第十六話
ふらつきながら、雪道を懸命に歩く少女。
踏みしめるたびに足が沈み、体が揺れる。
背負ったリュックは重く、小さな体を後ろに引いていた。
その少し後ろを、黒猫が静かに歩いていた。
傷ついた足を庇うように、それでも歩みを止めることはない。
一定の距離を保ったまま、ただついていく。
木々の隙間を縫うように進んでいく少女と黒猫。
「みゃぁ」
黒猫は立ち止まると小さく鳴いた。
けれど少女は、振り返らない。
声は雪に吸い込まれていった。
雪を踏む音が遠ざかっていくと黒猫はまた歩み始めた。
―――――――――――――
いくらか進んだ時に。
アリアが不意に立ち止まって周囲を見渡した。
そしてわずかに首を傾げる。
行き道に雪に付けた足跡を辿ろうにも、消えてしまったのか見つけられない。
後ろに続く足跡は自宅までの道のりではなくリリィの実の群生地だ。
(どっちだろう…)
コンパスなども持っておらず、方位学の知識も持っていないアリア。
行き道も自宅からまっすぐ進んできたと思っていたが、気が付かないうちに違う方向へ進んでいたのだろう。
アリアは立ち止まったまま考えるが、全く打開策が思い浮かばない。
(…早く帰らないとダメなのに)
遅くなったとしても誰も助けには来ないだろう。
むしろ迷惑を掛けやがってと殴られるかも知れない。
冷静に見えるアリア、外見とは裏腹に内心は焦っていた。
アリアは空を見上げて沈んでいく太陽を見る。
黒猫も釣られて空を見上げていた。
(あ、そうだ…こっちに沈むならもしかして)
倉庫の窓からいつも太陽が沈むのが見えていた。
ならば沈む方と反対側に進めば辿り着けるのではないかと考える。
アリアは完全に太陽が沈んでしまう前に再出発した。
黒猫が後に続く。
空を見て、太陽の方を確認しながら進むと小高い場所に出た。
遠くの空に煙突の煙らしきものが見える。
見覚えのある方向だった。
(……あっち)
確かめるように、アリアは一歩前に出た。
雪に覆われた地面は、境界が曖昧だった。
更にもう数歩前に出た時、足元の雪が、沈む。
「――っ」
一瞬の浮遊感。
次の瞬間、視界が崩れた。
雪と一緒に斜面を滑り落ちていく。
衝撃とともに体が止まった。
「……っ」
足に鈍い痛みが走る。
どうやら滑り落ちた時に足首を捻ってしまったようだった。
アリアは何とか座ると足首をさする。
「みゃっ」
何処か心配するような鳴き声が聞こえた。
アリアが上を見上げると、黒猫が覗き込んでいた。
黒猫は滑落に巻き込まれてはいなかったようだ。
自分のせいで黒猫を傷付けなくて済んだことに少し安堵する。
黒猫は観察するようにしばらくアリアを見たあと、慎重に斜面を降りてくる。
そして少女の傍まで近づくと、黒猫はアリアが挫いた足首に鼻を寄せた。
(…なに?)
何度か鼻をひくつかせた後、黒猫は足首にそっと頭を擦り付けた。
猫の体温にアリアの体がわずかに強張る。
突然のことにアリアは理解できなかった。
痛みや恐怖でもなく、ただ触れられていることに戸惑ってしまう。
不思議と頭が触れる足首に痛みを感じない。
(……なんで)
アリアの口が、僅かに開かれる。
「……っ」
しかし声は発せられなかった。
今までのことがアリアの呪いとなっていた。
行き先を失ったまま、すぐに口を閉ざしたアリアはゆっくり足首を離そうとする。
離した分だけ、また近寄る黒猫。
(やめて…)
アリアはまた誰かを傷つけてしまうことを恐れていた。だからこそ距離を取りたかった。
意を決して睨むように黒猫を見て、手を軽く振った。
あっちに行け、というように。
何度か手を振っても一向に離れる気配はない。
黒猫はアリアを見ていた。
「みゃ」
小さく鳴いて雪の上に転がってみせる黒猫にアリアは固まった。
無防備な黒猫はまるで心配はないと言っているように見えた。
アリアはわずかに体を震わせると膝を抱えて俯いた。
足首に残った温もりは今も寄り添っているように思えた。
それが何なのか、わからなかった。
正確に言うのであれば知っているけど遠い昔に忘れてしまった、そんな感覚だった。
「みゃぁ」
黒猫が今度はアリアの腰に体を寄せる。
体温以上に温かい何かがアリアを包むようだった。
アリアは震える指先をゆっくりと黒猫に伸ばしていく。
黒猫は指先を見つめているが逃げない。
やがて黒猫の柔らかい毛に触れる指先。
(……あったかい)
自分以外の温もり。
それだけがただ嬉しく思った。
「…ぁ……」
アリアの唇が、かすかに動いて音にならない声が零れた。
けれど、アリアは何かを伝えようとしていた。




