39 勇者を継ぐ者
その男は異相であった。平和な街道にあり、常に心落ち着かせ、油断なき気配をまとう。ただ静かに歩みを進め、人波が自然と割れる。小柄なれど巨躯を圧する空気を放ち、穏やかな呼吸が自然と同化している。
彼がこの国へ訪れたのは、長い異世界生活の中で二度目である。興味も脅威も失せたこの地に再び訪れたのは、一つの目的があったからだ。そうでなければ来ることはなかったであろう。
そびえたつ城壁を見上げる。離れていた年月の間にどう変化したのか、彼にはわからなかった。以前よりも古びたのか、補修されたのか、そんな些末なことをいちいち覚えてはいない。
城下町へつながる門に近づくと、衛兵が彼を一目見て身構えた。数人がたった一人を取り囲む。
「止まれ、貴様は何者だ!」
衛士長が緊張感をはらんだ声で問う。丸腰の老人相手に何をしているのか自分を疑いたくなる。だが、理解できない恐怖が訴えるのだ。けして油断をするな、と。
元の黒よりも白が増えたボサボサ頭の男は、懐に手を入れた。
「動くな!」
焦り、恫喝する衛士長にかまわず、男はそれを取り出した。書簡であった。
「さだーら国より使者として参った。王に目通り願いたい」
東方語にしてはひどく訛りがあり、兵士たちは首を傾げた。男はそれと気付き、もう一度繰り返した。今度は通じたようだが、『サダーラ』という聞き慣れない国名にまたも顔を見合わせた。
「この国は未だ鎖国をしておるのか」男は頭をかいた。フケが大量に落ちていく。そして大きく息を吸い込んだ。
「ならば聴けい! ワシの名は雨宮武志郎! あのときの借り返してもらいに来たと、小便タレに告げろ!」
ギザギ十九紀14年12月6日10時のことである。
ほぼ同時刻、ショウたちはボダイ町の異世界人管理所で呆然としていた。
「この世界で生まれたって、どういうこと? だって日本人でしょ? 召喚されたんだよね?」
シーナの疑問はもっともである。召喚された異世界人は子供が作れない。そう聞かされており、ショウは召喚者のアリアド・ネア・ドネからも言質をとっている。となれば、ブルーが語っていた『生物複製術』であろうか。
ショウは思わず口走りそうになったが、その前にルカが間違いを正した。
「子供ができないのは第三期の召喚労働者だけだよ。わかりやすく言うとアリアドに召喚された人だけ。それ以前の異世界人は、疑似体じゃないんだ」
ルカは旅に出る直前まで異世界人管理局の資料室で本を読み漁っていた。その知識が今回も活きる。
「そうなの?」
「うん。本来の体のほうが、同じ体格でもマルマ人よりもぜんぜん強いらしいよ。でも風土の違いとかいろいろあって、安全のために疑似体を使うことにしたらしい」
「それなら子供も納得だね。……ゲンは何歳なの?」
「先日17になった」
シーナの問いに彼女を見もせずに答える。
「同い年か……。シーナもだっけ?」
「うんっ。アカリが一コ上だね」
「え、そうなの!?」
「そんなのどうでもいいでしょ」
アカリが呆れながら流す。たしかにどうでもいいので、ショウは話を戻した。
「ゲンが17ってことは、お父さんはこの世界に20年近くいるってことだよな。召喚がはじまったのが20年前だから、初期のころの人なんだ……」
「うむ。父上の話では、この地に呼ばれ、バケモノを何百と斃したそうだ。その後この国を出て、母上と出会ったという」
「彼の父親の歴史は気になるが、今は彼自身のほうだ。ゲンくんはこれからどうするつもりだ?」
レックスが訊ねる。
「武者修行を続ける。父上のような強い剣士となるのだ。五日目にしてこのテイタラクでは先は長いがな」
「五日目?」
「父上と別れて五日目だ。むこう五年は帰ってくるなと言われている」
「厳しいな……て、そしたらお父さんもこの国にいるの?」
「なにやら用件があると、ここより西の都で別れた。オレは東、父上は北へ向かった」
西の都とはサウス領主都であるナンオーであろう。そこから北の大街道を進めば王都オースムへたどり着く。
「五年といっても、言葉も通じないのでは大変だろう? どうやって稼ぐつもりだ?」
「食料は山でも川でも手に入る。ついでに修行にもなる。何も困らん」
ゲンは胸を張って言い切る。
「それはもう何の修行だかわかんないんだけど。剣術を磨くんじゃないのか?」
「うむっ。我がアマミヤ流を世に知らしめるのだ」
「道場破りとかやりそうね」
胸を張るゲンシローにアカリが呆れる。
「そんなことしたらまた捕まるよ。……レックスさん、どうします?」
ショウに問われ、レックスも困った顔をする。
「……しばらくはここで預かるか。彼はどうやら常識が少し欠けているようだし、教えてやるべきだろう」
『少し』だろうか、一同は内心でツッコんでいた。
「誰が常識知らずかっ。オレに物を教えようなど、何様のつもりだっ。オレは誰の世話にもなるつもりはないっ」
ゲンシローが立ち上がって反論する。
「たった今、世話になったじゃない。誰があんたの食事代を払ったと思ってんのよ」
アカリが冷静にツッコむと、ゲンシローは口をつぐんで座った。
「剣術修行も、ここならレックスさんたちがいるからできるしね。悪くないんじゃない?」
シーナが能天気に言う。
ゲンシローは鼻で笑った。
「彼は相手にならぬ。それは視ればわかる。多少の技量はあるようだが、オレの練習台にもならんよ」
「なんだと!」
ゲンシローの暴言に反応したのは、レックスではなくタカシだった。隊長をバカにされては黙っていられない。
「よせ、タカシ。事実だ。オレは一流の戦士ではない。おそらく幼少より鍛えてきたであろう彼の相手になるわけがない」
「でも……っ」
タカシは納得できずにゲンシローを睨むが、彼は動じもせず無視している。
「じゃ、あたしと勝負しなさいよ。あたしが勝ったら言うこときけ」
アカリが不機嫌な顔で立ち上がった。
「「アカリ!?」」
「ムカつくのよね。人の善意をなんだと思ってんの。断るにも断り方ってのがあんでしょうが」
「挑まれれば否やはない。が、女とて容赦せんぞ」
「その傲慢さ、ねじ伏せてやるわ」
「おまえがいうか」とショウはツッコミかけたが言えない。
「無茶だ、アカリさん。君が強いのは訓練所で見ていて知っているが、それでも相手のほうが上だ。わからないわけではないだろう」
レックスが説得する。自分が戦うとしてもここまで焦ることはなかったであろう。
「ええ、わかるわよ。けどね、あたしは許せないの。だから邪魔しないで」
アカリは立ち上がり、「弓を取ってくる」と管理所を出ていった。シーナとショウが慌てて追う。
「弓使いか。まぁ、よい。して、試合場はあるのか?」
「……いつも訓練でボダイ兵舎の敷地を借りている。こっちだ」
レックスはゲンシローをうながして裏手に案内した。
「ちょっとアカリ、ホントにやるの!?」
アカリに追いついたシーナが肩をつかんだ。
「やるわよ。あのクソサムライ、ムカつくわっ」
「なんでそんなに怒ってんだよ」
ショウもシーナといっしょになってなだめる。
「ウッサイわねっ。いいでしょ、どうだって」
「おまえがそういうときってさ、だいたい誰かのためだよな」
「……っ」
ショウの言葉にアカリは一瞬こわばった。
「やっぱりな。話してみろよ」
「……なんであんた、こういうときだけ勘が働くのよっ」
アカリがそっぽを向く。ショウもシーナも、カワイイなーと和んだ。
「好きな人のことはだいたいわかるだろ?」
「調子いいこというな。きのう、シーナとしてたくせに」
「「ぐっ……」」
ショウとシーナは言葉に詰まった。
「壁、薄いんだから気をつけなさいよ。二つ向こうから聞こえるってなんなのよ?」
二人は真っ赤になってうつむき、互いに肘でけん制する。
そんな様子が可笑しくなって、アカリは肩の力を抜いた。
「……バカにされて頭に来たのよ」
「え? 別におまえは――」
「あたしじゃないわよ。レックスさん。あの人には、まぁ、いろいろ世話になったっていうか、多少は感謝してるっていうか……」
「ああ……」
さきほどタカシが言っていた件だろうとショウたちは推測した。
「あんたがいなくなってから、シーナはあの調子だったし、ちょっとヘコんでたときがあってね。ホリィさんにいろいろグチったりしてさ。彼女、レックスさんとも顔見知りだったみたいで、それで話を聞いたのか、ときどき声をかけてくれるようになったのよ。あの人自身の相談事が多かったけど、いま思えばそれも話題作りだったんでしょうね。なんであれ、話をしてるときはあんたらのことを考えないですんだ。だから、少しでも恩は返したいの」
アカリは当時のことはずっと黙っているつもりだった。言ったところで誰も喜びはしないし、得もしない。なにより、恥ずかしいし格好悪い。けれど、口に出せてスッキリしているのも感じた。
「アカリぃ~……!」
シーナが泣きながら彼女に抱きついた。シーナこそ感謝しているのだ。アカリがいたから何とかなってきた。不満と誤解でいったんは彼女のもとを離れたが、感謝が消えたわけではない。
「あー、もう、こうなるのがイヤなのよっ。めんどくさいっ。あんたは抱きついてこないでよねっ」
アカリはショウに釘を刺した。これ以上、ウザイのはごめんだった。
しかしショウはそれ以上にウザイ。
「オレ、アカリ大好きだぁ……」
涙と鼻水を垂らすいい歳した男に、アカリは真っ赤になって「ヤメロっ」とツッコむ。
「いいかげん離れろっ。こっちはあいつを叩きのめす策を考えるのに忙しいのっ」
「……ああ、わかってる。オレたちもいっしょに考えるよ」
「うんうん。レックスさんの仇を討とう!」
「なんで仇なのよ!」
アカリはツッコミながら、可笑しくて仕方がない。
「まーまー、言葉のアヤってやつだよ。さて、ショウくん、ここはセコイ作戦立案で定評のあるキミの出番だよ」
「そんな定評いらないっ。……が、今日のところは喜んでセコイ作戦を立てよう」
三人は戦いの前とは思えないほど、和気あいあいと宿に向けて歩いて行った。
雨宮武志郎は、窓もない石壁の小部屋にいた。王城衛士隊に連れられ、この薄暗い部屋で待機するように言われた。一食分の代金にも満たないわずかな金までも取り上げられ彼は不服であったが、今は静かに待つことにした。
足音が二つ聞こえた。一つは鉄靴の音。もう一つは軽く、歩幅も狭い。女のものだ。快活な響きは若さゆえであろう。
武志郎はさもあらん、と思った。国王がこんな場所に来るわけもなく、おそらく話すら通ってはいないだろう。となれば、考えられるのは一人だ。彼を知る人物で、彼が知る人物。それも、若い女性。
扉が開かれた。
「お久しぶりですね、アマミヤ様。いえ、今はブシロと呼ばれているのでしたか?」
「好きに呼べ、小娘。あのジジィの背中に隠れていたのが、ようも変わりおった」
「ありあど、であったか」武志郎は微笑を浮かべる美女に、笑みを返した。
「はい、アリアド・ネア・ドネです。今は召喚庁の長をしております。祖父のあとを継いで、この地に人を呼ぶ仕事です」
アリアドは扉を閉め、彼の前の椅子を引いて座った。『召喚庁』は武志郎がギザギを出てから設立された組織であり、そもそも『召喚』の概念も彼は理解していないだろうと、アリアドは説明を追加した。
アリアドは、衛士長に呼び出されてここへ来た。突然、王都へ現れた異世界人の相手としてだ。他国の使いとあっては無下にもできず、かといって異世界人一人が名乗るだけでは信用もできない。となれば、異世界人の専門であるアリアドの出番である。
「ヌシがあのジジィのあとをか」
「優秀な血統なもので」
「血統だけで決まるものではないわ。鍛錬のたまものであろう。血を継ぐ者が役も継ぐ。ジジィも喜んでおるだろうよ」
「ありがとうございます」
アリアドは心から感謝の言葉を述べた。自分だけではなく、祖父までも思いやる老人に自然と頭が下がった。
「それで、本日はどのような御用でこちらへ? まさか、わたしの顔を見に来たわけではないでしょう」
「抜け抜けと訊くな。ジジィのような賢しさは見習うべきではないぞ」
彼女は入室前に武志郎の持っていた書簡を読んでいるはずだった。読まないわけがないのだ。
「申し訳ございません。どうも、都にいますと心がヤサぐれるようです」
「ワシの気持ちがわかったか?」
「はい。あなたがさっさと国を出た気持ちがよく。……世界は楽しかったですか?」
「まぁまぁだな。子を鍛えるうちに、すっかり落ち着いてしまった」
老人は笑った。アリアドの記憶にある鬼は、もういない。
「……奥様は、残念でした」
「うむ。仕方あるまい。あやつも覚悟のうえで坊を生んだのだ」
「しかし、血のつながりは切れません」
「そうだ。ゆえに助けが欲しい」
武志郎は身を乗り出した。
「20年前の借りを返せというわけですね。サイセイを救った借りを」
「うむ」
「あなたにはそれを言う資格があります。異世界召喚者第一号のあなたには」
20年前、陥落寸前のサイセイ砦をたった一人で救った英雄。単眼巨人を惨殺し、オークを微塵にし、オーガの角を砕き、ゴブリン王クラシアスを戦慄させた狂戦士。未だその伝説は消えず、だが、その英雄の姿を知る者はいない。名前すら世には出なかった。第18代ギザギ王があえて名も形も残さなかったのだ。実像は必要なかった。結果と効果だけが伝わればよかった。本来なら彼は、現在でも国賓として迎えられるべき人物であった。それがこんな石牢のような場所に押し込まれ、小娘一人と対話するのがやっとである。
「フン、そう言いつつも、誰もワシを歓迎しとらんようだ。期待はしておらんかったのでかまわんがな」
「申し訳ありません。小便タレはあなたに与えられた衝撃に未だ怯えているようです」
アリアドの物言いに、武志郎は愉快になって大声で笑った。後の第19代ギザギ王は、当時、召喚された武志郎の鬼神のごとき強さに圧倒されていた。さらには単眼巨人を斃した証として、その眼球を王たちの前に放り投げ、血まみれで笑った悪鬼を見たとき、恐怖のあまり小便を漏らしたという逸話まである。事実かどうかは本人も含めて口をふさぎ、確認はとれていない。ただ、同席していたドネ老師に抱きついていた孫娘は、次代の王からたしかに臭気を嗅いだのを覚えている。
「言うようになったな、娘。うむ、ヌシの顔を見れただけでよしとしよう」
「よいのですか? お国のほうは……」
「義理は果たした。ツテがあるのはここだけであったのでな、来てみたまでだ。なに、たかが獣一頭、どうとでもなろう」
「できるのでしたら、とっくにどうにかされていたでしょう」
「……小便タレに伝えておけ。いずれ『緋翼』はこの地にも来よう。東に移動しながら貪っておる」
「わかりました。ありがとうございます。あなた様は、最後までわたしたちの英雄です」
「達者でな」
武志郎が立ち上がったので、アリアドは扉を叩いて外の兵士に開かせた。持ち物をすべて返すように伝え、壁外までの案内を指示する。
「ご子息はどうされるのですか?」
頭を下げたまま、通り過ぎる武志郎に問いかけた。
「あれにワシらの因縁は関係あるまい。元服もしておる。道は己で決めればよい」
「出会うことがあればお伝えします」
「……充足した人生であった。ジジィには感謝しておる。ただ一つの心残りは、あの小鬼の王と再び相まみえなかったことか。あやつはワシに似ておった。もしかしたら酒を酌み交わす仲になれたかもしれんな」
老人の意外な言葉に、アリアドは思わず顔を上げた。老人の穏やかな笑みが目に入り、この人はもうすぐ死ぬのだと直感した。
「……相手は魔物ですよ?」
アリアドは無理に微笑んだ。
「あやつには余地がなかったのだ。あやつほど人間を知ろうとする者もおるまい。誰ぞが橋渡しをしてやれば、友となれるかもしれんぞ」
「今からでもあなたがなるというのはどうでしょう?」
アリアドの発想に老人はまた笑う。
「時、すでに遅しよ。こうしてジジィになるほどの時が経ち、ようやっとわかろうとするようではな。橋渡しにはもっと若く、穢れ少なき者……そう、未来ある者でなくてはな。……フン、埒もない。齢をとると口数も多くなる」
老戦士は振り向きもせず歩いていった。
アリアドはその背中が消えるまで黙って見送った。
その後アリアドは第19代ギザギ国王に、雨宮武志郎とのやりとりを語った。そして『緋翼』の脅威を伝え、早急の対策を願い出た。
「大陸中央の話であろう。よしんばここへ向かっているとして、半ばで討伐されるに決まっておる。あの英雄ももうろくしたものだ」
国王はそう言って笑い、心配性の小娘を下がらせた。
「ビビリのションベンたれがっ」アリアドの悪態は、国王には聞こえなかった。
執務室に戻ると、アリアドは自前の通信水晶球を取り出した。
「さて、何人が応じてくれるかしら。なぜか恨まれてるからなぁ……」
アリアドはため息をつきながら、水晶球に魔力を注いだ。
「あ、もしもし、ミコ? ちょっと頼みがあるんだけど。……え、忙しい? そこをなんとか。……いや、マジでマジでっ。来てくんないと、その場所に隕石落としちゃうよ?」
準備万端でボダイ異世界人管理所に戻ったショウたちは、一人残っていたエスポワに守備隊兵舎の訓練場へと案内された。
「ちょっと、なにしてんのよ!」
アカリがその光景を見て怒鳴った。
野外広場でゲンシローとレックスが剣を合わせていた。
「レックスさんがアカリちゃんを危険な目に合わせられないって、あいつに勝負を挑んで……」
「ンなの見ればわかるわよ! ゲン、あんたの相手はあたしでしょうが!」
そう叫ぶ合間に、レックスは鋭い連撃を受けて手足を斬られ、膝をついた。
「フン、やはり相手にもならん」
ゲンシローは余裕で納刀し、本来の相手である赤毛に向き直った。
「シーナ!」ショウの呼びかけを受けるまでもなく、彼女はレックスのもとに走っていた。タカシとともに【治癒】魔法をかける。幸い、ではなく明らかに手が抜かれていたので、傷はすべて浅い。
「本気でアッタマきた! あんた、負けたら土下座させてやるからね!」
「そんな貧弱な弓で勝てるつもりか? が、勝負は勝負だ。容赦はせん」
「してるじゃない! 明らかに容赦してるじゃないの!」
アカリがレックスを指さす。手加減していなければ、彼は死んでいる。
「う……っ」
ツッコまれ、ゲンシローはたじろいだ。
「ハン、しょせん格好だけサムライね。臭いし、貧乏だし、無銭飲食者だし、文明についていけないサルね。ちょっとばかり腕がたつからっていい気になって、井の中の蛙ってのはあんたみたいのを言うのよ。人間としての知性も品性もないクズっぷりはヘドが出るわ」
「こ……こいつ……!」
ゲンシローは体中を震わせて怒りを表現していた。
「やだやだ、こういう小物相手に勝っても何の自慢にもならないじゃない。五年修行しようが、とても父親に近づけるとは思えないわね。五年後再会したとき、どれだけ嘆くでしょうね。こんなはずじゃなかったと涙ながらに地面を叩く姿が目に浮かぶわ」
「キサマ、それ以上の愚弄は許さんぞ!」
「愚弄? 事実をいうことは愚弄じゃないわよ、クズサムライ。日本語の勉強もやり直せ」
アカリは距離を取り、四連射の準備をして弓を構えた。
「誰か合図しろ! この女、刻んでやる!」
ゲンシローはもう、怒りに冷静さを失っていた。
「アカリ、煽るのうまいよね……」
「心配になるくらいな」
シーナもショウも手を握って祈る。煽りすぎても相手の行動が読めなくなるので程々にしてほしかった。
「か、開始!」
誰も引き受け手がいなかったので、タカシが号令した。
ゲンシローは一直線にアカリへ向かって走る。迅い。15メートルは離れていたはずが、コンマ数秒で埋まっていく。
アカリは落ち着いて四連射した。相手の体めがけて、同じ射線で。
ゲンシローはそのすべてを斬り落とした。
『普通に戦えばアカリは絶対に勝てない』
宿屋への道すがら、ショウはそう言った。幼少から鍛えてきている相手だ。それは納得できる。
『まずはオーソドックスに弓を使おう。狙うのは体。頭は首の動きだけで避けられると思ったほうがいい。体だったら避けるとしたら大きく動くしかないし、それでも直進して来るなら叩き落とす自信があるからだ』
ショウの分析は正しかった。ショウはどんな相手も過小評価はしない。アドバイザーとしては優秀であった。
『自信があるほど、相手の小細工ごと粉砕してやろうって考える。特にアカリは女の子で、格下としか見ていない。それを一方的に押さえこめないようじゃ、プライドの高そうな彼は納得しないだろうしね』
あんたは精神分析官か、とアカリはツッコんだ。
『そうなればかえってやりやすい。ただ、アカリも相当勇気がいるよ。真剣を持った相手が突進してくるんだからね。しかもオレやマルなんかとは違う一流の剣士だ。おそらく回避もできない。下手に避けようとしたら追い打ちを食らって終わりだ。絶対の自信を持って、たった一度のチャンスで成功させるしかない』
ショウはそういって脅す。さすがに怖くなるが、「でも、アカリならできる」と眼を見て言われ、なぜかやれる気になった。自分は存外、単純なんだと思った。
『それじゃ、成功したら今夜はあたしと付き合いなさいよ?』
冗談めかして言ってみる。それくらいの楽しみがあってもいい気がした。
ショウもシーナも呆気にとられ、それから笑った。
「だから、あんたは――!」
アカリは背中の矢筒に右手を伸ばした。
「遅い!」ゲンシローは女が矢を抜き弓を引く前に斬り伏せる自信があった。
アカリはそのゲンシローの余裕の笑みすら冷静に観ていた。
つぶやき、右手を前に振った。その手に矢はない。
「!」
ゲンシローは突然視界を奪われた。目の前に石らしきものが投げられたのを見た。なんであれ叩き落そうとしたとき、それが光ったのである。
『彼は何が来ても刀で対処できると思ってる。どんなものでも叩き落そうとする。目もいいだろう。それがこの際は弱点になる』
ショウはカバンから照明石を出した。アカリとシーナにも出してもらい、投げる真似をして見せた。
『矢筒に仕込んでおけば矢を抜くと思い込む。それも狙い目。そして一瞬でも動きが鈍ったら――』
『矢を射るのね?』
『いや、おそらくそんな暇はない。改めて矢を抜き、絞り、放つ。そんな動作を許すほど甘くはないよ。だから――』
ショウはカバンからもう一つを出した。
アカリは振るった右腕をゲンシローに向けたまま、一言発した。
コートの右裾から赤い光と鋭い音が炸裂する。右・前腕に巻き付けておいた物が発動したのだ。
「信号弾!?」
誰もが驚くなか、ゲンシローの腹に炎の魔法がぶつかり、弾ける。
アカリは次の動作に移っていた。素早く矢を抜き、踏ん張ろうとするゲンシローの右腿を射抜き、次に右腕を、さらに右肩、続いて左脚、おまけで左手も貫いた。
「容赦しないって、こういうことよ」
アカリは倒れるサムライを一瞥し、髪をかき上げた。
「えげつねー……」とタカシ。
「さすが赤い殺人女王蜂」とジューザ。
「すごい度胸だな」とレックス。
「このズルい策はショウの発案でしょ?」とルカ。
「ズルいって言うなっ」とショウ。
「やったー!」とシーナ。
「武士の情けよ、シーナ、治してやって」
「はーいっ」
シーナはご機嫌でゲンシローに近づいた。
彼は仰向けで天を見たまま、呆然としていた。負ける要素はなかったはずである。体力、技術、武器。どれも一級であった。それが格下の、しかも女にやられた。ショックだった。相手が妖術を使ったとしても、それを跳ね返す力はあったはずなのだ。
「あんたの敗因はたった一つよ。知識不足。ついでにいえば、あたしを怒らせたこと」
「アカリ、二つになってる」
「ウルサイっ」
些末なツッコミを入れるショウに、アカリは真っ赤になって吼える。
シーナの【治癒】を受けて動けるようになると、ゲンシローは勢いよく立ち上がった。
「知識不足!? そんなものいらん! オレは常に最強の父と剣を交え、鍛えてきたのだ! 父以上の者がいるわけがない! いない以上、学ぶ必要は――!」
「だからよ」
「なにィ!?」
「そうね、あんたの父親は世界一の剣士かもしれない。でも、その父親としか戦ってこなかったのがダメなのよ。父親の剣しか知らない。一対一の剣術勝負なら、あんたに勝てる人はそうそういないかもね。でも、そんなの実戦の一欠片に過ぎないわ。いろんな敵、いろんな戦い方があるってのを知らないのよ。実際、あたしに負けてる」
「……っ」
「あんたの父親はいい人なのね。そんなまっすぐな剣を子供に教えるんだから。あんたは父親を誇っていいわ。でも、あんたはダメ。その驕りを捨てないかぎり、今度は死ぬわよ」
「……!」
ゲンシローは体を震わせ、「オレの負けだ」とうつむいた。
なぜか拍手が起きる。「ヤメロっ!」とアカリが怒鳴るが、なかなかやまなかった。
ゲンシローはレックスにも謝罪し、身を預けると約束した。ようやく話がまとまり一同が安心すると、忘れていたゲンシローの悪臭が気にかかった。
風呂屋が営業している時間ではないので、寒風吹くなか、井戸水で体を流す。「修行の一環!」と冷たさに根性で対抗し、どうにか体を洗った。体格が似ているタカシの服をもらい、着替える。長い後ろ髪はシーナの提案で紐でくくってポニーテールにした。身なりが整うと、不思議なことに男前に見える。アカリが少しだけ見とれるほどに。
「着物を着せたら格ゲーの『侍魂』のキャラになるんだけどな」
ショウが残念がる。シーナをはじめ、賛同者が数名いた。
管理所で一息つく。タカシはその一息が長いあくびに変わっている。彼は夜勤明けで、三時間も寝ていなかった。
「やっぱまだ寝不足だな。悪いけど、ひと眠りする……」
「オレも。ショウ、夕飯はいっしょにしよう」
ジューザも席を立つ。
ショウが「はい」と答えると、二人は階段を上がっていった。
「レックスさんも寝てください。オレたちはゲンシローも連れて町の観光でもしてきます」
「それじゃ、すまんが頼む」
大きな体が揺れて、奥へと消えていった。
「……そういえば、ケイジさんは?」
「ショウさんたちが宿へ戻ってる間に部屋へ上がられましたよ。眠いからと」
エスポワが困った顔で答えた。
「ルカなみにマイペースだな」
ショウもつられて苦笑した。
ショウたち五人は町へ出た。正午の鐘が鳴り、町の賑わいも最盛期を迎えようとしていた。
「まずはゲンの服を何着か買おう。タカシさんのをもらい続けるわけにもいかないし」
「金はないぞ」
ゲンシローが偉そうに言う。
「それくらいは出すよ」
「しかし、先ほどの飯代といい、そう幾度も世話になるわけには……」
「いーの、いーの。ショウがそうしたいって言うんだから、素直に受けとくのっ」
シーナが嬉しそうに仲介する。その和やかさに「そういうものか」とゲンシローは納得しかける。
「そーそー、そーゆーもの。で、ショウは言うんだよ。『次に同じ境遇にいる人に会ったら、同じようにしてあげるんだぞ』て」
「いや、たしかに言ったことあるけど、なんで知ってんだよっ」
ショウが思わず訊き返す。
「知ってたわけじゃないよ。だいたいわかるよ、言いそうなこと。ショウって意外と見栄っぱりだからねー」
と、胸元の赤いお守り袋を振って見せる。その中身の勲章は、ショウの見栄が元でシーナの手に渡ったのである。
ショウは言い返せなかった。
「では、遠慮せず厚意に甘えさせていただく」
ゲンシローは有言実行の人間であった。本当に遠慮なく、ショウの資金を使って衣料品を買い求め、わずか1時間で銀貨20枚を消費した。彼が背負う新品の革鞄には何着もの衣服が詰まり、藍色のコートまでまとっていた。
「ボクと会った初日よりも使い込んだね」
ルカが慰めにもならない感想を漏らし、ショウはさらにガックリした。
「まーまー、ご飯はわたしがおごるからさ」
ショウを気遣ったシーナだが、今度は彼女が後悔する番だった。
「すごいね、ボクより食べる人がいるなんて」
ルカが慰めにもならない感想を漏らし、シーナはさらにガックリした。
「いや、普段はこれほど胃の腑が受け付けんのだが、なぜか今は満たされん。不可解な」
ゲンシローは自分で不思議がっている。それを聞き、ルカが手を打った。
「おそらく【治癒】魔法の影響だね。あれって体本来の自然治癒力を最大限に高める魔法だから、そのぶん体力がいるんだよ」
「なるほど、減った体力を補おうと食が進むわけか」
ショウも納得する。と、シーナがアカリを睨んだ。
「つまり、アカリがやりすぎたからこんなに食べてるってわけねっ」
アカリは視線をそらし、何事もないかのように食事を続けた。
食堂を出て、会計を済ませたシーナが「おまちどう」と出てきたとき、彼女に小さな影が近づいた。
二人がぶつかりそうになり、たがいに慌てて距離を取る。
「ごめんね、大丈夫だった?」
シーナが少女にあやまると、彼女は顔を伏せたまま「大丈夫」と答えて足早に去ろうとする。
「待て」
その首筋に、ゲンシローが白刃を触れんばかりに添えた。
驚いた少女は後ろに飛びのこうとして、今度はルカにぶつかった。
さらにビクつく少女。ルカは彼女の肩を掴み、動けなくする。
「ちょっと、二人とも――」
「はい、シーナ」
ルカが言葉を遮って布袋を投げた。シーナがキャッチすると、それは彼女の財布だった。
「え、え?」
シーナだけではなく、ショウとアカリも目を丸くする。
「なかなかの腕だが、オレの眼はごまかせん」
ゲンシローの切っ先が少女の眼前に突き付けられる。ルカに押さえられているため、少女は抵抗もできなかった。
「この子、きのう、ショウの財布をスった子だよ。一度目は見逃したけど、今回はどうする?」
「いや、どうする言われても……」
ショウは困った。スリが大人であれば、男女問わず守備隊に突き出すところだ。だが、どう見ても小学生程度の女の子である。判定も甘くなる。
「首を斬るならオレがやるが」
「「物騒なこと言うな!」」
ゲンシローに総ツッコミ。
「しかし、罪を犯し、捕らわれた以上は覚悟もあろう」
「おまえといっしょにすんなっ。……とりあえず、ここで話していてもしょうがない。管理所に行くか」
最善とは思えないが、それ以外の方法が思いつかなかった。この町でのスリの刑罰がどのようなものかも知らない。迂闊に守備隊へ連れて行って、それこそ極刑にでもなれば後味がよくない。
「ゲン、刀を引いて。ルカ、その子を頼む」
「うん、わか――!」
少女は刀が引かれた隙に、ルカの手を払って逃げようとした。
ルカが再度、襟をつかむ。そのとき、彼女の首筋や背中がチラリと覗いた。
瞬間、ルカは硬直した。
なぜか生まれた新たな隙に気付き、少女は全力で走った。
「ルカ!?」
「!」
ルカは自分の状況にハッとし、少女の背を目で追う。しかし、小さな体はすぐに人混みに紛れ、消えてしまった。
「どうしたんだ、ルカ?」
「いや、ごめん。ちゃんと掴んだつもりだったんだけど、スルッと抜けられちゃって……」
「そっか。それじゃ、しょうがない」
ショウはルカの肩をポンと叩く。そうルカを励ますが、内心では彼がもっとも安堵していた。管理所へ連れて行ったところでどうにもならなかった。見逃すこともできず、守備隊に引き渡していただろう。罪人ではあるが、自分よりも小さい者を裁くのは心が重かった。あの幼さでスリをするということが、どのような人生を歩んでいるかショウにだってわかる。注意したところでスリをやめるわけもないだろうし、だからといって彼女を正道に導く力もない。身勝手だが、被害がなかったのだから、と自分を納得させられる結果で助かったと思っていた。
それはアカリやシーナも同様で、だからこそルカを責めないし、ルカを気遣うショウにも何も言わない。
「じゃ、見学の続きに行こうか」
ショウは気分を切り替えて仲間を誘った。今の一件を忘れるように、ショウは明るく振る舞った。
日が暮れるまで散策し、食べ歩きをし、町を堪能する。ゲンシローの反応がいちいち面白く、夕食のために宿へ戻ったときには、スリのことはショウの頭から離れていた。
マルと、レックスたち異世界人管理局専属召喚労働者・第4小隊の面々も合流していた。ただ一人、ケイジの姿がないのはショウたちに興味がないからだ。
初顔合わせとなったマルとゲンシローの第一印象は、たがいに『生意気そうなヤツ』であった。が、ものの10分もすると同族の匂いを感じたのか、酒を酌み交わして陽気に笑っていた。その様子に「サルが二匹」とアカリが呆れていた。
「おまえの国……サラーダだっけ? どこにあんだ?」
「サダーラだ。ここから西に50日くらい歩いたか」
ゲンシローが四杯目のカップを置いた。酒には強く、ほのかに顔が赤いだけで言動に澱みはなかった。国もとと違う味に、遠くへ来たのだと実感する。
「50日って、けっこうあるな。西って山脈あるだろ? あたりまえだけど、越えて来たのか?」
ショウが興味津々に訊く。彼の憧れる冒険を、同い年の彼はすでに経験してきているのだ。
「うむ。一直線にな。なにやら父上が急いておったので、強行軍であった」
「すげぇ。山脈を迂回なしかよ。魔物とか出なかったのか?」
「不思議と遭遇せんかったな。もっとも、常に父上が殺気を放っておったので、ケダモノどもも敏感に感知して逃げたのだろう」
ゲンシローは自慢げだった。
「そんな急ぐほどのお父さんの目的って?」
「知らぬ。国の山奥で父上と修行をしていたのだが、珍しく客人が来てな。何やら話しておったがオレは同席できんかった。そのあと、急に武者修行に出ると言われ、この国へとやってきた。そして西の都で、今後は一人で五年間鍛えて来いと言われたのだ」
「それで一人武者修行?」
「うむ。父は北へ行くというので、オレは東を選んだのだ。海というものを見たかったしな」
全員、呆気にとられる。「なんだそりゃ」とマルがこぼしたが、皆、同じツッコミを胸中でしていた。
「……なんとも豪快な話ね」
アカリの感想にも、ゲンシローは「そうであろう」となぜかご機嫌だった。父親のそのような稀有な器の大きさが、少年剣士は好きだった。
「ムチャクチャっつーんだよ」
マルが酒を飲みながらつぶやく。だが、嫌いではない。むしろ好きだった。
「だがまぁ、とりあえず今後しばらくはここにいてもらうぞ。好きにさせてやりたいが、路銀もなく外に放り出すわけにもいかないからな」
レックスが釘を刺した。
「うむ。稼ぐアテがあるなら異存はない」
「そんな素直なら、なんで無銭飲食なんてしたんだよ?」
「路銀はあったのだ。だが偽物扱いされた。それを説明しようにも、言葉が通じんかった」
「偽物?」
訊き返すショウに、ゲンシローは懐の財布を出して中身を開けた。銅貨と銀貨が十数枚、テーブルに転がる。
「……たしかにデザインが違う。大きさも」
「サダーラではこれで通った。途中の国でもな。だが、山を越えてここへ来てからは、なぜか先々で父上がもめていた。最後は睨みつけて終わっていたが……」
「よっぽど怖かったのね……」
アカリの感想に皆が苦笑する。
「ゲンのお金って、大陸の中央とかで使われている通貨だよ。こっちではまず見ない」
ルカが手に取って確認する。
「だから偽物あつかい?」
「うん。昔は重さで価値を計っていたのが、通貨ができてからはそのやり方が通用しなくなったんだ。大きな町なら、銅や銀の含有量で通貨に換えてくれる換金所があるんだけど、お父さんは知らなかったみたいだね」
「おまえはホントによく知ってる」
ショウはルカに感心した。
「この町にもあるはずだから、明日にでもギザギ通貨に換えてもらうといいよ」
「ふむ、ではそうしよう」
ゲンシローは外貨を財布に戻し、懐に収めた。
「でも、言葉が通じないのは不便だな。オレたちは勝手に通訳してくれるからわかるけど、一般の人には通じないのか」
「この国の者と言葉が通じぬわけではないのだが、ひどく聞き取りづらい。相手にとってはその逆で、オレの言葉がわかりにくいようだ」
「試しに自動通訳を切ってみたんだけど、かなり酷い訛りだね。東方語っぽいけど、違うような」
ルカがステータス・サークルを開いて、コンフィグをいじっていた。
「東方語ではないぞ? オレの国の言葉は大陸共通語だ」
「共通語?」
首を傾げる面々のなかで、ルカだけが納得していた。
「そういうことか。彼のいる山脈向こうが大陸本土で、ギザギ国は東にある辺境なんだよ。大陸本土と断絶されて訛っていった。それが東方語なんだ」
今度は全員が納得した。ショウたちが『東方語』と呼ぶのは、正式には『カクカ東部共通語』である。カクカ大陸の共通語でも、とくに東部で使われる独特の訛りのある言葉だ。
「父上からヒノモトの言葉も習っておったが、こちらはどこへ行っても通じなくてな。おまえたちに会えて助かったぞ」
「――のわりに、ケンカを吹っ掛けるわけね」
アカリが鼻を鳴らす。
「当然であろう。武において、弱者より学ぶことなどないっ」
「そしてあたしに負けるわけだ」
アカリが鼻で笑う。ゲンシローは言い返せない。
「あんたの理論で言ったら、あんたの父親だってあんたに剣術を教える理由がなくなるわよ? 弱者なんて目に映らないんでしょ? あんたから学ぶものがない以上、かまうだけ無駄だわ」
「ム、ムムゥ……」
「そういうのもひっくるめて、あんたに学んで欲しかったんじゃないの?」
「そうか……。さすが父上」
ゲンシローは目から鱗で感涙している。
「アカリってさ、ときどきいいこと言うんだよ。落としてから持ち上げるから余計」
シーナも感動している。
「あれは惚れるよな」
ショウが同意する。
「ウルサイっ」
聞こえていたアカリが赤くなって怒る。
ショウは笑って流し、レックスに向き直った。
「レックスさん、ゲンだけじゃなくて、オレたちも少し稼ぎたいんですけど、仕事ってあるんですか?」
「選ばなければな。いつでもあるのは町の清掃業務だな」
「掃除ですか?」
「町に入ってすぐにわかったと思うが、ナンタンに比べて……汚いだろう?」
レックスは食事中とあって、言葉を選んだ。
「あ、はい。かなり酷いですね」
特例のワードは出さないようにショウも気を遣う。いわゆる馬糞や尿だ。連れていく人間の物もある。交通の要であり宿場町である以上、その問題は切り離せない。ここにはナンタンのような下水処理施設もない。となれば、町全体の悪臭は拭いようもなかった。
「それを毎日早朝、一斉清掃しているのだが、この仕事ならいくらでも人手がいる」
レックスが申し訳なさそうに言う。真っ先に紹介する類の仕事ではないからだ。
ショウはマルをチラリと見る。黒髪少年もショウに目を向けていた。二人は瞬時にわかりあった。そしてマルは苦い顔で首を振る。ショウには痛いほど気持ちが理解できた。
だが、ショウのほうはしばし考えてレックスに返事をした。
「それじゃ、オレはそれをお願いします」
「マジかよっ」
マルは言葉にして反応した。
「仕事を選べる立場じゃないし。それに……」
ふと、昼間のスリの少女を思い出した。汚く、臭い仕事だとしてもスリよりは何十倍もよい。少なくとも人の役には立っている。自分が汚れもせずに正論だけ吐くのは違うような気がした。だからといって一時の汚れを盾に彼女を非難するつもりもない。ショウは自分が何もできないとわかっていた。結局はただの自己満足である。あの少女に出会わなければ、この仕事もやる気にはならなかったであろう。
「いや、他にもあるぞ? 真っ先に浮かんだものを言っただけだ」
レックスが弁明する。
「その他はみんなに譲りますよ。オレは、それでいいです」
「またなんかウジウジ考えてんだな、コイツ。オレはやらねーぞ。他の仕事を紹介してくれよ」
マルがショウを一刀両断する。
「わかった。全員、仕事をするということでいいのか? それなら明日の6時に管理所に来てくれ。ボダイの一般斡旋所に話して、それぞれに見繕っておく。ただ、報酬は期待できんぞ。管理局の仕事が特別だったんだ。あの感覚で言うと、せいぜい六割だ」
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
ショウたちは頭を下げた。
食事会はそれから二時間ほど続き、三人を残して解散となった。この酒場兼宿に部屋の取れたアカリとシーナ、それにショウである。シングルで二部屋の空きが追加され、ショウは即決で決めた。一方でマルとルカは今までの宿でいいと言って断っていた。レックスたちは異世界人管理所にある宿泊部屋に戻り、レックス預かりのゲンも管理所に寝泊りさせてもらうこととなった。
それぞれの夜を過ごし、翌12月7日午前6時。異世界人管理所にルカの姿はなかった。




