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婚約破棄は脚本通り  作者: 月雅


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第7話 断罪の準備


 戦場に立つ前には、剣を磨き、鎧を整える必要がある。

 私にとっての鎧は、計算され尽くしたドレスであり、剣は動かぬ証拠書類だ。


 別邸の居間は、即席の作戦本部と化していた。

 テーブルの上には、王宮の帳簿の写し、商会法に関する法令集、そして数枚の証言書が並べられている。

 これらは全て、過去数ヶ月の間に私が合法的に収集し、レオンハルトが裏付けを取った「真実の弾丸」だ。


「お嬢様、ドレスの仮縫いが終わりました」


 アンナが恭しく告げる。

 トルソーに着せられたそれは、夜の闇を切り取ったような漆黒のベルベット。

 装飾は極限まで削ぎ落とし、カッティングの美しさだけで魅せるデザイン。

 かつて婚約者時代に着ていたパステルカラーのドレスとは対極にある、大人の女の装いだ。


「完璧よ、アンナ。これなら、どんな宝石よりも私が目立つわ」

「ええ。リリ様がどんなに煌びやかなドレスを着てこようとも、霞んでしまうでしょうね」


 アンナが悪戯っぽく笑う。

 資金は私の事業収益から捻出した。誰に後ろ指を指されることもない、私個人の戦闘服だ。

 私は書類の束を整理し、革の鞄に収めた。

 準備は整った。

 あとは、招待状の日付を待つだけ――。


 その時。

 ドンドンドン!

 玄関の扉が、乱暴に叩かれた。


「ミレイン! いるのはわかっているぞ! 出てこい!」


 野太い怒号。

 聞き覚えのある、暑苦しい声だ。

 私はアンナと顔を見合わせ、ため息をついた。

 招かれざる客が、フライング気味にやってきたらしい。


「……出ましょう。ご近所迷惑だわ」


 私はアンナを下がらせ、一人で扉へ向かった。

 鍵を開けると、そこには案の定、エドワードが立っていた。

 顔を真っ赤にし、腰には帯剣。

 背後には部下らしき騎士を二人連れている。


「何の御用でしょうか、エドワード様。私の家は王宮の練兵場ではありませんけれど」

「減らず口を! 貴様を連行する!」


 エドワードが唾を飛ばして叫ぶ。


「連行? どのような容疑で?」

「リリへの脅迫、および王家に対する不敬罪だ! 舞踏会を前にして、貴様のような危険分子を野放しにはできん!」


 ああ、なるほど。

 舞踏会で私が何を仕掛けてくるか不安になり、先手を打って拘束しておこうという腹積もりか。

 おそらく、ギルバート殿下かリリ嬢に入れ知恵されたのだろう。

 しかし、その手続きはあまりに杜撰だ。


「逮捕状はございますか?」

「なっ……?」

「貴族令嬢を拘束するには、法務局の発行した令状が必要です。まさか、騎士団長の息子という立場だけで、法を無視できるとお考えではありませんよね?」


 私は冷ややかに指摘した。

 エドワードが言葉に詰まる。

 彼には「正義」という名の感情はあるが、「法」という知識がない。


「うるさい! 緊急事態だ! 抵抗するなら力ずくでも……」


 彼が剣の柄に手をかけた、その瞬間。


「そこまでだ」


 鋭い声が響き、エドワードの動きが凍りついた。

 路地の角から現れたのは、レオンハルトだった。

 彼は従者も連れず、しかし圧倒的な威圧感を纏って歩いてくる。

 まるで、このタイミングを計っていたかのように。


「レ、レオンハルト……また貴様か!」

「私の担当地区で、私刑まがいの騒ぎを起こされては困る」


 レオンハルトは私の前に立ち、エドワードと対峙した。

 背中越しに伝わる彼の気配が、強固な壁となって私を守っている。


「エドワード。令状なしの家宅捜索および拘束の試みは、騎士法第十三条違反だ。加えて、一般市民への威嚇行為。これらは全て記録させてもらう」

「くっ……これは殿下の御意志だぞ!」

「殿下の御意志であっても、法を超越することはできない。それがこの国のルールだ」


 レオンハルトの声は静かだが、絶対的な響きを持っていた。

 感情論のエドワードに対し、彼は徹底して法理で攻める。

 勝負は見えていた。


「部下たちも見ているぞ。上官の違法行為に加担すれば、彼らも処罰の対象となる。それでもやるか?」


 レオンハルトが背後の騎士たちに視線を向ける。

 騎士たちは青ざめ、一歩後ずさりした。

 エドワードは唇を噛み締め、悔しげに私を睨みつけた。


「……覚えていろ、ミレイン! 舞踏会では必ず、貴様の悪事を暴いてやるからな!」


 捨て台詞を残し、彼らは嵐のように去っていった。

 路地に静寂が戻る。


「……ありがとうございます、助かりました」

「礼には及ばない。君に危害が加えられるのを防ぐのは、私の……職務上の義務でもある」


 レオンハルトが振り返る。

 その表情は、以前よりも柔らかい。

 彼はふと、私のドレス姿――まだ仮縫いの状態だが――に視線を留めた。


「黒か」

「ええ。悪役らしく」

「……似合っている。だが、それは喪服ではないな」

「もちろんです。これは戦闘服ですから」


 彼は微かに口元を緩めた。

 守られること。

 かつてはそれを「弱さ」だと思っていた。

 けれど、信頼できる相手に背中を預けることは、弱さではない。

 それは戦術的な「連携」なのだ。


     * * *


 そして、運命の日が訪れた。


 秋の夜気を含んだ風が、馬車の窓を叩く。

 私は完成した漆黒のドレスを纏い、シートに深く身を沈めていた。

 髪は高く結い上げ、母の形見の真珠を首元に飾る。

 手には扇。鞄には証拠書類。


「お嬢様、ご武運を」


 屋敷を出る際、アンナが真剣な眼差しで送り出してくれた。

 彼女は留守を守る。

 私は一人で敵地へ乗り込む。

 いや、一人ではない。会場には彼がいる。


 馬車が王宮の正門をくぐる。

 煌びやかな明かりが漏れる大広間。

 そこはかつて、私が婚約破棄を突きつけられた場所。

 そして今夜、私が全てを清算する場所。


 御者が扉を開ける。

 私は深呼吸を一つして、タラップに足をかけた。

 靴音が石畳に響く。

 その音は、開戦の合図のように鋭く、高らかだった。


 さあ、最後のダンスを踊りましょう。

 主役は遅れてやってくるものよ。


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