アムステルダム防衛線北部要塞近郊
自から獲物を狩るという特異な行動を除けば、死体を漁る微小生物は実際のところ、いっぱい存在する。その生き物は屍となった工作員の体内に菌糸を忍ばせ、消化と同化を繰り返していた。遺体の表面はねばねば、ぬるぬるしたアメーバ状の物質によって覆われ始めたが、これがこの生き物の変形体と呼ばれる状態で、本体なのである。
周囲には遺体の死臭が漂い、死体漁りが目的のカラスが集まり始めていた。その生き物にとって、遺体を掠め取ろうとしてくるカラスも単なる餌に過ぎない。無謀な一羽が近づいてきた時、仮捕捉手で絡めとることは拍子抜け過ぎるくらいに楽であった。
すると、カラスは仲間の死骸を見て威嚇するかのようにガーガー鳴き立てた。霊長類の視点から見れば、カラスの脳はちっぽけかもしれないが、カラスはあまりの賢さゆえに動物学者から”羽の生えた類人猿”とまで呼ばれることがある。例えば、カレドニアガラスの脳はたったの7.3グラムしかない。だが体の大きさとの比率で言えば実に巨大な代物で、体重の2.7パーセントを占めている。ちなみに人間の成人でさえ1.9パーセントである。
それに補足するとカラスの前脳のニューロンの密度は霊長類のそれを上回る。この領域のニューロンの量は知性と相関があると考えられており、理論的にはそれが多くなれば認知的な推論の力が向上することになる。つまりカラスは、類人猿に匹敵する認知能力を有しているのである。カラスは脅威を学習することが可能で、自分たちの敵の存在を認識することができる。
それゆえにカラスたちは自分たちにとって脅威である生き物に、仲間の仇討ちをする機会をうかがっていた。鷹、フクロウ、コヨーテといった警戒すべき敵がいれば、カラスは敵を追い払うために集団となり、カラスは数の力に頼り、捕食者さえも圧倒する。興奮状態となったカラスは、甲高く鳴き叫び、羽をばたつかせた。時間が経つほどに反応するカラスは増え、仲間が殺された瞬間を目撃していない1~2km離れた別の群れのカラスまでもが反応し始め、周囲には数百ものカラスが集まってきた。
カラスが仲間を殺した生き物の頭上を鳴きながら旋回した。明白な威嚇行動である。さらにカラスは木にくちばしをこすりつけて、小枝を折ったり、枝や葉を落としたりといった示威行動を繰り返した。
威嚇はさらにエスカレートし、脅威である敵の後ろから低空で接近すると、脚で蹴った。これを見た他のカラスもこの威嚇行為に参加し、攻撃に加わるようになっていった。彼らの敵対心が仲間に受け継がれているのは明らかであった。それぞれが急降下してクチバシの一撃を食らわせる。傷つく仲間もいるかもしれないが、今までの敵は、この方法により上手く退散させてきた。
その生き物は自分を威嚇してくるカラスの行動を見つめていた。その生き物にとってカラスの威嚇は、なんの脅威にもならなかった。別に警戒するわけではなく、隠れるわけでもなく、無機質になにが起こるか見守っていた。急降下してきた一匹のカラスによって、クチバシの一撃を食らせられると、自分の身体が軽く傷ついたが、細胞を活性化させて簡単に修復することができた。つまり、その生き物にとって何のダメージを受けておらず、脅威になるどころか、餌のほうから自分を食べてくださいと接近してくるとしか思えなかった。それ以外には関心の対象ですらなかったが、空を自由に飛んでいることに興味があった。
急降下してきた一匹を仮捕捉手でいとも簡単に捕まえると、自分の身体に引き寄せて融合させてしまった。生き物は翼を手に入れたのである。
カラスの敵意は頂点に達し、さらなる興奮状態となると、行動も尋常でなくなった。集まったカラスのあまりの数の多さに、空がカラスで埋め着くされているように錯覚してしまうほどであった。
その生き物は、カラスの真似をして空中へ飛び上がろうと、癒着したばかりの翼をばたつかせてみた。が、飛べる気配もなかった。その生き物にとって、前へ進みながら翼を前方に滑らせることで得られる揚力の飛翔原理を理解したり、飛び立つための一連の複雑な行動を学習したりすることはできなかったのである。




