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召喚労働者はじめました  作者: 広科雲


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46/59

45 崩壊は裏切りから

 ギザギ十九紀14年12月9日、ショウとバルサミコスがアリアドのもとへ立ったのち、遺跡に残されたアカリたちは一時の興奮に冷めた。

「……で、あたしらはどうすればいいのよ?」

 アカリが仲間の意見を求めた。バルサミコスの誘いに乗ってここまで来たが、当の本人さえこの場にはいない。ショウもいつ戻るかわからない。今日中に帰ってくればいいが、アカリはそこまで都合よくはいかないだろうと思っている。

「とりあえずお腹空いたね」

 シーナがボヤいた。起きてから何も食べていない。

「まずメシにしようぜー。オレも腹減ったよ」

 マルが賛同する。

 その様子にブルーたちもリラックスした。今、この場にいる者には何もできない。待つしかないのだ。

「そうだな、メシにしよう。ピィ、まだ熊肉残ってるか?」

「ギリギリ」

「そうか。あとで狩りにいくか」

「狩りまくる」

 ピィは目を光らせ、食糧庫へ向かった。「手伝います」とアカリが後を追う。

「そういえばゴタゴタしすぎて挨拶もまだだったよね? シーナです。ジョンさんて、コボルドだったんだね」

 シーナはジョンにお辞儀をした。

「初めまして、お嬢さん。ジョンです」

 ジョンが紳士らしく一礼する。

「よろしくお願いします。ショウを助けてくれてありがとうございます」

「いえ、本当の恩人はそちらの銀狼ですよ。彼がショウくんを発見し、ここまで連れて来たのです。わたしたちは、そのあとにここへやって来て介抱しただけです」

「そうなんだ。ショウ、何も言わないから……」

 シーナは銀色の巨狼を見上げた。優しい目が彼女に向けられている。

「わたしたちが口止めしたのです。この場所は知られてよいものではなかったので。彼も話したかったことでしょうが、こうなると申し訳ないことをしました。ご容赦願いたい」

「ぜんぜん! 生きててくれただけで充分だよ。本当にありがとうございました!」

 シーナは深く頭を下げた。

「で、あの侍っぽいのは?」

 ブルーがゲンシローを見て訊いた。

「あ、ゲンちゃんね。この前、ボダイの町で無銭飲食したところをショウが助けたの。ゲンちゃん、こっち!」

 シーナが手招きすると、ため息をつきながら少年侍がやってくる。

「ゲンはかまわんが、ゲンちゃんはよせ」

「いいじゃん、別に。『大工のゲンさん』よりいいでしょ」

「なんだそれは!」

 シーナの冗談はブルーにだけウケた。

「おまえ、なかなか強そうだな。レベルは?」

 ブルーはゲンの物腰を観て、興味深い顔になった。

「そんなものはない。オレはこの世界の住人だ」

 ウンザリしたようにゲンシローが撥ね付ける。

「ウソだろ。どう見ても――」

「ゲンちゃんは召喚された人の息子だよ。だから日本人じゃない」

 「マジか!?」ブルーは彼を上から下まで舐めまわすように見た。

「……そういうハーフがいるのはオレも聞いているが、この年齢としは記憶にねーぞ。今までどこに隠れてた?」

「人聞きの悪い奴だな、こいつ。オレはこの国の出身ではない。サダーラ国生まれだ」

「サダーラ?」

 ブルーはわからず、ジョンを見た。コボルドも人間の国には疎いので首を振った。

「西の国だ。知らんのならいい」

「すまん、知らん。だが、そこまで行く異世界人がホウサクさん以外にもいたのか……」

 ナンタンの外区で食堂を営むタウエ・ホウサクは、過去に大陸中を歩き回り、米を手に入れて帰ってきた人物である。

「ホウサク……? タウエ殿か?」

「知ってるのか?」

「もちろんだ。父上とともに数年間、米の開発をしていた。タウエ殿が稲に近い植物を集め交配し、父上が田の整備をしたのだ。むろん、オレも手伝ったぞ」

「おいおい、なんだその熱い物語は!」

「ということは、ここでお米のご飯が食べられるのはゲンちゃんのおかげもあるんだ」

 「ありがたや」シーナが感謝して拝んだ。

「タウエ殿の知り合いであったか。ご壮健でいらっしゃるか? いずれお会いしたいものだ」

 懐かしい名を聴き、ゲンシローは嬉しかった。当時の賑やかな日々を思い出す。

「ああ、元気だ。今はその米を使った食堂をやってるよ」

「それは何より。もうひとかた、ハザマ・キョウジ殿はどうしている?」

「ハザマ……? 誰だ、それ? その人は知らないぞ」

「ヌ……。そうか。タウエ殿とともに各地を歩いていたのだが、その後、別れたのか」

「ホウサクさん、一人じゃなかったのか。聞いたことなかったぜ」

「もう10年以上前の話だ、さもあらん」

 しんみりした場に、ピィの「ご飯の支度!」という怒声が聞こえた。アカリと二人で食材を抱えて戻ってみれば、火すら起こしていないではないか。マルに至っては、動くのもダルいのか大の字で倒れている有様だ。

 一同は慌てて準備に入る。マルも飛び起きて皿を並べはじめた。

 メニューは材料の乏しさゆえに、紅玉熊の燻製と各自のカバンにあった非常食、何だかよくわからない葉っぱを使ったお茶だけだ。

「わびしい……」

 シーナがつぶやくのを、アカリが「ぜいたく言わない」とたしなめる。

「さて、実際、今後どうするかだな。……ジョンは遺跡ここに残るよな?」

 人間代表でブルーが提起する。

「無論です」

 ジョンはバルサミコスを持つのが当然と思っているが、ブルーらの今後については口出しするつもりはなかった。

 青年の目がアカリたちに向かう。

「オレとピィも離れるつもりはねぇ。せめてミコが戻るまではな」

「あたしたちもショウとルカが戻るまではいたいところだけど、一つ気になるのよね」

 アカリが唇に指を当てた。

 シーナが「なに?」とうながすと、アカリは彼女を見た。

「ここに戻るのかってこと。アリアドが東京へ送ったとしたなら戻るのってナンタンじゃない? それとも召喚の出口って、どこでもいいのかしらね」

「あ、そうだね」

 シーナが感心する。まるで考えていなかった。

「けどよ、ミコ先輩が連れてったんだから、どこにいようがここに帰ってくんだろ」

「そうよね。そしたらやっぱりここで待つしかないか……」

 マルの意見をアカリも正しいと思う。彼女が問題を投げたのは、単なる参考のためである。

「だいたいにしてここがあの山ってことは、外は大雪なわけよね? あたしたちだけで下山できるとは思えない」

 外の確認はしていないが、ナンタンで聴いた話ではかなりの積雪があるはずだった。ロクな装備もなしに冬山を渡るのは自殺行為である。

「まぁ、ナンタンまで案内してやるのはかまわねーけどな。食料の調達もあるし。逆に待つなら待つで、きっちり仕事はしてもらうぞ。どうする?」

 ブルーの最終確認に、アカリが「残ります」と答えた。

「それじゃ、食いブチは稼いでもらわないとな。あとで狩りにいくぞ」

「いいっすねー。そういうのやりたかったんすよ」

 マルが目を輝かせてブルーに詰め寄る。

「おまえ、少しは強くなったのか? なんなら稽古つけてやるぞ」

「マジっすか! おねげーしやす!」

 願ったり叶ったりである。ブルーとの手合わせは数ヶ月ぶりだ。あのときは手も足も出なかったが、今なら一矢報いるくらいには成長していると自負していた。

「オレとも一手、手合わせ願いたい」

 ゲンシローがブルーに挑戦的な目を向けた。

 ブルーはニヤリとする。

「いいぜ。実はオレも期待していた」

 たがいに威圧的な笑みを浮かべ、熊肉を噛みちぎる。

「そしたらわたしはピィさんに魔法を習おうかな。ルカの修行は途中で終わっちゃったし」

 シーナが隣の小さな魔術師を見た。彼女は我関われかんせずといった風体で食事を続けている。

「あ、じゃ、あたしも」

 アカリも便乗する。が、ピィはやはり黙々と食べ続けていた。

「そいつ、食ってるときは人の話をほとんど聴いてないぞ。終わってから訊いてみろ」

 ブルーが二人に忠告した。アカリとシーナは「はい」と応え、自分の食事を再開した。

「やれやれ、賑やかになったものですな」

 ジョンはお茶をすすった。バルサミコスに付き従って三年ほど経つが、食事がこんなにも楽しくなるのは初めてである。それまでは人目を避けるように行動していたのだから当然であった。彼自身、バルサミコス以外の人間に心を開こうとは思わなかったのもある。それがいつの間にかこの光景を受け入れている自分がいる。バルサミコスが求めたものが彼にもわかる気がした。

 突然、けたたましい音楽が聞こえた。ジョンの持つ通信水晶球のコール音だった。

「ビックリしたぁ!」

 シーナが驚いて食器を落としかけた。周囲も同じらしく、心臓を押さえている。

 持ち主のジョンすらも耳と尻尾が佇立するほどだ。彼はこのコール音を変えたいのだが、唯一方法を知るバルサミコスが面白がって要望を聞き入れなかった。

 通信を開いた相手は、その彼女である。

『連絡遅れて悪いねー。さっきショウちゃんを東京へ送ったから、みんなに伝えといて』

 ジョンから伝えられるまでもなく、水晶球の周りに一同が集まっていた。

「ミコ様は行かれなかったのですね」

『まぁね。で、とりあえずこっちで二人が戻るまで待機するから、そっちは好きにやってて。日に一度は連絡いれるから』

「わかりました。お早いお帰りをお待ちしております」

『それはショウちゃんしだいだね。あ、そうそう、暇なら町に戻ってもいいけど、他言無用だからね。んじゃ』

 通信は一方的に切れた。

「軽いな。ともかく、待つしかないというのがわかっただけマシか」

「慌てる用件もないし、ショウとルカが戻るまでは修行に励むのもアリよね」

 ため息をつくブルーにアカリが応えた。

 しかし、彼らの知らないところで事態は推移しており、呑気に構えている時間はほとんど与えられなかった。世界は慌ただしく動いている。


 ジョンとの通信を切ったバルサミコスは、アリアドの私邸に招かれて朝食を共にしていた。

 昨夜からの流れを振り返ると、まずは異世界人管理局からの連絡がはじまりだろう。

 ショウの懇願を受けて、管理局員のパーザ・ルーチンがアリアドにルカ捜索の協力を要請した。そのときそばにいたバルサミコスが、アリアドに代わってショウの依頼を検討すると答えた。

 アリアドはその依頼について無関心であった。【強制誓約ギアス】のせいである。それに気付いたバルサミコスは、旧知の仲である異世界人管理局・局長レナに頼んでアリアドを呪縛から解放した。レナは事情を簡単に説明されたのち、ナンタンの異世界人管理局へととんぼ返りしている。局長であるレナにも、公私ともに片付けなければならない仕事が多くある。

 この時点で夜も深くなっていたが、改めてアリアドはバルサミコスとルカについての対応を相談した。結果として、まずはバルサミコスに一任し、手に負えないと判断したときには連絡をするように取り決めた。そして手に負えなかったようで、結局はショウを呼び寄せて、アリアド自らが東京へと送ることとなった。

 アリアドは連日の疲れに加えて、とうとう徹夜となってしまい、あくびがとまらない。給仕を務めるテテラが何度も「大丈夫ですか」と気遣っている。

「そんなんで仕事できんの?」

 バルサミコスがからかうと、「さすがに徹夜はツライ……」と魔女はテーブルに突っ伏した。

「でも、仕事はやんないとね。なんか最近、わたしに対する監視の眼が厳しい気がするのよ。『緋翼ひよく』について進言してからね。それに乗じて何かしでかすと思い込んでるみたい」

「国王が気にしてるのは、『緋翼』じゃないってことかね」

「いちおうどっちもかしら。『緋翼』に関しては早いうちに対策を打たなきゃ意味ないのにね」

「予測ではどれくらいで来そうなの?」

 バルサミコスは珍しく重い声で訊いた。彼女はその対策のために呼ばれたのである。場合によっては最前線で戦う役を担う。

「二週間てところかな」

 アリアドは濃いめのお茶をすすった。

「準備、間に合うの?」

「さぁ? 人間、できることとできないことがあるからね。間に合わなきゃおしまい」

「アリアってわたしより達観――というより楽観だよね」

「あなたに言われるようじゃ、わたしも終わりね」

 アリアドは肩をすくめ、それから二人は笑った。

 「でも――」アリアドが友人に笑みを投げた。

「あなた、なんか変わったわね。今までみたいに無理に余裕を見せていた雰囲気が消えてるわ。ショウ(あの子)を迎えにいったときに何かあった?」

「べ、別にィ……」

 バルサミコスは赤くなり、そっぽを向いた。『勇者』バルサミコスともあろうものが、人の情にほだされて心が軽くなったなどと口が裂けても言えない。

 アリアドは口もとの笑みを強め、嬉しそうに語った。

「……あの子はね、絶対に勇者にはなれない。でも、誰かにとっての英雄にはなれると思ってるの。狭い世界の、小さな集団のなかで、ささやかだけど人を救う。でもそれが連鎖すれば世界だって変えていける。わたしはそれに少しだけ期待しているのよ」

 バルサミコスは驚いた。アリアドが十天騎士でもない異世界人に『期待している』などというのは初めてであった。少なくとも、バルサミコスは聴いたことがない。彼女にとって異世界人は仕事上の存在であり、十天騎士の体(ナイト・ボディ)の使用を撤回した時から、何も期待はしていなかったはずだった。野山から馬を見つけて馬車馬にするような作業を淡々とこなしていただけだった。

「まぁ、そんな小さな英雄よりも、ミコたちのほうがよっぽど頼りになるんだけどね」

 アリアドは信頼する友人に笑顔を向ける。

「……っ」

 バルサミコスは瞬間的に怒りがわいた。わざとらしい言葉が耳につく。彼女の言葉の裏を知っているからだ。アリアドは、バルサミコスのような頼りになる存在(・・・・・・・)造った(・・・)のだ。そして、使い捨てにしようとしている。それを隠そうともしない彼女が許せなかった。

「……そうね、どうせあと一年程度だし、最後に使い道ができてよかったよね」

 バルサミコスは吐き捨てるように言った。

「ミコ?」

「ここ数年は活躍の場もなかったし、大きな花火をあげて散っていけってことかな」

「なに言ってるの? 『緋翼』ごときに負ける気はないわよ?」

 アリアドは焦った。彼女が何を言っているのか、何を怒っているのか、まったくわからない。

「勝とうが負けようが、わたしたちはそこまでじゃない。だからわたしは、最後に仲間みんなに会っておきたくてこの世界に残ったの」

「ちょ、ちょっと待って。いや、マジで。何いってるのか全然わかんないんだけど」

 バルサミコスはカッとなった。この期に及んで茶化すような口ぶりが許せなかった。

「あんた言ったでしょ! わたしらの疑似体からだは10年で崩壊するって!」

「言ったわよ? それが?」

 詰め寄るバルサミコスに、アリアドはあっけらかんと応えた。

「それがって……!」

「だからその前に交換しなきゃね。普通の体になっちゃうけど」

「…………コウカン???」

「ええ、交換。……あれ、言ってない? ウソぉ、言ったよ、わたし」

「言ってない! レナもそんなの聴いてないよ! だからわたしたちは――!」

「あー、だからなの? 召喚門ゲートの研究に走り回って、元の世界に帰りたがってたの」

「なんでそれを!?」

「え、バレバレよ? あなたがいくら位置情報を掴ませまいとしても、わたしだけはごまかせないし。だから『来ないとそこに隕石落とす』って言ったじゃない」

「……なんなの、それ?」

 バルサミコスは全身の力が抜け、椅子にどっかりと腰を落とした。

「初めの10人にはちゃんと体の説明をしたはずよ。『疑似体は10年くらいで崩壊する。ただし、十天騎士の体に替えはないからね』って」

「そんでさらにこう言ったよ? 『としをとった異世界人は邪魔だから、10年後には消滅してもらう』って」

「そんな言い方したかしら? 陛下をはじめ、貴族たちの中には異世界人を嫌う人が多いのは知ってるでしょ? 経験を積み、この世界に適合していけば何をしでかすかわかったものじゃない。現に召喚第一号の雨宮武志郎あまみやたけじろうは一戦の後に国外へ出ていってしまった。脅威だけを印象づけてね。そこにさらにわたしが、異世界人を簡単に超人に変えることができる疑似体の使用を進言した。もちろんそのときは単純に良かれと思ってよ。貴族たちの不安なんて考えもしなかったわ。陛下が疑似体に制限や監視・拘束機能をつけろと言うまでね。どのみちその疑似体は10年しかもたないし、10年も働いてもらえれば充分だった。だから、それで消滅したように見せかければ、書類上ではその人は死んでるから目を付けられないだろうって――」

「そこまで聴いてない! それに替えがないならやっぱ死ぬじゃん!」

「だから十天騎士の体がないってだけで、普通の疑似体はあるよって意味よ。そもそも、ならなんで10人そろって契約したのよ? それで納得したからおっけーしたんでしょ? 今さら話が違うってのはおかしくない?」

 アリアドの追及に、今度はバルサミコスが口ごもる。

「いきなり異世界に連れてこられて思考がまともに働くわけないじゃん。それにさ、みんなそれぞれに日本で追い込まれてて、選択の余地がなかったってのもあるし。だったら10年でも充実して生きたいってのあるじゃん。だけど圧倒的な力とか持って充実なんかしたら、やっぱり死にたくないって言うか……」

「まぁ、気持ちはわからなくもないけど。ともかくわたしは悪くないわ」

 アリアドは子供のように拗ねた態度で鼻を鳴らした。

「騎士様たちも身勝手ですが、あなたも充分に悪いでしょ。言葉が足らなすぎ」

 それまでアリアドの背後でティー・ポッドを持って立っていたテテラが、耐えかねてツッコんだ。我が友人、我が主人ながら、ポンコツさに赤面する。

 「マジで!?」アリアドが背後に勢いよく振り返った。情けない友人を持った恥ずかしさに顔を隠すテテラがいた。テテラが言うのならそのとおりなのだろう。アリアドは半生を共にしてきた彼女を手放しで信頼していた。

 アリアドは前面のバルサミコス、後背のテテラを忙しく見比べ、うなだれた。

「……えーと、ごめんなさい。みなさまには言葉が足らずたいへんご迷惑をおかけしました……」

 「まったくだ!」バルサミコスは怒鳴り、床を蹴り、アリアドに飛びかかって、抱きしめた。

「ホントにもう、今までの苦労はなんだったのよ!」

「ごめんなさいね、まさかそんな誤解をしてるなんて思いもしなかったわ。十天騎士(その体)はもうないから普通の疑似体になってしまうけど、それで死んだりはしないから」

「うん、安心した。てか、なんとなくわかってはいたんだけどね。異世界人わたしたちのことがどうでもよければ疑似体なんて使う必要ないんだから。この世界の免疫がなくて病気で死のうが関係ないはず。でも、それを防ぐためにもアリアは疑似体を造ったんだよね。矛盾してるとは思ったんだけど、やっぱりアリアだねぇ」

 調子のいいことをバルサミコスは言う。

「勇者として育ったところで簡単に死なれたら困るからよ。別に、あなたたちを想ってじゃないわ」

「そういうことにしといてあげる」

 バルサミコスは真っ赤になるアリアドの背を叩いて離れた。

 ふと、アリアドは一つ気付いた。

「ねぇ、もしかしてミコたちのわたしに対する反感て――」

「そうだよ。どうせがんばっても10年で死ぬんだからって。さらにあの一件で一斉に不満も噴出してさ、その元凶のアリアのためになんか働いてやるもんかって」

「えー……。どうりで何度連絡しても無視されるわけだ……」

 アリアドはガックリとした。

「ですが、ミコ様はアリアド様に協力的ですね。レナ様も」

 テテラが落ち込む主人のカップに新しいお茶を注いだ。

「まぁ、それこそ望んだのは自分だし、助けてもらったし、楽しませてももらったしね。本当はみんなも感謝はしてるんだよ。でも、死が間近になれば、やっぱ難しいよね。わたしだってこのまま消えるのはガマンできなかった」

「ありがとうございます。うちのバカっ子を見捨てないでくださいまして」

 テテラは家族の一人として、妹分がよい友人に恵まれていて嬉しかった。

「いいよー。こうなったら今後、ン十年と付き合うことになるんだから」

 バルサミコスはそう言ってニッコリと笑った。

「それじゃ悪いけど、ミコからみんなに連絡してくれないかしら?」

「いいけど、あいつだけはヤだかんね」

「あいつ……? ああ、9号素体(アキラくん)? 別れたカレシだもんね」

「ぐっ……。名前だすなっ」

 バルサミコスは顔をしかめてそっぽを向いた。

「ごめんごめん。彼はレナに頼むわ。あ、それと5号はやめておいてくれる?」

「5号ってフリーマンだっけ?」

「ええ。どうもね、彼は今、国王派にいるみたいなのよ。いずれは頼むにしても、ギリギリまで待たないと」

「わかった。でも、フリーマンを抜いても何人かはわたしも絶縁されてるしなぁ。話を聞いてくれるかなぁ」

「そういうときは10号素体(カイン)に頼んでみたら? 彼女の呼びかけなら渋々でも従うでしょ。それでダメならもうあきらめね。この国が亡びるのを見るだけよ。ついでに、新たな体も手に入らないから全員もろともね」

「さすがにそれはみんなもイヤかもね。とりあえず、連絡とってみるよ」

 アリアドは「よろしく」と言って席を立った。そろそろ登庁の時間である。


 ほぼ同じころ、ボダイ異世界人管理所では、レックスたち異世界人管理局アリアン・専属召喚労働者セルベント・第4小隊の面々が、事務員のエスポワから早朝の事柄を聴いていた。

「話はわかったけど、挨拶もなしに行っちまったのは寂しいなぁ」

 そうボヤいたのはタカシだった。連日の疲れにぐっすりと眠っている合間に、ショウたちはいなくなっていた。いくら仲間ルカのためとはいえ、顔も合わせずに行ってしまうのは残念である。

「しかし、東京とはな。行けるものなのか?」

 レックスには信じられない。一方で、ショウがアリアドに連絡を取りたかった理由もわかる。元の世界に戻るためには普通では無理だ。それこそ、召喚した魔女以外には叶わないであろう。

「けど、迎えに来たミコって人もレベル50オーバーなんすよね? そういう人たちならできるんじゃないかな」

「元はオレたちと同じ日本人だろ。どうかな」

 ジューザの意見に、タカシは「う~ん」と唸った。

「まぁ、ここでオレたちが考えてもどうにもならん。彼らの無事を祈るしかない。それと、もう一つ」

「なんすか?」

「この件は他言無用だ。もし東京へ帰れるとなれば、オレたちには大問題だ。迂闊に話せば召喚された全員が混乱するだろう。くれぐれも口を滑らせないようにな」

 タカシたちはレックスの注意を受けるまで深く考えてはいなかったが、言われてハッとした。タカシとジューザはたがいにうなずき合い、ケイジも了解した。エスポワはレックスたちには話すべきではなかったかもと反省しつつ、善良な人たちで良かったと安堵した。

「それじゃ、うちはうちの任務を果たすとしよう。10時に庁舎の守備隊本部に集合。例の爆破犯の捜索を手伝うことになっている。目撃情報のあった黒髪の魔女を追う。通常パトロールと兼務だが、一層、周囲警戒を怠らないように。次に――」

 レックスの業務内容報告が終わると、彼らは仕事前に朝食をとりに出た。

 ケイジにも声をかけたが、彼はあとから行きますと返事をして管理所の階段を上がっていった。いつものことなのでレックスたちも気にせずに先を行く。エスポワも事務室に一旦さがり、書類の整理を始めた。

 ケイジは階下に顔を覗かせる。誰もいないのを確認すると、部屋に戻り自分の荷物から小さな水晶球を出した。

 呪文を唱えると淡く光り、中に人の像を映し出した。

「動きがありました。異世界召喚庁長官も絡んでいるようです」

 淡々と告げるその相手は、薄くわらっていた。


 12月9日16時の鐘が王都に響き渡る。かつて召喚された召喚労働者サモン・ワーカーの一人が作った時計は、今もこの地に正確な時刻を告げている。

 アリアドは本日の業務を終了し、自宅へと急いだ。事務仕事の合間に召喚業務もこなしていたが、今日はついにショウからのコンタクトはなかった。彼女自身も当日中の解決を期待していなかったので残業もせずに切り上げた。それよりも急ぎ確認しなければならない事案がある。

 屋敷に戻る早々、バルサミコスを呼んだ。昼間は目立つので彼女には留守番を頼んでいる。深夜になって異世界召喚庁の長官室に忍び込み、『緋翼』対策を練るのである。

「あー、おかえりー」

 バルサミコスはテテラが作ったクッキーをかじりながら玄関に顔を出す。王都でも砂糖は貴重品なので果肉を混ぜて焼き、甘味を出している。これはこれでおいしいのだが、ときどき日本のお菓子が恋しくなる。

「首尾は?」

 コートを脱ぎながらアリアドは問いかけた。

「フリーマン以外は捕まったよ。明日の夜にはここに集まる」

「そう、よかったわ」

 アリアドは安堵した。ともかくも同じテーブルに着く段取りができただけ進展だ。

「やっぱ頼るべきはカイン様だねぇ。鶴の一声って、あーゆーのを言うんだろうね」

「人徳でしょ。常に先陣を切って戦うし、統率力もあるし、弱者に優しく自分に厳しい、けして嘘をつかない高潔さ。王国騎士長だって務まる器だわ」

「それだけに話を通すのに手こずったけどね。『アリアドのためには戦わん!』てスゴイ剣幕だったよ」

「うへぇ……。そんなに嫌われてたんだ……」

 アリアドはヘコんだ。

「ちゃんと誤解だって言ったら聴いてくれたけどね。みんなそろったら、ちゃんと謝るんだよ?」

 「わかってるわよ」アリアドは口を尖らせた。

「で、あなたのほうはどうなの? 一部に反感を持ってたんじゃなかった?」

「それはレナの怪我の件を今のみんながどう思ってるかしだいだね。原因を作った4番(ロック)が謝罪するかどうか。数年たっても一言もないなら、やっぱ信用はできないね」

 「仲直りはしたいけどね」バルサミコスは寂し気につぶやいた。

「あれはわたしのせいもあるから強くは言えないのよね……」

 アリアドの声も重くなる。当時、ギザギ国・北の国境を越えて進軍してきた敵の対応に、召喚十天騎士サモン・ナイトの派遣を進言したのは他ならぬアリアドである。それまでも小さいながら武功を立ててきた彼らである。国王も彼らには期待をしていた。使い物になる勇者は幾人いてもよい。使い捨てにできるのであればなおさらである。国王は北への援軍が整うまでのつなぎとして、十天騎士に死守を命じた。

 国王の思惑がどのようなものであろうと彼らには関係がなかった。練度も上がり、仲間意識も高い。能力も超人級だ。最強の自負が彼らにもあり、その任務もたやすいものであったはずだった。

 しかし、侵攻してきたのが魔物ではなく、隣国の兵士であったのが10人にヒビを入れた。

 意見は3つに分かれた。人殺しを容認できず撤退させるのを目的としたレナ派と、殲滅を主張するロック派、そして戦況を分析しつつ適応すべきとしたカイン派である。

 意見はまとまらなかった。10人全員が同格であり、リーダーを選定していなかったのがここにきて響いていた。常に中心的人物であったカインの言葉も、このところの上り調子に気が強くなっていたロックたち主戦派には耳障りであった。「おまえをリーダーと認めたわけではない」と真正面から言われては、彼女としても「そうか」と突っぱねるしかなかった。

 結論が出ず、一時休会となった。敵の進行速度は遅く、迎撃にも余裕があったのが幸いである。翌日にやってくるアリアドを交えて改めて会議を開こうと取り決めた。10人は同意し、各テントに戻った。

 だがその夜、主戦派のロックたちは敵陣へ急襲したのである。

 戦いが始まった以上は仲間を援護しなければならない。レナ派もカイン派も戦場に駆け付け、死者を出さぬように戦った。その甘さの結果、混戦の中でレナが背中を貫かれ、一生歩けない体となった。疑似体とはいえ、いや、疑似体だからこそ、それで済んだと言えるだろう。

『全員で一気にかかればあんな雑兵ども一掃できたんだ! レナもこんな大怪我をしないで済んだ!』

 ロックは自らの暴走を省みることなく、仲間の甘さを批難した。

 当然ながら、レナ派にいたバルサミコスたちは反論する。

『そもそもキミたちが先走った結果じゃないか! まずはレナに謝れ!』

 言い争いは続き、平行線のままに終わる。そして、道は分かたれたのだ。

「……あのとき、一日早く着いていれば、あなたたちは今でも仲間でいられたのかもしれないわね」

 アリアドの回顧は苦い。

「かもね。でも、あのあともいろいろあって、わたしは一人旅になっちゃったわけだし、あれだけが原因じゃないんだよ」

「今では全員、バラバラだものね。揃うのは何年ぶりかしら」

「7年かな。そう考えると、仲間時代は長くないね。けどあの時代はすごく楽しかったよ。国を一周して、見たことのない物を見て、怪物退治して、お宝発見もしたっけ。あ~、もっかいあの頃の感動を味わいたいなぁ」

「できるわよ。そうしたいと望めば」

「いやいや、もうこの国を何周したかもわかんないんだよ? 新発見なんてもうないよ」

「なら次は世界を見に行きなさい。誰もあなたをとめたりしないから」

「……!」

 バルサミコスはアリアドの言葉に新鮮さを感じた。考えてみればギザギ国を離れたことがなかった。召喚十天騎士としての役割もあったが、そもそも心に余裕もなかった気がする。10年という寿命に追われ、忙しく生きてきた。だがそれが否定されるのであれば、世界は広がっていくのではないだろうか。

「……いいね。いっそショウちゃんたちと行こうかな」

「それもアリよ。楽しんだもの勝ちなんだから」

「だね」

 バルサミコスは満面の笑みを浮かべた。

「ま、その前に『緋翼』をなんとかしないとね」

「うむっ。明日、みんなに見せる資料もまとめとかないとね。今日はわたしも手伝うよ」

「よろしく。でもさらにその前にご飯よ! ……テテラぁ、お腹すいたぁ~!」

 異世界召喚庁長官は、情けない声をあげながら食堂へ向かった。


 異世界召喚庁というマルマ世界でも稀有な政府機関において、誰もが職務に自負を抱いているわけではない。むしろ『異世界人』という存在を受け入れられない者は、召喚歴20年を越えてなお多数を占める。それが許容されているのは、所詮、異世界人は人にあらず、駒であり、奴隷のようなモノだからだ。『異世界人管理局専属召喚労働者』に『アリアン・セルベント』という名前を付けたことからも、その選民意識は隠せない。

 『アリアン・セルベント』とは『異世界人・国選従者』を転じて『ギザギ国勇者候補生』を意味すると明記されている。しかし、表面はともかく、ギザギ国民には違う意味にしか聞こえていない。

 ギザギ国における『アリアン』とは『亜人種』をさすが、実際には差別的な意味で使われることが多い。『人外』『劣等人種』などである。ケンカなどで「アリアン!」と叫ぶこともままあり、そのまま侮蔑用語として相手には伝わるのだ。『セルベント』も通常は騎士などの『従者』として使われる用語であるが、これも『奴隷』という隠語を含んでいる。ゆえにギザギ国民は、異世界人が「自分はアリアン・セルベントだ」と言おうものなら、自ら『下等奴隷』と名乗っているように聞こえ、悪意ある者はわらうのである。

「どうせ異世界人にこちらの言葉の意味などわかるまい。自らをゴミクズだと名乗っておればよい」

 そう言って、当時の異世界人管理局・総務部部長のカダス・クズダスが命名したのだった。もちろん、この命名に異を唱えた者もいたが、彼は愉しそうに無視した。

 その彼カダス・クズダスは、現在は王都オースムで異世界召喚庁・事務次官を務めている。庁内ポストとしては十指に入る高級文官である。本人の希望は異世界召喚庁からの転属であったのだが、それは果たされなかった。形を見れば栄転ではあるが、未だ異世界人との関係が立ち切れないのが彼には不満であった。

 その日、12月9日も不機嫌な顔で登庁し、事務仕事をこなしていた彼は、一つの連絡を受けた。直通回線による極秘通信である。相手は以前の勤務地で仕込んでおいたタネであった。今のいままで忘れていた存在からの呼びかけに彼は舌打ちした。もはやその種は腐って枯れていればよいとすら思っていた。

 彼はその感情のまま無視をしてもよかった。だが、彼の守護天使が珍しく仕事をし、彼に出るようにささやいたのである。単なる気まぐれとも言う。

 その内容は驚くべきものだった。異世界人・一匹の行方不明に、召喚庁トップが絡んでいる。しかも、その使いとして、要注意人物として教えておいたバルサミコスまでが現れたという。元・総務部長が仕込んでいたスパイのケイジは、明け方の騒ぎを階段から覗き、聞き耳を立てていたのだった。いたタネが、ようやく収穫をもたらしたのである。

 話を聞いた事務次官カダスは、通信を切ると思案する。まずは消えた異世界人ルカについての情報を集め、長官アリアドとの関係を調べる。さらにこれまで行方がつかめなかったバルサミコスが、人前に現れた理由も突き止める必要があるだろう。アリアドとバルサミコスが主従関係であるのは知っているが、それが今回のルカの行方不明にどう絡むのだろうか。

「……そういえば、このところアリアドは深夜遅くまで残業をしていると聞いたな。それまで終業の鐘すら待たずに帰っていた女が、どうしたことだ? あれは、陛下に謁見を求めて以後であったか? あのとき、どのような話がされたのか……」

 カダスは通信水晶球を取り、王城衛士隊のシャベリーとつなぎを取った。シャベリー第2衛士隊・副長もまた異世界人嫌いを公言しており、カダスとは長く深く暗い親交を持っていた。

 その彼を通し、謁見の間での会話が語られた。公式での会見内容を外部に漏らすのは犯罪ではあるが、それは建前でしかない。

「『緋翼ひよく』? あのおとぎ話の『緋翼』か?」

 カダスは予想外の名称を耳にして、つい訊き返していた。

『そうだ。それが西から迫ってきているらしい』

「バカな。あんなもの実在するわけがない。子供だましの民話ではないか」

『それがそうでもない。「緋翼」かどうかはともかく、西の国の惨状は事実であるらしい』

「まさか……」

 カダスは笑おうとして、引きつった。

『それに、あの男が王都へ来た』

「あの男?」

『20年前の鬼神だ。そもそもあいつが「緋翼」の情報を持ってきたのだ』

「なんだと!? あの雨宮武志郎ブシロか!?」

 カダスは勢いよく立ち上がり、椅子が大きな音を立てて倒れた。次官付秘書官の一人が物音に顔を出したが、カダスはひと睨みして追い返した。

 カダス・クズダスは、20年前に雨宮武志郎あまみやたけじろうと出会っている。当時、サイセイ砦に一等事務官として派遣されていたからだ。破壊と殺戮の権化であった武志郎の姿は、今も脳裏に張り付いている。そのときに、異世界人は喰人鬼オーガ以上の脅威であると心に刻み込まれた。あの男は、いや、異世界人はマルマに存在すべきではない。その思いは今も消えない。

『そうだ。とっくに死んだものと思ったが、ひょっこり現れて陛下に謁見を求めた。もちろん陛下はお会いにはならず、アリアドに対処を任せたらしい』

「それでアリアドは陛下に……」

『そういうことだ』

 カダスは事の重大さに寒気を覚えたが、ふと妙案が浮かんだ。

「……これはもしかすると、異世界人ゴミを一掃するチャンスかもしれんな」

『なんだ? 言ってみろ。ヤツらを追い出す策なら喜んで手を貸すぞ』

 シャベリーの申し出に、異世界召喚庁・事務次官はニヤリとした。


 夕食後のお茶を楽しむアリアドとバルサミコスの会話は、時間を追うごとに重いものへと移っていった。

「本当に『緋翼』って実在すんの?」

 異世界人のバルサミコスは、アリアドから教えられた概要を鵜呑みにはできなかった。いくらファンタジーな世界といえど、そんな都合のいい存在がいていいものだろうか。

 それに対する世界でも十指に入ると自負する(・・・・)魔導師アリアド・ネア・ドネの回答は「わたしも見たことないし」という、いい加減なものだった。

「いなきゃいないでいいわよ。そのほうが楽。でも、いるんでしょうね。世界情報を集めると、そういうことになっちゃう」

 アリアドはギザギ国内だけではなく、大陸に及ぶ限りのアンテナを伸ばしていた。いくら自然の要害に守護されたギザギと言えど、世界情勢は対岸の火事ではない。いつ山脈や大海を越えて他国の侵略があるかわからないのだ。四大貴族のように、行き当たりばったりの防衛だけを考えていればよいとは思わない。現在のところ不穏な情報をチラホラと拾ってはいるが、『緋翼』ほどの衝撃はなかった。むしろ大陸は『緋翼』の脅威によって、他国への侵攻どころではないのが現状であった。アリアドが得た数少ない情報では、すでに大陸の数%が荒野に変えられている。もちろん、その道筋にいる人間も、すべて死に絶えているだろう。

「『緋翼』っておとぎ話なんでしょ?」

 バルサミコスが訊いた。それもアリアドからの話である。

「ええ。悪い国は緋翼に滅ぼされるぞ、悪い子もとって喰われるぞ、て、言い聞かせられるたぐいのね」

「ナマハゲみたい」

 バルサミコスは笑った。

 アリアドも意味は分からないが微笑む。が、長く続かない。

「真紅の体を持つ、六枚翼の巨竜。数百年に一度、突如として出現し、大陸を蹂躙じゅうりんしていつの間にか姿を消す。どこにいるのか、何を目的としているのか、未だ不明の世界最大の謎。古代王国ムカシンすら『緋翼』をたおすことは叶わなかった」

「あれ? 古代王国ムカシンって『緋翼』に滅ぼされたの?」

 バルサミコスは疑問を口にした。彼女が知っている歴史とは異なる。

「いえ、さすがに大陸全土に広がっていた王国のすべては消せなかったようよ。でも、原因の一つではあるわね。『緋翼』の攻撃によって大ダメージを受けて、その後の分裂と再統一戦争へとつながったのだから」

「そんじゃ『緋翼』ってムカシンを滅ぼすために誰かが作った生物兵器とか?」

「それも違うわ。『緋翼』の伝説はムカシンがおこる数千年前からあるものだから。大陸に人間が誕生する以前よ」

「すごい昔からいるってことね……。でもその伝承をなんで人間が知ってるわけ?」

「エルフとかドワーフとか、人間が存在する前からいる妖精人ようせいびとが教えてくれたから」

「なるほどね」

 バルサミコスは納得し、乾いた口内をお茶で潤した。アリアドもそれに倣う。

「ちょっとわかんないんだけどさ、『緋翼』ってデカイんでしょ? なんでそんなのが普段は見つからないわけ? 休眠期があるなら、そのとき斃しちゃえばいいのに」

 バルサミコスのもっともな問いに、アリアドは口を尖らせた。

「言ったでしょ? 突如として現れて、いつの間にか消えるのよ。住処すみかどころか目撃情報すらパッタリとなくなっちゃうの。だから『緋翼』はおとぎ話だと思われてるわけよ」

「そっか。そいつは困ったね」

 言葉とは裏腹に、バルサミコスの口調は軽い。自分や周囲に被害がなければ、巨大ドラゴンの存在はワクワクする。

「……ミコ、もしかしてお気楽に考えていないでしょうね? 自分の能力を過大評価して、竜なんて大したことはないとか思ってるでしょ?」

「そ、そんなことないよ。たしかに竜退治は楽しみなんだけど……」

 苦笑いする異世界の友人に、アリアドはため息を吐いた。

「……あのね、そんな甘いモノじゃないからね? ビビると思ってちゃんと言わなかったけど、相手はとてつもなく大きいんだから」

「大丈夫、わかってるって。50メートル……いやいや100メートルだって仲間がそろえばイケるって」

 バルサミコスは自身のみならず、召喚十天騎士サモン・ナイトの能力に絶対の自信があった。たかが爬虫類ごときに負ける気はない。この世界のドラゴンを爬虫類と分類していいものかは別として。

 「やっぱりわかってない」アリアドはまた息を吐いた。

「過去、『緋翼』の目撃情報で最小サイズが500メートル(ラード)、最大では3000メートル(ラード)よ? 大陸が滅ぶ規模を舐めないで。今回のもすでに1500メートル(ラード)級らしいわ」

「ブフッ」

 バルサミコスは噴いた。

「そんなんたおせるかァ!」

「でも、斃さなきゃ過去の惨劇を繰り返すだけよ」

「……策はあるわけ?」

「ないわ! だからあなたたち異世界人の知恵と勇気に任せる!」

 アリアドは自信満々に答えた。

「……今までの深夜作業は何だったの?」

「そのおかげで、こりゃ無理だわってのがわかったのよ? 立派な進展じゃない?」

「だからってわたしらにブン投げられてもねぇ……」

 彼女は自分が優秀な人材ではないと知っていた。アリアドに召喚されたときのバルサミコスは、不良学生を卒業したての中小企業の事務員だった。入社からして目標や夢があったわけではない。そこしか受からなかったからそこにいる、それだけの存在だった。大人になりきれない、なりたくない彼女が過大のストレスの末に異世界への逃避を叫び、アリアドが拾った。そんな彼女に大陸を滅ぼすドラゴン相手に策など浮かぶわけもない。たまたま与えられた『召喚十天騎士サモン・ナイト』という超人チート能力に任せて戦うくらいしかできないのだ。もし彼女がアリアドに選ばれた最初の10人ではなかったら、おそらくいち召喚労働者サモン・ワーカーとしてナンタンで管を巻いていたであろう。それを考えれば、ブルーに偉そうに説教できる立場ではないのだが、人は増長するものである。それに、与えられた力だとしても行使の仕方を間違えなかったのは彼女の心根である。その点は認めてよいものとアリアドは思う。

「ミコは相変わらず自分に自信ないのね」

「ないよ、あるわけないじゃん。十天騎士の中で一番無能なのもわかってるし。なのになぜか一番有名になっちゃってさ。まるでわたしが率いてるみたいに言われて、カインには申し訳ないんだよね」

「そうね、あなたが一番無能だわ。ノリと勢いで生きてる脳筋ノウキンだしね」

「ム……」

 自覚はあってもはっきり言われるのは腹立たしい。

「けれど、無能なりに経験を積んで活かしてきたでしょ? あなたに救われた人はたしかにいるのよ。そして今、あなたのまわりに人がいるのも美徳の一つよ。あなたはそれを誇っていい」

「アリア……」

 バルサミコスはおそらく初めて他人から褒められ、心が温かくなった。

「もちろん、わたしはそれを見込んであなたを召喚したんだけどね! なんてすばらしい慧眼けいがん!」

「……そーゆーとこだよ? みんなに嫌われるの」

 感動した自分がアホらしくなってバルサミコスはため息をついた。

「うえぇっ!?」

「『うええ』じゃない。……もういいや、ちょっちわたしも考えてみるよ。カインかフリーマンならいい案を出すんだろうけど」

「フリーマンはアテにできないって言ったでしょ?」

 アリアドは顔を曇らせた。十天騎士の5番目であるフリーマンは、国内を忙しく巡って情報収集をしていた。それは国内の政府機関を監視する行政監理局からの依頼らしい。アリアドは彼がなぜそんな仕事を請け負っているのか真意を掴めずにいる。ゆえに迂闊な接触はひかえていた。

「でもさー、あいつ、夏のサイセイ防衛戦でクラシアス軍を追っ払ったんでしょ? 珍しく表立って行動したんだよね?」

 この夏にサイセイ砦を襲った単眼巨人サイクロプスをフリーマンは撃退している。事の始終は共に戦ったランボ・マクレーしか知らなかったが、アリアドの情報網はそれを逃さなかった。

「それだけじゃ容疑は晴れないわ。サイセイを守るのだって、国益を考えれば当然じゃない」

「まぁ、そうなんだけどさ、フリーマンってのがねぇ。あいつ以外なら、カインですら理由しだいではあるかもって思うけど、フリーマンだよ? わたし以上に飄々(ひょうひょう)として、誰にも縛られないヤツなんだけど」

「そうなのよね。わたしもそれで決断を迷うわけよ。けど、変わらない人なんていないしね……」

 アリアドは改めて考えるが、答えはでない。出ないから考えない。

「やっぱり今は彼抜きで行きましょう。どうしても詰まったら――」

 結論を口にしかけたアリアドの目の前に空間の歪みが現れた。【瞬間移動】などの空間移動系魔術の兆しである。アリアドの館には彼女以外が魔術を使うには『許可』が必要なのだが、それを無視して発動していた。

「誰か来る!?」

「ルカ……てことはないよね?」

 バルサミコスは剣を抜き、アリアドとテテラの前に立った。

 歪みから腕が伸びた。男の物だとわかる。その右手は指を鳴らし、花束を出現させた。

「これって――」

「まさか」

 驚くアリアドらの前に、黒服の男が現れた。

「お久しぶりですね、アリアド様、バルさん。呼ばれもしなかったので勝手に参りました」

「フリーマン!」

 タキシードの男は女性たちに一礼し、花束のむこうで笑顔を浮かべた。

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