エピローグ
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気の早い銀の満月が中天を通りすぎ西に傾き始めた頃、ようやく一息つくことができました。私とラプンツェル様は皆様のご厚意で他には誰も居なくなった甲板の隅で四年ぶりに会話の場を得たのでした。
えぇと…まずは何を言えばいいのでしょうか?
とりあえず、現状の確認から入いれば会話の掴みは大丈夫な…はずです。
「…あ、あのラプンツェル様、とても助かりましたが、どうしてこちらにいらしたのですか?」
ラプンツェル様がいらっしゃってから、後を追うようにして砂竜とエドワの民の武装船がやって来てくださり、あっという間に戦況は逆転しました。ラプンツェル様がどうして砂竜より速く移動できていたのかという不思議はあれど、概ね滑らかに事態は治められました。シフナース砂漠の生態系の頂点に絶対王者として君臨する砂竜が登場した時点で砂鯱については解決したも同然だったのです。
「ん?ああ、それか。我は訳あってエドワの民と共にシフナース砂漠を巡回しているのだが、アイリア大公領の騎士団とやらが十分な魔除けも無しに大慌てで此方に向かってきたのでな…一応事情を訊いてみたところ魔物に囲まれた商船があると聞いて来たのだ」
沈みかけた船にそなたが居るのを見たときは肝が冷えた、と加えてラプンツェル様は苦笑しました。
それから、なんとはなしに会話が途切れて静寂が訪れました。
愛しい人と再会を果たしたものの、何を話してよいのか、何をしてよいのか…すっかりわからなくなってしまいました。
旅の途中ではお会いしたらこれを話そうあれを見せようなどと数えきれぬほど伝えたいことを夢想しておりましたのに、いざとなってみると胸がつまるようで口がなかなか言うことをきいてくれません。
前に恋人と再会を果たしたらどうすればいいかとイヤックに訊いた時は「男なら黙って抱き締めてキスでもしてやりゃあいいんじゃねぇか」と言われましたが、私とラプンツェル様では、はっきり言って無理です。
男なら、と言われましても…その、個人差はありますし押し付けはよくないと思うのですよ。
…ええ、ラプンツェル様とはロル(約50?)単位で身長差があるので物理的に不可能なだけですけれどね?いつも此方が見上げていますのに、どうしろと言うのです?私が立っている時にしゃがんでいただかないと顔になど手すら届きませんが、なにか…?
「…ジュリアン、どうかしたのか?」
くだらない事を悶々と考えるうちにいつの間にか俯いてしまっていたようです。
ラプンツェル様の不安気な声にはっとして弾かれたように顔を上げれば、八の字に眉を下げて此方を伺っていらっしゃいます。
私は相変わらずの精悍な顔立ちに似合わぬ少し情けなくてどうしようもなく可愛らしい表情に心底安心するのを感じました。
服装が見慣れぬ異国の物に変わり、綺麗に整った長い三編みではなく腰までのざんばら髪になっていても、ちっとも彼女は変わっていません。
何か言おうとしてもどうしていいかわからない時は眉を寄せては力を抜いて分かりにくい狼狽の仕方をするのもそうです。
夜の藍色の影が落ちた深い碧の瞳を真っ直ぐ見上げて微笑んでからそっとラプンツェル様を抱き締めました。
体格に差があるので抱き締めると言うよりはすがり付く形になってしまいますし、どんなに手を伸ばしても背中の半ばまでしか届きませんが、それでもこの思いと温もりが伝われば十分です。
「ラプンツェル様、お会いできて嬉しいです」
私はゆっくりと言いました。あまり饒舌にはなれそうもないので、ありとあらゆる思いを込めて。
けれど、ラプンツェル様から反応がありません。
「…ラプンツェル様?」
不安になってもう一度名前を呼んで、僅かに首を傾げるとラプンツェル様は両の手で顔を覆っていらっしゃいました。
「っ…と、あ、ああ、そそう、だな」
慌てて吃りながら返事をするラプンツェル様。
これは…照れていらっしゃるのですね!
なんと、なん…という、可愛さでしょう!!!
思わず腕に力を入れて身体を寄せれば、きゅうう、とラプンツェル様の革の編み込み式のベルトが愛らしい音を上ました。
ベルトの立てる音まで可愛らしいとは、ラプンツェル様は一体何者なのでしょう?!などとひたすらに身悶えしていると、冷ややかな声が浴びせられました。
「ははうえから、はなれろ」
「きえろ」
幼さ故と言うより、標準語自体に慣れていないと言った風な少年と少女の凍てつくような声。
余裕を演出するためにゆっくりとラプンツェル様から身を離しましたが、殺気が尋常ではないのでお引き取り願いたいです。
…そして、母上って何ですか。母上って?
いえ、声から伺える年齢だけでラプンツェル様の隠し子ではないとわかりますけれど。四年ぶりの逢瀬を殺気なんて無粋なもので邪魔をされたのでは此方とて穏やかではいられません。
どうやらラプンツェル様が養い子としていらっしゃる様ですが、ここで引けば後々まで舐められるに違いありません。決定的な悪印象にならぬ程度に立ち向かう必要がありそうですね。
「何方か存じ上げませんが、初対面の人にその言い方は宜しくありませんよ?」
幽霊王子と蔑まれて亡き者同然の扱いを受けていたとはいえ宮廷という伏魔殿に生まれ、この四年では商売としての修羅場なら何度も立ち会ったのです。護衛と言う名の脅しの殺気に何度晒されたか…この程度は許容範囲内です。ラプンツェル様が関わる以上一歩も引く気はありませんからね?
声のする方に完璧な笑顔を貼り付けた状態で振り返ると、エドワの民とおぼしき十歳程度の双子がおりました。
エドワの民の特徴たる褐色の肌に金緑の瞳と白い髪。瓜二つの二人を分けるのは髪の長さのみで、幼いことも手伝い引き締まった小さな体躯には男女差は見てとれません。
私の笑顔に何か感じたのか、びくりとして後退ってしまいました。どうやらあの双子さんは含みのある表情は苦手なようですね。過去に何かあったのかもしれません。
「アイル、レイラ、落ち着きなさい」
ようやく立ち直ったらしいラプンツェル様の落ち着いた低めの声が後ろから飛んできました。
「ジュリアン、紹介が遅れたが、我が故あって引き取ったエドワの民の双子…右の短髪の男児がアイル、左の長髪の女児がレイラだ。突然で申し訳ないのだが、家族として接して貰えないだろうか」
ラプンツェル様の声に反応して急に幼く不安気な表情に変わります。義母の夫に知らなかったとは言え殺気を放った上に暴言を吐いたので当然と言えば当然の反応でしょう。
はあ…そうしていれば大分可愛いのですね。私は一呼吸置いて、親しい人に向ける本当の笑みに切り替えます。これでも引かれたら正直打つ手はありませんね。
「…私も大人気ありませんでしたね。アイル君、レイラちゃん、私はジュリアンです。まだ婚姻は結んでおりませんので、ラプンツェル様の婚約者ですが父と思ってくださって構いませんよ」
私に出来る限り慈愛に満ちた声でゆっくりと話します。
双子は同時に顔を強張らせました。
…あれ、おかしいですね。
より怖がられてませんか。失敗しました。前途多難です。
「あいる、れいら、あそぼー」
ずぞぞぞ、と砂を押し寄せて砂竜が現れなければ空気が凍りついていたでしょう。ラプンツェル様に負けて以来従っているというシフナース砂漠の守護者は能天気な声――ただし砂が震えるほどの音量――と共に双子を拐っていきました。
ばちり、と弾性のある分厚い瞼を片方だけ閉じて遠ざかる砂竜…もしかして、意図的に助けられたのですか?あの口調で人を油断させておいて気配り屋さんですか…侮れませんね…。
それにしても何だったのでしょうか。無意味に逢瀬を妨害された結果に終わりましたけれど。
いえ、無意味ではありませんか。この四年間でラプンツェル様にも様々な繋がりが出来たのだと垣間見ることができました。私もラプンツェル様も守るべきものがお互いしかなかったあの塔から随分と遠くに来たものです。
もしやとは思っていましたが、エドワの民を指導してシフナース砂漠に新たな秩序と混沌をもたらしているのがラプンツェル様だと確信できました。
魔女様が仰っていたことを忘れたことはありません。そして、私が魔女様に何と申したかも…忘れることはありませんでした。
「…ジュリアン」
なんとはなしに砂竜が消えて行った方をぼんやりと眺めていた私にラプンツェル様の神妙な声が降ってきました。
ラプンツェル様は口を一文字にして、暫く悩んでから言葉を続けました。
「ジュリアン、この砂漠での四年で我は己がどれ程常識を逸しているのかを知った」
ええ、そうでしょうとも。あの狭い塔でさえ私は毎日度肝を抜かれていましたから。あの時を思い出せば私も微笑ましい気持ちにはなりましたが、思い詰めたように話すラプンツェル様のために静かに耳を傾けていましょう。
その深い碧の瞳に浮かぶ不安がどのようなものであるか、多少なりとも予想はつきますから。
「母上…いや、ゴテルの魔女殿が我をあの塔で育てた理由も今なら理解できる」
ラプンツェル様は考えていらっしゃることを言葉にすることがあまり得意な方ではありません。それでも、懸命に言葉にしていく様は彼女の何かしらの決意が滲むようです。
「そして、我はそれよりは異常な、馬鹿げた夢を見ている」
ふ、とラプンツェル様の視線がエドワの民の武装船に流れてから、天上に向きました。
水分という不純物さえ含まない澄んだ砂漠の空気は何処よりも夜空を美しく華やかにします。星の光が川の流れの様に渦巻き、光の靄がかかった空は息を飲むほど綺麗でした。
「我は、この世界を落とそうと思うのだ」
空にあった視線を僅かに傾ければ、ラプンツェル様は大真面目に言いきって口をつぐみました。
「それは、どういう意味ですか?」
私は十分意味がわかっているつもりですが、念には念を入れて問わせていただきました。
「…一度、国を全て無くす」
思った通りです、ね。やはり時視の魔女の予言は的確です。
「それだけ、ではありませんよね?」
それでは足りないでしょう?と言外に含めて微笑む私にラプンツェル様は驚いたようです。驚いた時には少し情けない顔になってしまうのもやはり健在なのですね。
「…あ、ああ。規模は問わぬが、国を作りたい。国でなくとも構わんが、今より僅かでもいい場所を作りたい」
戸惑いながらも、ラプンツェル様ははっきりと仰います。
「なるほど、わかりました。けれど、それは世界征服をする事と同じですよ?この社会情勢では、どう足掻こうとそうなりますから」
少し意地悪な言い方ですが、仕方ありません。魔女様にラプンツェル様をしっかりと導くよう言付かっていますから。
「せか…いや、そうなる、のか…?」
「そうなりますよ?自分でも仰っていたではありませんか、馬鹿げた夢だと…今はまだシフナース砂漠で済んでますから引き返せますよ」
困惑するラプンツェル様に、一応逃げ道を用意してみました…答えはわかりきっていますけれど。
「いや、引く気はない」
ラプンツェル様の予想通りの意志ある声色。それに対する答えはもう四年も前に出しておりますから、あとは口にするだけです。
「そうですか…では、世界征服してしまいましょう!」
デランタでは賛成の意を示す柏手の音がシフナース砂漠に響きました。
「あ、いや、ジュリアン、それでいいのか?!」
ふふふ、ラプンツェル様は私が渋るとでも思っていたのですかね?私にラプンツェル様から離れる選択肢は無く、ラプンツェル様が世界を一度は滅ぼすことが確定しているのなら。
私がすることはたった一つ。
簡単です。
「もちろんです。この世界の歪みはもう押さえられないところまで来ていますし…ラプンツェル様とお別れした後、魔女様から予言を聞いたのです。ラプンツェル様はいずれ世界を滅ぼすと」
ラプンツェル様があんぐり口を開けています。やはり、ラプンツェル様は魔女様に聞いていらっしゃらなかったのですね。
「そ、それならば尚更だ!我が世界を滅ぼすと言うのならば、何故!」
魔女様の予言がどれ程の意味を持つのか、ラプンツェル様にもわかっていらっしゃるようですね。私の肩を揺さぶり、正気なのか確かめようとすらしていますから。
「当然です。これこそが、私が魔女様に誓った答えであり、私のできる最善だからです!だって、当たり前でしょう?変えられぬ結果が待っているのなら、その結果を最良にするだけです!世界が滅ぶ?結構ではありませんか!何もかも腐り果てていくのでしたら、一度終わらせてやり直せばいいのです」
ラプンツェル様の目を見て一息に言い切りました。
「だが、犠牲がでるのは変わらぬぞ?」
なぜ、ラプンツェル様に私が止められているのでしょうか?あれ、おかしなこと言いましたか…。
「このままでも犠牲はどこかにあります。それならば、最善を選んで最小を勝ち取ればいいだけです。違いますか?」
とにもかくにも、何がなんでもラプンツェル様から離れるつもりはありません!という決意を込めて宣言したのですが…ラプンツェル様が額に手を当てて俯いてしまいました。
「…はあ、いや、そのなんと申すべきか。ジュリアン、そなたの方が余程…」
ラプンツェル様のお声が掠れてよく聞こえません。少なくとも悩んでいらっしゃる様ですね。あと、一押しでしょうか。
「ラプンツェル様、安心してください。私だってお手伝いくらいならできますよ?」
首を傾げて言えば、ラプンツェル様は脱力したようにしゃがみこんで仰いました。
「我は中々に凄まじい伴侶を持ったようだ」
伴侶という破壊力抜群の言葉に倒れそうになりつつ、私は感動のままにラプンツェル様の手を握って満面の笑みで言います。
「ラプンツェル様、幸せな家庭のために平和に世界征服しましょうね!」




