終・運命は円環に廻り
――そうして、すべてが終わったのさぁ。
じっと話に聞き入る子どもたちに向かって、老婆は含みのある笑みを見せる。
* * *
「サーナ……いったいどこに行った、サーナ・イシク……」
シャリファンは、呆然と呟いた。
「お前まで、私のもとからいなくなるというのか……お前、まで……!」
絶望感が背筋を突き上げる。
力の入らなくなった手が、握っていた短剣を落とした。
と、そのとき。
傍らで、小さな唸り声が聞こえた――気がした。
「え……」
信じられないものを見るような面持ちで、シャリファンは倒れ伏すリズルカに視線を向けた。
周囲に人気はなく、聞き間違いでないとすれば――。
「……リズルカ?」
名を呼ぶ。けれど、返ってくるのは静寂ばかりだ。
どうすればいいものか、とシャリファンが逡巡していると、草原を踏みしめる音がゆっくりと近付いてきた。
「……そなたらがいつまでも戻らぬから、様子を見に来たのじゃよ。……しかし、騒がしいと思うたら、こういうことであったか」
「ルル・イシク……」
シャリファンが振り向く。
やがてルルはおもむろに足を止めると、ひと抱えほどの大きさもある何かを拾い上げた。
「……おぬしも、ようやるのう。我もそこまで必死になっておれば、すべてはもう少し違う道を歩んでおったのか……いや、無駄な仮定じゃな」
「ルル・イシク、何を……」
「そなたを守ろうとした土地神のなれの果てについて、じゃよ」
そう言うと、ルルはシャリファンに抱えていたものを手渡した。
「ほれ。契約があるのじゃろう、最後までしっかりと面倒を見ておやり」
それは、よく眠っている赤ん坊だった。
ほやほやとわずかに生えた髪の毛は薄灰色をしている。
「そなたの土地神じゃよ。ただの赤子に戻ってはいるが……まあ、成長と共に少しずつ力を取り戻すじゃろう」
「これが、サーナ……?」
腕の中で眠る赤ん坊を見下ろして、シャリファンは驚きに目を瞠るしかなかった。
「どうして、こんな……」
「ひどく簡単で、そして下らない問いじゃな、シャリファン。……そなたの傍らにおる想い人も、そろそろ目を覚ますぞ」
ルルは目を細め、倒れているリズルカを見つめた。
「その男が目覚めたら、挨拶などせず、すぐにここから立ち去れ。その方が面倒も少ない。土地神も忘れずに連れてゆくようにな」
「待ってください、ルル・イシク。私には、あなたが何を言っているのか、まったく理解できない……!」
「愚かもの。我らが神と呼ばれていること、それが答えにならぬのか。……忌神がその男を生き延びさせ、手足として扱っていたように、我らにもそれを可能とするだけの力はある。……しかし、その代償として、そなたの土地神は力の大半を失った」
「では、サーナは……リズ、は」
「くどい」
ルルは一言そう吐き捨てるときびすを返し、己の天幕へと歩き始めた。
「……生きよ、シャリファン。そなたの土地神が、そう望んだように。なに、そなたたちの負う罪の半分は、我らが持ってゆこう。幸せになることを恐れぬように、な」
去りゆくルルの背を、シャリファンは言葉もなく見送った。
腕の中で眠る赤ん坊がわずかに身じろぎをして、それでようやく我に返る。
「…………サーナ、なのか」
赤ん坊はよく眠っていた。答えは、どこからも返ることはない。
「……っ」
傍らに倒れ伏したリズルカが、今度こそはっきりとした呻きを漏らした。
「……リズ」
――シャリファンの、そのたった一言に込められた想いは、どれほどのものだったろう。
赤ん坊を片手に抱いたまま、シャリファンは空いた片手で飛笛を回し鳴らした。
腕の中で眠る赤ん坊に感謝を捧げるように、風を切るその音色は草原に響き渡っていく。
女でありながら首飾りを持たないシャリファンは、次代の命を育むことができない。
石はそれを持つ本人のためだけにはたらくものであり、たとえリズルカの首飾りを与えられたところで、それはシャリファンの中に命を宿らせるものにはなりえないのだ。
しかし今、腕の中にはただの赤ん坊に戻ったサーナがいる。
彼と交わした、残された時間のすべてを彼のために捧げるという契約もある。
そして――傍らには、リズルカがいる。
「……ああ……」
言葉にならなかった。
彼らと共に、シャリファンはこの広大なガラハーンの草原に生きてゆくのだ。
果たして――こんなにも幸福なことがあって、許されるのだろうか。
リズルカのまぶたが震える。
無数の星が光る夜空の下、目覚める彼を見つめながらゆっくりと飛笛を回すそのひとときは、遠い昔の祈りに似ていた。
【了】
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
感想など頂ければ幸いです。
悠久(youQ)