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召喚労働者はじめました  作者: 広科雲


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44 遥の世界

 日本時間12月9日19時30分、召喚労働者サモン・ワーカーショウこと日比野小吉ひびのしょうきちはベッドの上30センチの距離に出現し、落下した。マルマの宿では得られなかったマットの弾力が体を跳ね返す。大きな音がした。

「帰ってきた……? 本当に……?」

 周囲を見回す。間違いなく自分の部屋だった。マルマへ召喚された時そのまま、時間が経っていないのではないかと疑ってしまう。もしくは夢を見ていたのかもしれない。服装はあのときのまま、Tシャツとハーフパンツ。マルマで鍛え上げた筋肉はなく、なんとなく覚えている運動不足気味の体になっていた。

 小吉はベッドから降り、机の上に置かれていたスマートフォンをとった。電源ボタンを押しても動かない。電池が切れていた。

「夢じゃないんだな……」

 その実感は、部屋の寒さでもわかった。5ヶ月。もう12月になるはずだった。もっとも、マルマとは時間の流れが違っていたので、こちらの世界とは日付が違うかもしれない。アリアドにその点を訊ねていれば「説明がメンドクサイけど、こっちと同じ日付になるわ」と答えたであろう。2月末だったらどうするつもりか、ショウはまたツッコむところだ。マルマは全月一律30日だからだ。

 スマートフォンに充電器のコードを挿したとき、部屋の扉が勢いよく開いた。

「小吉……」

「母さん……」

 久しぶりにみた母親は心なしか細く見えた。

 母親は呆然としたのち、狭い部屋を駆け寄り、息子を抱きしめた。

「おまえ、今までどこにいたの!? 大丈夫なの!? ケガは!? なんで家出なんて! それとも誘拐されたの!?」

 矢継ぎ早の質問に小吉は何も言えなかった。この経験は何度もしている。山で死にかけてナンタンに戻ったとき、多くの人がこうしてくれた。しかし今回は素直に応えられない。答えようがなかった。異世界だとか、召喚だとか、どう説明すればいいものか。アイリのように三日程度であれば、ちょっとした家出でごまかせたかもしれないが、未成年の所在不明5ヶ月は立派な事件である。

 それに今は急がなければならない。

「ごめん、母さん。またすぐに行かないといけないんだ。次に戻ったらちゃんと説明するから、今は行かせて」

「なに言ってるの! 行かせるわけないでしょ!」

 驚く母親の反応を予測しなかったわけではない。むしろ当然である。それでも小吉には最優先の目的があった。

「友達が危ないんだ。どうしても助けたいんだ。あとでちゃんと話すから。嘘も隠し事もなくちゃんと話す。だから今だけ行かせてほしいんだっ」

 真正面から訴える息子の姿に、母親は唖然とする。彼女の息子は、こんなにはっきりと物を言う子供ではなかった。不仲であったわけでもなく、かといってべったりと仲が良いわけでもなかった。普通の親子関係と言っていい。年頃ともなれば、すべてを話すことはないし、何を考えているかわからずに戸惑うこともある。あれほど好きだった野球を辞めたときも、相談どころか愚痴もなかった。自分自身も若いころの経験がある。ゆえに話してもらえないのは理解できる。自分の母親がそうであったように、自分がその立場になってわかることがあった。だから何も言わないし、訊かなかった。息子の側からしても同様であろう。自分で決めたことに、いちいち口を出されたくはないはずだ。だから言わなかったのだろうし、言う必要すらないと思っていたに違いない。それが5ヶ月ぶりの子供は、それまでと違っていた。

「……ちゃんと帰ってくるの?」

「絶対に」

「……」

 母親は悩んだが、長くはなかった。息子の言葉には力があった。それを邪魔できるはずがなかった。

「携帯の電源はいれておくこと。かけたら出ること。守れる?」

「移動中と緊急のときは無理かもだけど、そのときは絶対にかけ直す」

「わかった。それでどこへ、何しに行くの?」

「いっしょにいた友達が東京で困ってる。その助けに」

 今の小吉にはそう説明するしかできなかった。

「東京? 今から?」

「急がないとダメなんだ。あいつ、すごく不安で困ってると思う」

「危ないことじゃないの?」

「大丈夫。場合によっては連れてくるよ。そのときはいっしょに話を聴いてほしい」

「そう。それじゃちょっと待ってなさい。お父さんの晩御飯だけど、温めるから食べて行きなさい」

「そんな時間――」

「携帯の充電は大丈夫なの? あんたの携帯、電源を切っちゃったわよ」

 小吉がいなくなってしばらくの間は、電池が切れないように充電器につないだままであった。しかし彼自身からの連絡はなく、友人からのメールや電話が鳴り続ける。それに応えるたびに彼女は辛くなっていった。息子がいない現実に苦しくなっていった。だから電源を切り、ただ待っていた。

「う……」

「それにその格好で行くわけじゃないでしょ。準備ができるまでは充電して、お母さんの予備バッテリーも持っていきなさい」

「予備? そんなの持ってた?」

「買ったのよ。いつ連絡があってもいいように、外で電池が切れないように」

 母親は笑って言う。小吉は涙が出そうになった。

「……ごめん。ありがとう」

「さっさと支度しなさい。いっとくけど、お金は貸さないからね」

「うん」

 母親の背中を見送り、小吉は準備をはじめた。

「問題はどうやってルカの居場所を特定するか……。行き当たりばったりでどうにかなるか?」

 着替えながら冷静に考えると、不可能だとわかる。直感で見つかるほど東京は狭くない。それに知り合いもいない。

「アイリは東京かな? だとしても、彼女の住所も知らない。知ってたところで中学生に協力も頼めないし、なにを頼んでいいかもわからないっ。結局、ダメじゃないのか、これ?」

 考えれば考えるほど、行き詰っていく。東京へ行けば何とかなると勢いで来てしまったが、失敗だったのではないだろうか。せめて場所を特定する方法だけでも確立して来るべきではなかったか。

「塔と川が近くにあると言ったって、スカイツリーだったら東京のどこでも見えるだろうし、川だっていくらでもある。ヒントにもなりゃしない」

 小吉が悩んでいると、「ご飯よー」という母親の声がした。小吉は「はーい」と答えて階下のリビングへいく。

 テーブルには懐かしいメニューが並んでいた。日本のお米とみそ汁、メインはレトルトのハンバーグと焼き立ての卵焼き、それに作り置きされていたカレーが小皿に盛られていた。添えられるのはいつも食べていたヨーグルトに生野菜、海苔と納豆、豆腐にお新香、梅干しやチーズまで、冷蔵庫の中身をとりあえず1種類ずつ引っぱり出したようだ。さらに電子レンジが鳴り、冷凍チキンナゲットが湯気を立てて運ばれてきた。

「……いただきます」

 それまで自宅では使わなかった言葉が自然と出た。母親も驚いている。

「お父さんにお風呂入れておかなきゃ」

 母親が顔を伏せて、足早に洗面所のほうへ行った。

 小吉はゆっくりと箸を進める。味もまた懐かしい。

 食べながらも、小吉はどうするべきか考える。感覚にしたがって動くか、別の方法を探すか、それすらも定まらない。

 戻ってきた母親が食べっぷりのいい息子を見て「そういえば」と切り出した。

「あんたみたいに行方不明になった子供がけっこういるのよ? この前なんて、特集番組までやってたんだから」

「そうなんだ……」

 小吉はありえると思った。80日ぶりに戻ったナンタンには新人が増えていた。それは当然ながら、この世界から消えた人でもある。

「その番組の中で、SNSで投稿して行方不明者に呼びかけるコーナーもあって、お母さん、送っちゃったわよ。あんたの顔と名前、全国放送で流れたわよ。録画、観る?」

 母親はそういって笑う。目の前に息子がいるからこそ、笑い話にできた。

 「マジで?」知りたくもなかった話である。急に恥ずかしくなった。が、小吉はその利点に気がついた。

「……そうか、その手があった」

「なに?」

「ありがと、友達を探す方法がわかった」

 小吉は食べる速度を上げ、テーブルに並ぶすべてを平らげた。「ごちそうさま!」と、すぐに部屋へ走る。

 改めてスマートフォンを立ち上げる。少しは充電が進んでおり、電源が入った。

 同時に、大量のメールと着信・留守録記録が襲ってきた。これだけの数の人に心配をかけたのだと実感する。

 すべてを読んでいたいが、そうもいかない。小吉は検索機能を使い、行方不明者を検索するサイトを探した。警察だけではなく、民間や個人でのサイトもヒットする。

「ルカがマルマに来たのはオレの一週間あとだったはず。7月10日くらいか。それと『ながらはるか』という名前で、と……」

 小吉はいろいろなサイトを巡ったが、『ながらはるか』は見つからなかった。適当な漢字でもいくつか試したが、ヒットした1件も顔写真が違った。

「そもそも、あいつは誰かに捜索願を出されているのか?」

 疑問を口に出してみる。ここ最近の癖になっていた。頭の中で考えるだけよりも、回転が20%は違う気がしていた。

「長い間、虐待を受けていて、唯一の味方だったはずの母親も蒸発している。となれば、誰が彼女を心配するだろうか。義父はありえないだろうし、他に味方がいるなら、あんなことにもなっていなかったはずだし……」

 その答えは小吉の気持ちをより重くする。彼女は誰にも気づかれず、誰からも想われず、生きてきたのだ。

 小吉は頭を振った。彼女の境遇に同情している場合ではなかった。手遅れになる前に見つけなければならない。

「誰も探していないからオレが探すんだ。この世界は情報で溢れている。その中に彼女の一欠片ひとかけらくらいあるはずなんだ。ないなんて言わせないっ」

 小吉は捜索サイトに片っ端から『ながらはるか』を書き込んだ。年齢15~18歳、女性、東京出身、小柄、左頬に大きな刃物傷アリ。たったこれだけしかデータはない。それでも誰かは知っているはずだ。誰かはこの瞬間にも彼女とすれ違っているはずだ。彼女はこの世界に存在するのだから。

 さらにショウは捨てアドレスを作ってSNSでも呼びかけた。行方不明者に関する情報収集の場だけではなく、目につくすべてに投げつけた。どこでつながっているかわからない世界だ。誤情報でもかまわない。反感でもいい。気付いてもらいたかった。とにかくヒントが欲しかった。点があればいい。それはいずれ線となるはずなのだ。彼女へとつながる一本の線に。

「あとは東京で待とう。すぐに駆け付けられるように」

 ショウはタンスから冬服を引っぱりだし、着替えた。コートはリーバが造った物とは雲泥の差がある地味なものだ。ルカは今もそれを着ているはずだった。長身のルカが着ていたので、『はるか』では裾が地面に着くほど大きなコートとなっていた。それも目印になるかもしれないと思い、情報を書き足した。

「それじゃ、行ってくる」

 小吉は母親にあいさつをして家を出た。ドアの外には懐かしい道があった。ここから駅へ向かい、学校へ通った。今度は学校とは逆方面に向かって電車に乗る。小吉にとって東京はなじみのない街だった。そこで待ち受けるであろう出来事に、少年は唾を飲みこんだ。


 その6時間ほど前の12月9日14時前、遥はポカーンとした。計算では目の前に東京スカイツリーがあるはずが、なぜか富士山があった。

「え、なんで富士山? もしかして間違えた……?」

 時間は気にもしなかったが、場所がまるで違う。予測到着地点の映像を確認の上、召喚門ゲートを開いたつもりであった。彼女は知るよしもないが、バルサミコスの仕掛けたトラップの影響であった。

「……まぁ、いいかな。ゆっくり東京へ向かえば」

 これから自分が行うことに比べれば些末である。それに、旅をするのは嫌いじゃない。どうせもう、ショウたちとは旅に出られないのだ。せめて最後の冒険を楽しむくらいは許して欲しかった。

「許してもらう? 誰に?」

 彼女は自問し、頭を振った。考えるのが嫌だった。頭が少し重い。

「ああ、そっか。この世界では疑似体は弱いんだった。いくつか予防魔法をかけておいたほうがいいかも」

 彼女は外界からの病原菌を遮断するイメージを浮かべる。自分にしか見えない薄い光の幕が体を包んだ。

「よし、マシになった。……けど、継続するには体力使うよね。ただでさえ燃費悪い体なのに……」

 そう言っている合間にも腹の虫が鳴いた。周囲を見回し飲食店を探す。ファミレスやコンビニもあるが、どうせなら地元食がいいなと思う。ふと、『吉田うどん』の旗が目についた。普通の民家のような食堂で、看板がなければ素通りしそうな店だった。

 扉の前に、風雨にさらされインクがにじんだメニュー・スタンドが立っている。お手頃価格に即決。とはいえ、彼女は日本の現金を持っていなかった。財布にあるのは20枚ほどのギザギ国銀貨と、40枚ほどの銅貨だけだ。

「銀貨が100円くらいにはなるかな。大きさも重さも近いし、これで何とか許してもらおう」

 ギザギ国銀貨はギザギ国特有の通貨である。ゆえに銀という金属として査定するしかないのだが、この場合もいくらになるかは彼女にもわからない。

 遥が店に入ると店員の女性は目を丸くした。彼女の服装にまず目がいく。ダボダボの男物らしいコートと長ズボンに、ブカブカのブーツ。次に目に入ったのが頬の刃物傷。

 店員は言葉をなくしたが、ハッと気づいた。これはコスチュームだろう。近くの遊園地のアトラクション俳優だと勝手に解釈した。となれば、接客に徹するのがプロである。

「いらっしゃいませー。お好きな席にどうぞー」

 女性の反応に、遥もようやく自分の姿に気付いた。これはたしかに目立つかも、と苦笑いが浮かぶ。お昼の時間帯も過ぎ、閉店間際とあって他の客がいなかったのが幸いだと思った。

 遥は温かい肉うどんを頼み、ツユ一滴残さず食べた。それでも空腹が治まらず今度は思い付きで冷やしを頼む。温かいうどんよりもコシが強く、あごが鍛えられる。値段といい、味といい、満足度は高い。

 うどんを噛みしめながら、遥はショウの言葉を思い出していた。『たいがいのことは胃が落ち着けば解決する』。それは真実なのかもしれない。食べている間は自分がなぜここにいるかなど考えない。食中・食後は幸福も感じる。これでみんながいれば、もっと楽しくなっただろう。

「大丈夫かい? ワサビが多すぎたかい?」

「え……?」

 遥は自分が涙を流しているのに気付いた。慌てて拭い、「大丈夫です」と女性店員に答えた。

 残りを一気に食べ、「ごちそうさま」と立ち上がる。財布から銀貨を鷲掴みにし、店員に渡した。同時に【幻覚】を見せている。申し訳ない気持ちになりながら、遥は店を出た。

 店の駐車場に白い乗用車が止まった。家族づれのようだ。小学生低学年くらいの子供と少し年上の女の子、それに両親が降りてくる。年上の姉は、手にしているスマートフォンから目を離さない。

「……?」

 その家族も、遥を見て一瞬、動きが鈍くなる。が、女性店員と同じような発想にたどり着いたらしく、横目で見ながらも店に吸い込まれていった。

「今のおねーちゃん、顔にデッカイ傷があったね」

 少年の声が扉越しに聞こえた。母親のたしなめる声がする。

 遥は唇をかみ、【瞬間移動】でその場を離れた。

「あれ……?」

 遥はまたも計算違いに驚いた。どうしたわけか移動距離が伸びない。さきほどの店からせいぜい5キロ程度しか離れていない。そのわりに魔力の消費が激しく、端的にいえばお腹が減っていた。

「この世界じゃ魔法の効果は低いんだ。さらに燃費が悪くなってる……」

 遥は空腹のお腹を押さえながら、今度は【飛行】魔法を試す。しかし高度も速度も上がらず、距離も進まないうちに疲れて着地してしまう。

「これってマズくない? 東京にすらたどり着けない!」

 遥はコンビニでカロリーが高めのコッペパンを二本買い、貪る。店員の彼女を見る奇異の目は、もう気にしないことにした。いっそ【容姿変化】の魔法を使おうかとも思ったが、その維持魔力も馬鹿にならないだろうとあきらめた。

 どうしたものか考えていると、少し先に車が猛スピードで走り抜けていく道が見えた。高速道路だった。

「そうだ、トラックの屋根に乗って行けばいいんだ」

 遥はグッド・アイデアに手を叩く。高速道路のそばで【飛行】魔法を使い、東京方面のトラックの上に速度を合わせて着地する。箱型荷台の前方に座り、膝をかけるようにして寝転がった。あとは数時間もすれば東京に着く。安心すると彼女は眠った。

 次に彼女が目覚めたとき、目の前に中年男性のアップがあった。

 びっくりして上体を起こし、彼が交通警察隊の制服を着ているのに気付いた。

「君、大丈夫かね? 大丈夫ならどうしてこんなことをしたか、話を聞こうか」

 警官の話を聞き流しながら、トラックの荷台から周囲をうかがう。談合坂だんごうざかサービスエリアの駐車場で、彼女は多くのギャラリーに囲まれていた。どうやら屋根にいたのが見つかったらしい。

「まずは降りなさい。梯子をかけたから、ゆっくりこっちに来て」

 「いらない」遥は立ち上がり、【飛行】をかけて浮かび上がった。警官もギャラリーも彼女を凝視したまま硬直した。

「勝手に屋根に乗ってごめんなさい。運転手さんは知らないことだから、許してあげて」

 警官に呼びかけるが、彼はまだ驚愕きょうがくから覚めない。反応が鈍い相手に、遥は「わかった!?」と大声で問い、警官は流されるように何度もうなずいた。

 彼女はサービスエリアを一気に抜けた。

「電車にしておくべきだった」

 遥は運転手に悪いことをしたと思いながら、次の車にとりつく。今度は乗用車を運搬する車両運搬車キャリア・カーで、荷台に乗っている車の後部座席に【遮蔽物通過】で入り込んだ。

「あ~、またお腹減った……」

 お腹を抱えて眠る遥は、次に目覚めたときは高坂サービスエリアにいた。

「ここどこ……???」


 『空飛ぶ少女』と題された動画がアップされたのは、小吉がマルマ世界から自宅に戻る前である。番組の一コマに使えそうな奇抜な動画をチェックしていたテレビ局員は、さっそく動画撮影者とコンタクトを取り、夕方のニュースで公開した。もし小吉が食事中にテレビを観ていれば、彼女を追うネットワークにも注目しただろう。しかし現実として小吉は彼女の居所もニュースも知らない。自分が張った捜索の網を一つひとつ引き上げていくしかなかった。

 電車に乗って数十分は反応がなかった。正確には有力な情報がなかっただけで、冷やかしや的外れの回答はいくつかあった。どのような答えにも彼は丁寧に礼を返した。それが彼にできる誠意であり、嘘や冗談ではない証明であった。彼は乞う立場であるのを忘れなかった。

 その態度が顔も見えない相手にも届いたようだ。少ない情報の一つに、少女と酷似する姿の情報が重なり、一言つぶやかれた。

『これと関係ある?』

 動画サイトのURLがリンクされており、小吉はたどった。

「はるか……」

 大勢の乗る電車の中で少年は声に出して驚いた。談合坂サービスエリアで撮影された手振れの酷い動画に、リーバ作のコートを着た黒髪の少女が映っていた。なぜそこにいるのか、なぜこんな目立つことをしているのか、考えもしなかった。

『ありがとうございます! 彼女です!』

 情報提供者にすぐにコメントを送る。それだけで、一気にレスが増えた。

『この子、ながらはるかっていうの?』

『なんで飛んでるんだよ?』

『けっきょく動画の宣伝かよ!』

『ニュースでもやってたじゃん』

『名前わかってんなら特定しよーぜ』

 小吉はゾッとした。

 真面目な行方不明者捜索願いでは動かない人心は、ゴシップには過敏・過剰に動き出す。親切心ではなく、面白半分や、他人の秘密を暴くのが好きなだけだ。小吉は、この策による発見後の遥に向けられる世間の目がどのようなものになるかまでは考えていなかった。もし事態を想像できていれば、きっと別の策を考えただろう。

 早晩、彼女の心の傷は世界に公開され、さまざまな言葉が交わされるであろう。同情もあるだろう。だがそれ以上に、他人の不幸に愉悦する心無い言葉が大きく響く。彼女はこの世界での居場所を完全になくしてしまうのだ。

 小吉が暴走しかける人々に訴えかけるよりも早く、情報は光の速さで拡散していく。あっという間に彼女の住所が特定され、簡単なプロフィールまで公開された。彼女と同じ中学だったという人まで現れた。

長柄遥ながらはるかはいつも怪我をしていた』

『母親は蒸発している』

『義父に暴力を振るわれていた』

 小吉が唖然としたのは、それを知っていた人間がいることである。知っていて、誰も手を差し伸べなかった。友達程度では手の出しようもない事件だろう。だが、教師や周囲の大人は何もしなかったのか。それとも、それだけ義父が狡猾だったのだろうか。

 小吉は電車を乗り換え、遥の自宅へ向かった。

 彼と同じ電車に、蒼白な顔をした女性が一人いた。彼女はスマートフォンを持つ手だけではなく、全身を震るわせていた。その顔ににじむのは、深い後悔であった。


 紆余曲折を経て、遥は生まれ育った町へ戻った。嫌な思い出でしかない、懐かしさも感じない、空虚な町だ。

 彼女は歩いていた。すでに飛ぶ体力もない。体が重く、頭も痛い。それでも彼女はとまらなかった。目的地が近づくほど、衝動を抑えきれない。一刻も早くあの男と対峙し、正面からなぶり殺しにする。その望みが今の彼女を支えていた。

 この時間はあまり人も通らない静寂の歩道であった。少なくとも、遥はそう記憶している。だが、自宅に近づけば近づくほど、明るさが増し、人のざわめきも大きくなっていった。

 最後の角を曲がる。築40年を越える二階建てのアパートが見えるはずだった。その一階の三号室が自宅だ。

 が、曲がった瞬間、大勢の人がボロ・アパートを取り囲んでいるのが見えた。通行人にしては多すぎる。若者が多く、スマートフォンで撮影したり、SNSのやり取りをしている。アパートの前にはテレビ局の中継車まで来ており、大きなカメラを担いだ人や、マイクを持ったリポーターらしき姿もあった。

 遥が呆然としていると、ギャラリーの一人が彼女に気付いた。

長柄遥ながらはるかだ!」

 人々の視線が一斉に彼女に向けられた。スマートフォンを掲げ、撮影を開始する。

「なに、これ……」

 遥は一歩退()いた。状況がまったくわからなかった。

「おい、空飛べよ!」

「うわ、ヒデェ傷」

「なんだその格好? ダセェ」

「父親とヤってんだって? そりゃ母親は逃げるわっ」

「いいからまず飛んで見せろよ!」

 好奇と悪意の視線と言葉が少女に襲いかかる。遥は青ざめ、恐怖した。

 ナ・ン・ダ・コ・レ・ハ……

 今まで誰もが自分を無視していた。手を伸ばしても誰も掴んでくれなかった。世界に捨てられていた。それが今は、まるで自分が世界の中心であるかのように取り囲んでくる。

 だがそれは、救いの糸ではなかった。弱者を踏みつけることで愉悦を得る畜生の玩具としてである。

 とまらない雑言。治まらない興奮。嘲る顔。同情という他人事。

「おい、なんとか言えよ!」

 反応を示さない遥を名も知らぬ男が突き飛ばす。遥はよろけ、座り込んだ。それでも彼らは狂気に似た顔で、遥を頭上から圧倒する。

 冷たいアスファルト。これだけの人がいて、なお、差し伸べられる手はなかった。

「ああ、そうか……」

 遥は悟った。

「お、なんか言うぞ?」

 周囲が遥の言動をカメラに収めようと、静かになっていく。

「わかった。ダメなのは、あの男だけじゃないんだ……」

 遥は立ち上がった。

「おまえらぜんぶ、おかしいんだ!!」

 遥は叫んだ。今までのすべての憎しみを込めるように。遥がただの人間の少女であれば、それは主張であり、絶叫ですんだ。だが、彼女には力があった。それも強い憎しみから生まれた力である。

 言葉に、声に込められていたのは、この世界では認知されていない『魔力』という力だった。

 音ではない。だが、確実に周囲に力は放出された。見えない、聞こえない爆発だった。

 スマートフォンをはじめとする電子機器がショートし、ガラスが崩壊し、人の脳や内臓を揺さぶる。

 吹き飛ばされ、壁に激突する者もいた。

 電柱の配電盤もやられたのか、停電が広がっていった。

 町の一角が、真の闇に染まる。

 遥を囲んでいた人々の阿鼻叫喚が夜に響く。ガラスなどで怪我をした者が救急車を要請するが、通信網が死んでいて連絡が取れない。痛みと混乱が広がり、その原因が遥だと気付くと、他者を貶め強者を気取っていた若者たちは震えあがり、逃げていく。怪我で動けない仲間さえも見捨てて走る姿は、醜いの一言であった。

 そんな中でもプロ意識が働くのか、ただの愚者なのか、テレビ局のクルーはその場に残り、動かない撮影機材を彼女に向けて必死にしゃべっていた。

「……なんだぁ、こりゃ」

 逃げる人波に逆らうように、一人の男が自宅に向けて歩いていた。酒が入り、ご機嫌な様子であった。こんな寂れた町に、どこから集まったかわからない数の若者が走っていく。奇妙な光景につぶやいてしまうのも無理からぬことだった。

 遥はその声に反応した。

 振り返ると、その男がいた。

「お? 遥じゃないか。どうした、家出は終わりか? そうかそうか、帰って来たのか」

 男は笑った。嬉しそうに笑った。

「おまえ……!」

「おいおい、父親に向かっておまえはないだろ? ほら、なにしてる? 家に入ろうな。何をしていたか、ゆっくり聞かせてくれよ?」

 不用意に近づいてくる男を遥は待った。もう一歩たりとも自分からは近づかない。

 「ほら――」男の手が遥の肩に伸びる。瞬間、男の右手は強烈な静電気にあてられたように弾かれた。鋭い痛みに男は声を上げ、右手を見た。指はある。痺れているが動く。

「遥、おまえ――!」

 娘はおそらくスタンガンでも持っていたのだろう。男はそう判断し、親を尊敬しない馬鹿娘に怒りをぶつけようとした。その口は、開いたまま閉じなかった。見えない力に喉が絞められ、声どころか呼吸さえも不自由になっていた。

「おまえの、せいで、わたしは、わたしたちはァ!」

 遥はただ睨んでいた。憎しみを、怒りを、殺意を込めて。

「楽には殺さない。指の関節を一本一本折って、骨を砕いて、肉をすりつぶして、おまえに食べさせてやる。それから次は皮膚をはいで、針で刺して、大好きなタバコを這わせてやる。目に鉄串を刺して、頭蓋骨を貫通させて、脳ミソをこねて、発狂寸前でとめてやる。意識が戻ったら腹を裂いて腸を引き出して犬に喰わせる。それでもおまえは殺さない。【治癒】して意地でも殺さない。一週間かけていたぶり抜いて、それから道端に放置してやるからな」

 ゆっくりと語りかける娘に、男は背筋が凍った。酔いは完全に冷め、小便を漏らして足掻く。だが、押さえつけられた喉の力は緩まなかった。

「オレ、は、おま、父親、だぞっ。はなせ、こ、の、バケ、モノが!」

 途切れ途切れにようやく言い切る。

 その言葉は、遥には心が震えるほど嬉しかった。

「ああ、そうか……。わたし、バケモノになったんだ……。こんなクズを簡単に殺せるくらい強いバケモノになれた……。誰からも必要とされなかったわたしなんか、人間でいることはなかったんだ。はじめからバケモノに生まれればよかった。そうすれば、そうすれば――」

 遥の目に涙が浮かぶ。力はさらに増していった。

「ダメだ!」

 かすれた少年の声が背後からした。荒い息遣いが聞こえる。遥の力はわずかに緩み、男の呼吸を楽にした。

 遥は振り返らなかった。いるはずがないのだ。その声の主は異世界にいて、仲間たちと楽しく冒険をしているはずだった。勝手に出ていった自分のことなどさっさと忘れて旅を続けている。そうに決まっている。こんな汚い世界に戻り、こんな醜いバケモノを探しになんて来ない。来れるはずがない!

「ルカ、もういいだろ? 許せないかもしれないけど、もういいだろ? 帰ろう」

 近づいてくる気配を感じる。遥はとっさに「来ないで!」と叫んでいた。少年の足音がとまった。

「よくなんかないっ。終わってなんかいないっ。こいつを殺すために、わたしは生きてきたんだから!」

「おまえの気持ちがわかるなんて言わない。オレには絶対にわからない。でも、おまえがそいつを殺したら、おまえはオレたちのところには帰ってこないだろ? オレはそれがイヤだ!」

 小吉の自己中心的な言葉は、遥を一瞬だけ呆けさせた。唯一の味方だと信じていた彼も、結局は自分のことしか考えてはいないのだ。

「……なにそれ。自分のわがままのためにやめろって言うの? わたしのためじゃなくて、自分のためなの?」

「言っただろ、おまえの気持ちはオレにはわからない。同情ならいくらでもできる。でも、そんなのがおまえを救うのか? 今さら可哀想だったと言って、おまえは満たされるのかよ? そんな軽くないだろ。だからオレができるのは、これからなんだ。これからいっしょに旅をして、冒険をして、いい思い出を作るしかできないんだよ。でもそのための最低条件が、おまえが、オレたちと、いっしょに、いることだ! だから帰ろう。ルカでも遥でもいい。おまえがおまえらしくいられる場所に、いっしょに帰ろう」

 遥は歯を食いしばって慟哭をこらえた。あふれる涙はとめられないが、抑制はできた。遥はもう、復讐をやめてもよかった。けれど、それは一時の気の迷いでしかない。そんな温い怒りで、こんなことはしていない。

「わたしはこいつを殺さないと先に進めないの! 楽しいことが待っていても、こいつが生きているかぎり過去の幻影は消えない! 怒りはふとしたときにまたよみがえる!」

 遥は男への制裁を再開した。視界に映るだけで憎しみが湧く。

 小吉が「やめろ」と駆け寄ろうとするのを、遥は見もせずに弾き飛ばした。それは考えての行動ではなかったが、同時に覚悟が決まった。自分から彼を拒絶した。その事実が、彼女の最後のストッパーを外した。

「ごめんね、ショウ。わたしはこいつを殺したら、あなたの世界を救う。そのあとはもうどうでもいい」

「どうでもいいなんて――!」

「どうでもいいなんて言わないで!」

 遥の背後、さらに小吉の背後で声がした。女性の声だった。遥にとって最初の味方だった人。けれど、最後まで味方ではなかった人だった。

「……!?」

 遥は力の出し方を忘れたように呆然とし、振り返っていた。

 小吉は涙と鼻水にまみれた遥の顔を見て、その視線を追う。彼の後ろに、中年の女性がいた。一目でわかった。遥の母親だった。

「ごめんね。ごめんなさい、遥……!」

「……お母さん」

「わたしが逃げたから……。わたしの間違いからはじまったのに、逃げてしまってごめんなさい。わたしがちゃんと守らなきゃいけなかったのに。怖くて、辛くて、ごめんなさい……」

 母親はその場に倒れるように膝をつき、頭を下げた。

「お母さん……!」

 遥は湧きあがる熱い感情に抗えなかった。涙が勝手にあふれ、駆け出していた。

 母親にすがりつき、彼女もまた「ごめんなさい」を繰り返した。守れなくてごめんなさい。頼りきりでごめんなさい。脅えてばかりでごめんなさい。力がなくてごめんなさい。勇気がなくてごめんなさい。彼女の謝罪は、自分の無力への嘆きだった。

 小吉は二人の姿を見ながら安堵した。ともかくこれで遥も落ち着くだろう。もう男を殺そうなんて気概もなくなっているはずと信じた。

 それは相手しだいである。遥の義父がおとなしく謝罪し、今後は近づかないと誓約すればの話である。

 男は自由を取り戻すと、咳き込みながら叫んだ。

「この、バケモノがァ! 警察だ、警察を呼べ! こんなバケモノがいていいもんか! さっさと捕まえるか、殺してしまえばいいんだ!」

 周囲に残る数名のギャラリーに向かって訴えるが、彼らは何もできなかった。二人の母娘を見て、何も感じないほど歪んではいない。ネット情報により遥の生い立ちについても多少の知識がある。彼女がどうしてバケモノのような力を有しているかは知らない。事実として、彼女はたしかにバケモノかもしれない。が、そうではない。それがわからないほど、心が鈍化してはいなかった。

「おまえは、まだ――!」

 遥が立ち上がって男を睨む。その視界はすぐに遮られた。

「おまえはもう黙れ!」

 小吉が男に駆け寄り、勢いのまま左頬を殴りつけた。拳が痛んだが、男のほうは奥歯が一本吹き飛ぶほどの痛みを負ってアスファルトを滑った。

「オレの仲間を、バケモノとかいうな!」

 男は痛みよりも、正体不明の少年に殴られたことに呆然としている。

 遥も「ショウ」とつぶやいたきり、状況を見守るしかできなかった。彼の言葉が、深く心にみていく。

「おまえが今までやってきたこと、忘れてないよな? どれだけの酷いことをしてきたか、これからおまえは裁かれるんだ。おまえはクズだ! クズだと自覚して、刑務所で反省しろっ」

 小吉は勢いだけで言っていた。それでもギャラリーは聞いていてスカっとした。ハリー・ガネシムに向かってクズと言い放ったときと同じような光景だった。

 口をパクパクさせるだけの男に鼻を鳴らし、小吉は遥に振り返った。

「ルカ、もうがんばらなくていい。終わったんだよ」

「ショウ……っ」

 遥は小吉に抱きついて泣いた。

 遠くからパトカーと消防車のサイレンが聞こえた。近づいてくるのがわかる。

「ルカ、いったんここから離れよう。こんな状況、説明できないし」

「……うん。でも、お腹空きすぎて力が……」

「安心しろ、ちゃんと買っておいた。おまえ、燃費悪いからな」

 そう言って、小吉は背中のリュックからサンドイッチやおにぎり、チョコレートやクッキー、炭酸飲料に栄養ドリンクなど、次々と取り出す。

「さすがっ。一分で回復するから」

 遥は開けられた食べ物を片っ端から摂りこんでいく。母親は娘の暴食に唖然とし、それから可笑しくなって笑った。

「笑わないでよぉ……」

 遥は真っ赤になって口を小さくする。

「急げ、近いぞ」

「もう大丈夫。それじゃ、掴まって。一度ここから離れるから」

 母親は戸惑っていたが、娘に抱きしめられて自分からも腕を伸ばした。小吉も掴まる。遥は一点を思い浮かべ、【瞬間移動】を発動させた。

 コンクリートの床に着地する。視界が高い。どこかのビルの屋上だった。

「わたしが通ってた小学校の屋上だよ。この時間なら誰も来ないから」

 遥のお腹が鳴く。

「ホントに燃費悪いな」

「しょうがないよ、この体を維持するにも魔法使ってるし。そもそもこの世界、マナの自然回復がまるでないんだよ」

「世界が違うってことか……」

 小吉はリュックごと遥に渡した。まだ食料は残っている。彼女は礼を言って嬉しそうに受け取った。

「ショウはどうやってここに来たの?」

「アリアドに頼んだ。て、今はオレのことはいい。おばさん、呆然としたまま動かないぞ?」

「あー! お母さん!?」

 母親は遥に揺さぶられて正気に戻った。かと思いきや、矢継ぎ早にこの状況を質問しだす。遥も小吉も気持ちはわかる。

「ルカ、これ、うちの住所。落ち着いたら来てくれるか?」

 小吉はメモを渡した。

「……わかった」

 母親をなだめながら、遥はアドレスを受け取った。小吉も遥も話が山のようにあったが、暗黙のうちに彼女の母親を優先した。

「それじゃ、下に降ろしてくれ。あとは電車で帰るよ」

「うん、ありがとう」

「いや、礼を言われると困る。実はあの騒動、オレのせいなんだ」

「え?」

「おまえを探すのにSNSとか使ったんだけど、悪ノリされておまえのことを根掘り葉掘りさらされて……」

 申し訳なさに頭が下がる。

「いいよ、別に」

 遥はあっけらかんと言った。

「軽っ。そんなわけないだろ? あんな――」

「いいの。他人に何を言われても、どう思われても。わたしには仲間がいるから」

 遥がニッコリと笑った。美少女の顔だった。

「……おまえ、そうやって笑うとルカと大して変わんないじゃないかっ。ぜんぜん男として作ってないぞっ」

 小吉は真っ赤になって訴える。

「え、そう? それじゃ今度はもっと研究してみるね。ジェイソン・ステイサムだっけ?」

「逆に怖くなるからヤメロっ」

「あははは……!」

 遥は声にして笑い、小吉も和んだ。

 二人は地上に降りると手を振って別れた。

「またね」

 その笑顔に、小吉も笑顔を返す。

「またな!」

 それは仲間同士の挨拶だった。

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