怪物
――手を伸ばせば触れられそうな距離に、”太陽”があった。
辺りにはローブを纏った見知らぬ人々が”太陽”を取り囲み武器を構えている。
人々の視線の先に目を凝らすと見えてきた、”太陽”の真下に一人の男が立っていることに。
熱い
今にも灰になってしまいそうだ
その時、太陽の熱が僅かに冷めた気がした。
そこには、太陽の熱からフェイを守るように正面に立つ二つの影が見えた――
「ここは...ッ!」
瞼を抜ける光と右足に走る鈍い痛みと共にフェイは目覚めた。
まず目に飛び込んだのは青々と生い茂った植物だった、人の手が入ったことが無いような伸びきった植物、ゆっくりと体を起こしてもなお背の高い植物が周囲を覆っていた。
回らない頭を回転させて、今の状況を整理する。
「ええと...」
昨夜はセドの家へパーティーに出かけて、みんなで森に入った、それで...
――セドリックにみんな殺された
フェイは鮮明に思い出せた、セドリックが人々を虐殺する姿を、ゲイテンが死んだ瞬間を。
右足の痛みが、それらが夢でも嘘でもなく、どうしようもない現実であることを突きつけてきた。
フェイは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
まだ安心はできない、夜は明けたらしいが”奴なにか”が近くにいるかもしれないからだ。
恐る恐る立ち上がり、確認のため植物から顔を出す。
瞬間、フェイは一切の身動きを止めた。
フェイの肺は呼吸を忘れ、脳は考えることを放棄し、ただその景色に浸ってしまった。
それほどまでに麗しく、現実のものとは思えない光景だったのだ。
どこまでも続く緑の大草原、風が吹くたびにゆらゆらと波の様に揺れている。
蛇の様に流れる川は光を反射し虹の様に輝いていた。
そして極めつけに空には浮遊する大地が堂々と存在し、そこから滝の様に水が流れ落ちていた。
その美しい景色の中に自分も存在していることを、頬を撫でるそよ風が教えてくれるようだった。
数秒か数分後か、ふとフェイは我に返り辺りに危険が無いことを確認するとほっと胸を撫でおろした。
「ひとまず安心か」
右足の痛みを再び思い出したかのようにしゃがみこみ、血と泥にまみれたスニーカーを脱ぎ足の具合を確認する。
そこにはまるで弾丸が中から撃ち抜かれたような不可解な傷が残されていた。
疑問は増すばかりだった、しかし「今はそれよりも」と痛みを堪えながら自分のパーカーの袖を引きちぎり止血をした。
そして再び状況を整理する。
最後にある記憶はドームに触れ、そのまま体ごと吸い込まれるようにドームに入った、そして目が覚めるとここにいた
ここはドームの中...だよな?
フェイを目覚めさせた照り付ける太陽、蒼い空に浮かぶ大地にはよく見ると建物が立っている。
この地を覆っているはずのドームの黒も見当たらない、状況を整理しようとしてもこの世界がそれを邪魔しようとあらゆる情報を押し付けてくる。
「ああ分からん!」
その時、人のうめき声のようなものがフェイの耳に届いた。
「...うぅ...」
それは後ろの森から微かに聞こえる程度のものだったが、フェイに警戒と希望を与えるには十分だった。
その森はどことなく、あのドームの森に似ている気がした。
太陽の光さえ飲み込んでしまうような薄暗い巨大な雑木林の正面に立ち、深呼吸を数度繰り返すとフェイは森に足を踏み入れた。
自分の他にもドームに侵入した人間がいるのかもしれないという思いから、木の根が蔓延る足場の悪さを意に介さずに進行していくのだった。
「うぅ...」
森を進むにつれて次第に女の子が泣いている様な、慈しみたくなる音が鮮明に聞こえてくる。
フェイは確信を得ると、ますます力強く草木を掻き分け声のする方へ急いだ。
「うぅぅ゛」
その声が茂み一つ分の距離に迫った時、はやる気持ちの中に違和感を覚える。
そしてもう一度その音に耳を傾けた。
「うぅ゛ぅ゛」
女の子の様に高い鳴き声の中に、痰が絡んでいる様な不愉快な音が混じっていた。
この茂みの向こうに居るのは本当にただの女の子なのだろうか、フェイの脳裏には昨晩の出来事が頭を過っていた。
それまで力強く掻き分けていた手が一瞬動きを止める。
しかし、行く当ても生き抜く術も残っていないフェイはその茂みを掻き分け確認する他ない。
誰がいるのか少し見て安全そうなら声をかけよう、その甘い考えは通用しなかった。
ゆっくりと慎重に茂みを掻き分け、奥を覗いたその時――目が合った。
「うわっ!!」
予想外の視線に思わず声を上げて尻もちをつく。
それと同時に茂みの奥からも不気味な音色が森に響き渡った。
『あああああああああ』
その音色は本能的に嫌悪感を抱くような不愉快なもので、呑気に驚いている暇もなく茂みから紫の太く長い腕が伸びてきた。
「人...の腕...」
しかしそれは明らかに人間の腕ではない。
その腕は力任せに茂みごと周りの木々をなぎ倒し、露わになった太陽が腕の主を照り付けた。
まず目に入ったのは、紫の巨大な人間の頭だった。
だが、その先にあるはずの胴体がない。
いや──あった
大きな殻、その先に人間の上半身、さらに視線を上げた瞬間、フェイは息を止めた。
巨大な顔面から生える触角の先に、更に人間の顔が生えていたのだ。
まるで触覚が首にも見えてくる。
目が合ったのはあの触覚だったのかと思うと、全身に寒気を感じた。
息がかかる距離、恋人なら次の瞬間にキスしていたような近さにあれがあったのだ。
セドリックとはまた異質の恐怖。
自身よりも大きな生物と対峙するなど初めてのフェイは、怪我の所為か畏怖の所為か、また動けずにいた。
頭では逃げなければと何度も繰り返されていたが、身体はまるで聞こえないふりをするかのように微動だに出来なかった。
「くそ!...クソ!!」
フェイはありったけの憎しみを込め自身の足を何度も殴りつけた。
けれども痛みすら帰ってくることはなく、代わりに一滴の赤い雫が流れ落ちてきた。
「...鼻血?」
フェイは俯き、止まらない鼻血を両手で受け止めた。
その時、ジワリと怪物が距離を詰めてくる。
「...うううぅ」
フェイをここに連れてきたあの声だ。
女の子が泣いている様なか弱い声は怪物の眼球から発せられていた。
そして品定めをするかのように触覚をフェイに近づけ眼球の顔がにんまりとほほ笑むと、今度はまるで味見でもするかのように、フェイの両手からあふれ漏れる血に粘液を纏った舌先を伸ばし触れる――瞬間、起死回生の一振りが怪物の目を赤く染めた。
フェイは両手にためた自身の血を怪物の二つの眼球かおに命中させ勢いよく走り出した。
動いた
やった、やってやった!
逃げられる!!
「生きるんだよ俺はぁぁ!!」
「あ゛ぁぁぁああ゛ぁ!!」
背後からは怪物の絶叫が聞こえる。
「沁みんだろ!俺の血は!」
昨夜から何度目か、フェイは振り返らずにひたすらに全身を動かした。
痛みすら今は感じない。
出口の光はもう見えてる
その後はどうする?
この森で一旦隠れるか
いや、隠れたって一緒だ!
今はとにかく走れ!
フェイは入り組んだ森を器用に進みながら次の手を考え、鼻から流れでる血を振りまきながら必死に走る。
しかし思いのほか、絶叫が背後から遠のいていった。
振り切れたのかとつい振り返ってしまったその時、脱出の光は上から降ってきた二匹の怪物の陰に隠れてしまった。
それは砂埃を巻き上げながら、フェイの前に立ちはだかった。
「は?」
口をついて出た言葉は怒りと驚愕が込められていた。
先ほど浴びせた血の跡は見られない、一矢報いたはずの怪物が他にもまだ二匹、いやもしかしたらもっといると考えると怒らずにはいられない。
更にこの状況に追い打ちをかけるように、フェイは口内に鉄の味を感じると同時に体内から溢れるそれを抑えられず勢いよく地面にまき散らした。
見るとそれはフェイの血液だった。
今まで流したことのない量の血液。
脳裏にゲイテンの死に際が過った。
「これが最期か...」
口から流れでる血を腕で拭うと、今度は周囲の音が籠るような違和感がフェイを襲う。
耳に手を当てると、湿っていた。
その次は視界が、その次は下半身が、その次は...
瞬きをする間にフェイは衰弱した。
気が付けば地面にうつ伏せになり、まともに思考することすらできなくなっていた。
「ゲイト...」
精一杯頑張ったよな?
最期まで生きようとしたんだ...
同じ死に方なんて、お前も笑っちまうかな
フェイは無意識に涙を流していた。
その間怪物が待っているわけもなく、力なく横たわるそれを無造作につかみ上げ熊でも丸呑みにしてしまいそうな程、口を大きく開けた。
「ごめん...ゲイト...」
そして、怪物の口が閉じる。
――刹那
怪物の顔面が両断された。




