第七話 犬の丘の大運動会
「運動会をしよう」
そうボーダーコリーが言い出したのは三日前だった。
「どんなルールで」
と、プードルが聞いた。
「まだ決めてない」
全員が固まった。
「……ルールを決めずに提案するのは、おまえらしくない」
「今回はみんなで決めたほうがいいと思って」
柴犬がちらりとボーダーコリーを見た。何も言わなかったけど、しっぽが少しだけ動いた。
三日かけて、全員で種目を決めた。走り比べ、においあて競争、遠吠え大会、水泳レース、知恵比べクイズ。そして当日。
走り比べは、グレイハウンドが一位だった。
グレイハウンドは、古代エジプトにまでさかのぼる歴史を持つ大型犬だ。細くてしなやかな体と長い足を持ち、時速七十キロ以上で走る。世界でいちばん速い犬種といわれている。普段は飄々としていて昼寝が好きだが、走ると別物になる。
スタートの瞬間、グレイハウンドはもういなかった。いや、いたけど、もうゴールしていた。
「一着!」
と、ゴールデンレトリバーが言った。
「知ってた」
と、チワワが言った。
チワワは最下位だったが
「おれは短距離より度胸勝負のほうが向いてる」
と、言った。全員が
「知ってる」
と返した。
においあて競争は、バセットハウンドが全問正解だった。目隠しをして食べ物のにおいを当てるゲームで、バセットハウンドは一問も迷わなかった。二位はプードルだったが最後の一問を間違えたのが悔しくて「もう一回」を四回言った。
遠吠え大会は、ハスキーが優勝した。音量と持続時間で圧倒した。「あーーーうーーーー」という声が丘の向こうまで響いた。ニューファンドランドの低い遠吠えも迫力があったが、ハスキーには勝てなかった。
そしてバセンジーの番になった。
バセンジーは、アフリカのコンゴ生まれの中型犬だ。犬なのに、吠えることができない。喉の構造が他の犬と少し違うので、「ワン」という声が出ない。かわりに、ヨーデルに似た独特な声を出す。自分で体を舐めてきれいにする猫みたいな習慣がある。口数が少ないが、目がよく動く。
バセンジーは少し考えた。
それから、「うー、うふ」みたいな声を出した。
何ともいえない空気になった。
しっぽの動きが小さくなった。
バセンジーは何も言わなかった。でも目が少し細くなった。耳も少し垂れた。
水泳レースはニューファンドランドが一位で、プードルが二位だった。プードルが泳げることをはじめて知った子が何匹かいた。フレンチブルドッグはスタートラインで「今日は体調が悪い」と言って辞退した。ハスキーが「泳げないんだろ」と言ったら「違う」と即答が返ってきた。どちらが本当かは、確かめなかった。
知恵比べクイズは、ボーダーコリーとプードルが同点になった。延長戦をしても同点だった。もう一回やっても同点で、ふたりはじっと見つめ合った。
「引き分けでいいか」
と、ボーダーコリーが言った。
「いいよ」
と、プードルが言った。
それからふたりは同時に笑った。なぜか全員がほっとした。
夕方、みんながばらばらに草の上で転がった。
そのときゴールデンレトリバーが、全員に向かって言った。
「今日、たのしかった!」
たったそれだけだ。
でも、それを聞いたみんなが、胸のあたりがすこしあたたかくなった。本当にそうだったから。
柴犬も、フレンチブルドッグも、ボーダーコリーも、バセットハウンドも、グレイハウンドも、ハスキーも、ニューファンドランドも、バセンジーも、ショロイツクインツレも、プードルも、チワワも。
全員が、たのしかった。
夕暮れの空が橙色に変わっていく中、みんながばらばらの方向を向いて転がっていた。
遠くから、またあの歌声が聞こえた。
犬の丘のみんなには、かすかにしか聞こえない。でも聞こえた。
バセットハウンドだけが、すこし鼻を動かした。
あの声のにおいは、知らない。でも毎日どこかから聞こえてくる。いつか、近くで嗅いでみたいと思う。思いながら、草の上にどかりと横になって、目を閉じた。
今日はよく動いた。よく嗅いだ。よく眠った。
それで、十分だ。
その頃、猫の路地では――
ノルウェジアンが、いつもの木の上から遠くを見ていた。夕暮れの空の向こうに、犬の丘がある。そこからにぎやかな声が一日中聞こえていた。
「……さわがしいな」
ひとりごとを言った。
でも口元は、ほんのすこし上がっていた。
木の上の、ひとりの夜が始まる。星が、出はじめていた。




