第十七話 ちゃんとお姫さまだっこして
鬼哭峠に鬼が出る。
そんな噂を耳にしたあたしは、体育の授業の喧騒に紛れて尾崎さんに小声で聞いてみた。バスケって見てる番のときは暇を持て余すものだ。
「鬼ってひょっとして魔物なのかな?」
「その可能性はあります。確かにその方面から強いマナ反応がしますし、地名につられてイメージが集まって顕現する例もありました。なので行ってみる価値はあると思います。本当に鬼がいるのなら、お姉ちゃんとの決戦前の肩慣らしにさせてもらいましょう」
不敵に笑う尾崎さん、試合前のレスラーみたいでカッコいい。
「おっ、いいねえ。じゃあさっそく放課後行ってみよ」
「はっ?」
心底からの呆れ顔とはまさにこんな顔だろう。なに言ってんだお前、って顔に書いてある。
「駄目です。寺島さんはお留守番に決まっているでしょう」
「ええー、どうしてさ」
「危ないからに決まっているでしょう。八尺様危機一髪を忘れたんですか。油断しているとマジで死にますし、死ぬより辛い目に遭うかもしれないんですからね」
「それは…確かに…」
あれは本当に怖かった。今でもたまに夢に見ては飛び起きる。
飛び起きてはあたしの危機一髪に颯爽と現れてくれた尾崎さん、いや、ピースメイカーハルカを思い出して気持ちをトキメかせて、別の意味で眠れなくなっている。
「いい子でお留守番しててください。ジャイ子さんが漫画を手伝ってほしそうにしていましたよ。同人イベントが近いみたいで」
「ええー、ジャイ子注文が多くてうるさいんだよなあ」
「それは寺島さんが雑だからでしょう」
「尾崎さん、最近あたしに対して厳しいよね」
「そ、それはだって…寺島さんですから…」
「むくれたような顔をする尾崎さん、かわいい。キュンキュンしちゃう。スマホの待ち受けにしたい。着信音とかアラームとかも全部、尾崎さんの声にしたい」
「あなたは変態ですか?」
尾崎さんが顔を真っ赤にして罵倒してくる。
「くうっ、録画か録音しておけばよかった!尾崎さん、もう一回!」
「言うわけないでしょ!このアンポンタン!」
「アンポンタン…」
なんだろう、この古き良きものを見たときみたいな感動。実際にアンポンタンなんて言う人初めて見たし、初めて言われた。
大きい声で言うものだから、近くで審判をしていたジャイ子と姫華が目を丸くした。
「まあ尾崎さん、アンポンタンって愉快なひとね」
「仲良いねえ、チョウ子と尾崎さん」
親指を立てて返すと、姫華もグッと親指を立てた。それを尾崎さんが呆れたような顔で見ている。
「どうする尾崎さん、仲良しだって」
「はいはい、とにかく寺島さんはお留守番ですからね」
「ちぇー」
放課後、人気のない屋上庭園で変身した尾崎さんを見送ろうとしたら異変が起こった。
「あれ…?」
魔法の力で空も飛べるはずなのに、ちょっと浮き上がっただけですぐに浮力を失ってしまう。
「変だな、どうしてマナがこんなに不安定に…」
「あっ、わかった。尾崎さんあたしと離れたくないからって、わざと飛べないふりしているんでしょ」
「そっ、そんなわけないでしょう…!」
ムキになって再び飛び立とうとするも、すぐに勢いが失われてしまう。
「もういい、飛べないなら爆速で走って向かうのみです!」
どうしよう、尾崎さんがヤケクソになっている。ヤケクソ魔法少女だ。
「尾崎さん落ち着いて!そんなことしたら都市伝説ターボ魔法少女が爆誕しちゃうよ!」
「大丈夫です、私秒速五センチメートルで走れますから!」
「それって速いのか遅いのかわかんないよ!」
「ともかくサラバです!」
シュタッと手を上げて物凄い勢いで走り出したものの、すぐに勢いが衰えた。オリンピック選手が急にギックリ腰になったみたいに。
「なっ、なんで!?どうしたんだい、私のヒラメ筋!?」
悲痛な面持ちで、フリルたっぷりの白タイツに包まれたふくらはぎを叱咤している。
「ねえねえ尾崎さん、ものは試しってことであたしをだっこして飛んでみてよ」
「ええー、変わんないと思いますけど。でも確かに、寺島さんの側だとマナが安定している…」
「ほらあ。無意識のうちにあたしから離れたくないと思ってるんだって」
「そんな馬鹿な、これまではそんなことなかったのに…まさかブルーナイーブの後遺症で…」
「まあまあ、推論はいいからとりあえず試してみようよ。ダメ元なんだしさ」
「まあ、そうですね。失礼します」
よっこらしょと軽々と肩に担がれた。まるで米俵のように。
「尾崎さん違う!ストップ!下ろして!」
「えっ、なんでです?」
「いいから!絶対これパンツ見放題状態だから!」
「もう、注文の多い寺島さん」
床に下ろしてもらい、尾崎さんにお説教をする。
「あのさあ、尾崎さん。普通こういうときってさあ、お姫さまだっこしてトゥンクってなるところじゃん。なんでキミは江戸っ子米俵スタイルなの」
「ええー、愛実さんを担いだときは何も言わなかったじゃないですか」
「あれは別にいいの。愛実は気絶してたし、パンツ見られて喜ぶタイプだし」
たぶん。
「まあ、愛実さんって大胆…」
「とにかく、ちゃんとお姫さまだっこして、ほら」
「もう、しょうがないですね」
尾崎さんの首に腕を回すと、体がふわりと持ち上げられた。鼻腔をくすぐる桃のにおいに、二の腕に当たる柔らかな感触。
「ああ…お姫さまだっこ、ばんざい…」
「いいですか、寺島さん。飛びますからしっかり掴まっててくださいね」
「オッケー!いつでもいいよ!」
きゅっと強くしがみつき、より強くボインを堪能する。うへへ、役得じゃのう。
「それじゃあ、行きます」
声とともに体が風を切るのを感じて、気がつくと屋上庭園を高みから見下ろしていた。
うわ、ヤバこれ、絶叫アトラクションとか目じゃないくらい怖い。風が気持ちいいとか、景色がキレイとか、そんなロマンチックなこと言ってる余裕なんてないくらい怖い。
あたしに玉はないけどタマヒュンしてる。イマジナリータマヒュン。
「あっ、飛べた。うーん、やっぱり寺島さんが近くにいると安定しているなあ。なんなんだろ、これ」
だけど尾崎さんは呑気に言って首なんぞかしげている。やっぱり魔法少女になるやつはメンタルが違う。高さによる恐怖なんて微塵も感じていない。
たぶんちょっとお散歩くらいな感覚で空を飛んでいる。あたしはもう、歯を鳴らして必死に尾崎さんにしがみついているというのに。
死ぬ。魔法で空を飛べないあたしは、この手を離したら間違いなく死ぬ。
「ねえ寺島さん、説実証のためにちょっと落としてみてもいいですか?」
だと言うのに尾崎さんは朗らかな顔でとんでもない提案をしてくる。
「いいわけないでしょ!死んじゃうよ!女子高生謎の落下死事件になっちゃうよ!」
「ちぇー…じゃあひとっ飛びしますね」
「えっ、ちょっ、待っ、心の準備が…お母さあああぁぁぁん!」
風が唸りを上げて空を切るのが肌にビリビリと伝わり、流れる景色の目まぐるしさに死神の足音を感じて、思わず漏れた悲鳴は、お母さんでした。
「もう、私は寺島さんのお母さんじゃないですよ。まあ、そのうちご挨拶にとは思っていますが…」
「うわあああぁぁぁ!」
尾崎さんが頬を赤らめて何か嬉しいことを言っていた気がするけど、命の危機に瀕しているあたしはそれどころじゃなかった。




