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フェアリーリング  作者: 坂井美春
第六章 ダンケルクの夜
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フランス北部オー=ド=フランス地域圏ダンケルク近郊

 セリア・ケイたちの避難民グループは、海岸沿いに進んで、ダンケルク橋頭堡への進入路になる道路にたどり着いた。

 軍艦はもちろん、民間の商船、漁船、遊覧船、フェリー、タグボート、救命艇、プレジャーボートなど、ありとあらゆる船が動員されている話は本当であった。イギリスを含む各国は、動員できるすべての船舶を使ってダンケルクから民間人の撤退を試みていた。

 ダンケルク港ヘの道には、避難民だけでなく、兵隊も加わって、雪崩を打つように人々が集まってきていた。避難するのは民間人だけでなく、ワーテルローラインの戦いから撤退してきた兵隊も混ざっていたのである。ベネルクス連合軍のYPR765装軌装甲車やXA-180装甲兵員輸送車、さらには軍用トラックなどの車両が道路に沿って列をなしていた。しかしながら、道標もなければ、車両を整理をする憲兵の姿も見えなかった。誰もが我先に船に乗ろうとしているようにも思えた。

 疲れ切った兵士は規律がゆるくなっており、彼らどうしの会話から避難民に現状の戦況が漏れていた。このため、ワーテルローラインにてドラゴンに本格的な攻撃が行われたことをケイは初めて知ることとなった。そして、ドラゴンを押し返せなかったことも知ることとなった。それは、ワーテルローの防御ラインが失われた今となっては、組織的にドラゴンを押しとどめるものは無いも同然であることは彼女にも想像できた。この場所も今まで逃げて来た場所と同じように危険でしかないことを改めて認識するしかなかった。

 事実、ダンケルクに到着しても、ドラゴンやヴイーヴルの襲撃は、相変わらず続いていた。それは全くひどいものであった。撤収船団を護衛する多国籍軍との間で、戦闘による砲弾が飛び交うのが 間近で見れるのである。艦砲射撃の音も聞こえた。ドスンドスンと鈍い音がして二、三秒すると地を揺るがすような炸裂音がして、かなり近距離に着弾しているような感じがした。艦砲の音を何度か聞いていたが、海上の軍艦が実際に発砲する場面を見たのはこれが初めてであった。

 猛烈な艦砲射撃のあとは、イギリス王国空軍やフランス共和国空軍の空爆がひっきりなしに続いた。その度に雷が落ちたような大きな音が響いていた。今まで平和な生活に慣れてきた人々にとって、とても不快な騒音であった。

 ドラゴンやヴイーヴルの攻撃から民間人を守るために、ダンケルク周辺の海岸一帯は、阻塞気球が設置されていた。阻塞気球の金属のケーブルは、飛行中のドラゴンが接触すると翼に絡みつくため、接近を防ぐ効果があり、無防備な道路を歩く避難民の防御に対しては有効であった。

 さらに第二次世界大戦時代の対空砲も効果があった。対空砲により発射された砲弾は、ドラゴンに接近するとVT信管が作動して爆発する。これにより非常に速い速度で破片が飛び散るのであるが、その際の火薬の爆発によって黒い煙が空に現れる。ドラゴンに対しては飛び散る破片に殺傷力を期待できなかったが、ドラゴンは黒い煙を嫌がるようになっていたため、攻撃を妨害する効果があった。

 ドラゴンの空襲が、ますます激しくなると、上空には阻塞気球と黒い煙でいっぱいになり、ここはまさしく戦場の真っ直中であることを示していた。

 大型船が接舷できる岸壁が不足しているため、駆逐艦などの小回りがきく船は湾の入り口にある防波堤に横付けされ、そこからも避難民が乗り込んでいた。海上の多国籍軍の揚陸艦は水陸両用車を発信させ、避難民を海岸から直接に乗り込ませ、艦との間を何度も往復を繰り返していた。

 一方、小さな船は砂浜から直接にピックアップしてグレートブリテン島へ向かったり、あるいは沖合に停泊している大型船との間をピストン輸送したりしていた。

 海岸付近には放棄された車両や重火器が散乱し、港や砂浜から海にかけて船を待つ長い列ができていた。列の前の者は肩まで水につかりながら乗船できるのを待っているものもいた。

 ケイたちの避難民グループは、軍需物資が山と積まれている中を通りぬけて歩いていくと、一人のフランス共和国の憲兵隊が「民間人は桟橋で乗船できる」と教えてくれた。重症者がいることを伝えると、個別に優先してくれることを約束してくれたので、小さな男の子と母親とはここで別れることになった。食糧や飲料水についても憲兵隊に聞くと、乗船さえすれば十分に手に入れることができると説明された。とっくに体力も気力も限界であったが、休む時間すら惜しんで桟橋へ向かうことにした。

 あいかわらず、ドラゴンやヴイーヴルが我が物顔に攻撃を繰り返していた。ダンケルク港では、貯油タンクが炎上し、建物から煙がくすぶり、港湾施設の破片が散乱していた。ボランティアによる医療テントや炊き出し用テントも見えていたが、誰もいない状態で放置されていた。深刻な危機的な状況になり、逃げ出した後であった。

 防波堤の近くには、軍艦が海底に着底しているのが見えた。ドラゴンは大型生物とはいえ、爬虫類ごときに作戦行動中の軍艦が着底させられた事実は、避難民たちにも衝撃が走った。ここから脱出するのも、命がけなのである。

 ケイたちの避難民グループは、乗船に備えて、ここまでいっしょに行動してきた人員を数えたところ、最初は40人いたはずなのに、25人に減っていた。波止場に着くまでには、ドラゴンの猛烈な襲撃の下を、約500メートルも走り抜けなければならなかった。そこで5人を一組として、5列になって走って移動することにした。ただ正面だけを見て、避難民たちは走った。

 ケイは、やっとのことで波止場に到着した。ここまでくるのに、これだけ苦労したのに、信じられないことが起きた。民間人の乗船を整理していた憲兵隊が、船は出たばかりであるというのである。この場におよんで、ここで待たなければならないのである。次から次へと避難民が到着しており、次第に人で溢れかえっていった。彼女は今こそが安全なグレートブリテン島へ逃げ切るための正念場と割り切ると、不思議にも冷静でいられた。

 待ち続けていると、憲兵隊に民間人50人を乗船させよと連絡が入った。午後八時、やっと乗船できる見込みとなった。すると遠方に煙を吐いてやって来る船が見えた。民間の貨物船が岸壁に接舷するために強行進入してきた。これから順番にこの船に救い上げられることになるはずである。その場の全員が、これでやっと助かるのかと、やや安堵することができた。

 やや心も落ち着くと、持ってくるのを忘れた物に惜しい気持ちが出てきた。特にせっかく苦心して貯めていた貯金、両親が大事にしていた時計、妹や自分のアルバム、新調したばかりの洋服など、とても惜しい心持がして堪らなかった。中でも在学中に書いた日記〈セリア・セレナーデ〉を失ったのは取り返しが付かない損失な気がした。人の欲は不思議なもので、今までは生命の危機に心が奪われていたため、それほどまでに惜しいと思っていなかった物が、ひとまず安全になった途端に、惜しむ気持ちが出てきた。

 貨物船は時間どおりに岸壁に接舷すると停止した。この貨物船は、なにがなんでも守り切らなければならない。貨物船が万一にここで沈むことがあっては、大型船が使用できる岸壁がなくなるからである。

 やっと乗船が始まると、貨物船が本当に頼もしく見えた。岸壁に接岸する船は、どうやらこれが最後になるとのことであった。かろうじて間に合ったのである。

 しかし船員の様子がおかしかった。乗船をなかなか始めようとしないのである。貨物船には小さな船によるピストン輸送で先に乗り込んでいる避難民がいることが憲兵隊に告げられた。嫌な予感しかしない状況に、問題が起きたとは思いたくなかった。

「半分だ」と憲兵隊に告げられた。乗船できるのは半分の人数の25名であることが憲兵隊によって告げられた。

 避難民のひとりが「約束と違う」と抗議したが答えはなかった。何となく物悲しさを感じた。

 避難民たちはあまりにも続くトラブルにもかかわらず、落ち着いていたことは感心すべきことであった。タラップには女性たちを優先的に通した。その数が多かったため、タラップはすぐに女性だけで満員になった。その間、不届きな男性も乗ろうと焦る者も多数いたが、憲兵隊は屈強な体を盾にして立ちはだかった。

 その時に人数を数えていた憲兵隊が「もう二人」と叫ぶと、女性がまだ残されていたにもかかわらず一人の男性が飛び込もうとした。その様子を見て、この機しかないとさらに一人がタロップに飛び乗ろうとした。しかし、二人とも憲兵隊にすぐに阻まれた。

「この親子を!」

 ケイは考えるよりも早く、声に出していた。そして、小さな子どもを抱きかかえた見ず知らずの親子を前に押し出してあげた。その親子は気が弱いのか、自分たちから他人を押しのけてまで乗ることができずに、ただ立ち尽くしていることに気づいていたのである。

 船員は引っ張り込むように親子をタロップに押し込んだ。親子は、セリア・ケイにお礼を伝えようとしたが、もみくちゃにされ、そのままタラップの上まで連れていかれた。

 セリア・ケイは、妹を失って以来、生きようとは思っていなかったが、いよいよ自分の命運も、ここまでで終わるのかもしれないと覚悟すると、慌てず、恥になるような行動を慎もうと心掛け、こんな醜い喧騒の中から立ち去ろうとした。

「君もだ」

 タロップにいた船員がケイの手を引いた。

「子どもはひとり分に数えない。だから、もうひとり乗れるんだ」

 ケイをタロップに引き上げると、船員は自分たちもタロップに戻っていた。すかさず、憲兵隊がタロップの前に立ちはだかった。

「船はまだある。他へまわれ」

 憲兵隊はここで乗船を完全に打ち切った。多くの避難民たちが、聞こえない風をしてタロップにつかまろうとしたが、海に落ちてしまった。

 ケイはこの貨物船に乗り込むことができた最後の避難民となった。彼女はここでほっと一息するとともに、感謝の気持ちが湧きあがり、自然と涙が出て来た。

 港を振り返ると、放棄されたクレーンが、寂しそうに空に向かって立っていた。その下から犬の鳴き声が聞こえてきた。ドラゴンの襲撃によって破壊された車両の陰で、貨物船に向かってワンワンと吠えているのである。ペットであったと思われる犬が飼い主を探していることは、彼女にも気づいた。犬たちが、あちらこちらに彷徨っている様子をみると、胸がはりさけそうな気持になった。しかし、彼女がしてあげられることは何も無かった。


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