ベルギー北部アントウェルペン
アントウェルペンに至るまでは道路なりに渋滞となっていたが、ここでは比較的に道は空いているようであった。アントウェルペンは避難が行われていないからである。
セリア・ケイが到着した一時避難所は工場のようながらんとした場所であった。工場のグラウンドを仮駐車場に設定していたが、ほぼ一杯になっていた。軍の車両、政府の車両、さまざまな車両が、次から次へと入ってきて、若干の出入りはあったが車一台通れるスペースを除いてほぼ停められるスペースはなくなっていた。車でなんとか到着できた人たちは、停車するスペースがない状態で、周囲の空き地に停車せざるをえなかった。
このような大規模な避難は誰しもが初めてではあり、避難してきた人々は一様に疲れ切った表情で、座り込んで話したりしていた。駆け付けた地元のボランティアにとっても人手不足の苦しい状況に困難を極めたに違いないが、非常に懸命に動き、炊き出しなどが提供されていた。ボランティアの献身的な頑張りには、避難民にとって本当に頭が下がる思いで、大変に感謝されていた。
ここからなら、鉄道なり、バスなりに乗れるかもしれなかったが、彼女はひとりはぐれたままで、ここから先には行くあてもなかった。ひとまず役所の人がいたので、ケイは避難者のリストに記入し、トイレの場所を探しながらざっと工場内を見て回った。
陽気な話題はなにもなかったが、ラジオ・ネーデルランド放送に耳を傾けるものがいれば、まだ通じている携帯電話で家族や友人に避難したことを伝えるものもいて、自分が取れる行動に労力をつぎ込んでいた。特に携帯電話はこちらの安否を外へ伝えたり、もてあました時間をつぶしたりと、一台で何役もこなしてくれるという絶大な威力を発揮し、大活躍ぶりであった。
現地の人たちによる温かい食糧や綺麗な飲料水は十分に提供されていたし、気遣いが十分にされていた。着替えが2~3日分しかないことを知ると、生活に必要になりそうなものを分けてもらえた。
しかしながら、一時避難所は、あくまでも避難所であり、家にいるわけではない。避難所暮らしは、若い女性にとって過酷である。大勢の人が限られたスペースを共有するため、窮屈であることは避けられなかった。足を伸ばしてゆっくり休めるスペースがあるわけでもない。自由にできる電気があるわけでもない。プライバシーの無い過ごしにくい生活に神経をすり減らし、身体を休ませることができない浅い眠りは、体力をみるみるうちに奪っていった。また、敵性来攻生物の危機がいつ収束するかわからないため、どのくらい滞在を強いられるか予想する事が不可能であり、見通しのない将来に対する不安が容赦なく気持ちを鬱にさせた。
たしかに一時避難所では人手不足のためサポートを十分に受けられないことが多かった。それでも、ケイがアントウェルペンの一時避難所の生活を後から思い出した時に感じたことは、この頃はまだ快適な避難生活であったということであった。
避難者の数はさらに膨れ上がり、車で到着できた人たちは車で過ごすようになった。車内であれば、車内TVで報道も見ることができるために車の利便性は極めて高く、手狭であるがパーソナルスペースを確保する意味でも概ね快適であった。かなりストレスを軽減してくれるのである。しかし、車内はどうしても体温で室内温度が上がるので、クーラーをかけ、アイドリングしているとガソリンが減っていった。長期戦になった場合この環境を維持できなくなるのは明白であり、給油のめどはなかったが、ここまで避難すれば、もう大丈夫であるかのような雰囲気があった。何百年に一度あるかないかのという出来事が起こってしまっただけなので、これ以上はきっと悪いことは起こらない。だから、少し我慢すれば、すぐに家に帰れるに違いないと誰もが思っていた。この時点では誰もが事態を甘く見ていたのかもしれなかった。
予想されていたことであったが、避難民に新たな問題が持ち上がった。離れた場所に駐車した車に残っている人にとって、どのタイミングで食料の配給があるのかわからなかった。地元のボランティアにとっても人手不足の中、いちいち一台一台の車にまで配って回るわけにもいかないのも当然なので、次第に些細な行き違いからトラブルが頻繁するようになっていった。
そのような中、役人から驚くことが伝えられた。
「ここも危険であるため、早い時期に移動して欲しい」
避難勧告であった。誰もがドキっとしたに違いない。先ほどのラジオ・ネーデルランド放送の情報であれば、まだこの周辺は安全なはずである。この避難勧告は安全基準をはるかに超える事態に対して発表されるものであったが、人々にはその危険度の重要度があまり認識されていなかった。どちらかというと、この避難生活が長引くのかもしれないという暗い気持ちが強くなっただけで、危機感というよりは憂鬱な雰囲気が避難所を支配するだけであった。
アントウェルペンの住民たちの一部が避難を始めるのを不安そうに見送りつつも、一時避難所の人々は、ここまで来るだけでも疲れ切っていたので、自分の目の前に危機が訪れないと動きだす気力すらなかった。
避難民は動き出す代わりに取った行動は、情報収集であった。しかし、ラジオ・ネーデルランド放送は政府からの避難勧告を流すだけで、現時点という前置きで、安全な避難路を次々とあげるだけであった。いつの現時点かもよくわからない同じ内容をただ繰り返す、そんな放送が絶えることなくいつまでも続いていた。
例えようのない不安な気持ちに誰しもが言葉を失っていると、聞き慣れない大きな音が、遠くから響いてきた。最初は雷がすぐそばに落ちたのかと瞬間的に考えたりもしたが、稲光やゴロゴロという雷鳴は全くなかった。音自体は遠くであったため、それほど大きな音ではなかったが、そのインパクトは計り知れなかった。どこかで戦闘が始まっている。誰しもが、そんな印象を受けた。体感としてはほんの100mくらいの離れた場所から聞こえているように感じられた。
「これはやばいぞ?」と避難民たちの口から聞かれるようになると、誰が言い出したのかわからないが、「ここも戦場になる」との噂になった。それとともに、まるで見て来たかのような戦闘の様子が人々の間を駆け巡り、さらに場所の特定や敵性来攻生物の容姿の推測などが加わり、一時避難所内にあっという間に拡散してしまった。
人々が浮足だち、いまにも不安が破裂しそうな状況の中、役人によって、ついに火がつけられた。
「敵性来攻生物が急激に接近しているため、『避難指示』を発令します」
最後通告ともいうべき避難指示であった。この避難指示というのは避難勧告よりも緊急性が高い場合に出されるもので、ただちに避難行動をとるか、とれない場合は生命を守る最低限度の行動をとるように指示するものである。ほぼ同時に市内にサイレンの音が聞こえ始め、巡回する広報車のアナウンスがしきりに避難指示を伝え始めた。
避難勧告の時点ですら一時避難所の収容能力は満車に近かったが、避難指示の時点で避難を開始した人は一斉に人々が動き出したため、大混乱となった。鉄道やバスなどの公共の輸送手段は、とっくに人々が殺到して期待ができないことは容易に想像がついた。
そう考えると、避難指示を待って避難していては遅かったのである。セリア・ケイは避難勧告の時点で行動しなければ不測の事態に対応する余裕がないことに気づき、同じ失敗を繰り返すまいと強く反省した。彼女は生死の危機に追い込まれ、妹の死が本当に辛いものであったはずなのに、かといって後を追って死ぬ勇気が自分には無かったことに気づいていた。いつの間にか生きるということに執着していたのである。ケイはベルギー第三の都市であるヘントに避難するため、西を目指すことにした。




