第十九話
真夜中の襲撃から一晩経って、出会ったのは変な人間だった。
鋭い爪をお見舞いしたにも関わらず、平然としていた。
それに黒猫の勇猛な姿を見ても表情ひとつ変えなかったのだ。
それどころか、自分には興味がなさそうに近くに成っていた美味しそうな赤い果実を集め出したではないか。
黒猫は今まで周りに怖がられ、無視されることなどなかった気がしていたため、自分を物ともしない態度のその人間に少なからず興味が沸いた。
カッコよく言うなら、その人間――アリアに運命を感じたのだ。
……ちょっと脚色しすぎかも。
とりあえず黒猫の気分はそんな感じだった。
そして黒猫は人間を追いかけて行った。
傷付けられた足など大した障害ではなかった。
確かにちょっと歩きにくいが、ちょっとコツを掴めばなんとかなった。
それに先を歩く人間は重たそうなリュックを背負ってフラフラとした足取りだ。
黒猫が置いていかれる訳がないのだ。
ただ鳴いても無視されるのは悲しくなってきたけど。
人間が立ち止まった。
空や遠くを見て、何かを考えているみたいだった。
また、歩き始めた、あ、そっちは危ない。
人間が踏んだ雪が崩れる。
雪と共に滑り落ちていく。
黒猫は慌てて上から人間を見下ろして短く鳴いた。
人間は足を触っている。
どうやら怪我をしてしまったようだ。
雪が崩れることを知っていたが、何も言わなかった。
そのことが人間を見捨てたような気がしてしまう。
慎重に斜面を降りて人間の近くまで出ることに成功した。
やはり人間は弱いから怪我をしてしまったらしい。
黒猫は強いのでこの人間を守ってあげないといけない。
更に近寄って触っている場所に頭を擦ってやった。
自分の匂いが付けば、他の悪いやつは来ないはずだ。
人間が突然、手を振った。
ちょっとびっくりしたけど、問題ない。
きっと人間も黒猫の勇猛な姿が怖いのだろう。
安心させてやるのも”きょうしゃのつとめ”だ。
黒猫は人間の近くで転がってやる。
すると、人間の抵抗するそぶりは消えたのだった。
人間は黒猫に手を伸ばしてそっと触れた。
この時、黒猫は思った。
この少女を逃がしてはいけないと。
毛並みを優しく丁寧に撫でる手に触れられていると黒猫の中の何かを思い起こさせそうになるのだ。
―――――――――――――
黒猫がアリアを見上げて鳴いた。
その声は何処か文句を言っているように聞こえて、アリアは笑ってしまった。
そしてそのことに驚いていた。
あの日から数年間、アリアが笑うことはなかった。
いつも孤独を感じて、働き続けて、生きている意味さえ見えず無気力な毎日だった。
だったはずなのに、今の自分はどうだろう。
手から感じる体温、生命がアリアの何かを変えてしまったのかもしれない。
そう思うと今は喉を鳴らしている黒猫がとても愛おしく感じてしまった。
自分が欲深い気がして恥ずかしいけど、もっと一緒に居たくなってしまった。
だからこそ、冷静になったアリアは悩んだ。
このまま、倉庫に居させては必ずバレてしまうと思った。
アリアがこの場所で寝泊まりを始めてから、倉庫の物を出したりするのはアリアの仕事だった。
そうは言ってもここで、黒猫を飼うと言うのは無理がある。
アリアが黒猫にバレないように隠れるように言ったところで、そのことを黒猫が理解できる訳がない。
むしろ正直に話して許しを貰うべきではないかと考えるが勝算は目も当てられないものだろう。
特にロブが許すわけがない。
ロイドが黒猫を気に入ったら別だが、近寄らせる方法は思いつかない。
打開策が、思い浮かばない。
このままでは、いずれ見つかる。
そうなれば、この小さい温もりは簡単に奪われてしまうだろう。
それは分かっているのに、どうすればいいのか分からなかった。
「みゃ」
アリアの膝の上に乗り上げた黒猫が小さく鳴く。
その声に視線を落とすと、目が合った。
(……この子は、何も分かってない)
危険も、立場も、何も。
ただ、ここに居るだけだ。
だからこそ、自分が何とかしないとと思った。
アリアは、ふと考える。
(……この子が、わたしの言葉を理解できたら)
隠れていてと、静かにしていて、と。
それはあり得ない考えだと思った。
けれど、完全に否定することも出来なかった。
アリアは、自分の手元にある黒い毛並みを見つめた。
知らないうちに自分の喉が小さく震え、手は汗ばんでいた。
「……なまえ……」
それは、ほとんど音にならない言葉だった。
膝上の黒猫はアリアを見上げている。
名前を呼べば、もしかしたら。
呼びかけることが出来れば。
この子と、繋がれるかもしれない。
アリアはそれを何処かで聞いたような気がして、妙に確信めいた予感があった。
(……名前)
その物を捉える言葉。
それがあれば。
でも何と呼べばいいのか、分からない。
黒くて、小さくて、温かくて。
それだけでは名前は出てこなかった。
だが頭の奥に、引っかかる何かがあった。
それは思い出したわけではなかった。
それでも、言葉が浮かぶ。
「……グリモア」
少女には似つかない掠れた声でその名前を告げた時、空気がわずかに震えた。
その音に黒猫の耳がぴくりと動いた。
そしてわずかに首を傾げる。
意味は分かっていないはずだった。
それなのに自分を指している音だと理解しているようだった。
名付けたアリアもその響きに、解れた糸が繋がった気がした。
「グリモア」
アリアがもう一度、名前を呼ぶと膝上のグリモアは短く鳴いた。
確かにアリアの声に応えたのだった。
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