第六話 ピグミーマーモセットが一番前に立った日
ピグミーマーモセットは、アマゾン流域に生きる霊長類の中で世界最小の種だ。体重が百グラム程度で、手のひらに乗る大きさだ。木に鋭い爪を立ててはりつき、樹液を主食とする。小さいが動きが素早く、驚くほど敏捷だ。
サルの森でいちばん小さい。
でも、なぜかいつも一番前にいる。
その日の朝、森の端で何かがいた。
正確には、音がした。
葉がざわざわする音だ。でも風が吹いているわけじゃない。
ニホンザルが最初に気づいた。温泉から上がって、音のほうを見た。
葉の陰に、何かがいる。大きくはない。でも、確かにいる。
ニホンザルは後退りした。見えない相手はこわい。
チンパンジーが来た。
「何かいるのか」
「いる。葉の向こうに」
チンパンジーも止まった。
ホエザルが来た。
「どうした」と大きな声で言った。
葉がびくっとした。向こうの何かが、驚いたらしい。
「うるさい」とニホンザルが言った。
「静かにしてる」
「してない」
こそこそと、気づいたらサルの森の全員がそこに集まっていた。全員が葉の陰の「何か」を見ている。でも、だれも近づかない。
そのとき、ピグミーマーモセットが前に出た。
ちょこちょこと、小さな足で、葉の方へ向かっていく。
「待て」とニホンザルが言った。「危ないかもしれない」
「見てくる」とピグミーマーモセットが言った。
「小さいから何かあったら」
「小さいから素早い」
ピグミーマーモセットは葉に近づいた。葉をそっとかき分けた。
向こうに、小さなトカゲがいた。
ちいさくて、緑色で、目がまん丸だ。
ピグミーマーモセットを見て、固まっている。
ピグミーマーモセットも、少しだけ固まった。
それから言った。
「こんにちは」
トカゲはびくっとした。でも逃げなかった。
「……こんにちは」とトカゲが言った。小さな声で。
ピグミーマーモセットは振り返って、全員に言った。
「トカゲだ。こわくない」
全員がほっとした顔をした。
ニホンザルが「そうか」と言って、温泉の方へ戻っていった。チンパンジーがノートに何かを刻みはじめた。ホエザルが「よかった!!」と大声で言って、トカゲがまたびくっとした。
トカゲは岩陰の小道の子で、迷い込んできたらしかった。
ピグミーマーモセットはトカゲに、帰り道を教えた。道はよく知らなかったので、行ける方向まで一緒に歩いた。
「ありがとう」とトカゲが言った。
「どういたしまして」
「あの大きい集団の中で、最初に来てくれた」
「そうだな」
「怖くなかった?」
ピグミーマーモセットは少し考えた。
「怖かった」
「でも来た」
「来ないと、ずっと怖いままだから」
トカゲは少しだけ目を細めた。
「……なるほど」
ピグミーマーモセットはトカゲを見送った。小さな緑のトカゲが葉の中に消えていった。
森に戻ったとき、ワタボウシタマリンの兄が声をかけてきた。
「ピグミーマーモセット、よかったな」
「何が」
「一番前に行ったこと」
「みんなが行かなかったから」
「それだけじゃないと思う」
ピグミーマーモセットは少し首をかしげた。
「怖かったって言ってたじゃないか」とワタボウシタマリンの兄が言った。
「言った」
「でも行った。それが、すごいと思う」
ピグミーマーモセットはしばらく考えた。
「怖いのに行くのが、すごいのか」
「そうだと思う。少なくともおれにとっては」
「おれは毎回そうしてる」
「だからすごいんだよ」
ピグミーマーモセットは何も言わなかった。
でも、森の中をちょこちょこ歩く足が、少しだけ軽くなった気がした。




