怪しい来訪者、俺
(脚力、体幹、付与)
念じた刹那、琥珀色の光が俺の体を覆って霧散。
よく整備された県道を歩くかのように、普段どおりの歩幅と速度を保ったまま、俺は1歩めで滑り落ちても不思議ではない急斜面を、暗闇と同化する黒のモンク靴で下っていく。
谷底に近づくにつれ、薄く見えていた霧が濃くなっていった。
共に黒無地で袖なしの上衣と、脛から下をカットした下衣から伸びる手足にまとわりつく霧を左右の手で拭いつつ、県を囲む鉄の防壁に埋め込まれた鉄門の前に立ち、俺は声を張り上げる。
「すみません-! こんな時間……夜に失礼ですが、中に入れてもらえますか?」
俺は茫洋と待つが、しっとりとした濃霧が俺の肌を湿らすばかりで、一向に中からの反応がない。
呼びかけを繰り返してみたが、結果に変わりはなかった。
口の端を歪め、ちょっとした嫌がらせの意味も込めた対応策を実行する。
(発声、付与)
ほんの一瞬、琥珀色の光が体で瞬いた。
俺は左右に割れた胸筋を鉄門に向けて張り、喉仏を震わせて一気に声を吐き出す。
「国府の遣いなんです! 申しわけありませんが、中に入れてくれませんかあぁぁ」
大きな筒に口を当てたかのような、大音量かつ、独特に間延びした掠れ声が鉄門をわずかに震わせると、ほどなく数人の男たちが鉄門のへりから顔を覗かせた。
泡を食った様子の男たちが握る携帯灯火の光が俺へ向けられ、ほうぼうに跳ねた、癖のある紺藍色の髪を照らしている。
「こ、このような季節にそのような薄着で……少年、追い剥ぎにでも遭われたのか?」
俺に応える中年男性の口調は丁寧だが、反してその顔はひどく訝しげだ。
失礼な態度だな、俺は反射的に飛び出しそうになった抗議をどうにか堪え、発声を解除してから冷静に応える。
「反応ありがとうございます。僕は強念士なんですよ。今も、耐冷を……あー、そのあたりはいいですね。あと、ついでに言うと、僕は蛍石士でもあります。蛍石士についてはわかりますか?」
蛍石士という言葉をきっかけにか、鉄門の向こうで大勢の人がざわめく気配が涌いた。
知っているかと問うた俺自身も、その名前を知ったのはほんの1ヶ月前のこと。
俺はつり上がった細い片眉を上げ、出会って数秒後に激しい嫌悪感を抱くようになった国府長の言葉を思い出していた。
「蛍石を携えた者は無条件で県に招き入れるように、手懐けた獣に手紙を運ばせて通達しておきました。把握できている県には、ですが。……まあ、渡した地図にあるほ県には話が通ると思いますね。あと、蛍石を持つ者は蛍石士と呼ぶことにしてありますので」
俺の首にかかった鎖の先には、蛍石と呼ばれる鮮やかな群青色の正八面体が吊られている。
鎖は蛍石に埋め込まれているが、蛍石の異常な硬度や耐久性を知る俺にとって、鎖との結合方法は謎でしかない。
顔を見せていた男たちが3人に減り、比例して鉄門の向こうのざわめきが広がっていく。俺は蛍石士とやらの効力はいかほどのものか、と薄い唇を真一文字に結び、両腰に手を当て、鉄門の錆を数え始めた。
待つこと数分、俺の背丈の5倍近い高さのある鉄門が、軋みと重低音を響かせながら内側に向けてゆっくりと開き始める。
細い目をさらに細め、引き離された左右の門の間に見える暖色の光の中へ足を踏み入れると同時、俺は琥珀色の光を視野の端に捉え、右を向いてぴたりと足を止める。
「やはり気づきましたか。こんなところから失礼いたします」
短く刈り揃えられた茶色の髪、痩せこけた顔に金縁眼鏡をかけた細木のような男と、その後ろに10人ほどの男たちが顔を見せた。
「申しわけありません。一応念のため、その長い棍と腰に差した……それは剣? ラージナイフ? 中途半端な長さですね。見せて頂けますか?」
申しわけなさげな声で詫びを入れる、金縁眼鏡の男。一見して腰が低く、無防備なように見えるが、俺は男が数秒前に視界の隅で発した、付与の証である琥珀色の閃光を見逃していなかった。
「争う気はないですよ。そんな理由もないですしね。武器を預けてほしいなら、どうぞどうぞ」
俺は背中のベルト鞘から深い青色のアダマンタイト製の棍を、次に肉厚で幅の広い、ダマスカス鉱製で短めの刃を持つ剣を腰のベルト鞘から外す。
金縁眼鏡の男の前に置き、薄い笑みを浮かべて、1歩退がった。
「ありがとうございます。どちらも、初めて見る種類なのですが……?」
説明を促されていると理解していたが、武装解除のうえに相手のペースで会話を続ける気はなかった。
「さっきから要請とか質問ばかりですね。お兄さん、初対面の印象が最悪だね、とか言われたことないですか?」
唐突な口撃に驚いたのか、金縁眼鏡の男は頬を引きつらせ、右に立つ僧の格好をした巨漢の目をすくい上げるように見て、顎をくいっと上げる。
「いえいえ私めはそのような印象を持ったことはございませ……ん。ケロコンさま」
「うん。やっぱり、そんなことあるようですねー?」
応えに窮して動揺したのか、不自然に言葉を噛んだ巨漢を恨めしげな目で一瞥、金縁眼鏡の男は俺にも同じ目を向ける。
「……んんっ、失敬。私はこのソロリを統治する管理隊の副長です。名前はケロコン。素直で誰からも好かれやすい性格です。端正な容姿で、女性に苦労はしていません。眼鏡も素晴らしく似合うでしょう?︎︎あなたをお待たせしたのは、私が熟睡していて起きなかったからです」
口上に辟易しつつも、俺は訪問理由と、挨拶のため、統治者である県令への面会を要請。
ケロコンは首を横に振った。
︎︎県令は、広大な塩原に降雨時のみ見ることができる、天空の鏡と呼ばれる現象で有名な隣県に出向いていて、明日の夕方を目処に戻るとのことだった。
「それでですが……あなたはどうされます? 県令が帰ってくるまで待ちますか? もしそうだとしても、滞在は明後日の朝早くまでで済みますね?」
「明後日の朝、早くですか? まあ、そうですね。明日の夕方くらいに、県庁舎に行けばいいんですよね?」
まず、ケロコンは首を縦に振った。続いてもういちど申しわけなさそうな顔で首を横に振り、この県には宿屋がないことを告げる。
「へ? こんな立派な街なのに、宿がない?」
驚いて眉根を潜めた俺は、迎賓館やそれに相当する公的施設はありますよね、と訊ねるが、それもないという。
回答をどこか不自然だと訝しむ俺へ、ケロコンが問いかけてきた。
「失礼ですが、あなたは南門から現れましたね。私の見立てでは、何かを付与して崖を下りてきたのではないかと。違いますでしょうか?」
襲った人間と同化し、力を増す獣たちがうろつく外を旅してきた以上、強念士の否定に意味はない。
強念士なら真冬でも外で寝れるでしょう、ケロコンが暗にそう言っていることも理解していた。
「……僕はもう行っていいですか? 武器は預けますが、県を出るときは必ず返してください。それ、国府の所有物なので。返さないと大変なことになりそうなんです」
言うと同時、石畳の路地を街へ進み始めた俺の右腕を、岩のような手が掴んだ。2メートル近い背丈はあろうか、巨漢が火を灯したかのごとき目で俺を睨みつけている。
「宿はない。君は目立つ。今は大事な時期なんだ。外で待てばいいだろう」
「……さっき頑張って嘘をついてた人ですね。どうしましたか。僕が県に滞在すると不都合でもあります?」
嘲りを込めて口の端を歪めた俺は、わずかに開いた瞼の隙間に覗く紺藍色の瞳に挑発の光を湛え、巨漢の薄赤い瞳を鋭く睨み返す。
琥珀の閃光を発した巨漢が重石のような拳を振るう。その1秒前に同じ色の光を瞬かせた俺は、拳を右の人差し指だけで止めてみせ、今度は明確にあざ笑ってやった。
「ちょっ、ちょっと! やめてくださいよ!」
慌てて巨漢を止めに入るケロコンと怒りで収まりがつかない巨漢をよそに、俺はその場を離れ、ソロリ県にそろりと入県。




