第二話 ぼくと契約して魔法少女になってよ
一年が経ち、出席日数が足らずに進級できなかった私は高校を中退した。
ママから勧められて受けたカウンセリングは話を聞いてくれていない感じがして、だけどわかったふうに言われるのがただ不快なだけで、一度しか行かなかった。
パパは単身赴任に出て家にいない。たまに帰ってきてお土産をくれる人になっている。私には不干渉。ニートになった娘を扱いかねて見て見ぬふり。臭いものに蓋をするパパ。
はるかは難関の私立中学に合格し、部活に塾に忙しそうに毎日を過ごし、私を気にかけてくれることは減っていった。たまに顔を合わせるとそのたびに顔つきが険しくなり、私を見る目が冷たくなっていった。私に笑顔を向けてくれることはほとんどなくなった。
私はいったい、なにをしているんだろう。
漏れ聞こえてくるママとの会話で、はるかの毎日が充実していることがよくわかった。暗黒の中学生活を送っていた私と違い、はるかは常にトップクラスの成績で部活にも精を出している。勝ち組への道をひた走る将来有望な妹。
それに比べて私は高校中退の引きこもりニート。お先真っ暗。やりたいことは何もない。お金を稼ぐためにできるような特技もない。絵を描いても文章を書いても、自分の才能の無さに失望して虚しくなるだけですぐに諦めた。コンテンツは創るものではなくて消費するものだ。
ただただ毎日を、明日起きたら苦しまずに死んでないかなと願いながら過ごしている。早期退職みたいに安楽死も認められていればいいのに。
そんな私が毎日続けられていられる唯一のことがアカミーのお世話だった。餌やりに水槽の水換え、たまにろ過フィルターの掃除。それさえしておけばアカミーは私と一緒にいてくれる。アカミーの寿命はたぶん、不健康な生活をしている私よりも長い。
私が死んだ後もアカミーは生きていてくれると思うと、不思議と安心した。
家族が寝静まった深夜。お風呂場で水槽を洗い、敷き詰めた砂利のぬめりや汚れを落とすのが日課になっていた。
そうすることでささやかながら満足感と達成感を得られた。私でも役に立てることがあるんだ、継続できることがあるんだって、ちょっとだけ自分を認められた。
「お姉ちゃん」
すっかり眠っていると思っていたはるかが、サッシを挟んで脱衣所に立っていてビクリと震えた。
半月ぶりくらいに見た妹はあどけなさの残る顔に、大人みたいに不機嫌な表情を浮かべていた。クラスメイトたちとそっくりな目で、私を見ていた。
「アカミーの水槽の掃除、深夜にするのやめてくれない?小豆洗いみたいな音がジャラジャラしてうるさくて起きちゃうの。眠れないの」
「あっ、う、うん。ごめんなさい、はるか」
「お姉ちゃんどうせ昼間なんにもしていないんだし、昼間にやればいいじゃん。どうしてわざわざ夜なの」
昼間はママが起きていて顔を合わせてしまうかもしれないから、寝ている深夜にやっている。なんてことは冷ややかな目を前にして言えなかった。
「そ、そうだね。明日からはそうする…」
「もう、明日も朝練あるのに」
ぶつぶつと文句を言いながら部屋に戻っていくはるかの後ろ姿を見ながら、私は桶に避難させていたアカミーを手に乗せてゴツゴツした甲羅を撫でた。
「世知辛いわね、アカミー…」
アカミーは微動だにせず四つ足で手のひらを踏みしめ、ひたすら虚空を見つめていた。
♡
なにかしなければならない。いつまでもこんなことでいいわけがない。はるかの冷ややかな眼差しを思い出し、焦燥が胸を焦がす。
だけどいくらネットを徘徊してもなんにも自分のやりたいことを見つけられず、気がつくと毒にも薬にもならないアニメや動画をぼーっと見てしまっている。それだけで一日が終わってしまいさらに焦りが募る。
明日こそは何かしなきゃ。変わりたい。変わらなきゃ。
寝る前にはそう思っているのに、いざ明日になるとまた同じことを繰り返してしまう。人間とはなんて弱い生き物なのだろう。
目が疲れてきたのでタブレットの画面を暗くすると、そこにやたらと不健康そうな女が映った。他人と会うのが怖くて美容院に行けず伸び放題になった髪はボサボサで、前髪はすだれのように目を覆い隠している。頬は痩せて血色が悪く、目の下には濃いくまが浮かび、唇はカサついて張りがない。まるで貞子みたいだ。
もういっそ、私なんかアカミーの水槽に転がる砂利のひとつにでもなってしまえばいいのに。そうなれたのなら、焦燥感も劣等感もなんにも感じなくていいのに。
そんなふうに毎日を空費していると久しぶりにあの夢を見た。
広い湖でボートに乗り、家族たちに置いていかれてしまう夢。
ああまたこの夢かと思う。家族が乗ったボートが遠ざかり、置いてかないでと手を伸ばす。だけど手は届かず、乳白色の優しい霧が満ちてくる。
その霧の向こうから鈴の音とともに現れる、古めかしくて綺麗な服を着た女の人。
いつもは後光に隠れて見えないその顔が、今日はハッキリと見えていた。
見ているだけで心の底から安心して、涙がこぼれてきそうになる、まるで聖母のような慈愛に満ちた微笑み。
眠れなかった朝に見た日の出のような、神聖なものを前にした感動。
怖気が走るくらいに際立った、この世のものとは思えない完ぺきな美貌。
長く艷やかな黒髪を揺らしながらしずしずと湖面を渡り、その人はボートの舳先に立った。
そうしてもボートは傾かない。まるで重力の鎖に縛られていないかのように。
そしてその人は、私をまるごと包み込むような眼差しで見つめて、天上の調べのような声で言った。
「ぼくと契約して魔法少女になってよ」
湖面をちゃぽんと魚が跳ねる音がした。
今なにか、有名な魔法少女アニメのセリフを、すごく耳触りのいい声で言われたような気がした。
えっ、空耳、にしては耳にくっきりと残っている。何かの聞き間違いではない。こんな声優さんみたいに耳通りのいい声を聞き間違えるはずがない。
我ながらなんてトリッキーな夢なんだろう。
「あれ、外した…?うそ、おかしいな…。ウズメは今のトレンドはこれだって言ってたのに…」
女の人は深刻そうな顔をして両手でほっぺを挟んでいる。とんでもない美貌なのに、子どもみたいな仕草をするのがすごく愛らしい。ギャップ萌え。
「あっ、いえ、わかります。ちょっと古いけど…」
私のようなニートふぜいがこんな高貴そうなお人に声をかけていいものか迷ったけど、勇気を出してみた。それにこれはどうせ私の夢なんだし、夢の中の人に失礼なんてことはないだろう。
「あっ、よかった。通じてましたか」
ほっと胸をなでおろすと、女の人は仕切り直すようにおほんと咳払いした。
「申し遅れました。わたくしはこの日ノ本をあまねく照らさせていただいている太陽神、アマテラスと申します」
名乗ると同時にお正月に流れていそうな和楽器が厳かに鳴り響き、スポットライトみたいに後光が差した。
顔を上向けてふふんとドヤ顔をしているこの人が、神さま。それも日本神話の主神、アマテラスさま。
なんてことだろう、私の夢の中にアマテラスさまが光臨なされて、魔法少女に誘われてしまった。
えっ、なにこれ、夢。いや、夢なんだけど、なにこの超展開。妄想大好きで夢見がちな私でもちょっと理解が追いつかない。我ながらクセの強い夢に戸惑うばかり。
「うふふ、何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった、という顔ですね」
だけどただひとつだけ、私にもわかることがある。
「こんなネットミームを連発するアマテラスさまって、なんかイヤだ!」
「ええっ、そんなあ!」
アマテラスさまは漫画ならガーンと頭の上に出ているような顔になり、さっきからうるさかった和楽器と後光がしおらしくなった。




