アムステルダム
首都アムステルダムでは、相変わらず隣人がいつの間にか姿を消すという神隠しともいうべき事態が続いていた。その数はついに無視ができないほどに増えていたのであるが、ついに行方不明者が発見された。
市内のとある精肉店の倉庫で、行方不明となっていた人間たちが発見されたからである。そこには、夥しい数の屍が積み重なるように野晒しになっており、吊るされた商売用の肉とともに、倉庫全体がカビのような菌糸で覆われていた。まるで腐敗した生ごみの捨て場のようになっており、悪臭に惹きつけられた小動物が動き回っていた。
最初こそ真正粘菌ルシファーは静かに侵食を続けていた。感染しても直ちに宿主の体内で活動を活発させることはしなかった。目立たず、潜むように取り付いているだけであった。それは菌の移動力だけでは到底成しえない距離であっても、感染した宿主に普段の行動をとらせることで、宿主とともに移動し、新たな場所で感染を広げることができるからである。
やがて、真正粘菌ルシファーの感染者は、意識のスイッチを切られ、命じられるままに人目につかない場所へ自ら移動すると、自らの身体を苗床として捧げるのである。今回発見された精肉店の倉庫は、店主が感染者であり、倉庫は誰も立ち寄らない場所となっていた。ひそかに繁殖するためには、絶好の苗床であったのである。
真正粘菌ルシファーは苗床に適した場所にたどり着くと活動を活発化し、そこで宿主を息絶えさせる。宿主の遺体を苗床として増殖し、遺体に群がる小動物にも次々と感染する。感染した小動物は、感染した人間と同様に運びの担い手となりえるので、新しい人間や小動物に次々と感染してゆく。これを繰り返すのである。ここは餌となる生き物は十分すぎるほどに豊富であった。
今や市内の至る場所で菌糸を薄く広げ、餌のある場所同士を菌糸で結び、栄養を全体に効率よく送るほどに拡大していた。餌は十分すぎるほどに豊富で、加速度的に増殖することができたからである。
通報により警察関係の一団が精肉店の倉庫に踏み込んだ時、ルシファーは苗床に籠る腐乱臭が流されていることに気づいた。密閉されていた苗床に、侵入者が来たことを察知すると、菌糸に埋もれる遺体の背中に目玉を造り出して、獲物を物色し始めた。
すぐに侵入者を発見すると、恍惚とした眼差しで見つめた。侵入者たちは全く警戒しておらず、隙が多く、簡単に絡めとることができると思われた。ルシファーはここで潜伏と増殖が続けられることを確信していた。
警察官や検視官は情報が不足しており、報告のあった真正粘菌ルシファーの宿主は単なる病人と思われていた。しかし、突然に遺体が動き出したのである。それが合図となり、倉庫内の感染者たちは一斉に捕食のために動き始めることとなった。頭上から、足元から、仮捕捉手が餌を絡めとろうと近づいてきた。現場に入った警察官や検視官が狭い倉庫で襲われる事態となった。
この倉庫と同じような場所が市内の至る所で見つかっていたが、この頃にはアムステルダムには敵性来攻生物のヴイーヴルが出現し始めていた。このため、戻らぬ警察官や検視官はヴイーヴルにより殉職したという誤解が発生し、真正粘菌ルシファーの苗床は緊急時につき建物を封鎖して閉じ込めるだけの対応に留めてしまった。
アムステルダムに侵入した真正粘菌ルシファーの生活環は、ついに繁殖の次の段階を迎えた。人類から見れば、狩られる側になったのである。さらに大っぴらに狩りを行なうことで、侵食を緩めている宿主たちが遠くに逃げ出すことも計算にあった。それは真正粘菌ルシファーにとって、繁殖域を広げることに他ならないからである。




