ベルギー南西部ヘント近郊
ベネルクス連合軍が下等な爬虫類に苦戦するはずがないという先入観が、オランダ国民の安全に対する対応が後手になる結果となっていた。フランス北東部に避難していたオランダ国民などの民間人の避難が遅れたことは、彼らの命運に大きな影を落とす結果につながっていた。ワーテルローラインを超えた敵性来攻生物は、フランス中部にまで達し、結果的にフランス北東部に民間人が取り残される事態を招いた。
イギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)政府とフランス共和国政府が協議した結果、敵性来攻生物に対する本格反攻作戦の戦闘に民間人を巻き込まないための処置として、よく知られた作戦が選択肢のひとつに選ばれた。フランス北東部に取り残された民間人に関して、1940年に実施された旧作戦(ダイナモ作戦)の再開、それは戦火が及んでいないイギリス本土のグレートブリテン島に民間人を脱出させる作戦であった。
ラジオ・ネーデルランド放送は、軍艦や商船、さらには個人所有などのあらゆる船がダンケルク沖に集まり、グレートブリテン島に向けて人々を脱出させていることを伝えていた。ダンケルクに向かう経路ともいうべき避難路にあたる海岸近郊の都市では、居座る敵性来攻生物に対して、イギリス王立空軍による攻撃が実施されており、安全に脱出ができるというのである。さらに、フランス共和国陸軍、イギリス王立陸軍などからなる海兵隊部隊が海岸から逆上陸し、民間人の護衛任務についていることも伝えられた。
イギリス海峡を越えれば、ドラゴンの脅威から逃れられると、フランス北東部やベルギーの都市に取り残されていた多くの民間人がダンケルクに向かっていた。セリア・ケイもダンケルクに向かう避難民のひとりとなっていた。途中、同じような境遇の避難民が次々と合流し、ダンケルクに向かう道路は移動する避難民により占拠され、長い列ができていた。
彼女は一日中歩いて、政府がベルギー南西部ヘントに用意した一時避難所のひとつにたどり着くことができた。ヘントは、ベルギーの南東に位置するブリュッセル、北東に位置するアントウェルペンに次ぐ第3の都市である。アムステルダムから遠くまで避難してきたことになるが、この地域にも戦火が近づいているため、住民たちは既に避難を始めていた。安全地域は未だに遠くであり、最低でもダンケルクまでの残り100KMを歩かなければならなかったのである。
ヘントにあった一時避難所は単なる集会所のコミュニティーセンターであり、宿泊施設ではなかった。一時避難所の運営者やボランティアたちは逃げ出した後であったためにヘント地域の一時避難所は警備の兵隊がいるだけで、オールセルフサービスとなっている場合がほとんどであった。それでもかろうじて秩序は保たれていて、備蓄されていた保存食料品は、後から来る避難民のために、そのまま残されていた。とりあえず味の好みを言わなければ、備蓄の保存食はなんとか手に入れられたが、連日の避難行動により、さまざまなものが不足していた。特に飲料水や着替えの不足が深刻であった。
一時避難所は電気も、ガスも、水道も止まっていたが、幸いなことに、運河が近くにあったため、皆でバケツに水を汲み置くことで、トイレを利用した時に流すことができた。一部の避難所では、汚物を流すことができないため、トイレパニックなる切羽詰まった状況が発生していた。このため、一時避難所は運河や池が近くにある場所に人が集まる傾向があり、物資がある所とない所の差が明確に分かれる結果となっていた。このように必要な物資が全体的にあまり行き渡っているわけではなかったが、それでも避難民の多くは、残された備蓄品を分かち合いながら食いつないでいた。
避難民の数少ない情報源は、ラジオ・ネーデルランド放送である。暗澹たる空気の中で、放送を聞く避難民たちの顔色は蒼白であった。その夜も、ラジオ・ネーデルランド放送は、世界がネーデルランドを見捨てていないことをしきりに訴えていた。多国籍軍による大々的な上陸作戦が北フランスで近日中に実施されるというのである。今の状況は、多国籍軍により敵性来攻生物を撃退するまでの辛抱であり、ひたすら耐えるように呼びかけていた。
しかしながら、ワーテルローラインの戦いの結果については、ラジオ・ネーデルランド放送から一切に報道されることはなかった。これは現在の状況が深刻なものではなく、一時的なものでしかないという甘い認識を人々に植え付けただけであった。このため避難が進んでいる地域では、敵性来攻生物という危険があるにもかかわらず、警察力や防犯能力の低下した今が絶好の機会といわんばかりに火事場泥棒的な空き巣が発生することとなっていた。住民不在の建物から金庫や貴重品が持ち出される事態が数えきれないほどに発生していたのである。この結果、住民たちは避難時に建物の戸締りやシャッターを厳しく閉じるようになり、後から来る避難民たちが身体を休めるために使用できる場所は、開放されている公共の一時避難所くらいしかなかった。
セリア・ケイは、セルフサービスの夕食後、施設内に寝場所を探して歩きまわった。居心地が良さそうな幼児室、集会室、講習室はどこも多くの家族連れが入っている。ひとりだけの彼女は狭い室内に無理に入っていくこともできず、やむをえず喫煙室を覗いてみたものの満員で、とても横になる場所を確保できなかった。このために、隙間風が吹き込むような誰も入りたがらない場所くらいしか見つけることができず、広いホールの片隅で我慢せざるを得なかった。この場所の床は固く冷たかった。直接に床の上で横になるには辛すぎたため、使用されていない鉄パイプの椅子を横4列に並べて簡易ベッドを造った。彼女はやっとのことで横になることができた。
しばらくすると子どもたちが現れた。一時避難所では遊びざかりの子どもたちにも、行き場も遊び場もない。小さな子どもたちには避難の日々は辛く、不自由な生活に窮屈なおもいをしているに違いない。とはいえ、一時避難所で子どもが騒ぐと、周りの人に迷惑がかかる。ホールの隅でトランプなどをして大人しく過ごす子どももいるものの、遊び盛りの子どもたちが一時避難所の生活にいつまでも我慢が続くはずもなく、度々に問題になった。先がまったく見えない一時避難所内の生活に、子どもたちのストレスは徐々に高まっていた。
実際に一時避難所を利用する避難民から子どもの数も減ってきているという事実があった。一時避難所では赤ちゃんの夜泣きが当然あり、一時避難所では子どもがうるさいといった声が聞かれるようになると、周りへの配慮から、赤ちゃんが泣いたら一緒に外に出る人もいた。しかし、皆が疲れ果てていることもあり、夜泣きをしている赤ちゃんを外に連れ出す余裕のない人も多かった。今では赤ちゃんのいる家族は、周りへ配慮するあまりに、最初から一時避難所を利用しない場合もあった。不安を抱えながらも一時避難所を離れ、放棄された車の中や、半壊した家に入り込み、夜を過ごす子ども連れの家族が多くなってきていた。これはより劣悪な環境で過ごすことを意味し、ノロウイルスに感染したり、発熱したり、と体調不良を訴える子どもが相次ぐこととなった。
だからといって、一時避難所であれば、快適というわけでもなかった。建物の隙間から虫が入ってきて眠れないなどの苦労は絶えなかった。一時避難所には、赤ちゃん用の虫よけなどが無かったのも事実であった。避難民たちの日々の生活は一言では言い表せない厳しい状況が続いていた。
ケイはパイプ椅子の簡易ベッドに横になりながら、椅子と椅子の境の小さな段差に居心地の悪さを感じていた。
「自分よりも、もっと辛い思いをしている人たちがいる」
クッションさえあれば、居心地の悪さは改善できるかもしれない。しかし、あの日に妹を護ることができなかった彼女にとって、この痛みは自分が受ける報いであると考えていた。これは自業自得なのであるから、この居心地の悪い簡易ベッドこそが自分にふさわしい場所とさえ考えていた。
日が暮れ、深く眠ることができないまま時間だけが流れ、深夜になった。一時避難所から懐中電灯やランタンの明かりが消え、暗闇に閉ざされた。残り少ない電池や燃料は、終わりのない避難の日々に貴重であった。
この夜、どこかの国の空軍機が排気ジェットの爆音とともに上空高く進入してくると、急降下により一時避難所の近くに爆弾を投下した後、北の方へ抜けていった。誤爆であった。爆撃による火災が発生し、一時避難所となっていたコミュニティーセンター近くの数軒の隣接する家屋が焼け落ちた。さらにコミュニティーセンターにはロケット弾が数発打ち込まれ、そのうち二発が正面玄関前に一米ほどの高さに積まれていた救援物資に当たり、その一部が燃えてしまった。
幸いにも誰ひとり負傷者はいなかった。爆撃後、避難民は勇敢にも消火活動にあたろうとしたが、消火用の水が不足していた。なすすべもなく、焼け落ちていく家屋を見守るしかできなかった。
ケイの隣にいた家族が「生きていたら、お母さんに会えるからな…」などと、話し合っていた。本当にそうであってほしいと個人的に祈りながら、彼女はホールに戻ると再び浅い眠りについた。
翌朝、ほとんど眠れなかった避難民たちのもとに、近くの別の一時避難所にいた避難民たちが様子を見に来ていた。彼らは決して善意で助けに来たわけではない。飲料水を求めて、たまたま探しに来ただけなのである。この一時避難所にも無いことを知ると、そのままどこかへ消えていった。
昨晩に爆撃された救援物資は黒焦げた山に見えていたが、炭化していたのは表面のみで、中のほうはまだ食べることができるとわかった。炭のような臭いがする気がしたが、贅沢は言えなかった。
しばらくすると、ヘントの地元の住民が現れ、汚れているが水のある場所を教えてくれた。彼らは避難することを諦めていた住民であった。水は汚れているため、飲むためには蒸留する必要があった。残念なことに、その汚れた水さえも量は少なく、そのうちに干上がってしまうことが誰の目にも明らかであった。しかし、誰もがそれを口にする勇気がなかった。
避難民たちの間では、ドラゴンがすぐ近くまで迫っているとささやかれていた。ドラゴンが来たら、このヘントも戦場になる。多くの避難民はそのことを知っているので、早々に出発の準備を始めると、家族や友人といった小さなグループごとに、西のダンケルクか南西のコルトレイクに向かって避難を再開した。ヘント市内の店はとっくに閉まっており、略奪を受けて何も残っていないのが常であったから、この街に留まる理由もなかった。
ケイも、他の避難民とともに海岸沿いのオーステンデ経由でダンケルクヘ向かって歩き始めた。道路は放置された車によって通行が妨げられており、ここでも基本は徒歩で逃げるしかなかった。時折、荷車に大量の荷物を載せて引いている人たちもいたが、邪魔になるだけであり、捨ててしまうことが多かった。
出発後、ヘント近郊に本格的な爆撃が始まった。避難民たちは巻き込まれないためにも、ヘントの町から急いで離れるしかなかった。気づいたときにはヘントの街が燃えており、高い所からはその状況が見て取れた。ある人は爆撃が終わったらヘントに戻って、泥水を蒸留して飲めないか考える者もいた。連続の避難で飲料水は極度に不足していたので、このような考えも当然浮かんでくるのであろう。
その後、南西のコルトレイクに向かったはずの避難民の一団が追いついてきた。顔色を変えたまま黙々と歩く彼らに戻ってきた理由を尋ねると、ドラゴンが南西部で目撃されたことを聞いて逃げてきたと答えた。ドラゴンが自分たちを追いついているのではないかと不安はあったが、それが間違いではなかったことに、誰もが強いショックを受けた。
時折に見かけるフランス共和国陸軍の兵士たちも、避難民に避難先を指し示すだけで、避難を手助けするつもりは無いようであった。ドラゴンがすぐ背後まで近づいてきているにもかかわらず、避難民が多すぎるのである。さらに付け加えるならば、ここはすぐに戦場になることを知っていたため、余力がないのである。避難民は自力で逃げるしかなかった。それも急がなければならなかった。
ダンケルクへ向かう道中に、セリア・ケイは避難民の中で幽霊騒動の噂が広がり始めていることを耳にしていた。本当かどうかわからないが、死者が動き出すというのである。タチの悪い悪戯と誰も信じることは無かったが、目撃者が日々増えているのである。現在の笑えない境遇を考えると、心無い悪戯としか思えない噂は、最後まで気丈夫でいた人さえも心を折れそうにした。
一日歩いて到着したブルージュは、ダンケルクまで75KMの距離にあり、ベルギーの北西に位置する西フランドル州の州都で、運河、石畳の道、中世時代の建物が特徴的な街である。一時避難所は、街の南側の外れにあり、やはり無人であった。避難民向けの支援物資はネズミに食い荒らされ、糞まみれになっていた。どうやら、この一時避難所は炊き出しの最中に、慌てて逃げ出したようであった。さらに不幸なことに、ここにも飲料水が無かった。近くの運河の水は汚れており、伝染病の危険があったため、誰もすする気にはなれなかった。
ここでは軍の哨戒ヘリコプターが上空を旋回しているところを何度か見かけることができたが、避難民に気づいているにもかかわらず、救助する気は無いようであった。もはや、ヘリコプターを見かけても背景の一部と変わらない存在であり、誰も手を振って助けを求めることもしなくなった。
多くの人々が一時避難所に留まっていたが、高齢者や赤ちゃん連れが既に教室にて休んでいて、比較的に綺麗な小部屋は例によって人数の多い家族が先に入っていた。ケイは、その中に入って休むことも考えたが、同室の赤ちゃんが泣きだした時に相手に気を遣わせることが嫌なので、入ることは躊躇われた。結局、彼女に専用部屋が割り当てられるはずもなく、ネズミによって散らかされていた料理実習室に入った。臭いがひどかったが、我慢するしかなかった。
それでも一時避難所に残されていた毛布2枚が手に入ったので、靴を履いたまま雑魚寝となった。靴を履いたままなのは、すぐに逃げることができるためである。毛布にくるまってそのまま横になっていると毛布の感触が心地よく、すぐに眠れそうであった。
彼女は寝れることができるうちに寝ておこうと考え、保存食の欠片を片隅に置いた。ここは、もうネズミたちの住処である。ネズミたちにはネズミたちの縄張りが、人間たちには人間たちの縄張りができあがっている。でも、今晩だけネズミたちの場所を使わしてもらうためのお礼のつもりであった。笑うかもしれないが、ネズミの餌となりそうな保存食の欠片は、場所使用料のつもりであった。
彼女はウトウトしていると、日が沈み夜中になった。爆撃もなく静かな夜であった。それだけに暗闇の中で近くから物音が聞こえてくると、気になって目が覚めた。懐中電灯もランタンも持っていない彼女は、聞こえてくる音から様子を想像し、ネズミたちが先ほどに置いておいた保存食の欠片を持ち出していったのが感じられた。ネズミたちは、お腹一杯になると、そのまま彼女に近づくことなく去っていった。彼女はいつの間にか再び眠りについてしまった。
深夜になると、ケイは、自分がいる料理実習室の入り口が開けられる音で眠りから覚めた。誰かが入ってくる気配がする。料理実習室には自分しかいない。思わず恐怖に身を縮め、毛布の中に身を潜めた。一時避難所では、女性が寝入っている毛布の中に勝手に入ってくる卑劣な男性がいるとの話を聞いていたからである。室内は暗闇である。じっと身を潜めてさえいれば、こちらに気が付かないかもしれなかった。
侵入者は一人のようである。料理実習室の棚を探しているようであった。食べ物でも、探しにきたのであろうか? ここにはそんなものはあるわけがなく、不思議に思っていると、侵入者は目的のものを見つけたようである。
ケイはこのまま侵入者が早く去ってくれることを祈った。にもかかわらず、侵入者はアルミホイルで何かを造り始めたようであった。彼女はじっと毛布にくるまったまま隠れ続けていたが、少し離れた場所に何かが床に置かれる音がすると、侵入者は入ってきた入り口から去っていった。毛布から、そっと頭を出すと、暗闇の中にガラスコップで造られたランプが、ほのぼのと灯っていた。
彼女は驚いて、出て行った人物の姿を視線で追った。同じようなガラスコップのランプを手に持ち、火が消えないようにゆっくりと慎重に歩いている人物が見えた。ランプの灯が、その人物の影を大きく映し出していた。外国の人?、東洋系の人のように見えた。西欧が現在のような危機的状態になる前に、ほとんどの外国の人は出国していたので、東洋系の容姿はその存在自体が珍しく印象に残った。
ガラスコップで造られたランプは、サラダオイルが入れられており、アルミホイルでガラスコップの縁に支えられた芯が小さく燃えていた。非常に簡単な造りで、決して十分に明るいわけではなかったが、ここ数日ずっと暗闇の夜を過ごしてきた彼女にとっては、とても気持ちが和んだ。暗闇から解放されることが、これほど気持ちを落ち着かせてくれることに初めて気づいたのである。
おそらく、ガラスコップとサラダオイルを探しに、この料理実習室に来たに違いない。そして、暗闇の中に一人で怯えるように隠れている姿を見かけて気の毒に思い、余分に作成した1個を置いていったのであろう。ほのぼのした灯を見ながら、思いにふけっていると、いつの間にか寝入ってしまった。
夜が更けてかなりたってから、周囲が騒がしくなった。どうやら複数の人がネズミに噛まれたようであった。最初は大げさに騒ぎ立てていたが、すぐに「私はどこも痛くない。なんでもない」と、言い張り始めた。
ネズミに噛まれると、怪我以外にもさまざまな危険があるからである。特に怖いのが、ネズミ咬症とアナフィラキシーショックのふたつである。ネズミ咬症は、ネズミの持つ菌が傷口から入ることで引き起こされる病気であり、アナフィラキシーショックは、ネズミに噛まれて起きる強烈なアレルギー症状である。怪我人扱いされ、知らないうちに仲間に置き去りにされるのを恐れたのであろう。
もっとも誰も他人のことを構う余裕もなく、一時避難所はすぐに何事もなかったかのごとく静けさを取り戻した。




