ドームの森
先ほどまで騒がしかった周囲の傍観者は、目の前の光景に息を飲んだ。
フェイの拳をまともに受けたスティーブの身体が吹き飛び、本棚へ激突した。
次の瞬間、棚に並んでいた書籍やガラス瓶が雪崩のように崩れ落ち、二人の姿を飲み込む。
しばらくの間、誰一人動けずにいると、一人の男が静寂を切り開く。
「フェイ!!」
その声の主は埋もれた友を案じ、本棚を持ち上げるゲイテンだった。
それを合図にしたかのように遅れてスティーブのチームメイト達も駆け寄り、本を掻き分けた。
すると埋もれた本の中から勢いよく太い腕が生えてきた。
「ってぇなああ!!」
怒りの咆哮と同時に激しく本を散らしながらスティーブが先に起き上がる。
「誰だ!!このスティーブ様に喧嘩売ったのは!!」
本で切ったのか、額に少し赤が滲むスティーブが喧嘩の売り手を探し辺りを見回すがゲイテンの耳には入っていなかった。
その時ようやく重物の下敷きになったフェイを発見し、安堵する。
頭を強く打ち視界が散漫なフェイにゲイテンは肩を貸し支えた。
スティーブもフェイの姿を見てようやく状況が飲み込める。
そしてスティーブは鼻を鳴らすと、フェイとゲイテンに詰め寄った。
「......どうすんだお前ら、俺に喧嘩売って無事で済むと思ってんのか?」
「......やり――」
「やりすぎですよ!!」
フェイの言葉を遮り勢いよくゲイテンが立ち上がり言い放った。
スティーブよりも身長が高い6.3フィート(約190cm)のゲイテンが眉を顰め見下ろす姿は、周囲にもその圧が伝わるほどで、スティーブの取り巻き達を一歩引かせるのだった。
しかし当のスティーブ本人は、その性格からこれまで幾度も経験した怒りのやり取りのおかげか、一歩も引かず、寧ろ体をゲイテンに近づけ下から睨み返す。
「......」
「......」
互いに目は逸らさなかった。
ほんの僅かなきっかけさえあれば殴り合いの喧嘩が始まってしまいそうな緊張した空気が再び静寂をもたらした。
その静寂を誰も予想もしなかった言葉が穴をあける。
「車あげます!」
その場にいた全員が視線を声の主に向けた。
そこには今夜見た中で、いや今まで見てきた笑顔の中で一番の、まるで魂から笑っているかのようなセドリックがいた。
さらにセドリックは続ける。
「一台はスティーブ君にあげるとして、あと二台、ガレージに残ってるんですよ」
先ほどの緊張はそのまま。
セドリックの次の言葉に全員の注目が集まった。
「度胸試しとしましょう!ドームに最も近づいた二名に、残りの車をプレゼントしまーす!!」
瞬間、誰かがグラスを掲げる。
「ふぉぉオオ!!」
『うぉぉおお!!』
その歓声をきっかけに、周囲でも雄叫びを上げる者、仲間と意気込みを語り合う者、セドリックを囃し立てる者が次々に現れ、先ほどまでの緊張感は消え去り、場は熱を帯びていった。
スティーブもセドリックに歩み寄り、今度は軽くセドリックを脇に挟むと割れたワインボトルを掲げ、浮かれた様子で宣言した。
「残り二台も俺がいただくに決まってんだろぉ!!」
「何言ってんだー!」
「お前はもう一台貰っただろー!」
スティーブの機嫌が良くなると周囲は胸をなでおろし、ヤジを飛ばすものまで現れていた。
しかしその程度では今のスティーブを怒らせるに至ることはなく、寧ろそのヤジがスティーブには心地良かった。
一方、フェイはもう一度ゲイテンの肩を借り息を整えながら呟いた。
「どうしちゃったんだよ、セドは......」
車をプレゼント?
自分のでもないのに?
さっきまで大怪我させられそうだったのに?
何考えてるんだ?
「......分からない」
ゲイテンもこの状況が飲み込めずに、困惑していた。
――二人の知っているセドリックは、こんなことはしないからだ
律儀にルールを守り門限には何があっても帰るような、人一倍臆病で、人一倍泣き虫な少年だった、悪戯にドームに近づこうなんて絶対にしない。
周囲は誰も違和感に気づいていない。
しかしあの瞬間、ただフェイとゲイテンだけはセドリックのあの笑顔が恐ろしく不気味なものに思えた。
皆を焚きつけてからは早く、セドリックは部屋に行くと懐中電灯を十数本、まるで準備していたかのように参加者に配り数分で準備を終えた。
しかし周囲が盛り上がっている中、一部不穏な話し声も聞こえてくる。
”生きて帰れない”や”怪物がいるらしい”、”大量の放射線が”など、ドームに対する畏怖の声だった。
その畏怖はあまりにも当然だ。
ドームはフェイ達が生まれる前から存在していたが、未だにその実態が掴めていない未知の物体なのだ。
二十年前、政府はドーム周辺に調査隊を送り込んだ。
生還者は、一人もいない。
残されたのは“灰になって死んだ”という噂だけだった。
この話が嘘か真か真偽は分からないが、人々は次第にドームを恐れるようになり、根も葉もない噂だけが独り歩きしていた。
セドリックの家はドームから最も近い地域の最も端、家のすぐ向かいにドームがある森への侵入を禁ずるフェンスがある立地だった。
つまり、今回の度胸試しには最適だった。
「じゃあ出発しようか!」
セドリックは先頭に立ち、人一人が通れるサイズのフェンスの抜け穴を潜り抜けた。
フェンスの上には返しが付いた有刺鉄線が備えられており、その風貌はドームに接近することを拒絶するかのようだった。
先ほどまで息巻いていた参加者達も思わず息を飲む。
「ほら来なよ!」
フェンスの向こうからセドリックが懐中電灯でこちらを照らしながら話しかけてきた。
逆光で表情は見えないが、笑顔なのは間違いない声色をしていた。
ここに入ったらもう引き返せない。
そんな思いが参加者達の足を躊躇わせていた。
「んじゃ先行くわ」
一人のバカ、あるいは勇者が名乗りを上げた。
スティーブだ。
スティーブは顔色一つ変えず、まるで学校の廊下を歩く当たり前の事の様にセドリックの居る内側に入った。
こういう所なのだろうか、スティーブ・キーリーが恐れられながらも敬われる由縁は。
フェイはフェンス越しの兄を見つめながらそう思った。
スティーブを皮切りに、地面に張り付いていた人々の足が剥がれだし次々にフェンスに吸い寄せられていった。
「......どうする、フェイ...」
ぼーっと増え続けるフェンス越しの参加者達を見つめるフェイにゲイテンが呼びかける。
「......行くに決まってんだろ」
フェイは一点を見つめながら答えた。
参加者達が全員入った後にフェイとゲイテンもフェンスに向かう。
ゲイテンが先に入り、フェイが入るのを手伝った。
その間に他の参加者達は我先にと森の中に進んで行くのだった。
ゲイテンがフェイの手を引き、二人がフェンスの内側に入る頃には、遠くに懐中電灯の明かりと薄っすらと人影が見える程に離れていた。
「......行くか」
フェイが真剣な面持ちでそう言うと、無言のままゲイテンがしゃがみ込み後ろに手を伸ばしてきた。
変わらない、呆れる程真摯な思いやりに思わず鼻から息が漏れた。
「あんがとな」
フェイはそれ以上は何も言わずゲイテンに身を委ねドームへと歩き出した。




