生きる
まるで暖かいシャワーを浴びたようだった。
フェイの頬を、生暖かい液体が流れる。
半身が赤く染まっていた。
「あ゛あぁぁぁ!!」
横の男が悲痛な叫び声を上げ、この温もりの正体に気が付いた。
同時にその場の全員の視線が声の鳴る方へ集まる。
誰かが懐中電灯で照らすと目に飛び込んできたのは血だまりの中、両脚が消えた男が地面に這いつくばり悶絶する姿だった。
「きゃぁぁぁ!!」
それを発見した参加者達はその場を離れようと一斉に走り出した。
自分たちが来た方角すら分からないまま。
しかしフェイは未だ悶絶する男の横から動かずにいた。
いや、動けなかった。
度重なる理解不能な状況、人の死。
フェイの呼吸は早くなり、自身の心拍の音を強く感じる。
泥にまみれた唇は震え、全身に力が入ってしまい逃げるための一歩を踏み出せなかった。
心が恐怖に飲まれてしまうその時、後頭部に強い衝撃を受けた。
「しっかりしろフェイ!!」
それは足を負傷し、フェイの背に負ぶわれたゲイテンの渾身の頭突きだった。
ゲイテンから痛みと言葉を受けたフェイの足は、一歩踏み出していた。
親友を助ける。
その一心だけが、震える足を前へ押した。
「セドも行くぞ!!」
顔をセドリックに向けたその時、またあの甲高い音が耳を刺してきた。
セドリックは両の手を前に突き出し、”あの笑顔”のまま答えた。
「行こうか、アッチへ」
甲高い機械音が耳を塞ぎたくなるほどに膨れ上がると同時に逃げ惑っていた参加者数名の足が一寸の狂い無く弾け飛んだ。
『わぁぁぁ゛!!』
周囲は血肉が飛び散る生々しい音と鼻を刺激する鉄の匂いが覆った。
この森の闇さえも関係なく、吹き飛ばされた足を傷む絶叫がフェイの耳に絶え間なく届けられ、これが現実であることを知らせてくる。
踏み出したはずの足も動きを止め、まだ一歩も進めていないことに気が付いた。
「フェイ、ゲイテン、君たちも足を失いたくはないだろ?」
セドリックは今夜、皆を森に誘ったあの不気味なほど自然な満面の笑みを浮かべながら問いかけてきた。
緊張が空気を強張らせ、森の騒めきがセドリックを演出するかのように音を立てる。
みるみるうちに全身は冷や汗をかき、産毛が逆立った。
何が起きたかは分からないが嫌でも理解できた、足を破壊していた犯人が目の前の幼馴染であることに。
同時に直感が告げていた、「今動いたら殺られる」と。
そんな中、二人に向けられたその顔はセドリックに抱いてきた”違和感”の兆しに変わった。
「......お前...は、誰だ」
口を衝いて出たその言葉は、あまりに突拍子も現実味も無い問いかけだった。
声も顔もセドリックそのもの、しかし行動や言動が記憶の中のセドリックと異なっていた、まるで”中身が別人”かの様に。
そんな違和感が、フェイの唇を震わせた。
それでもフェイの心の片隅にはまだ、「そんなわけないよ」とほほ笑むセドリックの影が残っていた。
全部何かの間違いであってほしい
勘違いでも冗談でもいい
頼むから――
そんな幻想も虚しく、セドリックは無常に答えた。
「...フェイはオモシロイナぁ!」
支離滅裂な返答に二人は確信した。
目の前にいるのは、セドリック・ブライアンに似た”なにか”だと。
するとセドリックの、いや、”なにか”の顔が勢いよく歪み、大きく目を見開くと先ほどまでとは真逆の表情を作り出した。
『...ッ!!』
穏やかではない怒りに似た狂気の様な表情が、フェイとゲイテンの背筋に走る不快感に耐え切れず二人は息が漏れた。
二人の動揺に反応することもなく”なにか”は再び機械音を鳴らすと両手を二人に向けて突き出した。
死ぬ、確実に
二人の脳裏に先ほどの光景が蘇る。
機械音が段々と音を上げ、それに比例して二人の呼吸も早くなっていった。
目前に迫った死に怯えながらフェイは問いかけずにはいられなかった。
「...セドは!本物のセドリックはどこだ!!」
「......モウスグアエルサ」
「......」
フェイは恐怖の中、その言葉の意味するところを必死に探した。
人間がまるでキャンディを砕くように簡単に壊されたこの”なにか”の得体の知れない力を持つ生物が放った「もうすぐ会える」の意味、考えれば考える程一つの結論にしかたどり着かない。
もうすぐ会える?
もう――死んでる?
あれが、最期
まだ何も謝れてない
まだ――
何も。
「...クソが...」
運命を静かに受け止めたフェイは俯きながらぽつりと呟いた。
思えば何も成せない人生だった、ただ気まぐれに生きて、母さんにも何もしてあげられなかった
いつも口先だけで動けやしなかった
数少ない友達の青春を奪った兄にやり返すこともできず、セドには結局謝れなかったな
挙句に殺されてることにも気が付かない、間抜けすぎる
ゲイトにだって――
16年の短い人生の後悔を思い浮かべながら、フェイは目を閉じ、その時を待った。
機械音が最高潮に達したその刹那、一発の銃声がフェイの耳に届いた。
「サイコ野郎がぁ!死ねぇぇ!!」
弾丸を放ったのは、既に足を失っていたスティーブの取り巻きだった。
弾は”なにか”のこめかみに命中し首が僅かに傾むいたと同時にフェイとゲイテンの足元の地面が弾け、激しい土煙が辺りを覆った。
「フェイ...!走れ...!!」
ゲイテンの一声と共に、消えかけた生の灯に油が注がれるが如く、ゲイテンを抱えフェイの足は全速力で駆けだしていた。
決して振り返らず、ただ暗闇に身を委ねてひたすらに走った。
心が諦めたはずの生は、ゲイテンの言葉に繋ぎとめられ、体は前に進んでいた。
幼馴染のセドリックはもういない、だったらせめてゲイテンだけでも......
今フェイの心にあるのはただそれだけだった。
しかし無情にも、背後から再びあの甲高い機械音が耳を刺してくる。
それに反応したかのように何発もの銃声も聞こえてきた。
フェイは振り返らずに足を動かし続ける。
そして機械音が消えた直後、フェイは右足甲に鈍い痛みを覚えた。
痛みの方に目を向けたその時、ちょうど右足の甲辺りがスニーカー越しに内部から弾けたのだった。
バランスが崩れゲイテンがフェイに覆いかぶさる形で倒れこんだ。
「がぁぁあ!!痛ってぇぇ゛!!!」
ゲイテンの下敷きになったフェイは右足に広がった重く響く激痛に、目に涙を浮かべ奥歯を食いしばりながら地面に爪を立て痛みに抗っていた。
「......フェイ」
その時、耳元から力の無い声がフェイの名前を呼びかけた。
「ッ...!ゲイト無事か――」
視線を向ける前に、背中から伝わる生暖かい感触と、囁かれた耳側から何かが滴るのが横目に入り込んできた。
嫌な予感しかしない。
「ゲイト!!」
すぐさまゲイテンを押しのけ確認する間もなく木に座らせる。
その光景にフェイは一瞬、痛みも恐怖も感じなくなった気がした。
両脚の膝から下を完全に失い、ただ重力に全身を預けぶらりと両手を下ろした、全身の流血、糞便を垂れ流しピクリともしないゲイテンが、そこにいたのだ。
その指先は僅かに”灰”に変わっていた。
フェイの負傷は見た目ほど重症ではなかった、思いがけず背負われたゲイテンが盾になっていたのだ。
ゲイテンの症状は、この森を進み亡くなった参加者と同じ症状だった。
あのゲイテンが――
バカが付くほどの大真面目で
誰よりも強くて真っすぐな大男
フェイの心の中には、もう何も残ってはいなかった。
「...おい...ゲイト...ゲイテン!...ゲイテン・ブラウン!!」
返事はない。
「...ごめん...俺のせいで...!こんな...」
フェイは動かなくなったゲイテンの手を握りながら懺悔を繰り返した。
今夜だけじゃない、共に過ごした16年の日々を。
いつも雑に扱ってしまったこと、一緒にバスケットボールを続けなかったこと、思い当たる出来事は幾つも浮かんできた。
ゲイトもセドも、俺と関わったことで不幸になった、死んでしまった
だったら俺だけ生きてていい訳ないだろ
「...フェ...イ...」
覚悟を決め、そっとゲイテンの手を地面に置いたその時、今にも消えそうなか細い声でゲイテンが呼応した。
「っ...!!ゲイト!!生き――」
「——生きろ!」
ゲイテンはただ一言だけ発した。
まるでその瞬間だけ生き返ったかのように。
「...おい!...おいゲイト!!」
それからいくら揺すっても、叫んでも、ゲイテンが目を開くことは無かった。
「......ざけんなよ...!」
いつもそうだった、いつもゲイテンには”勇気”をもらっていた。
今だって――
今は悲しんでいる暇などない。
真っすぐなゲイテンの言葉が、死を受け入れたフェイの心に新たな誓いを無理やりに立てていった。
そのブレない信念がフェイを突き動かす。
この足じゃ逃げ切れない
フェンスの場所も分からない
みんなについて行けば、またまとめて狙われる
どうする
ふと周囲を見渡すと異質な暗闇があることに気が付いた。
森の闇よりも更に暗い、暗黒の表面が十数メートル先にあった。
ドームだ。
それに気が付くと同時にあの機械音が闇を切り裂きながらフェイの耳に突き刺さる。
耳に入ってくる音が、命のカウントダウンを知らせてくる。
もう考える余裕など、フェイには残されていなかった。
なら――少しでも可能性のある方へ
フェイは真っすぐに走り出した、地面を踏みしめる度に右足に走る激痛に顔をゆがめながら走った。
機械音が最高に達すると同時に、フェイの体は暗黒へと消えていった。




