アムステルダム
終末高高度防衛ミサイル爆発事故の現場検分の手伝いが終わり、警察官はアムステルダムの警察署に戻っていた。実況見分調書を書き上げ、自宅に帰ることができたのは夜中になってからであった。
アムステルダムは運河の街であり、警察官は市内では珍しくもないボートハウスにひとりで暮らしていた。自宅に着いた時には、指先にはっきりとした異常が現れていた。白色浸軟が起きており、爪が黄白色に変色していた。警察官はそれでも大事に至っていないと考え、自然に治るに違いないと思い込んでいた。このため、この時点では病院へ行くことすら考えもしなかった。
翌朝になると、警察官は高熱に浮かされる状態にまで悪化していた。指の白色浸軟は、びらん(皮膚が裂ける、むける)となり、その周辺に鱗屑(皮膚のカスがはがれる)が見られるようになっていた。最初はかゆみが強かったが、糜爛になると痛みが出るようになっていた。
警察官は高熱が出ていたが、風邪をひいたものと思い込んでいた。指の病気は、風邪が治ってから考えればよいとしか考えていなかった。このため風邪薬を飲み、仕事を休むことにした。翌朝には薬も効いて熱は下がるだろうと楽観的な気持ちであった。しかしこの時、警察官の体にはすでに取り返しのつかない恐ろしい異変が起きていたのである。
翌日の朝になっても警察官の高熱は下がらなかった。 しかも、指にできた赤いぶつぶつの発疹が、神経に沿って上肢を伝うように伸びており、頸部まで到着すると頭部を覆い尽くすまでになっていた。普通の風邪でないと気づいた警察官は、得体の知れない病に侵されており、このまま放置しても回復する見込みがないことを悟った。ここまで悪化して、始めて病院へ行くことを決心した。
病院では疱疹状皮膚炎であると診断された。疱疹状皮膚炎とは、表皮下水疱を生じる水疱症である。高熱とともに体に発疹が出る病気であり、薬を飲み、安静にしていれば回復するということであった。
疱疹状皮膚炎であれば、水ぼうそうにかかったことのない乳幼児などには感染する可能性があるが、それ以外の人には免疫ができているため感染することはほとんど無い。診察後も特に隔離されることはなかった。
しかしながら、警察官を蝕む菌は人々に寄生するチャンスを虎視眈々とうかがっていた。本格的に宿主に対する侵食活動を行なうことを控え、宿主が移動し、他の新しい個体に接触する機会をうかがっていた。それは菌が意識したものではなく、本能ともいうべき習性から導かれた行動原理であったが、長期的に見て自己増殖という目標に貢献するものであった。
警察官は病院の会計を済ませると帰宅した。会計の際に、警察官の指の皮膚からはがれ落ちた角質層が、事務員の手に触れていた。角質層には警察官を蝕む菌が生きたまま潜んでいたが、二人とも気づくことさえなかった。
警察官が自宅に戻ると、家屋の台所、風呂、トイレなどの水回りにカビのような菌が大量に繁殖していた。気密性の高い建物は、人と同様にカビのような菌にとっても暮らしやすい環境なのである。あまりにも気持ちが悪かったが、体調が回復してから本格的に拭き取ることにして、今は体を労わることを優先することにした。しかしながら、カビのように見える菌糸は、すでに壁の深くまで入り込み、拭き取る程度では除去することなど到底できないほどに拡大していた。
翌日になっても警察官の熱は一向に下がらなかった。 容態は悪化する一方であった。しかも、顔や首などにできた発疹は、数も増え、大きくなり、全身へと広がっていった。それとともに、手足が自由に動かないことがあり、歩くことすらままならず、まるで赤ん坊のように、よちよち歩きしかできなかった。
自宅内の菌はさらに家中に拡がり、まるで警察官すらも覆い尽くそうとしているかのようであった。




