ルーアン沖、日本国海上自衛隊輸送艦〈おおすみ〉
ル・アーヴルは大西洋を臨み、フランス北西部の大型船が入港できる数少ない港湾都市である。日本国海上自衛隊所属の輸送艦〈おおすみ〉は、ル・アーヴルに集結している多国籍軍の艦艇を後に残し、フランス北部海岸沿いに大西洋に向かって航行していた。
ベームスター干拓地ミサイル爆発事故以後、全世界の天候は未だに回復していなかった。世界全体を覆う原因不明の曇り空は、見るからに不吉であり、見るからに悪い兆しを感じさせた。
その非日常的な現象は、なんの前触れもなく突然に起きた。強力な閃光に空が包まれていた。閃光はすぐに収まったが、見たこともない強い閃光に、輸送艦〈おおすみ〉の自衛官がざわついた。
しばらくしてドーンとものすごい音がした。それはまるで天が落ちたかのような酷く大きな音で、天地創造のような神がかり的な大音であった。続けて、ごぉぉぉぉという轟音が聞こえてくると、強い風が吹き抜けていった。ガラスがビリビリと震え、固定されていない器具が揺れてカタカタと鳴っていた。それがしばらく続いたが、音が止むと、やっと日常の静けさに戻った。
「雷か?」
自衛官たちが甲板に飛び出すと、南方向の上空に、真白い大きな玉が登っていくのが見えていた。その真白い玉の間から真っ赤な炎が走ると、すぐ水蒸気に包まれて、真ん丸の煙の玉が、大きく成長しながら、ゆっくりと登ってゆくのが見えた。
「あれはなんだ?」
指差す方向に見えるもの、その正体は聞かなくても、皆もが予想できた。
異変に気づいた自衛官たちが、甲板に次々と集まり始めた。艦内の至る所から自衛官たちのどよめきにも似た驚く声が漏れていた。
「『原爆』じゃないか?」
「そうだ、それだ!」
自衛官が口々に言いながら、ただ見つめることしかできず、次第に皆は無言になっていった。
「ルーアンだ。多国籍軍の真上に落としやがった」
自衛官の誰かが叫んでいた。
南の空にゆっくり立ち上がってゆく醜いキノコ雲をセリア・ケイも自分の目で目撃していた。キノコ雲はさらに成長し、上空の雲とつながるまでに大きくなった。キノコ雲の内部では、雷が光っているのが見える。その姿は冗談抜きで醜い姿であった。
キノコ雲の意味することを当然ながら彼女は理解していた。その雲の下で起きた惨状は、まさしく死界への扉が開放されているのである。
突然の核爆発、その場所は彼女がついこの先日まで向かっていたフランス北部であることの理由は明白である。ルシファーの感染により手がつけられなくなり、核兵器により一帯が焼き払われたことは彼女にも容易に想像がついた。
今の彼女の瞳は、かつてない動揺が現れていた。事態の深刻さに狼狽し、無意識に口元を思わず手で覆ったまま、茫然と見つめることしかできなかった。しっかりしている印象の女性が口元を思わず手で覆う姿は、日常であれば、可愛い仕草ではあるが……、あまりの狼狽ぶりは見るのも痛ましかった。
「もう、嫌……。帰りたい……」
次から次へと起こる悲劇から、ケイは逃げたかった。故郷に帰って、何もかも忘れて、世界から目を背けたかった。
艦橋や甲板には、さらに自衛官たちが集まり始めていた。誰しもが思いは同じであった。今すぐにルーアンへ救援に向かうことを望んでいた。藤森艦長から救援の命令が下るものと誰もが信じて疑わなかった。しかし、いつまで待っても藤森艦長からは命令が出ることはなかった。
「助けに行きましょう、艦長!」
「艦長!」
「艦長!」
多くの自衛官が艦長の名前を呼んでいた。誰かが呼びかけたわけでもなかったが、甲板には自衛官のほとんどが集まっていた。
藤森艦長は、艦内の動揺を抑えるため、艦内放送で全乗員に向けて告げた。藤森艦長も本当の思いは同じであったが、今は最重要の要請を遂行するためにフランス共和国地中艦隊司令部のあるトゥーロンに急がなければならなかった。ここで地上と接触し、ルシファー感染の危険を冒すことはできないのである。藤森艦長はルシファー感染の脅威の高さを承知しており、多くの命が失われることを防ぐためにこそ、乗船しているゲストを無事に送り届けなければならない。任務のために、苦渋の決断をするしかなかった。
「ならん」藤森艦長の一声が艦内に響いた。「失われつつある命を救いたいのは十分に理解できる。だが、ここで今の我らにできることはない。忘れるな。我らが成さなければならないことはなんだ。この命をかけることはなんだ」
その答えは艦内の自衛官たちも承知していることであった。
「それはこの混乱を終わらせ、これ以上に同胞や家族に犠牲者を出さないことではないのか? そのためにこそ、トゥーロンへ貴重な人材や機材を送り届けることではないのか?」
藤森艦長の言っていることは正論である。今は理性が感情を抑えなければならない時であった。それがたとえ残酷なことであっても、優先されなければならないこともある。それが本当に正しい判断であるかは、今の誰にもわかるわけがない。それは頭の中では理解できるかもしれないが、気持ちまで整理できるわけでもなかった。
「許せ、今は耐えてくれ。こんな状況だ。いずれお前たちも、命がけで働いてもらうことになる。だが、今はその時ではない。ルーアンの多国籍軍の兵たちも、時を稼ぐために戦ってくれていたのだ」
甲板には、肩を震わせ、すすり泣く声が満ちていた。ある自衛官はむせび泣き、ある自衛官は嗚咽し、怒りが収まらずに壁へ八つ当たりするものもいたが、その表情は悔しさに顔が歪んでいた。
セリア・ケイはむせび泣く男たちを始めて見ることとなったが、それは彼女自身の姿でもあった。




