フランス北部オー=ド=フランス地域圏アミアン
フランス北部海岸において、カレー港が放棄された今、フランス北部にて大型艦艇が入港できる港湾施設は、ル・アーヴルとシェルブールの2つであり、それぞれの各港は多国籍軍の上陸部隊の陸揚げが進んでいた。
両港湾施設だけでは重装備の揚陸が間に合わないと判断されると、イギリス王立海軍は、先行してフランス北部海域に派遣していたアルビオン級揚陸艦〈アルビオン〉、および、〈ブルワーク〉の2隻により、揚陸艇LCU Mk.10をそれぞれ4隻総動員し、チャレンジャー2主力戦車や兵員を次々とフランス北部のノルマンディーの海岸に直接上陸させた。さらに2基の人造埠頭がイギリス海峡を運搬されてノルマンディーの海岸に構築されると、上陸部隊の物資はフランス北部のカーンにも物資が集積され始めた。
このように、東からルーアン、カーン、シェルブールに兵員と物資は急速に増えたが、多国籍軍は急ごしらえの組織であり、連携のための調整時間が不足していた。
問題はそれだけではなかった。アミアンの街に降下したフランス共和国陸軍海兵隊が、アグスタウェストランド AW101ともども、連絡が取れなくなっていた。もしも事故ではなく、敵性来攻生物によって全滅させられたのであれば、敵の進出は想定を超えて拡大していることになる。なにが起きているのか確認の必要があった。ルーアンに集結したフランス共和国の部隊に調査が命じられた。
車両を使えばアミアンの街まで、90分ほどであるが、道路に放棄された車両が障害になっており、何度も迂回することとなったため、到着に3時間を要することとなり、すっかり夜の帳が下りてしまった。
アミアンの街は霧に覆われ、霧の中に誰かがいる気配は感じられなかったものの、奇妙な音が先ほどから聞こえてきていた。敵性来攻生物がここまで到着している可能性は十分にあったため、調査部隊は、知覚レベルを上げ、感覚を研ぎすまして周囲を警戒した。
霧の中から聞こえていた音は、ネズミの鳴き声のようなキュッキュッという音に近かった。音が聞こえてきた方角を調べると、フランス共和国陸軍の装輪装甲車が乗り捨てられているのが見つかった。ワーテルローラインの戦いに参加していた部隊の車両である。不思議なことに装輪装甲車は、カビのような菌糸が張りめぐらされていた。
調査部隊は連絡が途絶えた理由のひとつとして、真正粘菌ルシファーの存在を知らされていたため、不用意に接近することなく敵地偵察に匹敵する警戒を取り、すぐに特殊空挺部隊のなれの果てを見つけた。首のうなだれかたが異常であり、その足元を異種の生物どうしを合成したとしか思えない生き物が、地面を徘徊していた。
うなだれた頭の上に目玉のようなものが現れ、こちらを見つめていた。これらの信じられない挙動をしている兵士たちは、到着したばかりの調査部隊の存在に気が付くと、こっちへこいこいと手招きを始めていた。それはまさしく身の毛がよだつ不気味な光景であった。
一連の動作はまるで、張りめぐらされた菌糸の中に、新たな獲物を誘い込もうとしているようであった。こちらからの呼びかけには、彼らは全く反応がなかった。まるで操り人形のように、手招きを繰り返すだけであった。ルシファー感染者は遠すぎる獲物に仮捕捉手が届かないと、手招きをしておびき寄せるのである。
そのうち手招きしている手首が疲労し、千切れてしまった。大地に落ちた手首は、動かなくなったように見えたが、それは一瞬のことであった。手首の甲に目玉が現れたのである。そして、指を不器用に使いながら、手首単体で這うようにして、調査部隊に向かって進もうとしていた。しかし、指だけでは上手に這うことができないため、ほとんど移動ができていなかった。それは、手首が赤ん坊のようにハイハイして動くことを覚えているようにも見えた。
さらに建物の陰から、元の身体が人間であったとしても、おかしいとしか言いようのない生き物が現れた。その生き物はさまざまな形態であるため、格好がバラバラであり、次第に群れをなして、近づこうとしているようであった。
度重なる異常な状況の目撃が続き、調査部隊は一斉に防御射撃を開始した。狙って撃つのではなく、敵を発見した方角に向けて、徹底的に大量の機関銃弾などを撃ち込み、そこに存在するであろうルシファーが確実に死傷するだけの火力を投入したのである。それはよほど混乱していたのか、救援を求める無線は暗号ではなく平文で発信されていた。
数時間の戦闘の後、ルシファー感染者を撃退できたかのように思えた。ルシファーの攻撃が緩んだように思えた。夜の帳が上がろうとしており、攻撃に変化が現れたのは、単に夜の闇が終わりをつげただけなのかもしれなかった。その答えは、今日の夜になれば、わかるだろう。
いずれにしても、一晩中、闇と未知が支配する恐怖の中で戦い続けた調査部隊にとって、昼の明るい時間の中だけであっても、休息をとることができるのであれば、願ってもないことであった。
調査部隊の多くの兵士は遮蔽物に身を隠したまま、周囲の様子をうかがっていた。戦歴の長い兵士の中には、たった今までの緊迫した状況などなかったかのように、ライフル銃を握りしめたまま仮眠をとり始める者もいた。
しかし、その願いは、すぐに打ち砕かれた。大地を伝わってくる震動によって、まわりの瓦礫がぶるぶると震え始めているのである。なにか巨大なものが動いているのは明白であった。震動が次第に大きくなるということは、こちらに向かってくるのである。
「嘘だろ」
兵士から出る言葉は皆同じであった。出現した爬虫類ともいうべきヴイーヴルの群れは、信じがたいことに整列したまま行軍してくるのである。武器や防具こそ所持していなかったが、種族ごとに整然と隊形を組み、間合いをじわじわと詰めてきていた。それは統率のとれた軍隊そのものである。それはさらに近づき、大気中に無数の蠢くざわめき音が響き渡っていた。
ヴイーヴルの隊列が前進から直角に曲がって横に広がっていくと、足で大地を力いっぱい踏み鳴らし、威嚇するかのような行動をとっていた。ドラゴンはヴイーヴルの隊列の後方から、ゆっくりと接近してくるのである。その度に、大地がドスン、ドスンと音が響いた。
兵士は休息をとることも無く、次の戦いに駆り出される結果となった。まずはヴイーヴルの群れが隊列のまま前進してくると、前列が銃弾で倒れても、次々と後列のヴイーヴルが屍を乗り越えてきた。接近すると一気に散らばり、遮蔽物を盾にして、忍び込むようにして、さらに間合いを詰めてきた。物陰から突然に襲ってくるヴイーヴルに、多くの犠牲者が出ていた。彼らは音を消し、気配を消して、遮蔽物に隠れながら、機会を待って攻撃することを学習していたのである。一度襲いかかると、成功失敗にかかわらず、すぐに遮蔽物に引っ込み、別の遮蔽物に隠れながら移動するのである。襲われてから、ライフルを連射しても意味がなかった。ヴイーヴルは同じ場所に留まらずに、常に動き回った。
ひとりの兵士が地面に転がるマネキンにつまずき転びそうになった。よく見るとマネキンは友軍の死体であった。頭を砕かれていて、誰であるのかわからなかった。ヴイーヴルは、明らかに人間の頭を狙っていた。目の前に突然に現れるヴイーヴルの顎は、運よくかわすことができたとしても、その恐怖体験に心が萎え、心身に過度なストレスを生じさせた。
休むことのない戦いが続き、やっとのことで一日が経過し、再び夜の闇が訪れようとしていた。ヴイーヴルの群れは次第に見えなくなったが、ルシファーの感染者が発する不快な音が、再び大きくなろうとしていた。




