37 はじめての野営
異世界人管理局専属召喚労働者・第2小隊と別れて二日目、11月29日の夕刻を前に五人の冒険者モドキはそれを発見した。
道沿いを大きく刈り取った空き地に、どうにか風除けに利用できる程度の小屋がある。
軋む扉を開けてみると、地面に直接敷かれた板間が広がっていた。それもまばらに並べられているだけで、居住性を考えているようには見えない。部屋の中心には不ぞろいの石を積み上げた竈があった。
「これが野営小屋か……」
ショウがつぶやく。朝までいた村で、この小屋の情報は聞いていた。次の村までの距離が長いため、その中間点に行商人たちが金を出し合い建てたものらしい。今では利用する者が減り、補修の手が入ることもなく風化の一途をたどっている。
「ずいぶん傷んでるじゃない。隙間風が入ってきて寒いわ」
アカリが文句をいう。彼女はこの小屋を通るルートに賛成ではなかった。
次の村へ行くには二本の道があった。彼らがいる丘陵地帯を通る旧道と、半年前に開通した新道である。新道は、村間を徒歩7時間でつなぐショートカット・コースである。平坦で、馬車もすれ違えるほどの大きな道だった。
一方でショウたちが選んだ旧道は、道幅も狭く、アップ・ダウンもあり、曲がりくねった道だ。村間は徒歩で13時間といったところだ。新道ができてからは利用者もない。
「こーゆーのがいいんじゃねーか。わかってねーな」
マルが呆れたように肩をすくめる。
「はいはい、これも冒険だとか言うんでしょ? ただのキャンプじゃない」
「あっさり次の村に着くのも面白くないからな。さすがに小屋がなければ考えたけど」
ショウは隙間の目立つ壁際に荷物を置いた。少しでも通風孔は塞ぎたい。
「でも、ここまでオンボロとは思わなかったよ。外よりかはマシだけど」
シーナもショウに倣い、風の通り道にリュックを下ろした。
「まずは陽があるうちに薪を見つけないと。備蓄はないのかな」
「周りを見てくるよ」
ルカが率先して動いた。マルも小屋に留まるのは退屈らしく、彼を追っていく。
「備蓄がなければ拾いにいかないとね」
アカリは鼻歌まじりに弓と矢を手にした。
「それ、薪拾いの装備じゃない。狩りをする気マンマンじゃん」
薪拾い用の折りたたみバッグと細いロープを準備するシーナに、「こうなった以上は楽しむ」と赤毛の少女はほくそ笑んだ。
「外へはオレが行くから、アカリたちは――」
「残念、お楽しみは早いもの勝ち。あんたはここで荷物番」
ショウの言葉を遮って、アカリは楽しそうに外へ出て行った。シーナも腰の剣を確かめて、「いってきまーす」と彼に手を振った。
そのすぐあとにルカが顔を出し、「備蓄ないから集めてくるね」と一言残して扉を閉めた。隙間に、マルの嬉々とした顔が見えた。
「……一番つまらないポジションについてしまった」
一人残されたショウは、薄暗い小屋の中で小一時間、居住性を高めるための手入れに励むしかなかった。
近くに林があったのが幸いし、野外組4名は大量の枯れ枝を背負って帰ってきた。それにプラスして、ルカがシーナの持っていったバッグを手にしている。それなりの重量があるようだった。
「あんたが邪魔しなきゃ、もう一匹狩れたのに」
「うっせーなぁ。発見したのはオレじゃねーかっ。人の獲物を横から奪いやがってよ」
「それより、二人とも薪集めを任せきりってどーなの?」
「それに獲ったあとも人任せなんだからなぁ……」
「……」賑やかに入ってくる面々に、ショウは面白くない。
「あれ、ショウ、どしたの? 不機嫌な顔して」
訊ねるシーナにも恨めしそうな顔をするばかりで答えない。
「拗ねてんだろ? 一人だけ留守番だったから」
マルがニヤけながら指摘する。
「別にィ」図星をさされ、少年はさらに頑なになった。
「なにそれカワイイ。ごめんねー、次からはジャンケンで決めようね」
なだめているのか、からかっているのか、シーナは子供をあやすようにショウの頭を撫でた。
少年は彼女の手を払い、壁際の自分の荷物に近づいた。
「ありゃ、完全に拗ねちゃった?」
「拗ねてないっ」ショウはリュックからナイフを出した。この世界に来て、初めて手にした刃物である。先輩の置き土産だった。
「なんか獲ってきたんだろ? 捌いたのか?」
「ウサギみたいな小動物を二頭。血と内臓は抜いて、バッグに水を入れて冷やしてる」
ルカは手にしていたバッグをショウに見せた。生地が防水に向いていないようで、水が滴っていた。
「さすがルカだな。サバイバル教練は無駄じゃなかったわけだ。解体も任せていいのか?」
「いっしょにやろうよ。練習しないと鈍ってくよ?」
「だな。一頭もらおうかな」
ショウの返事にルカは満面の笑みを浮かべた。
「シーナたちも見とく? 今後のために」
「えーと、やめとく……」
「今日はいいかな……」
シーナとアカリは想像して尻込みする。マルだけは「オレは見るー!」と元気に立候補した。
「それじゃ、アカリとシーナは竈に火を入れておいて。天井に煙抜きの板があるから開けるのを忘れないように。棒はそこにある」
「はーい」
シーナはショウに応え、壁際に立てかけてあるフック付きの長い棒を取った。30センチ四方ほどの天板には取っ手がついており、フックに引っ掛けてスライドさせると天井の一部が開いた。
「てかさ、こんだけ壁に隙間空いてたら、煙抜きなんていらなくない?」
作業を見ていたアカリが呆れて言うと、シーナも「だよねー」と同意した。
外ではショウとルカが冷たくなった小動物を手にして、解体準備をはじめる。適当なまな板がなかったので、ショウの盾を代わりにした。
二人で向かい合ってニヤリと笑い、同調するように同時に皮を手ではぐ。下半身がむけ、上半身を首までめくる。手斧で足と首を刎ね、皮をむききる。
「おまえら、よく平気でできるな……」
神経の図太いマルだが、さすがに間近で見る解体ショーはグロい。
「おまえもサバイバル教練を受けるべきだったな。あれでオレは生きること、食べることを学んだよ。獲った以上は無駄にしちゃいけない」
重く語るショウに対し、ルカはのほほんとしている。
「そうかい? ボクはあの生活、楽しかったけど。何をするのも自分しだいというのがよかったなぁ」
「おまえならどこへ行っても順応しそうだ」
ショウは笑った。
「で、これ、どうすんだ? ただ焼いて食べんのか?」
マルの興味はすでに『食』へと移っている。解体が終わった動物は、ただの肉の塊だった。
「煮ても焼いても味付けになる調味料がないからなぁ。いちおう、塩とコショウだけは買っといたんだけど……」
「手持ちにイモと乾燥ネギとチーズはあるよ。あと、パンも残ってるはず」
「肉焼いてチーズのせようぜ!」
マルが涎を流しながら勢いよく挙手する。ショウとルカは他に意見もなく、黒髪少年のご希望に沿うことにした。
「小分けして、各自フライパンで焼くか」
「いや、ここはせっかくだから丸焼きにしようぜ! んで、切り分けてチーズを溶かしつつかける!」
「それだと、ちゃんと中まで火が通るかわからないぞ」
「外はパリパリ、中はジューシー、最高じゃんか!」
ショウはもう、意見をやめた。最悪、腹を壊すだけだ。なんでも挑戦してみるのは悪くない。
献立が決まると男三人組は小屋へ戻った。そのころには竈に火がついており、中は多少、暖かくなっている。
「え、肉をわけずにそのまま?」
ショウが下げている二頭分の肉を見て、アカリが驚いた。
「マルの希望なんだよ。ルカ、矢を貸して」
「矢?」
「そう。鋼鉄のやつ。あれに突き刺して焼くのが早いかなって」
「バーベキューの串じゃないんだけどなぁ」
いいつつ、ルカは矢筒から黒の鋼矢を一本引き抜いた。丸焼きにするしても、串がなければできないのはたしかだった。羽と鏃を取ってショウに渡す。今後これは、鉄串として一生を終えるのだろうとルカは思った。
ショウは受け取った矢に二つの肉塊を突き刺し、竈にかけた。火に近過ぎると気付き、適当な石で嵩上げした。
「『巨獣狩り(ビースト・ハント)』を思い出すね!」
シーナがテンションをあげる。『巨獣狩り』はゲームの名前である。その名のとおり、巨大な獣を狩るゲームで、斃した獣を丸焼きにして食べることができた。
「焦げないようにクルクル回しててくれ。熱いから気をつけてな」
「気をつけても無理だよ! 先に取っ手でもつけてくれればよかったのに!」
「マジか、このままじゃ焦げる!」
ショウとシーナが慌てふためく中、ルカが床に落ちていた角材を二つ拾い、串の端を挟むようにあてた。
「シーナ、そこのロープで固定して」
「あ、うんっ」
シーナは薪を縛っていた細いロープを取り、コイルを巻くように角材を串に固定する。
「うん、これならなんとか回せる」
シーナは大喜びで肉をグルグル回した。
「回しすぎても火が通らないからな」
「わかってるよ」
ショウの忠告に彼女は口を尖らせた。
その脇で、アカリは竈の余白に鍋をかけ、ルカからもらったイモを一口サイズに切り、焼いていた。火が通ると、ルカに頼んで鍋に水を入れてもらい、煮込んでいく。灰汁をとり、乾燥ネギを追加し、塩とコショウで味つけをする。
「調味料を一揃い買っておけばよかったわね」
「ナンタンでは塩味ばっかりだったからなぁ。香辛料とかあったのかな」
「あたしら結局、安さに負けてコープマン食堂ばっかだったからね。もっといろんな店を開拓してもよかったかもね」
アカリは肩をすくめた。
「そうだ、シーナがいた宿とかは? 一階が酒場だったんだろ? どんな料理があった?」
「え? えーとぉ……」
ショウに話を振られ、シーナは戸惑った。あの宿にいた頃とはつまり、ダイゴと過ごしていた日々である。ショウはそれをわかっていないのか、わかっていて気にもかけていないのか、彼女にはそちらのほうが問題だった。
「……コープマンよりも薄口だったけど、基本はやっぱり塩味だったよ。ただ、ジャムはオリジナルでいろんな種類があって、おいしかったかな」
「そっか。ナンタン全般にそんなカンジなのか……」
ショウはつまらなそうな反応をした。どうやら彼の頭は料理のことでいっぱいで、シーナの深読みは杞憂だったらしい。彼女は安心するやら、納得しがたいやら、モヤモヤっとした。
「けどよ、あのアンカス包みは違くね? 焼肉のタレみたいな味がしたろ」
マルが指を鳴らす。ショウは「アンガスな」とツッコミを入れてから、同意見を述べた。
「たしかに、あそこはなんか違ったな。けど、あの屋台でしか味わえなかったってことは、オリジナルなんだろうな」
「話してたら食いたくなってきたぜ。肉、まだかよ?」
「まだだよ。この焼き方じゃ一時間はかかるよ」
シーナが不機嫌に答えた。モヤモヤが治まっていないせいだった。
「マジか! めんどくせー、鉄板で焼こうぜ」
「おまえな……」
ショウは呆れてため息が出た。
「それなら、焼けた部分だけそぎ落としたらどうかな。そうすれば、中も焼けていくし、パリパリも楽しめるし」
ルカが提案する。彼もすでに腹が鳴いていた。
「それがいい。そうしよう!」
マルは即・賛成し、自分の取っ手付き鉄深皿を出した。その形をはっきりといえば、一人前用の小さなフライパンである。これを各自、一つずつ持っている。旅で使う食器が陶器では壊れやすく、コーティングしていない木製では衛生上よくない。かといってただの鉄皿では、熱い料理をいれたら火傷を負う。手袋を使うというアイデアもあったが、それも何かと不便だ。そこで注目したのが小型フライパンである。そこそこの深みがあり、スープにも対応でき、持ち手が木製のため火傷の心配もない。支えるのも楽だし、直火に当てることもできる。多少、乱暴に扱っても壊れず、場合によっては武器にもなる万能食器だった。他に、取っ手に紐を巻いた鉄のマグカップと、ナイフ、フォーク、スプーンに木製の菜箸、四角形の浅い鉄トレイが一人分の食器である。
ショウはこれに加えて鉄バケツと中型鍋をパーティー代表で背負っている。アカリがスープ作りに使っているのがその中型鍋である。鉄バケツは円柱状ではなく、飯ごうのように一部が凹んだ楕円形をしている。円形では持ち運びが不便なのでホリィに特注で頼んだ物だった。容量としては10リットルほどだ。
ナンタンを出た当初、バケツはリュックに括りつけていたのだが、何かと邪魔でうるさいので運搬方法を変更した。私物を乾いたバケツにぜんぶ放り込み、リュックに入れて持ち運ぶようにした。このバケツは調理用ではなく雑事で使う物だったので、この扱いに不平を漏らす者はいなかった。おかげでショウはバケツが必要になるたび、荷物整理をするハメになったが。
「シーナ、バケツに水をいれておいてくれる?」
ショウの要請に、シーナは肉焼き係をルカに任せてバケツに手を添えた。【水生成】魔法を唱え、満たしていく。3回唱えて八分目を越えた。
「歩き疲れてんのかなぁ。調子悪いや」
シーナは苦笑いを浮かべた。魔法も体調が効果に影響するらしく、今日は少々悪いようだ。絶好調なときは3回で満水になる。
「ありがと、使った食器を浸しておくための水だから、それでちょうどいいくらいだよ」
シーナに礼を言い、ショウはバケツを背後に置いた。
「なぁ、チーズを出してくれよ。肉が炭になっちまう」
マルは肉汁を垂らす丸焼きから目を離せずにいる。
アカリが「いじきたない」と文句をいいつつ、それぞれのカップにポテト・スープを注いでいく。
肉焼き係が今度はショウに代わり、ルカがパンとチーズを包みから取り出した。
「ナイフをあぶって適当に切り出して。パンは一人1つね。明日の朝と昼の分も残しておかないと」
「乾パンでいいなら出すわよ?」
五人分のスープを用意し終えたアカリが、座を立って自分のリュックへ向かった。
その間にマルはショウにフライパン皿を差し出し、肉をそぎ落としてもらう。それからチーズの塊に火で熱くしたナイフを通し、肉の上に盛り付けた。
ショウは手空きになっているシーナをうながし、彼女の皿にも肉を分ける。彼女はマルと同様、チーズを肉にのせたが、さらに直火でフライパンをあぶった。肉にもチーズにも熱が伝わり、脂とチーズの焦げる匂いが全員の胃袋を刺激した。
「ぐっ……! メシ・テロはやめろぉ!」
肉焼き係を離れられないショウが涎を飲み込みつつ、シーナの皿をうらめしそうに見る。
「『あーん』したげよっか?」
「それはやめてくれ」
「残念」シーナは自分の鉄トレイを竈に置いた。
「みんなの取り分けたら、残りはプレートにそぎ落としちゃいなよ。あとは個人で焼けたのを取ればいいよ」
「そうする。ありがと」
ショウはシーナに礼を言い、アカリとルカの順に焼けた部分を切っていった。最後に自分のフライパン皿に取り、残りは大雑把にナイフで切り刻んでプレートに並べた。
「……焼け焦げないうちに欲しい人は持っていったほうがよさそうだぞ」
火の回りが早い。一同はショウの忠告に従って、生焼けだろうがかまわずに自分の皿へと確保した。
「結局、個人で焼いて食べるんじゃない」
アカリが企画倒れの丸焼き料理に呆れる。
「調理専門がいないとダメだな。オレだって焼きたて食べたいっ」
ショウは肉の上にチーズはのせず、フライパン皿の脇に薄く削りだし、竈の火で溶かす。程よく滑らかになったそれに、パンをつけて食べた。
「チーズ・フォンデュ、だと……?」
シーナの眼が鋭くなる。
「なんでおまえはメシになると鬼気迫るんだよっ」
「食べるの好きだもん!」
「素直だな!」
シーナの魂こもった断言に、ショウは即座にツッコんだ。
「……アカリって料理できるんだね」
ルカがアカリの作ったスープを一口飲んで、意外なうまさに驚いた。
「こんなの料理っていうの? 切って炒めて煮ただけよ?」
作った本人が顔をしかめる。
「皮むきは手馴れてたし、手順もスムーズだったじゃない」
「皮むきくらい誰でもできるでしょ。あとは市販ルーを使ったカレーと同じ手順だし。素材を炒めて煮るだけ」
「わたし、皮むきはピーラー一択……」
シーナが落ち込む。
「楽するために作られた道具を使って何が悪いのよ? 別に皮むき選手権に出るわけでもないでしょ」
「だよね、そーだよね!」
シーナは復活し、アカリの手を握ろうとした。が、「熱い皿を持ってるのに危ないでしょ!?」と怒られる。
「あたし好きなのよね。カレーを作る過程で、ルーを入れる前の素材を煮込んだだけのスープに、塩とコショウで味付けしたヤツ。肉のうまみと、玉ネギとニンジンの甘み、ジャガイモの歯ごたえ。味はあっさりだけど、何杯でもいけちゃうわ」
「くぅ、それはやったことがない……。なに、その素材を活かした料理……」
「だからそれがこれだっての。この乾燥ネギ、けっこういい甘みを出してくれたわね」
アカリは少し冷めたカップを両手で持って口をつけた。野菜の甘みを塩が引き立て、コショウがアクセントを与えている。
「ボクはこのネギをパスタと炒めたのが好きなんだ。香ばしくて、それこそ塩とコショウだけでいけるよ」
「それもいいわね」
アカリがルカに賛同する。
「二人とも、メシを食ってるのにさらに腹が減る話はやめろ……」
ショウは空になった皿を見つめた。こびりついていたチーズまで綺麗になくなっている。
「まったくだぜ。オレたちの食料事情を考えろってんだ」
「あんた、人から分けてもらってばっかで、なんで偉そうなのよ? ぜんぜん持ってないわけ?」
「ねェよ。歩きながら食っちまうからな」
「開き直るなっ。村に着いたら夕飯はあんたのオゴリだからね」
「金もあんまねーよ。魔法覚えるのにほとんど使っちまったし」
「おいっ」さすがにショウがツッコむ。
「それでこの先、どうやって旅するつもりなんだよ」
「村か町についたら適当に仕事すりゃいいんじゃねーの? そのつもりだったろ?」
「そんな都合よくいかないだろうから、ある程度の蓄えは必要だって言ったろ。……けど、マルだけの問題じゃないか。みんな、所持金はいくらある?」
危機感を覚え、ショウは仲間に問いかける。
そういう彼も、それほど裕福ではない。ステータス・サークルを呼び出そうと首もとを叩くが、出てこない。壊れているのを思い出し、ステータス・カードを取り出した。
「オレ、31,236銅貨……15万円くらいか」
真紅背毛大猪の素材や報奨金などでそれなりの収入はあったが、サバイバル教練や語学講座などの旅立ちへの経費もかかっており、ショウの所持金は自分で思うほど残っていなかった。
「オレは8,000銅貨だから4万円くらいだな」
「なんだ、意外にもってんじゃん」とマルは口笛を吹く。
「そんなのじゃいずれ宿にも泊まれなくなるわよ。そしたらあんた一人だけ馬小屋ね」
「別に寝られりゃどこでもいい。そーゆーおまえはいくら持ってんだよ?」
呆れるアカリにマルが言い返す。
「77,652アクル」
「貯め込んでるなぁ」
「いつか魔法を覚えようと貯めたのよ。これでも基礎講習にすら通えないわ。戦士講習だって受けとかないわけにもいかなかったし……」
「そうだよなぁ。つくづくマルたちが羨ましい……」
マルとシーナ、それにルカは異世界人管理局専属召喚労働者となり、その特典として無償で魔法を身につけていた。その後、管理局のミスでセルベントを辞めた彼らだが、今も普通に魔法を使っている。ショウやアカリには嫉妬さえ湧き上がるほど悔しくも羨ましいのである。
「ボクも同じくらいだね。8万銅貨」
ルカが銅色のステータス・サークルを見ながら言った。就労レベル5以上10未満の証である。
ショウは疑問が浮かんだ。
「ルカってスキルを何も覚えてこなかっただろ? そのわりにアカリとそんなに変わらないってどうして?」
「いい弓を作ったからね。黒矢も特注だし」
「ああ、長弓は自前だっけ。けど、それだけでそんなにお金がかかるものか?」
「あとは食費」
ルカが笑う。それでショウたちは「あー……」と納得した。
「それもあるんだけど、実のところ、管理局専属召喚労働者って儲からないんだよ」
「そうなの?」
ショウがマルとシーナを順に見ると、マルはうなずき、シーナは「そうかな」と首をかしげた。
「少なくとも、地方派遣組はね。現地保安部隊として給料は出てたんだけど、単発一般作業よりも安いんだよ。衣食住は派遣先の管理所がまかなってくれるからなんだろうけど。副隊長待遇で週9000アクルだよ? 45000円。アカリはパン屋で一日いくらだった?」
「えと、税抜き1万円だったかしら」
「ね? アカリの四日半分なんだ」
「けどまぁ、仕事なんてあってないようなモンだったけどな」
マルが皿にこびりついたチーズをはがしながら言う。
「平和な村だったからね。適当な見回り兼散歩と自己鍛錬で一日が終わってた」
「それでお金をもらえてたんだからいいじゃない。こっちなんて大汗かいて仕事してたのよ?」
アカリが憮然として訴える。
「おまえは知らねーんだよ。退屈ってのがどんだけ苦痛なのか」
「贅沢な悩みね。そんな暇があったなら、もっと鍛えておけばよかったじゃない。今頃になって泣き言いいだしてさ、みっともない」
アカリは先日、練習試合でマルから不覚にも一本とられたのを未だ悔しく思っていた。そのあとは油断をせずに確実に攻めて、連勝記録をまた作りはじめている。
「ぐ……」
マルはたじろいだ。以前なら反論していたところだが、最近では魔法以外の戦闘力にも憧れていたので、アカリの言葉は耳が痛い。
「話がずれるからケンカはやめろ。……シーナはまだ余裕ある?」
「うん。わたし、16万ある」
「魔法取得でけっこう使ったわりに、まだ16万円もあるのか……」
ショウは感心とも呆気ともとれる息を吐いた。彼女は出発に備えて【光弾】と【水生成】の魔法を習得して、ずいぶんとお金がかかっていた。それでもまだショウよりもお金があるのが驚きだった。
「違うよ。16万アクル。80万円?」
「「ブフーッ!」」
一同が見事に噴出した。
「え、ちょ、マジで!?」
「うん。最盛期の1/3になっちゃったよ」
「サンブンノイチって、おまえ……」
ショウは反問すらできないほど驚いている。どうしたら自分のいない80日程度の間にそれだけのお金が稼げたというのだろうか。240万円を80日で稼ぐとしたら、一日あたり3万円である。実際にはダイゴとチームを組むようになってから収入が増えていったので、50日程度だ。
「やべーバイトの臭いがすんな」
マルがやっかみと本音を混ぜてシーナを疑わしき目で見る。
「してないよ! 管理局専属召喚労働者小隊の仕事として西の森の巡回業務を請け負いながら、一般の狩猟作業も同時にやってたんだよ! それだけで通常の二倍でしょっ」
「そんな稼ぎ方があったのか」
マルは心の底から悔しそうだった。
「偵察も狩猟も危険作業だから普通の仕事よりも報酬が多めなんだよ。狩った獲物も小さければ管理局に、大きいのは素材屋に売ればけっこうなボーナスになったし。さらに夏の間で地形の変わった山の地図作成なんかもやったからね、どんどんお金が入ってきた」
「そりゃ稼げるわけだ……」
一同からため息が漏れた。
「それにあの頃はお金とかどうでもよかったし、使い道もなかったから貯まる一方だったんだよ。今となっては、このために貯めてたんだなって思えてよかったんだけどね」
寂しそうに笑うシーナの頭を、ショウは意識せず撫でていた。彼女の笑みが明るさを増した。
「けどよぉ、そんなズリィ稼ぎ方を考えるなんて、ダイゴのヤロー、案外ズル賢いじゃんか。そんなふうには見えなかったけどなぁ……」
マルが頭の後ろで手を組んでボヤく。彼は一時期、ダイゴのパーティーに加わって害獣駆除に参加していた。
「別に考えたわけじゃないよ。小隊の任地がたまたまナンタンになっただけで、狩猟も実戦経験を積みたいってメンバーと話し合って決めただけ。結果論だよ」
「ふ~ん……」
マルは興味なさげに応えた。
ショウは本題に戻った。
「とりあえず、みんなの残金はわかった。この先を考えるとオレとマルはヤバそうだ。村に着いたら短時間の仕事を探してみるよ。悪いけど、他の三人は時間を潰しててくれ」
「あたしも余裕あるわけじゃないんだけど。できる仕事があるならあたしもやるわよ」
アカリが述べるとシーナとルカも便乗した。もっとも、シーナは皆が働く中、孤独でいるのが耐えられないのが理由だった。
ショウはステータス・カードを首から下げている赤い布袋に戻そうとした。その袋はシーナが作ったものだ。カードを肌身はなさず所持する方法を思案していたところ、彼女が作ってくれたのだ。ショウはその袋にカードと、ミコからもらった金貨を入れてお守りにしていた。
「そういえば久しぶりに見たけど、パラメータが少し上がってるな」
ステータス・カードやサークルには、個人データが詰まっている。その中には身体的なデータもあり、わかりやすく数値化されていた。
「そんなのもあったわね」
アカリもサークルを消そうとした動作をとめ、自分のデータを眺めた。今となっては数値など気にしてはいないが、召喚されてすぐのときはよく見ていた。たしかに以前に比べれば全体的に上がっている。特に『筋力』と『体力』がかなり伸びていた。腕立ても満足にできなかったころとは違うのだと実感した。
「この数値の基準てどんくらいなんだろうな?」
マルもサークルをジッと見ていた。『敏捷』と『魔法強度』の伸びが大きい。が、『魔法強度』にも密接な関係がありそうな『知力』はほとんど上がっていなかった。
「たしか一流で70、超人は80以上だったかな」
ショウはブルーの言葉を思い返す。召喚初日のことだった。
「ンだよ。一番高くて『敏捷』の32だぜ? これでも伸びたのに、半分もいってねーのか」
「サルのくせにあたしよりもトロいんだ? あたし34よ」
アカリが笑う。
「マジか!? 短距離走はオレのほうが速かったじゃねーか!」
マルはからかわれたことよりも、数値で負けたのが純粋に悔しかった。
「速ければ敏捷ってわけでもないからな。比べるとしたら反復横跳びじゃないか?」
ショウがまじめに答えた。
「あ、そっか……て、どっちにしてもなんでオレがコイツよりトロいんだよ!」
「今の話で、どうやって数値を出してるかようやくわかったよ。これっていわゆるスポーツ・テストなんだね」
不平をこぼすマルにかまわず、ルカが言った。
「毎年学校でやってるやつ?」
「うん。実際に計測してるわけじゃないから『もしやっていたら』という仮定の数値なんだろうけど」
「そんなの計測しないでわかるものか?」
「わかるんじゃない? この体、疑似体だし。『これくらいの筋力があればこれくらいの力が出せる』って定義されていて、そこから算出して数値化しているとか。『敏捷』なら速力と機敏さを筋肉の量や質で判断できそうじゃない? もちろん理論値であって、実際にそのパフォーマンスで動けるかどうかは当人しだいのところはあると思うけど」
「なるほど」
ショウは納得した。
「ちょっと待てよ。『筋力』とか『体力』はそれでわかるけどよ、『知力』はどーなんだよ? 知能テストを知らずにやってんのか?」
「ありえそうだけどな。寝てる間にバック・グラウンドで計測してるとか」
「怖ーこと言うなよ!」
「単純に知識量かもね。記憶領域の使用率とか。いろんな知識を身につけると、自然に上がっていくみたいな」
そういうルカは『知力』のパラメータが圧倒的に高く、47を示していた。来た当初は11しかなかった。
「ねぇねぇ、みんなのステータス、比べてみない?」
シーナが明るく提案してくる。悪気のない顔だった。
「え? イヤよ。他人と比べるなんて」
アカリが即、拒否した。他人の数値に興味はあるが、自分の秘密も知られることになる。
「低いのあると恥ずかしいから? じゃ、基本能力の上位3つだけってどう? 低いの3つは言わなくていい」
「……まぁ、それなら」
アカリは自分のパラメータを再度確認して了承した。
「ショウたちは?」
シーナに振られ、彼は「いいよ」とあっさりしていた。全部でもかまわないのだが、アカリがまたごねるのが目に見えていたので言わない。マルとルカも同様だった。
「じゃ、言い出しっぺのわたしから。ベスト3は体力32、筋力26、器用25! ……て、脳筋戦士か!」
「自分でツッコむなよ。オレも似たようなもんだ。体力28の筋力29、器用じゃなくて敏捷23だけど。……体力でシーナに負けてるのか、オレ」
ショウは落ち込んだ。野球部出身として、体力だけは自信があったのだ。が、考えてみると野球部時代はもう、半年以上昔だった。
「しょうがないよ、ショウは3ヶ月近くも病床にあったんだから。それに比べてわたしは毎日、山で狩猟してたんだよ? これで負けてたら、わたしのほうがなんなんだって思うわ。まるで成長していないって言われるよ」
シーナが肩をすくめる。
「あたしは敏捷の34が一番で、器用が27、23の体力が三番目ね」
「普段の戦闘イメージまんまだな。にしても、ずいぶん体力ついたな。がんばったんだな、アカリも」
しみじみというショウに、アカリは真っ赤になって「無理に褒めなくていいっ」と反発する。
「無理じゃなくて――」
「だから言うなっ」
アカリはさらに焦りながらショウを遮った。
そんなじゃれ合いがマルはおもしろくない。二人の仲睦まじさに対してではなく、単純に数値負けしているのが悔しいのだ。
「……敏捷32、体力24、魔法強度21」
ふてくされるマルだが、ショウたちは驚いた。
「魔法強度21って、すごいじゃないかっ。オレなんて9だぞ? 素養がないにもほどがある!」
「あたしもないわよ。まぁ、勉強してないせいだと思うけどね」
今度はアカリが悔しがったが、表情には出さない。
「わたしも魔法使えるけど、19だよ?」
シーナは不思議だった。セルベント時代にずいぶんと魔法を行使してきたつもりだった。それこそ『経験値稼ぎ』はマルにも負けないはずだ。それなのに、わずかとはいえマルに劣るとは思いもしなかった。
「精霊属性の差だろうね。自分の得意な魔法を使ったほうが成長は早いから。シーナは水-風だったよね? 地属性の【治癒】系を使っても、そんなに伸びはよくないよ。マルは火-風だから【火炎弾】は得意属性で成長しやすいんだ」
「おーっ」
ルカの解説に、マルは機嫌をよくした。かわってシーナが落ち込む。
「これからはわたし、ずっと水だけ作って生きていこう……」
「極端すぎだろっ。別に【治癒】魔法だけがシーナのいいところじゃないんだから、気にすることないじゃないか」
「そうだよね。うん、そうだよ!」
励まされ、彼女は簡単に立ち直る。アカリには狙ってやっているとしか思えない。
「最後がボクだね。知力47、魔法強度43、器用35」
「「おいっ!」」
一同は驚くよりもツッコミが先に立った。
「そんなウソくせー数値があるかよ! どこをどう見てんだよ!」
マルがルカのステータス・サークルを覗き見る。そして愕然とした。
「……マジかよ。なんだこりゃ、全部30以上って……」
「「ハァ!?」」
残りの三人もルカを囲んで確認する。結果はマルと同じだった。
「さすがにおかしいだろ……」
「壊れてんじゃないの?」
「だよねー? いくらなんでもヘンだよ」
「叩きゃ直るんじゃね?」
言いたい放題の仲間に、ルカは憮然とした。
「おそらく合ってると思うよ。あのころから、なんか体の調子がいいんだよね」
「あのころ?」
「ショウが行方不明になってから。ショウを探しに行って、クタクタになって訓練所に帰ったんだけど、一晩休んだら体が生まれ変わったみたいに軽くなってたんだ」
「なんだそれ? それこそショウみてーに雷に撃たれて電気ショックでパワーアップでもしたのか?」
マルが大笑いする。「それ冗談にならないからね」とシーナに睨まれ、黒髪少年は「わりぃ……」と頭を下げた。
「うーん、思いっきり魔法は使ったかな。それでタガが外れでもしたとか」
ルカは思いつくままを口にした。が、それも仲間からの賛同を得られない。
「それでサークルがおかしくなったってとこじゃね?」
マルの推測のほうがショウたちはよほど受け入れやすかった。
「そうかなぁ……」
ルカは納得しきれなかったが、追及はやめた。
「けど、実際に手合わせしてるとその数値もあながち間違いとは思えないよな。前からルカは強かったし、ブルーさんからも一本取ってたし」
「そういやそうだったな」
マルもその光景を思い出した。比べて自分はコテンパンにされていた。
「初めてブルーさんに会ったときパラメータを見たけど、数値までは思い出せないな。当然すごく高くて、自分の弱さに落ち込んだのは覚えてるんだけど」
「数値がすべてじゃないよ。数値よりも技術と経験だとボクは思うけど。圧倒的な才能差がなければ、努力とやる気で補っていけるよ」
「それをおまえが言うか?」ショウが皮肉まじりに笑った。
「……けど、そうだな。どのみちやれることは限られてるし、ないものはない。地道にやるさ」
ショウは今度こそカードを袋に収めた。ほかのメンバーもサークルをしまい、冷めきった料理に改めて火を通した。
食事を終えると片付けが待っている。後始末も自分たちの仕事だった。
公正なジャンケンの結果、ショウが今回の皿洗い担当となった。
バケツの中に、使い終えたフライパン皿をはじめとする食器が浸されている。ショウは重くなったそれを持ち上げ、マルを伴って外へと出た。
冷たい風が吹く中、ショウはバケツを置き、魔法の照明石で周囲を照らす。この魔法の石は買ったものではなく、管理局で借りていた物をそのまま持ってきていた。わざとではなく、返却を忘れていたのだ。他にも笛とコンパス、照明弾もカバンに入れっぱなしである。次にナンタンに戻ったときに返すつもりでいるが、いつになるのかはわからない。
「それじゃマル、そのへんの石に【高熱付与】を頼む」
「おう」
マルは足元に落ちていた手頃の石を拾い、【高熱付与】の魔法をかけてすぐにバケツに落とす。数秒してバケツの水がお湯となり、蒸気をあげだした。
「少し大きかったか?」
「だな。温度たけーや」
この魔法の効果範囲は、術者が触れた面積に比例する。広ければ広いほど熱を発するエリアが大きくなる。
「シーナかルカを呼んできてくれ。どのみち追加の水を頼まなきゃならないし」
「わーった」
マルは寒さにコートの前を押さえながら小屋へ戻った。
ショウは洗物用に用意した目の粗いタオルを取り、温まったフライパン皿を洗いはじめた。こびりついたチーズがなかなか落ちない。もう少し湯に浸しておこうと決め、次の皿を引き抜く。こちらは元から綺麗だったので、表面上、汚れはすぐになくなった。
「この食べ方はアカリだな。意外と食べ方うまいんだよな、あいつ。フォークとナイフもうまく使うし。実はいいとこのお嬢様だったり。あ、でも、それなら料理なんてやらないか」
「人の皿を見て、なにブツブツ言ってんのよ」
「うおっ!」
声に驚き振り返ると、アカリとシーナがいた。アカリはスープを作った鍋とおたまを下げている。
「気持ち悪いから自分で洗うわ。どきなさい」
「いや、やるよ。鍋もそこに置いといて」
アカリはしばらくショウをじっと見て、「あたしの皿を舐めないでよ?」と夜風よりも冷たい目で言った。
「舐めるか!」
「そ。じゃ、任せるわ」
アカリは鍋を置いて、さっさと小屋へと戻っていった。
「いくらショウでもそこまで変態じゃないよねー」
「おいっ」
となりにしゃがみこむシーナにツッコむ。
「洗ったのはこっちでもらうよ」
シーナが乾いたタオルを広げて待ち構える。早速ショウがアカリの皿を渡すと、二度ほど振って水切りし、タオルで表面を拭いた。
次々とフライパン皿を片付け、五人分が終わると、二人は立ち上がって皿を小屋に運んだ。中にいるルカに渡し、適当に干しておいてもらう。
ショウは濁ったバケツのお湯を捨て、シーナに改めて水を注いでもらう。脂が流れきれずにいたが、こだわっていては作業が進まない。フォークやナイフ、カップや鍋も洗い、最後に水量を減らして熱湯でバケツを洗浄した。そのころには【高熱付与】の効果も切れていた。
「浸け置きすると、バケツに脂がこびりついて他では使えなくなりそうだな」
「だね。バケツにはお湯だけ入れて、汲み出しながら洗うほうがいいかも」
「初キャンプでさっそく反省点が見つかったな。食器用洗剤があれば楽なんだろうけど」
「石鹸でもいいんじゃない?」
「それはそれで貴重なんだけどなぁ」
リュックにしまったまま使ってない石鹸を思い出す。安い物ではないので、ついつい使用を躊躇してしまうのだ。
「衛生面ではケチらないほうがいいよ。わたし、【解毒】は使えるけど病気は無理だからね」
「……そうだな」
ショウは小屋へ戻り、石鹸を取り出した。ついでマルに頼み、もう一度【高熱付与】を頼む。それからバケツを新品同様にすべく、熱湯と石鹸でしつこいくらいに磨いた。終わる頃には、シーナが「水の使いすぎ!」と疲れた顔をしたほどだ。
食後の小休止が終わると、ショウはルカを誘って稽古に励んだ。一日、移動していたとはいえ、鍛錬は別である。さぼっても得することは何もない。一歩一歩、自分で高めるしかないのだ。
アカリはそのへんをよく理解している。というよりも、アカリの今までを知っているからこそ、ショウはさぼろうなどと考えない。彼女も同様で、100本射ちの日課をこなすべく、ショウたちのあとに続いた。
「シーナぁ、剣の相手してくれよ」
ルカと出ていくショウの背中を寂しそうに見ていたシーナに、マルが願い出た。近接戦闘に限ればルカに次ぐ強さの彼女は、マルにとってよい相手であった。
「いいけど、手加減しないよ?」
「上等だ。オレも女だからって優しくはしねぇ」
「弱いほうが加減するなんておこがましいよ」
その言葉はショウに向けた愚痴である。
「オメーもたいがい寂しがりだよな」
「そんなことないよっ」
ムキになって反論する彼女にかまわず、マルは訓練用に自作した木刀と『桶底の盾』をリュックからほどいた。二組あり、一組をシーナに渡す。
「二人だけなら小屋でもいいだろ」
「そうだね。屋内戦闘を想定してやろうか」
シーナが火元から離れ、マルと正対する。
部屋が狭いので、おたがいに小細工はできなかった。そもそも勝負ではなく、武器戦闘の訓練である。真正面からぶつかり合い、技術を高める戦いだった。
夏の始まる前、シーナはショウと二人でこうして剣を交えていた。懐かしい思い出だ。チャンバラだとかママゴトだと笑われたこともある。それでも二人は真剣だった。
「なに笑ってんだよ? 相手にならねーってのか?」
技術も体力も劣るマルは、終始、押されている。悔しさがわく。だからこそやる気にもなる。
「そうじゃないよ。ちょっと懐かしかっただけ。あのころのショウに比べたら、マルはよっぽど強いよ」
「ンな昔と比べんなっ」
瞬間的に怒り、体ごとぶつかるように力任せに押し返す。意外な力に、シーナは驚いた。
「いいね、もっと全力でかかっておいで」
シーナの安い挑発に、マルは簡単に乗った。
外ではショウとルカのぶつかり合いが続いている。といっても、こちらも一方的展開であり、ときおり眺めるアカリが首を振ってため息をこぼしていた。
攻撃を仕掛けるショウをルカが軽くいなす。長い木の枝一本で、ショウはコロコロと転がされていた。
アカリが矢を100本射る合間に、ショウは20回は地面に倒れていた。
練習を終えたアカリは、地面で大の字になっているショウに気の毒そうな目を向けた。
「あんたさぁ、実力差がありすぎる相手に挑んでも練習にならないでしょう?」
「そうでもない」ショウは上体を起こした。
「少しずつ、見えてはきているんだ。体が反応しきれないだけ。慣れていけば動きも読めるようになるよ。たぶん」
「たぶんなの?」
アカリはため息で応えた。
「こればっかりは練習あるのみだよ。少しくらい無茶でも練習ならいいんじゃないかな。大ケガしても治してあげられるし」
ケガをさせている当人が笑顔を浮かべる。
「そういうこと」
ショウは立ち上がり、また剣をかまえた。
訓練のあとは、熱い湯に浸したタオルで汗を拭う。
ルカが所持していた大きな黒いシーツ――サノサス村の偵察で使った物――で小屋を区切り、男女分かれる。バケツは一つしかないので中間に置かれ、マルの【高熱付与】とシーナの【水生成】が作り出した熱湯が次々とタオルに吸われていく。バケツの中でタオルを絞らないようにしたため、お湯は濁りにくいかわりに減りが早かった。
「ルカがいい目隠し布を持っててくれて助かったわ。どっちかが外で待機にでもなったら凍え死ぬところよ」
「あの村で湯浴みしたときから想定してたからね。ボクは別に二人の裸に興味もないんだけど、喚きたてられるのはわかってたし」
シーツ越しにルカの声が届く。
「そりゃ喚くわっ」
アカリがツッコむ。黒シートがあるので安心して全裸になって体を拭いていた。もちろん、漫画のようなラッキー・スケベを警戒し、男側に背を向けている。
汗と泥を拭い、新しい肌着を身につけ、服を着る。
アカリとシーナは改めてバケツにお湯をはった。今度は洗濯だ。
それ自体はすぐに終わったのだが、困ったことに干すところがない。
「ロープ張ろうか?」
ショウが申し出るが、そういう問題ではないとアカリはツッコミたい。若い男の頭上に、女性の下着をぶら下げろというのか。
そんなアカリの心情に同性のシーナは気付いている。彼女は「う~ん」としばし唸ったのち、アカリの肩を叩いた。
「あのさ、裸はともかく、下着くらいなら見られてもよくない?」
「あんた、なに言ってんの!?」
「まーまー、よく考えて。ルカはどうせわたしたちに興味ないでしょ?」
「……まぁ、そうね」
「で、マルは子供じゃん。弟みたいなものだと思えば、下着くらい気にならないでしょ?」
「そうかも」
リアル弟がいるアカリは想像して納得した。マルは実弟ではないが、彼女は以前からそのランクの相手と思っていたので、すんなり認められた。
「ショウに至っては隠す必要すらないじゃん」
「……!」
アカリは真っ赤になった。が、これもまた正鵠を射ている。
「というわけで、部屋の隅に干すくらいでいいんじゃない?」
「……そうね」
アカリはそっぽを向きながらシーナの案を可決した。
対する男たち――ショウとマルも、色気のないただの布切れにすぐに興味が薄れた。見ていても興奮も面白みもない。デザインがいかに大切か学び、リーバがいればもう少しそそるような色や形にしてくれただろうとしみじみ思うのだった。
「そういやよぉ」マルがアカリの肌着を眺めながら言った。
「ダイゴのとこにオックスっていただろ?」
「うん」
ショウがマルと同じものを見ながら相槌を打つ。表情には感情がなかった。壁のシミをぼうっと見ている風体である。
「あいつがビキニ・アーマーについて熱く語ってたのを思い出した。そのときはアホかと思ったが、今ならなんとなく理解できるぜ」
「なんだそりゃ?」
ショウの視線がマルに移った。耳についたアカリとシーナもマルを見る。バカ話をはじめたと思いつつも、聞きたくなるのはなぜだろう。
「あいつ、おっぱい好きらしくてさ、なんかそんな話になったんだよ。この世界にまともなブラがないのと密接な関係があるとか」
「その雰囲気はたしかにあったわね……」かつてのパーティー・メンバーであったシーナが思案顔になる。ときおり自分の胸に熱い視線を感じたものだが、当時のシーナにはどうでもいいことであったので、あえて注意もしなかった。
「まともなブラがねーと胸が垂れ下がっていく。だから形を維持して、支えるものとしてビキニ・アーマーが発明されたんだってよ」
「「なぜに!?」」
ショウとシーナとアカリの総ツッコミ。
「えーと、革や鉄のビキニ・アーマーなら硬質で形が崩れないから、胸を支えるのにうってつけだったんだってよ。しかもデザインに凝った物も多いとかで、ファッションの意味でも好まれたんだと。女のなかでも特に激しい動きをする女戦士が愛用して、鎧としての強度も合わさって広まったそうだぜ。それがいつしか一般人にも伝わって今に至るとか。だから金持ち連中はみんなビキニ・アーマーをつけているんだってよ」
「お、おー……」
目から鱗だった。下着よりも先に、鎧が女性の胸を支えていたとは深い話である。
「オックスが最後に言ってたぜ。ビキニ・アーマーは鎧じゃない、下着なんだ。だから女性はみんなつけるべきなんだ、てな。アホだろ、あいつ」
「けど、理屈は通っている」
ショウが深くうなずくそばで、アカリが「バカじゃないの!?」と吐き捨てた。
「でもまぁ、それなりに面白い話だったよ」
シーナは広く受け入れる。目の前でオックスが語ろうものなら頭を叩いているところだが、離れた今は仲間の懐かしいエピソードとして聞こえる。
実際には、シーナたちが身につけている下着には、ワイヤーはともかくストラップとベルトの構造は含まれており、支える役目はきちんと果たしていた。また、彼女たちはこの世界で未だビキニ・アーマーなる物を見たことがない。女性用鎧が胸の部分を強調したり余裕を持たせているのは事実であるが、ビキニ型ではない。よってオックスの主張する説はまったくのデタラメであった。
「これもゲーム脳だよねー」とシーナは笑っている。
「……それにしても、こうしていろいろと慣らされていくんでしょうね」
隙間風にはためく布切れを眺めながら、アカリはげんなりしながら首を振った。男どもの羞恥にさらされても、何も感じない。シーナの言葉どおりであった。
唯一の味方であろうシーナはすでに悟りきっていた。
「そーゆーもんだよ。いずれ下着姿でウロつくようになるんじゃないかな」
「うわぁ……」
不快感を表すアカリだが、一方でそうなる未来がないとはいえない気がする。
「そうしておばさんになっていくんだわ」
つぶやいて、アカリは頭を抱えた。
就寝前のお楽しみに、シーナがトランプを持ち出した。いくつかのゲームをこなし、マルが大あくびをするとお開きとなった。
「トイレはすませておこう。この寒さだから動物も出てこないとは思うけど、夜中に出歩くのは危険だ。それでも夜中に我慢できなくなったら、無理やりにでもだれか起こして必ず二人以上で行くこと」
ショウはそう言って、マルとルカを伴って外へ出て行った。数分もせずに戻ってきた三人は、寒さに震えていた。
「予想以上に外は寒いぞ。小屋がなかったら凍死してるレベルだ」
水で洗った手が凍っているように冷たかった。焚火がわりの竈に枝を放り投げ、火力を上げる。朝まで薪がもつか、厳しいところだった。
続いて女性陣も小屋を出ていく。男たちと違いカバンを下げていたが、マルもさすがに言及しなかった。ただ、二人の姿が見えなくなったあと、楽しそうに何かを喚いていたのはアカリにもわかった。
「だからガキとサルは嫌いなのよっ」
吐き捨てるアカリだが、一吹きした風に体が一瞬で凝り、それどころではなくなった。
「う~~~~っ、さぶいぃ~~~~~っ」
アカリとシーナは自分の身を抱いて、さすった。
「こりゃ、早くすませて戻ったほうがよさそうだよ」
「そうね。マジで死ねるわ」
二人は照明石で照らした草むらの中を走っていった。
小屋に戻るころには、先ほどのショウたちのように震えている。リーバのコートがなければどうなっていたことか。
火と周囲警戒のための見張り順を決め、五人は焚火を囲むように横になった。カバンを枕に、薄い毛布とコートを布団がわりにして。
隙間風は防ぎきれず、ときおり高い音を鳴らす。焚火が爆ぜる。
「いや、これダメだろ!」
ショウが飛び起きた。とてもじゃないが寒くて眠れない。眠ったら目が覚めない気がする。
最初の番人であるルカを除いて、他三人も体を起こす。ショウと同意見だった。
「寒くて眠れない……」
シーナが焚火に手を近づけて、こする。ほんの数分、横になっていただけで体温が急激に下がっていた。
「こうなったら仕方ない、全員で固まって寝るしかない」
「「マジで?」」
アカリとマルが同時に嫌悪を込めて叫んだ。アカリは恥ずかしさのためで、マルは息苦しい空間が嫌いだからだ。
「いろいろと言いたいだろうけど、死ぬよりはマシだろ。今日一日だけだよ。村についたら今後の防寒について考えよう」
「……しょうがねーか」
不承ぶしょうマルは受け入れた。アカリも仕方なく「わかったわよっ」と認めた。
「でも、火の番はどうするんだい?」
全員がまとまってしまったら、身動きがとれない。
「今回は全員じゃなくて、オレとルカの二交代でいこう。眠くなったら交代する。それならちょっと考えがあるんだ」
「ボクはいいよ。もともと眠りは浅いし」
ルカはそう答えたが、一晩くらいなら眠らなくても問題はないので、一人で徹夜をしてもよかった。それをいえばショウは反対するだろう。それがわかっているのであえて口にしなかった。
「それじゃみんな、いったんコートを着てくれ」
メンバーが指示に従うなか、ショウは小屋の隅を選んで進んでいった。
ルカから間仕切りに使った黒い布をもらい、床板に敷く。
壁際から2メートルほどのところの床板を数枚はがし、露出した地面を広く浅く掘った。
「この角を中心に固まろう。横にはなれないけど、今日だけ我慢だ。端からマル、ルカ、オレ、アカリ、シーナで。その穴に火を移して、薪はオレとルカの前に置いておく」
ショウの指示に従って並んで座ってみる。肩を寄せ合い、毛布を重ねて寝ようとするが、思ったよりも温かくない。
「……ダメだね、これも。もっと密集しないと。カッセさんなら『ふぁらんくす!』って叫ぶとこだよ」
シーナが毛布をはいで大きな声を出す。ショウとアカリが笑った。ゴブリン討伐の思い出は共通である。マルとルカは意味がわからず、和む三人を不思議そうに見ていた。
「もっと密集といってもなぁ、円陣でも組むか?」
「んー、じゃ、こんなのどうかな?」
シーナが立ち上がって、アカリも引っぱり上げる。残った男たちを左からルカ、マル、ショウの順番で座らせた。
「――で、アカリはショウの前、わたしはルカの前に座る。ショウとルカがわたしたちを後ろから抱くカンジでどう?」
「え、ちょ、そんなの……!」
想像して赤面するアカリに、シーナが人差し指を突き立てて彼女を黙らせた。
「アカリちゃん、これは死活問題なの。せめてもの情けにショウを譲るんだから、つべこべ言わない。それともマルのほうがいい?」
「……わ、わかったわよ」
ショウとマルを見比べるが、考えるまでもなくショウ一択である。
「オレだってお断りだっ」
マルも吐き捨てた。
「ショウとルカはコートの前は外してね。わたしとアカリもコートを前後逆で着る。なるべく素肌で密着しないと意味ないからね」
シーナの指示に従い、四人は準備をした。女性二人がそれぞれのパートナーに背中を預けるように寄りかかった。
「ちょっと、抱きしめなくてもいいでしょ!?」
「密着しなきゃ意味ないだろっ」
アカリとショウはたがいに恥ずかしがり、シーナは「今さらなに照れてんの?」と呆れた。アカリは「ウルサイっ」と言い返すのが精一杯だった。
「あのさ、シーナ」
体を預けられたルカがシーナに呼びかけた。
「ん?」
「重い……」
「なんてこと言うんだ、キミは!」
シーナは飛び起きた。
「いや、ホントに。圧迫されてキツイんだけど。そのぶん熱量はあるんだけどね」
「ぬぬぅ……!」
言いたいことはたくさんあったが、怒りに言葉が出ない。
「あ、あのさ、かわろうか……?」
アカリがよそよそしく呼びかける。
「その優しさがよけいツライ!」
「確かに最近――」
「わー! 言うなぁ!」
ショウの言葉を必死に打ち消す。自覚はあった。ショウのパーティーに復帰して以来、食が進んでいた。が、そのぶん鍛錬にも身が入っていたし、仕事もしていた。だから脂肪が増えたのではなく、筋肉がついてきたのだと信じたい。信じたかった。
けれど、シーナの生活は合流前に比べてかなり怠惰である。以前は仕事で山林を駆け回り、鍛錬も寂しさや辛さを払うように自分を苛めぬき、食事も定刻以外はとらず、量も少なかった。今やその真逆である。
「フンっ、もういいよ! マル、わたしと寝よ。わたしが後ろでマルが前ねっ」
「そんなヤケにならなくても……」
「いいんだよっ。ほら、マル、ルカ、さっさと立つ!」
流されるまま、二人は立ち上がった。後列の真ん中は前後にパートナーがいないルカとなる。前がいないので、せめて左右から挟む形にしなければならなかった。
ルカがショウの隣につき、シーナがさらに並んで座る。彼女は脚を開くと、「ほら、おいでっ」とヤケクソ気味に床を叩いた。
もしかしてこれって役得じゃね?とマルが冷静に状況を分析し、喜々としてシーナに背中を預けて座る。
「おーっ、フカフカっ」
「エロガキっ」
喜ぶマルの頭をアカリがはたく。
「ッてーなぁ!」
「あんたがふざけてるからでしょ。さっさと寝ろ」
「ホントなんだからしょーがねーだろっ。ボヨボヨして――オガッ!」
今度はシーナの頭突きがマルの後頭部に直撃した。
「黙れ。寝ろ」
「……ウス」
「フンっ」
シーナは毛布を肩口まであげて、壁に寄り掛かった。マルも毛布を掛けなおし、シーナをクッションにして目をつぶる。至福の顔をしていた。
「ルカ、眠くなったら起こしてくれ」
「うん、わかった。おやすみ」
ルカは笑顔でショウに応えた。
「アカリも、悪いけど、薪をくべるのに起こしちゃうかも」
「いいわよ。本来なら全員で交代すべきなんだから」
「ありがと。しばらくは寝てられるはずだから、休んで」
ショウは壁に寄り掛かりながらアカリを抱き寄せた。体を預ける形となって少女は焦ったが、少年は何事もなかったようにアカリごと毛布をかぶった。
アカリはショウの静かな呼吸音を聞き、一つ息を吐く。ショウの毛布で包み切れなかった体を自分の物で補う。戸惑いつつ、改めてショウに体を預けて目を閉じた。
鼓動がごく身近に聞こえた。
一夜明け、五人はほぼ同時に目を覚ました。密集していたため、一人の身じろぎが全員に伝播する。眠気があるうちは体も起きようとはしなかったが、明け方ともなれば敏感に反応する。
「おはよ」
ショウが残り少ない薪を投げながら、胸元でモゾモゾするアカリに声をかけた。
寝ぼけていて状況判断が鈍い彼女は普通に「おはよう」を返したが、すぐに飛び起きた。
「コラ、マルっ。離れろっ」
にぎやかな声がする。シーナが、自分に抱きついてるマルをはがそうと躍起になっていた。マルはまだ寝ぼけているのか、シーナの腰に巻き付いて離れようとしない。
「そういやこいつ、山狩りのときも木に抱きついて寝てたな。クセなのか」
「そんな分析いらないよ! 頭で胸をグリグリしてきて気持ち悪いから、早く剥がしてよ!」
「それは災難だったな」
ショウは笑いながら、マルの耳に息を吹きかけた。「のはぁッ!」と叫びながら黒髪少年がジャンプする。「マルの意外な弱点だ」とショウはさらに笑った。
「……おはよぉ」
ルカが目をこする。ショウは彼があまり寝ていないのを知っている。起こされたときから、せいぜい3時間といったところだ。そのぶん、ルカは長く起きて火の番をしていたことになる。
「ルカ、まだ寝てていいよ。すぐ出発するわけでもないから、朝食の準備が終わるまでは横になってな」
「……そう? じゃ、そーするぅ……」
ルカはコテンと倒れた。ショウは微笑み、自分の毛布も彼にかけてやった。
「マル、トイレついでに薪拾いにいくぞ。もう少し必要だ」
「え、あ、おう……。なんか耳がすげぇ気持ちワリィ……」
マルは右耳をほじりながら準備をはじめた。
ああ 二人が扉を開けると、寒風が直撃する。この時点で外出はやめたくなったが、そうもいかない。踏みしめた地面がパキッという音を立てた。霜が降りていたようである。今日は12月1日。本格的な『冬』がはじまる日だった。
「雪が降らなくても寒いもんは寒いな」
マルはコートの前を合わせた。
「これじゃ乾いた枝なんて落ちてないだろうなぁ」
「そんときゃオレの【高熱付与】で乾燥するってどーよ」
「それすごいアイデアだな。本当にできればだけど」
「なにィ!?」
ショウが扉を閉めたため、小屋の中のアカリたちには声が聞こえなくなった。
「それじゃこっちはお湯を沸かしておこうか。それくらいの火はあるでしょ」
「うん」
アカリとシーナも朝の準備をはじめる。
「それにしても、やっぱりあんたの水魔法は便利よね。普通なら水が足りなくて困ってるところだわ」
「わたしもそう思う。水がいつでも使えるだけで、生活に余裕ができる」
「悔しいけど、サルの魔法も便利だわ。持続時間がもっと長ければ最高なんだけど」
「火と水は必需だよね。おかげでお風呂は無理でも、体を洗ったり洗濯もできて精神的にも楽。わたしも【高熱付与】を覚えればよかった」
シーナが半ば本気で残念がる。
「あとは防寒用に結界とかはれたら便利よね」
「あー、いいね。そんな魔法、ないかなぁ」
シーナは頭の中で訓練所で覚えられる魔法リストを思い出す。が、そんな便利魔法はなかった気がする。ここでもしルカが起きていれば、「あるよ」とあっさり答えたであろう。そして【簡易結界】を実演して見せ、皆から「なんでもっと早く使わないんだ!」と総ツッコミされたはずだ。そうならなかったのは、幸か不幸か、誰もわからない。
半時間ほどしてショウとマルが手に薪の元を下げて戻ってきた。
思ったとおり、湿気っており火がつかない。マルの魔法でバケツを加熱し、そこに放り込んで乾燥――というより炭化させた。
「食材もほとんどないし、お茶とパンと残りのチーズで朝食は終わりだな。昼も携帯食だけになりそうだ。次の村までガマン」
鍋にたっぷり作ったお茶をそれぞれのカップにそそぐ。チーズもパンもきれいに五等分した。そのころにはルカも匂いに誘われるように、ノソノソと起きてきた。
「道すがら狩りをするわよ。今度は大物を捕まえるわ」
「ちょっと本気で祈る」
ショウがまじめな顔で返した。
軽い朝食を終え、片づけを済ませる。焚火に水をかけて鎮火を確認後、五人は荷物を担いだ。
「行こうか」
ショウが扉を開く。一気に体温が下がり、テンションも落ちていく。それでも彼らは一歩を踏み出す。進まなければ見えない世界があり、見たい世界にたどり着けない。それが『冒険』というものだった。




