帰れるし、まだそこまで遅くないし!」


遠慮したくなる気持ちは分かる。特に、まだそこまで親しい関係になっていない今なら、こうした気遣いが自然に受け取られないのも当然だ。


それでも、彼女たちを二人だけで帰す気にはなれなかった。


俺は、決して善人とは言えないのかもしれない。それでも、彼女たちの意地のせいで何かが起きるのは、素直に嫌だった。


二人の反論を聞き流し、俺はスマホを取り出してタクシー配車アプリを開いた。


「住所を教えてくれますか? それとも自分で入力しますか?」


「イザナミさん、だからいいって言ったのに!」


二人はまだ抵抗しようとしていたが、ここまで来たら俺を止めるのは難しい。


「黒瀬さん。今日、あなたは俺を、正直に言えば行くつもりのなかった集まりに連れ出してくれました。でも、そのおかげで、黒瀬さんと花房さんのおかげで、少し楽しかった。せめて少しだけ、お礼をさせてください」


その言葉に、二人は明らかに気まずそうな顔をした。


まだ断りたかったのかもしれない。だが、もう適切な言葉が見つからなかったのだろう。


「……わ、分かった」


黒瀬がようやく頷いた。


「私と千花ちゃん、家が近いから、住所は一つで大丈夫」


俺は頷き、彼女が口にした通りと番地を入力して、配車を確定した。


一分も経たないうちに通知が届いた。運転手が見つかったらしい。


到着予定は二分後。


「二分ほど待てば来るみたいです」


「ありがとう、イザナミさん」


二人は軽く頭を下げた。


「もう行って大丈夫だよ。私たちで待ってるから」


俺は首を横に振った。


「車が来るまで待ちます。その後で帰るので、気にしないでください」


別に急ぐ用事があるわけでもない。家で俺を待っている人間もいない。なら、数分余計に使うことくらい、何の問題にもならなかった。


「ありがとう、イザナミさん」


黒瀬が少し気まずそうに言った。


「今日は本当に楽しかった。それと……もし私が迷惑かけてたら、ごめんね」


彼女は下を向いていた。正確には、どこかを見るというより、ただ視線を隠しているだけだった。


どうやら彼女は気まずさを感じていて、なぜか今回のことの責任を自分に向けているらしい。もっとも、もし誰かに責任があるとすれば、それはむしろ俺のほうだ。


「気にしないでください、黒瀬さん。さっきも言った通り、俺も楽しかったです。それに、SNSで見えるほど手の届かない人間でもありません。だから、今日の夜のことは、むしろ俺のほうがあなたやみんなに感謝するべきです」


俺は、できる限り自然に笑った。


実際、今日はそれほど悪い時間ではなかった。その笑顔で彼女の気持ちが少しでも軽くなるのなら、それくらいはしておくべきだろう。


「じゃ、じゃあ……」


彼女は何度か視線を横へ逃がし、タイミングを探すようにしてから、ようやく俺のほうを見た。


「名前で呼んでくれない?」


「美羽さん?」


彼女は首を横に振った。


「さん付けなし。ただの美羽で」


俺はもう一度笑った。


「分かりました、美羽。なら、君も俺のことは零と呼んでください」


その答えが嬉しかったのだろう。彼女の表情を見れば、すぐに分かった。


「いいの?」


「もちろんです」


「えへへ~」


こういう時の彼女は、少しだけ不思議になる。


「じゃあ、私のことも千花って呼んで!」自分が置いていかれたように感じたのか、花房が割って入ってきた。「私も零って呼ぶから。いい?」


「もちろんです、千花」


その後、俺たちは数秒ほど、特に意味のない言葉を交わした。ちょうどその時、タクシーが俺たちの前に停まった。


俺は二人のためにドアを開けた。花房はすぐに中へ乗り込んだが、黒瀬だけは一瞬、俺の隣に留まった。


「何かありま――」


言い終える前に、彼女が俺を抱きしめた。


「今日はありがとう」


耳元で、そう小さく囁く。


そしてすぐに身体を離した。まるで、自分の大胆さに驚いたかのように。そのまま彼女は素早く車内へ乗り込んだ。


「じゃあね、零! またね~」


その声には明らかな照れが滲んでいた。それでも彼女は、いつもの調子で別れの挨拶をしようとしていた。


俺は黙って手を振り、ドアを閉めた。


タクシーが走り出す。俺はしばらくその場に立ったまま、車の姿が見えなくなるまで見送っていた。


外では、弱い風が吹いていた。髪を揺らし、春らしい冷たさが少しずつ肌の熱を冷ましていく。


俺は空を見上げた。


太陽はほとんど地平線の向こうへ沈み、細い赤みだけを残していた。まるで、このやけに長かった一日の終わりに引かれた、最後の一本線のように。


俺にはまだ、こういう空の美しさがよく分からない。だが、いつか分かる日が来るのかもしれない。


踵を返し、俺は駐車場へ向かった。


ひとつだけは、はっきりと分かっていた。


月曜日、学院全体が揺れることになる。


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