アムステルダム市内セントラル地区
オランダ王国の首都アムステルダム市内は、網の目上に運河が流れていて、「北のヴェネツィア」とも呼ばれている。2010年に世界遺産に登録され、ヨーロッパ諸国の中では治安が安全な都市とされている。その中心地のセントラル地区は、日本でも有名なアンネの家、ゴッホ美術館、ライクス美術館などの観光名所が集まっており、その間にも大きな運河が流れている。運河沿いには、黄金時代に富を蓄えたオランダの商人たちの屋敷であった細長い古い家々が並んでいて、どの家も天井が高く、シャンデリアが外からも見えるように巨大な窓の造りになっている。これは、商人たちが富を見せびらかすためであったり、細長い家を大きく見せるためであったり、とも言われている。
セントラル地区に住むとある少女は、夜中に誰もいない廊下から軋む音が聞こえくると泣き出していた。母親は、子どもが夜中にトイレに行くことを怖がるために嘘を言っているに違いないと考えていた。怪物は映画や小説の中にだけ出てくるのであり、現実にいるわけがないと、子どもをなだめた。
母親にうながされて、少女は諦めてひとりでトイレに向かった。用事が終わり、トイレから出ようと扉を少しだけ開け、薄暗い廊下を、そっと覗いた。誰もいなかった。扉をさらに開け、扉の反対側に誰もいないことを確認した。
少女はほっとしたが、その臆病な仕草を笑うような子供の笑い声を聞いたような気がした。夜中に聞こえる無邪気な笑い声は、あまりにも不自然であり、どちらかとえいば不気味でもあった。ふと、笑い声が聞こえてきた方角を見ると、窓の外になにかの気配を感じた。「シゥーッ、シゥーッ」と音をたてながら、そこになにかがいた。そのなにかは不釣り合いな目を開き、窓の外から少女を見ているのである。ゆっくりと仮捕捉手を伸ばし、窓ガラスを這わせていた。侵入する隙間を探しているようであった。
今までの世界では母親が正しかった。しかし、アムステルダム市内の異変は病院の外にも拡散していたのである。真正粘菌ルシファーの隠れ感染者がいたのである。感染者は人間の姿を残していたとしても、もはや怪物であり、夜になると新たな餌を求めて、市内の闇の中を彷徨っていたのである。
少女の助けを求める悲鳴があがった。夜の静けさが破られ、すぐに母親が駆け付けたが、窓の外には何もなかった。




