第二十話 こんな私でも、あなたは側にいてくれますか
花香るお花畑にプンと強く漂う異臭。濃い血のにおい。
そのにおいに釣られてやってきたのかカラスが空を飛び交い、ブンブンとハエがたかってきた。
尾崎さんは放心した様子で、叩き潰されただっちゃを見つめている。振り下ろしたハンマーを握る手は小刻みに震えて、その顔に勝利の余韻と呼べるものはなかった。
「ああ…ああっ…!ど、どうしよう、私…人間をっ…!」
返り血を浴びた顔が死人のように蒼白になっている。
あたしも尾崎さんと同じ思いがしていた。言葉の通じない魔物であったら罪の意識なんて生まれる余地もないけど、言葉を交わした相手がこんな酷い有様になっているのに、抑えがたいほどの吐き気が込み上げていた。
人と似通った姿をした魔物、魔人だとわかっていても、殺すのがこんなに苦しいなんて。理屈ではなくて本能が拒絶反応を起こしている。
せり上がってくるものをグッと飲み込みピーナッツの袋を投げ捨て、尾崎さんに駆け寄った。
「尾崎さん」
そっと震える背中に手を添えた。いや、震えているのはあたしの手かもしれない。
「尾崎さん、落ち着いて。尾崎さんは、あたしたちは魔物を、魔人を退治しただけだよ。魔法少女の使命を果たしたんだよ」
ああ、だめだ。押しつぶされそうなほどの罪悪感に震えて、声にまるで説得力がない。
「わ、わかっています、そんなことは…!だけど私は、この手で、確かに命を……!」
「尾崎さんっ!」
後ろから尾崎さんを抱きしめて、震える腕を掴んでハンマーから引き剥がした。
命を奪った感触に震える尾崎さんを、慰めたい一心で。
「あたしも同じだよ。あたしもだっちゃを殺すのに加担した。だから尾崎さんだけのせいじゃない。あたしも尾崎さんと、同じなんだ」
「寺島さん…」
あたしに向き直ると、尾崎さんの変身がとけていつもの制服姿に戻った。いつもの尾崎さんが、あたしの胸に飛び込んでくる。
「こ、こんな私でも、あなたは側にいてくれますか。友だちでいて、くれますか…」
上目遣いで涙ぐむ尾崎さんの頭をなでて、頬についた返り血を手で拭った。
「もちろん、尾崎さんはあたしの大事な友だちだよ」
あたしは手についた血を、自分の頬にも塗りたくった。
「ほら、これであたしも尾崎さんとおんなじだ」
「もう、寺島さん…ばか…」
尾崎さんがぎゅっと抱きついてきていい感じの雰囲気になっている。
これは、こんな状況だけど、これは、チャンスなのでは。
言った側から友だちを飛び越えられる、またとないチャンスでは。
「尾崎さん…」
「寺島さん…」
じっと見つめると、尾崎さんは蝶が羽をたたむようにたおやかに目を閉じた。
心臓がさっきまでとは違った種類の鼓動を伝えてくる。溢れ出るエンドルフィン。
甘い花の香りに包まれて迫るくちびる。やめられないとまらない、キスまでのカウントダウン。
「はあ〜、ドキドキ」
と思いきや、間近からのうてんきな声が聞こえて二人してガバっとその方向を向いた。向いて絶叫した。
「うわああぁぁぁ!」
「きゃああぁぁぁ!」
すぐ側に立っていたのは、顔面スプラッターになっているだっちゃだった。
キレイな口元から上が肉団子みたいに膨らんで、いろんな繊維が飛び出したりしてぐじゅぐじゅと生々しい音を立てて蠢いている。あのピンクのシワシワしたやつってもしかして脳みそ的な、いや、考えるのはよそう。
頬を両手で押さえる仕草はとっても乙女チックだけど、そこから上はスプラッター映画そのものだ。
あたしと尾崎さんは腰を抜かして震えて抱き合い、だっちゃを見上げた。
「あっ、ボクのことならおかまいなくう。人間はこうゆうときちゅーするんでしょお。続けていいよお。きゃー、ドキドキ」
顔面スプラッター状態なのに、口調はのうてんきでかわいらしい。なんていらないギャップだ。
「なっ、なんでおまえ生きてるんだよ!」
さっきまで命を奪ってしまった罪悪感に押し潰されていたのに、すぐにこんなことが言える自分に呆れた。
「ふふふー、急所が人間と同じだなんて誰が決めたのさあ」
「そうか、核…!私としたことが、見た目の先入観に囚われてしまった!」
ああ、そう言えばそんな話あったなあ。マナを蓄えた核を潰さないと、魔物は再生しちゃうんだっけ。
えっ、これってまさか、まだまだあたしたちピンチってことでは。
「ぴんぽんぴんぽーん!だいせいかーい!」
楽しそうに拍手するだっちゃの顔はもう完全に再生している。やっとの思いで頭を潰したのにチャラだなんて、そんなバカな。
絶望に打ちひしがれるあたしと違い、尾崎さんは立ち上がって再び魔法少女に変身した。だけどその顔色はひどく悪く、ステッキを握る手は重さに震えている。
「尾崎さん…!」
「私が時間を稼ぐので寺島さんだけでもなんとか逃げてください」
「そんな!あたしも尾崎さんと一緒に戦うよ!」
「駄目です!わがままを言わないでください!」
「だめだよ!尾崎さんを置いて逃げたらあたしは一生後悔する!そんなの、生きていても死んでいるのとおんなじだ!」
「寺島さん…」
「最後まで付き合うよ、尾崎さん」
「もう。あなたってほんとにバカですね」
これまでで一番いい顔で、尾崎さんが笑った。へへっ、冥土の土産にはじゅうぶんすぎるぜ。
「あのう…」
最高潮に盛り上がるあたしたちに対して、だっちゃは申し訳なさそうな顔をしてほほをかいている。
「ボクはもうキミたちと戦う気はないんですけどお」
「はっ?」
「どういうことですか?」
「だってもう力比べは大満足だし、お花畑直したいしさあ」
「あっ…」
周りを見渡すと戦いの余波を受けたお花畑は、イノシシが暴れたかのように無惨な荒れ地に様変わりしていた。
「それは、ごめん。あたしたちも直すの手伝うよ」
「ほんとう!?それは嬉しいよお」
「で、ですけどあなた、どうせまた人を襲うでしょう!やはり見過ごすことはできません!」
うっ、それは確かに。あたしたちが放っておいてしまったせいで死人が出たら寝覚めが悪すぎる。
「ああー、しばらくはそういうのはいいかなあ。お姉さんと力比べして大満足したしい。向こう百年くらいは暴れなくてもいいかもお」
「はあ、百年…」
なんともめまいがする時間感覚だ。
「ま、まあ、それだけ耐えられるって言うなら、様子見ってことでもいいんじゃないかな」
「しかしそんなの前代未聞です…」
「そんな堅いこと言わずに。何でも初めてってのはあるものでしょ」
「そうだよお。それにボク、怪力のお姉さんも名付けてくれたお姉さんも気に入っちゃったし、戦いたくないよお」
だっちゃがあたしにくっついてほっぺをすりすりしてくる。花みたいにあまいにおいがして、いろいろとやわらかいものが腕にあたったりして、これはもう桃源郷としか言いようがない。
「尾崎さん。だっちゃはあたしが責任を持って保護するから、ね。お願い」
「鼻血を出しながら何をのたまっているのですか、あなたは。だいたい責任って、犬猫を飼うのとはわけが違うのですよ」
「あっ、それならボク猫になれるにゃん」
「えっ、ネコになれるって、タチネコの話なんてしてないですよ。リバーシブルの小悪魔感も魅力的ではありますが、私としてはどちらかに専門性を持っているべきだと強く思います」
「タチネコ?」
「尾崎さん、だれもBLの話なんてしてないよ」
説明しよう。タチネコとはBLにおける攻めと受けで、リバーシブルは両方できる人を差す専門用語のことだ。
尾崎さん、疲れてるんだな。つい自分の専門分野の話と勘違いして、早口でまくし立てて真っ赤になっている。
「もっ、もう、紛らわしい!じゃあネコになれるってどういうことですか!?」
ぷりぷりとごまかし怒りをする尾崎さん、かわいい。
「こういうことだにゃん」
だっちゃは語尾に星がついていそうな口調で言って、クルッとバレエダンサーみたいにターンした。するとモクモクとした煙に包まれて、煙が晴れたところには黄色い毛並みに黒の縞模様の入ったかわいらしいにゃんこがいた。
「なるほど、そっちの猫でしたか」
「はあー、魔人って何でもありなんだねえ」
「これなら文句はないにゃん」
すげえ、ネコがすらすらと人語を話している。まるで本格ファンタジーだ。
「名付けてくれたお姉さん、えっと」
「あたしは寺島あげはだよ。それでこっちの怪力のお姉さんは尾崎はるか」
「ちょっと、誰が怪力ですか」
ほっぺをつねられた。本人は軽くのつもりだろうけど、魔法少女状態だからペンチでひねられてるみたいに痛い。ほっぺがもげそう。マジでカイリキーだわ、魔法少女状態の尾崎さん。
「じゃあボクはあげはのところにお世話になるにゃん」
「おっ、うちに来るかだっちゃ。いいよ、うちは肉屋だから肉には困らないぜ!」
「あっ、ボクに食事はいらないにゃあ。それゆえ排泄もしないからお構いなくだにゃあ」
「へえ、だっちゃすげえ。昭和のアイドルみたいだ」
「えへへ、照れるにゃあ」
「いいんでしょうか、こんなこと…。本当に前代未聞だわ…」
その後あたしたちは鬼っ娘状態に戻っただっちゃとお花畑を直した。
だっちゃがお花畑を作っていたのは単純に花が好きなのと、殺した人への手向けの意味もあったらしい。それを聞いた尾崎さんは、ちょっとだけだっちゃに向ける目をやわらげた。
猫状態のだっちゃと家に帰る頃にはすっかり日が沈んでいた。
だっちゃが平然と「お世話になるにゃあ」と家族が食卓を囲んでいるところに乱入したときには心臓が止まりそうになった。でも「こいつ最新のAIを搭載した猫型ロボットなんだ」と説明したらあっさり納得してくれた。
人類の叡智の勝利だ。




